16 / 29
(16)過去と執着(リュシー視点)
しおりを挟む痛い。
痛い。
痛い。
あの男に掴まれた腕が痛い。
「くそっ! あいつ、思い切り力を入れやがって!」
リュシーは腕を擦りながら悪態をついた。
こんなにもイライラするのは、あの男とタリアのせいだ。
違う──タリアのせいだ。
リュシーと別れたばかりなのに、他の男に尻尾を振るような尻軽女。
そして一緒にいたのは、リュシーと比ぶべくもないボサボサ頭の冴えない男。
少しばかり身体つきががっしりしていたが、それだけだろう。あんなのが自分の代わりだなんて認めない。
タリアが他の男に笑いかける姿など見たくなかった。あの微笑みも、あの声も、あの身体も唇も──全てリュシーのモノだ。どこの誰ともわからない他の男になんか渡さない。
彼女の世界に存在するのはリュシーだけで十分だ。リュシーの世界がそうなのだから。
今までもこれから先もずっと。
なのに。
タリアは裏切った。
リュシーが先に浮気したのだと主張していたが、自分の浮気こそを正当化しようとしているに違いない。
大体、リュシーの方はその気もないのに浮気とはおかしなことだ。あの化粧女はただの道具でしかない。兄、両親、使用人、その他リュシーを嘲笑いこんな狭い世界に閉じ込めた彼らを見返すための、道具。
結婚なんかしなくたって一緒にいられるだろう。
リュシーが裕福な貴族になれば、タリアを養ってやることだって可能なのだから。愛人になれば、生活も安定するからもう役場などで働かなくてもよくなるのだ。
なのに──何故。
腕だけではなく全身が痛いと悲鳴を上げるが、リュシーは殴られたりはしていないはずだ。
一体どこが痛いのだろうか。
一体何が痛いのだろうか。
もう、どこが、何が、痛いのかわからなかった。
腕なのか、胸なのか、頭なのか──。
二人の兄に時折殴られることはあったが、もう昔のことだ。
木剣の柄で殴られた背中のみみず腫れも、底の固い靴で蹴られた脇腹の痣も、もうとっくに消えている。
最近の兄たちは、末の弟にかまけている時間がないほどに多忙を極めているらしい。
顔を合わせれば嫌味を言ってくるが、それだけだった。
リュシーも大人になったし、やり返されるのを恐れているのかもしれない。
家の中でリュシーは常に一人だった。
両親は商会の仕事で朝夕なく忙しく、兄たちもその手伝いに駆り出されている。
末っ子のリュシーの面倒は主に使用人が、勉強などは家庭教師が見ていた。
使用人といっても通いで食事の用意をしたりするだけの人間だ。
家庭教師は貴族が雇うような高尚な教師ではなく、読み書きや計算ができるだけの商会の関係者だ。
彼らは、常に面倒そうに眉をしかめながら、リュシーに話しかけるのだ。
使用人や教師が女だった時だけはリュシーに甘かったが、それだって彼の見目がいいからだろう。
むしろ変な色目を使ってきて気味が悪かった。
だから、ずっとリュシーは一人だった。
そんな一人きりのリュシーの世界に現れたのが、タリアだった。
タリアはいつも両親に連れられて来ていた。
つまらなそうにしていたので、家庭教師から教わったことを教えると、感心しながら喜んでくれた。
自分を必要だと笑顔で、全身で、表現してくれたのは、その少女だけだった。
彼女はリュシーを一人ぼっちの世界から連れ出してくれた。
それからは、何をするのも彼女と一緒だった。
何年か後にタリアの両親が亡くなった時も一緒だった。夜通し泣き続けるタリアの傍で彼女を慰めたのはリュシーだ。
悲しむ彼女の傍らで、彼女を独占できるほの暗い喜びを感じていた。
自分を頼り、縋り、必要としてくれる──そんな人間はタリアが初めてだったから。
何があっても手放すわけにはいかない。
自分の、あれは自分だけの光だ。
「旦那、個人的な取引きはこれっきりにしてくださいよ?」
「わかってる。いいから早く出せ」
背の低いあばた顔の男が、さっきから何回も渋い顔をしながら念を押してくる。
リュシーは組んだ腕の上で中指をトントンしながら、苛立たしげに答えた。
「男爵様にバレたらアタシもヤバいんですからね」
「わかったわかった」
「……旦那のことも一応信用しますが、コイツを変なことに使って騒ぎなんか起こさないでくださいよ? 最近、騎士団が色々嗅ぎ回っていて、こっちの身も危ないんですよ。痛い腹探られちゃかないませんからね」
「騎士団か……」
「危ない橋を渡るんですから、ちょっと高くつきますよ?」
「……ああ」
「巻き込まれるのはゴメンなんで、何に使うかは聞きやしませんがね。くれぐれも頼みますよ?」
「──ああ、わかってるから早く寄越せ」
「はいはい……」
男は懐から紙袋を取り出すと、金と交換でリュシーに手渡した。
リュシーはそれを受け取ると、くるりと踵を返して男に背を向けた。
「こいつを使って──」
遠ざかりながら何やらブツブツと呟いていたが、男の耳にはもう届かなかった。
大丈夫だ、今ならばまだ。
きっと、取り戻せる。
リュシーにはタリアが必要なのだから。
ひょっとして頼り、縋り、必要としていたのは自分の方なのかもしれない。
だが今更。
そんなことは認められない。
だからリュシーがやるべきなのは、あるべき形へと戻すことだけだ。
10
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説
【完結】ふしだらな母親の娘は、私なのでしょうか?
イチモンジ・ルル
恋愛
奪われ続けた少女に届いた未知の熱が、すべてを変える――
「ふしだら」と汚名を着せられた母。
その罪を背負わされ、虐げられてきた少女ノンナ。幼い頃から政略結婚に縛られ、美貌も才能も奪われ、父の愛すら失った彼女。だが、ある日奪われた魔法の力を取り戻し、信じられる仲間と共に立ち上がる。
歪められた世界で、隠された真実を暴き、奪われた人生を新たな未来に変えていく。
――これは、過去の呪縛に立ち向かい、愛と希望を掴み、自らの手で未来を切り開く少女の戦いと成長の物語――
旧タイトル ふしだらと言われた母親の娘は、実は私ではありません
他サイトにも投稿。

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない
ぜらいす黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。
ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。
ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。
ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
愛を語れない関係【完結】
迷い人
恋愛
婚約者の魔導師ウィル・グランビルは愛すべき義妹メアリーのために、私ソフィラの全てを奪おうとした。 家族が私のために作ってくれた魔道具まで……。
そして、時が戻った。
だから、もう、何も渡すものか……そう決意した。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】仕事を放棄した結果、私は幸せになれました。
キーノ
恋愛
わたくしは乙女ゲームの悪役令嬢みたいですわ。悪役令嬢に転生したと言った方がラノベあるある的に良いでしょうか。
ですが、ゲーム内でヒロイン達が語られる用な悪事を働いたことなどありません。王子に嫉妬? そのような無駄な事に時間をかまけている時間はわたくしにはありませんでしたのに。
だってわたくし、週4回は王太子妃教育に王妃教育、週3回で王妃様とのお茶会。お茶会や教育が終わったら王太子妃の公務、王子殿下がサボっているお陰で回ってくる公務に、王子の管轄する領の嘆願書の整頓やら収益やら税の計算やらで、わたくし、ちっとも自由時間がありませんでしたのよ。
こんなに忙しい私が、最後は冤罪にて処刑ですって? 学園にすら通えて無いのに、すべてのルートで私は処刑されてしまうと解った今、わたくしは全ての仕事を放棄して、冤罪で処刑されるその時まで、押しと穏やかに過ごしますわ。
※さくっと読める悪役令嬢モノです。
2月14~15日に全話、投稿完了。
感想、誤字、脱字など受け付けます。
沢山のエールにお気に入り登録、ありがとうございます。現在執筆中の新作の励みになります。初期作品のほうも見てもらえて感無量です!
恋愛23位にまで上げて頂き、感謝いたします。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる