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(12)愛なのか執着なのか(リュシー視点)
しおりを挟むリュシーは苛立っていた。
数日前までは自分のモノだった女が、別の男性と腕を組んで歩いていたからである。
「アイツ──やっぱり浮気してたんだな」
自尊心の高いリュシーにとって、タリアに振られたという事実は、到底受け入れられるものではなかった。
自分はまだ受け入れてない。
だから、まだ別れた訳じゃない。
だから、浮気なのだこれは。
(僕のことを浮気だのなんだの罵って殴ってきたくせに、自分だって浮気してるじゃないか!)
残念なことに彼は今、一人で街に出ていて、諌め宥めてくれる人は存在しなかった。
◇◇◇
こんなはずじゃなかった。
真面目なタリアはいつも、待ち合わせると時間ピッタリに来る。
だから、油断していたのだ。
いくらリュシーでも、
二人をバッティングさせてスリルを楽しむなんて趣味はない。
実はあの日、どうしてもデートをしたいというジュリアの我儘で、急遽仕事を休んで夕方までデートをしていたのだ。
かつてタリアに言い訳したように、大切な商売先のお嬢様だからなるべく機嫌を損ねるなと、父親に言いつけられていたのは本当だ。
先に約束していたのはタリアの方だったが、タリアと会うのは仕事後だ。
それまでにジュリアを帰せば時間的にも問題ないだろうと思った。
しかし、迎えの馬車に乗せて帰す直前に、ジュリアが帰りたくないと駄々を捏ね始めた。
ただでさえ時間が押していて、タリアとの約束の時間が迫っていることに焦っていたリュシーは、何とか宥めようと必死だった。
「もう少し、もう少しだけ一緒にいてちょうだい! お願い。帰りたくないの」
「そろそろ君を帰さなければ、僕は男爵様にお叱りを受けてしまうよ。そうなったら、もう君に会わせてもらえないかもしれないよ?」
「そ、そんな……」
「君のことを愛しているから、会えなくなるのは辛いんだ。大人しく帰ってくれるね?」
心にもない愛の言葉を囁きながら、ジュリアの自尊心を満足させようとしていた。
普段、何もしなくても女が寄ってくる彼にとって、思ってもいない愛の言葉を並べ立てるそれは、苦行以外の何物でもなかった。
女は美しくないとは言わないが、リュシーにとって、女としてはそれほど魅力的ではなかったからだ。
「私も愛してるわ、リュシー!」
嬉しそうに身を寄せる女から漂ってくる香水に、眉をしかめる。
胸が大きく空いたドレスも、卑俗だ。
化粧もあまりせず、慎ましやかなワンピースを好んで着るタリアとは何もかもが違って見える。
「僕も愛してるよ、だから今日はもう……」
「──じゃあ、キスをしてくれたら帰るわ」
「……」
リュシーはジュリアに顔を寄せ、その毒々しく色づいた唇に口付けを落とした。
その瞬間、ぎゅっと引き寄せられて深い口付けをされたのはあまりいい気分ではなかったが、これで彼女が帰るというのならば安いものだとそれを受け入れた。
まさかその現場を、いつもよりほんの少しだけ早く来たタリアに見られていたとは夢にも思わなかった。
リュシーは、割と大きな商会の三男坊として生まれた。
上には優秀な兄たちがいて、今更いくら努力しても追いつけなかった。
両親は一番下の自分をかわいがってくれたが、そのことをやっかんだ兄たちからは両親のいない所でよく嫌がらせをされていた。
それを見抜けない両親にも大人気ない兄たちにも、リュシーは失望していた。
例え一番上の兄に何かあっても、補佐をしている二番目の兄が継ぐことになるだけで、どうあっても商会はリュシーのものにはならない。
そんなリュシーに唯一残された道が、結婚して爵位を得ることだった。
得意先のお嬢さんとして、貴族令嬢のジュリアを紹介された時は千載一隅のこのチャンスに心踊った。
男爵は爵位を金で買ったという噂だが、そんな話はどこにでも転がっている。男爵にしては暮らし向きが豪勢らしいのも魅力的だった。
ジュリアは男爵の一人娘だが、女が爵位を継ぐことはほとんどない。だから、男爵位は婿入りしてジュリアの夫となる者が継ぐことになるのは明白だった。
それなのに、ジュリアには婚約者がいなかった。
男爵はきっと、じっくりと条件のいい婿候補を選ぶ算段だったのだろう。
リュシーには全てが神の采配に思えた。
彼にはタリアという恋人はいるが、書類を交わして婚約したわけではないし、ましてや婚姻もしていない。
タリアの両親が亡くなるまでは家同士の付き合いもあったのだが、今現在はない。
幼い頃に結婚の約束をしようが、書類を交わしていない以上その証明はできないだろう。
つまり、リュシーはフリーに限りなく近い状態なのだ。
上手くやれば、リュシーの元には爵位と財産が転がり込み、兄たちを見返してやれるに違いない。
リュシーは顔がいい。「お前は顔だけだ」と、上の兄たちからよく憎まれ口を叩かれていたし、実際女が寄ってくるから自覚もある。
ジュリアを落とす自信はあった。
幸い──というより当然の帰結だったが、ジュリアは平凡顔の兄二人ではなくリュシーに興味を持った。
ちょっと微笑んで愛の言葉を囁いてやれば、男に免疫がなかったジュリアはたちまちその気になった。
そしてそれを繰り返すと、ジュリアはすっかりリュシーの虜になり、父親である男爵に彼と結婚したいとねだるようになった。
やがて、愛娘のおねだりに根負けした男爵が、リュシーの両親に婿入りの話を持ちかけ、リュシーの両親もそれに了承した。
その話をした時の兄たちの悔しそうな顔が忘れられない。リュシーは満足だった。
だが。
例え結婚するとしても、彼はタリアのことを手放すつもりはなかった。
貴族の男は愛人を囲っていることも多いから、何も問題はないはずだ。
大体、手放すも何も、あれは自分のモノだ。
数年前に、両親を亡くして気落ちしているタリアに寄り添って、頼れるのはリュシーだけだとずっと言い聞かせた。
化粧や香水の匂いが苦手だったリュシーが、華美な化粧や香水を纏うのは商売女だけだと教えてやったら、その次の日からタリアは香水も化粧もやめた。
また、女性が男性のような格好をすることの 浅ましさを説いてやった。タリアは、髪を伸ばして女性らしいワンピースを好んで着るようになった。
デートよりも友人との予定を優先させようとするタリアに不機嫌な顔を見せたら、彼女が休日に予定を入れることはなくなった。
顔立ちも身体付きも普通で、家柄も財産もない。大した取り柄のないタリアがリュシーと付き合えるのだから、タリアがリュシーに合わせるのは当然だ。
それに何の疑問も疑念も抱いたことはない。
あれは。
タリアは。
今までもそしてこれからもずっと、リュシーのものなのだ。
女性らしくいつも一歩下がって歩いてくるし、香水の匂いもほとんどしない。他の女に感じるような嫌悪感を、タリアは感じさせない。
それはきっと、リュシーが長年言い聞かせた成果だろう。
タリアを愛しているかと聞かれると、リュシーにはよくわからなかった。
リュシーに近寄ってくる他の女は大概自己主張が激しく、彼を己の装飾品としてしか見ていない節がある。
顔を褒められて悪い気はしないが、そればかりだと他に取り柄がないように思えてしまうのが嫌だった。
愛はあるかわからないが、執着は確かにあった。
だから、彼女が自分から離れて他の男のものになる所を想像できない。
第一、タリアがリュシーから離れられるわけがない。他に頼る人間はいないはずだ。
少し時間を置いて彼女の頭が冷えれば、自分がどんなに愚かな行動をしたのかわかるだろう。
むしろ、愛人でもいいから今まで通りそばに置いてくれ──タリアの方からそう懇願してくるだろう。
そう、思っていた──今日、街の中でタリアの姿を見るまでは。
今日は男爵邸へ呼び出されて、男爵邸で開くパーティーのあれこれに関して説明を受けた。
そこで、リュシーをジュリアの婚約者として紹介するらしい。招待客のリストを見せられて、名前を覚えてくるように言われ、特に同じ派閥の上位貴族に失礼のないようにと言い含められた。
貴族というのは思っていたより面倒なものらしい。
その後、一通の手紙を届けるように言われて、リュシーは渋々下町へ出かけていたのだ。
下町は匂いが酷いし、治安が悪くてあまり足を踏み入れたくないのだが。
本来、手紙を届けるのは従者の役目だが、その手紙は信用できる者にしか任せられないと男爵は言っていた。つまり、屋敷の者を誰も信用していないのだろう。
時折知り合いに声をかけられてどこに行くのか聞かれたが、リュシーは言葉を濁して誤魔化した。
その後、無事手紙を届ける事ができて時間も空いたから、少しブラブラとしていた。
街中でタリアを見かけたのは偶然だった。
既に夕暮れ時で薄暗くなっていたが、リュシーが彼女のことを見間違えるはずがない。
いつものワンピース姿じゃなかったから、仕事の帰りだろうかと思ったが、様子がおかしい。
様子がおかしいというよりも、タリアの隣りには知らない男がいて、彼女は笑顔でその男に話しかけていたのだ。
「浮気なんて──許せない……」
許せない。
タリアが他人のモノになるなんて、認めない。
目の前が怒りで真っ赤になる。
リュシーの意識はどす黒い怒りに飲み込まれた。
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