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(4)資料室の男
しおりを挟むそこにいたのは、黒髪をやや伸ばし放題にした見慣れない男だった。
やや──というか、バサバサの髪が顔の上半分を覆っていて、顔の判別ができない。
(──誰?)
「ごめん、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、聞こえてきちゃったから。ドア、半開きだったよ」
それはそうだろう。
タリアは一人きりだと思いこんで、それなりの音量で独り言を言っていた自覚がある。
(ぎゃああああぁぁぁぁぁぁ──っ!)
「どっ……どこから聞いてました?」
「──もう少し落ち着いて話せばよかったかしら」
「ひゃあああぁぁぁぁ──っ!」
まさかの始めからだった。
「お願いですから、このことは誰にも──」
タリアはガバッと頭を下げた。
すると男の口元は弧を描いた。俯いたタリアからは見えなかったが。
「……いいけど──一つ提案があるんだ」
いつの間にかタリアのすぐ側まで近寄っていた男は、タリアの目の前でピッと人差し指を立てた。
「へ?」
「君はその男と別れたいんだよね? 僕が君の新しい男になってあげるよ。他に恋人ができたと知ったら、さすがにその男も近づいてこないんじゃないかな?」
「え? え?」
「どう?」
どう? も何も、状況が全く呑み込めない。
「君はそのリュシーって男と別れたいんだろう?」
「わ、別れたいというか……」
別れたいような別れたくないような──いや、あれはもう別れたも同然だ。こちらから離縁状を文字通り叩きつけたようなものだから。
でも、同時に昨日はやり過ぎたかな、と後悔する自分もいる。
タリアは、幼なじみとしては十年以上、正式に付き合い出してからは三年ほどをリュシーの隣で過ごしてきた。
別れてしまえば全てが〝無〟だ。
あれは、全てを棒に振ってもいいと思えるほどの事だったのだろうか。
まさか。そんなわけがない。
けれど、リュシーの姿を思い描こうとすると、同時に例のイチャコラ映像が頭の中にポンッと浮かび上がるのだ。
タリアにはそれが耐えられなかった。
この先、例えリュシーと結ばれる未来があったとしても、あの時裏切られたこの惨めな想いを忘れられるかというと、否だ。
それに、もう一度彼の弁明を思い出してみると──。
『彼女とはこのまま結婚させられるかもしれない。でも! いずれ必ず彼女とは別れて愛する君の元へ戻ると誓うよ! だから待っててくれ!』
(あ、ないわ)
やっぱりなかった。
すっと頭が冷え、後悔より怒りが湧いてくる。
大体、別の女と結婚する前提で『待っててくれ』とか頭おかしい。そんなことを言われて待つ女がいるだろうか。
「別れたいというか、もう別れたのよ」
「それにしては、男を信じて待つか迷ってる様子だったけど、どうかな?」
「う……」
「先日、友人が飼っていた猫が死んでしまったんだよね」
「え……」
一体何の話を聞かされているのだろう。
タリアとリュシーに関する話じゃなかったのか。
彼の友人の猫とやらに何の関係があるのだろうか。
「可愛がっていた猫が突然いなくなってしまって、友人は大変な落ち込みようだった。それこそ自分も後を追いかねないほどにね」
落ち込むのは当然だろうが、後追い自殺しかねないほどの想いを猫に抱いていたのか──少し……いやかなり重くないだろうか。
「だから、少し心配してたんだけど──それから幾ばくもしないうちに、またその友人に会う機会があってね。彼は死んだ猫のことは忘れられないままだったけど、完全に気を持ち直していたんだ」
「は、はぁ……それはよかったですね……」
話が全く見えないが、タリアは相槌を打ってみた。
「ああ。僕は彼が短期間で立ち直ったことを不思議に思って尋ねてみたんだ」
「えっ……」
「すると、彼はこう言った。『猫の傷は猫で癒すに限る』と。要は、新しい猫を飼い始めたんだよね。だから」
だから──男はすっと身をかがめながらタリアの耳元で囁いた。
『男の傷は新しい男で癒せばいいと思うんだ』
と。
耳に吐息が触れ、ゾクッとする。
タリアが身を震わせると、彼はふっと笑って身体を離した。
人畜無害そうなナリをしているが、何だか危険な匂いがする。
この男に関わるのはよくない──そう女の勘が告げている。
「あの……」
勘違いさせてもいけないからしっかり断らなければ。
タリアが口を開いたその時──。
バタンッ!
勢いよく資料室のドアが開いた。
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