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第一部

皇太子から逃げられない

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 確信のこもったジークハルトの視線から、リアは逃れるように目を背ける。

「ジークハルト様、それは違いますわ。私は『風』術者の『闇』寄りです。決して『闇』術者では──」

 彼はリアの髪を長い指で梳いた。毛先まで、まるで愛おしむように。
 髪に感覚はないはずなのに、甘く感じる指先。

「隠してもわかっている。君は術者の頂点ともいうべき『闇』術者だ。帝国で尊ばれるが、危険な存在でもある。君が何者かに利用されれば、大変なことになるからな。今後オレの目の届く場所で、ずっと生活をしてもらう。結婚前の今も、結婚後も」

 リアは息を詰める。

「……ジークハルト様……私と結婚するおつもりなのですか?」
「なぜ、そんなことを問う。君が九歳、オレが十歳のとき婚約してから、君はオレのものだ。このオレから逃げられるとでも思っているのか」

 彼はリアの二の腕を掴んだ。
 どこにも 逃がさないとばかりに。
 彼はイザークの妹メラニーと、あらたに婚約するのでは?

「ジークハルト様……メラニー様は……」

 リアは声が震えた。

「ジークハルト様は……メラニー様がお好きなのでは」

 リアはそれを今まで彼に尋ねたことがなかった。
 彼自身の口から、決定的なことを聞くのが怖かったためだ。
 前世、旅に出たあとも、意識的にこの国の情報は入れないようにしていた。
 ジークハルトがメラニーと婚約した後のことは全く知らない。
 
 ジークハルトは不快げに眉間に皺を刻んだ。

「彼女に特別な感情は抱いていない」
「ですが……」

 リアは自らの手を握る。

「メラニー様との噂を耳にしましたわ……」

 ジークハルトは嘲るように呟いた。

「噂なら、オレも耳にしたが? 君と幼馴染が深い仲だと」
「イザークは友人です」

 彼はリアから手を離し、横を向いた。彼の横顔に、黄金色の髪がふりかかる。

「──ああ、そうなのだろう。君は自分の噂は否定するのに、オレについての噂は信じるわけか」

 噂だけではないのだ。リアは実際前世立ち会った。ジークハルトがメラニーとの婚約を宣言した瞬間に。
 しかしそれを伝えるわけにもいかない。

「君にはこの部屋にいてもらう」

 国外に出るつもりだったリアは、唇を噛み、俯いた。

「逃げれば君を殺すといったが、言い換える。リア、君が逃げれば、オレは君の家族を殺す。オスカーとカミルを、必ずオレはこの手で惨殺する」

(え──)
 
 リアは慌てて顔を上げた。
 横を向いたまま彼は、きつく唇を引き結んでいる。
 強い、ゆるぎない決意がみえる。
 
 ジークハルトは本気だ。

(逃げられない……)
 
 何をもってしても、この皇太子から。
 リアは蒼白になり、それを悟った。



◇◇◇◇◇



 ジークハルトの続き部屋で暮らすことになったリアは、突然のことに動揺し、何も考えられなかった。

 身の回りのものなど、必要なものは早急に手配され、揃えられた。
 屋敷からもリアの私物が運ばれた。
 
 家族、特に兄と弟が猛烈に抗議したらしいが、この部屋に連れてこられて少しして、ジークハルトにリアはこう聞かされた。

「君の兄と弟は帝都を離れ、国外に出た」
「え……!?」
 
 ジークハルトは淡々と説明する。

「君の兄は、以前からツェイル王国に興味があったようだし、君の弟も見聞を広めるため、共に留学するのが良いと公爵に提案したのだ。それで彼らはツェイル王国に行った。今はもう帝国にいない」

 確かに、兄は芸術の発展したツェイル王国へ滞在したいと話していたことがあった。
 しかし余りにも突然すぎる。

「そうそう、イザークは隣国リューファスに留学するそうだ。君も知る近衛兵のローレンツは、本人の希望で国境の街に赴任した。そこで彼の祖母が暮らしているらしい」

 リアには何がなんだかわからなかった。

「ジークハルト様、一体どういうことですの?」

 ジークハルトは嘆息し、掌を天井に向け、肩を竦めてみせる。

「さあな、オレも知らない。ただ彼らが自ら望んで、帝都を離れた、それだけのことだ。君が彼らのことを考える必要は微塵もない」
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