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第一部

覚悟

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 真上にあるジークハルトの顔を見つめる。彼の艶めいた視線がリアの唇をなぞる。

(こんな状況、記憶にない……!)

 前世であったのか、なかったのか。わからないが、なかった。
 リアは目が回り、混乱した。

「いけません……」
「オレ達は婚約者だ。いけないことはない」

(この先、あなたは婚約破棄するのです)
 
 前世ショックな出来事だったから、それははっきり覚えていた。

「……まだ婚約の段階ですわ」

 そう言うのが、精いっぱいだった。

「婚約して、六年以上経っているが」
「結婚は先です」

 彼と結婚する日なんてこないのだ。唇を引き結び、泣きたいくらいリアが狼狽していると、彼は身を離した。

「……わかった」

 彼がどいてくれて、リアは心から安堵した。

「この部屋にある本は、持ち出し禁止だ。もし読むなら、ここで」
「……はい」

 ジークハルトが部屋を出ていくのを見送ったあと、リアは膝が崩れ、床にへたりと座りこんだ。
 婚約破棄まで、もうすぐだ。

(しっかりしなきゃ……)

 自分の頬をぱちっと叩く。
 胸を切り裂かれるような、辛い思いをしないよう、ちゃんと覚悟しておかないと。
 リアは、震えながら椅子に座り直した。

 前世でこの場面は絶対なかった。
 いくらなんでも、こんなことがあれば覚えている。
 
 涙が滲んでいる目をきゅっと瞑り、両手で顔を覆った。
 


◇◇◇◇◇



「どうした、リア?」
「お兄様」

 帰宅してすぐ、リアは一階の奥の部屋へと行った。
 母の肖像画の前で佇んでたリアに、入室したオスカーが気遣わしげに声をかけてくる。

「おまえは悩み事があると、この部屋にくる。何かあったのかい」
 
 心の中で母に悩みを聞いてもらうと不安が和らぐのだ。
 兄には、リアの行動を知られていたようである。

「何でもありません。ただ肖像画を見たくなったのですわ」
「何もないということはないだろう」

 心配そうにオスカーは、青灰色の瞳を細めた。
 リアの背に手を回し、窓際に置かれた革椅子へとリアを移動させる。

「座って、少し話をしよう」
 
 兄はリアを座らせ、その横に腰を下ろした。

「今日は皇宮に行っていたんだね」
「そうですわ」

 リアは膝の上に置いた自分の手を握りしめる。

「殿下と何かあったのかい?」

 リアは目を逸らせた。

「いいえ、特に何も」

 横で、オスカーの視線を強く感じる。

「ならいいんだが」

 兄は、悩ましく溜息をついた。

「実は……殿下の話を少し耳にしてね……。クルム侯爵令嬢と、睦まじそうに過ごしていたと」

 イザークの妹メラニーだ。リアは目線を絨毯におとす。
 前の生、ジークハルトは彼女と婚約すると宣言したが、今回もやはりそのようだ。

「そうですの」
 
 わかっていたことである。けれど胸がつきりと痛む。
 オスカーは僅かに首を振った。

「私は心配だ。殿下と結婚して、おまえが幸せになれるのかどうか」
 
 オスカーは繊細な手でリアの髪を撫でる。

「可愛いたった一人の妹のおまえには、誰よりも幸せになってもらいたいのに」
「心配なさらないで、お兄様」

 結婚自体、することにはならないし、前世不幸だったとも思っていない。今生も旅に出るつもりだ。
 安心させるようにリアは微笑む。
 兄はリアの頬に掌を添えた。

「私とおまえが結婚できたらいいのにな」

 リアはくすっと笑った。

「そういえば、昔そういった話がありましたわね」

 オスカーも笑う。

「ああ。殿下とおまえの婚約が決まる前だ」
「私、冗談かと思いましたわ」
「従兄弟だから、しようと思えばできるんだよ。殿下との婚約がなくなればね」

 ――婚約はなくなる。
 
 だがリアにとってオスカーは実の兄も同然だ。
 ジークハルトのことがなくとも、結婚など考えられなかった。兄も本音ではそうに決まっていた。兄妹として育ったのだから。
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