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第一部

前世と違う舞踏会

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「君との婚約を破棄しない」
「…………」
 
 公爵令嬢リア・アーレンスは、混乱した。
 今夜、この舞踏会において、リアは彼から婚約破棄を突き付けられるはずだった。
 
 声を失い、完璧な美貌の婚約者を見つめる。
 
 ダンスを終えたばかりなため、背には彼の手が回ったままだった。
 宮殿の煌びやかな大広間には、人々がひしめきあっている。
 彼の肩越しに、メラニー・クルムの姿がみえた。

「ジークハルト様」

 掠れた声がようやく出て、リアは自らの婚約者――皇太子ジークハルト・ギールッツの名を口にした。

「なんだ?」

 ジークハルトは、リアとの婚約を解消し、メラニーと婚約すると、ここで宣言するはずではなかった?

「今……なんとおっしゃいましたの……?」
 
 彼は皮肉な笑みを唇に刻む。

「君との婚約を破棄しない、と言った」
「――あの、それは……」

 彼は目を眇める。

「オレは君を逃がさない。決して。オレから逃げられるなんて考えないことだな。もし、君がそんなことをすれば、どうなると思う」

 逃げるのではないが、帝都を離れるつもりではいた。
 彼はリアの耳元で、いっそ甘やかに囁いた。

「もし逃げれば、オレは君を殺す」
 
 憎悪ともいえる昏い炎が、彼の双眸に宿っている。
 
 リアは背筋が凍りついた。
 冷酷なセルリアンブルーの瞳を、呆然と見つめ返すことしかできない。



◇◇◇◇◇



(どうして……どうして婚約破棄されなかったの?)

 わからない。
 これはどう捉えるべき事態なのか。

 
 リアは大広間から離れ、控え室へ入った。
 
 休憩するための小部屋が幾つも並んでおり、その一室に足を踏み入れ、椅子に腰を下ろす。
 衝撃で指先がまだ震えていた。
 
 ――リアは一度目の人生を――二十代半ばで終えた。
 理由は謎だが、亡くなったあと、またリア・アーレンスとして生まれ変わり、二度目の人生を送っている。

 前世を思い出したのは、今から六年前。十歳の頃だ。
 最初の人生の記憶は曖昧である。
 そのため、二度目の人生でもそれなりに新鮮な毎日を過ごしていた。
 
 婚約破棄はショックな事だったから、比較的鮮明に覚えている。
 今回は心づもりを固めていた。
 婚約破棄しないと言われ、逆に衝撃を受けている。
 今生、前世と違う出来事は、起きていた。
 けれど――運命だと、婚約破棄の回避には動かなかったのに――。
 
「リア」
 
 呆然自失していると、兄のオスカーが休憩室に入ってきてリアに声をかけた。

「お兄様……」

 青ざめているリアをみて、オスカーは細い息を吐く。

「リア……殿下が、婚約を破棄すると?」

 オスカーは憂いながら、リアの隣に座る。

「殿下と侯爵令嬢メラニー・クルムが親密なのは残念ながら有名だから……。彼女と結婚するため、婚約を破棄すると? ほかの者にうつつを抜かすような男など――」
「違うの、お兄様……。ジークハルト様は婚約破棄しない、とおっしゃったの」
「…………なんだって?」

 兄も驚愕している。

(……そうよね……驚くわよね……)
 
 婚約破棄は時間の問題だと、皆、思っていた。
 リアに対するひどい噂が流れている。
 
 皇太子に近づく女性――特にメラニーを非道にいじめていた、さらに彼女の兄と不貞を働いた悪女だ、と。
 根も葉もない噂で、真実ではない。
 
 だがリアは悪役でいいと、婚約破棄も全て受け入れるつもりだった。
 前世同様、婚約破棄された後、帝都を出て冒険者として生きると決めていたのだ。
 
 前世、冒険の末に亡くなったものの、各地を旅することに、魅力を感じていた。
 
 リアは窓の外へと、ゆっくりと視線を移す。
 
 ジークハルトの先程の瞳が脳裏に焼き付いていて、離れない。
 昔好きだった初恋相手と、ジークハルトの容貌はよく似ている。
 
 ――リアは、まだ二度目の生だと知らなかった、幼い日々に思いを馳せた。

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