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第一章
5.恐怖の時間
しおりを挟む「クリスティン!」
クリスティンを呼ぶ甲高い声がした。
振り返ると母がこちらに足早にやって来るのがみえた。
母は顔面蒼白だ。
「クリスティン、あなた、そんな格好で! ……アドレー様、申し訳ありません。クリスティンはアドレー様にお会いできるのを、それは楽しみに、心待ちにしていたのですわ。けれどこの間倒れてから、言動が少々突飛になりまして。すぐに身支度をさせますので」
「いえ、私はこのままで構いませんが」
「いけませんわ、アドレー様! さ、クリスティン!」
クリスティンは母に強制的に身支度を整えられそうになったが、慌てて説得を試みた。
「お母様、わたくしが身支度をしていたら、時間がかかってしまいますわ。貴重なお時間を割いて、こちらにいらしてくださっている、アドレー様とラムゼイ様をお待たせしてしまってそれこそ失礼では」
「私はクリスティンがどのような姿でもよいですよ。彼女の美しさは、それで損なわれはしません」
「アドレー様……娘が大変申し訳ありません」
母は躊躇いつつ、仕方なくクリスティンをそのままでいさせることにしたようだ。
応接の間に入り、ステテコのままアドレーとラムゼイとテーブルにつく。
彼らとお茶をすることになり、クリスティンは遅れて悔やむ。
(お母様に言われたとおり、支度を整えるべきだった。その間に彼らは去ってくれていたかもしれない……。しくじってしまったわ……!)
「本当にその服装でいつもいるのか」
ラムゼイが厳しい目をクリスティンに向ける。
「……ええ、そうです、ラムゼイ様。わたくし、ドレスは苦手で」
こういったラクな格好も大好きだけれど、綺麗なドレスも実は大好きだ。
メルが紅茶と菓子をテーブルに並べてくれる。
今日は彼が紅茶を淹れたので、濃すぎはしないだろう。
甘い香り漂う菓子に視線を流す。
(食事にも気をつけないとね。食べすぎたら身体によくないし。今後、豆類や卵、鶏のささみを積極的に摂って、筋肉をつけましょう)
そんなことを考えながら、紅茶を口にする。流石メルだ、やはり美味しい。
彼はクリスティンの好みを承知している。
「クリスティン、もう起きて本当に大丈夫?」
「ええ、アドレー様」
クリスティンは笑顔を作るが、ぎこちなくなった。
アドレーの心情はわかっている。クリスティンを鬱陶しく思っている。
それは彼の親友であるラムゼイも同様。
なぜ親友が、こんな女と婚約することになったのかと嘆いているのだ。
婚約は周りが決めたもので、以前のクリスティンにとって喜ばしいことだったが、アドレーにとっては気の進まない不本意なものなのだ。
アドレーは、結婚相手は自身で決めたいという想いがある。
ゲーム内でヒロインにそう語っていた。
愛妾ならまだしも、正妃は自身で決められない。だが、ヒロインは王家の人間。
そのため、クリスティンと婚約破棄後、すんなりヒロインと婚約する。
今の段階では、彼はクリスティンと嫌々でも結婚するつもりでいるようだが。
(体調が悪いことにして、帰ってもらえばよかった……)
ラムゼイは紅茶を喉に流しこみ、クリスティンを睨んだ。
「アドレーは言葉にするのを控えているが、クリスティン、君の格好は王太子の婚約者として全くふさわしくない」
クリスティンは心の中でラムゼイに拍手喝采した。
ラムゼイは王妃として、クリスティンの資質に問題があると感じている。
「そのように断じる権利はラムゼイ、君にはない。言葉が過ぎる」
「いいえ、アドレー様。ラムゼイ様のおっしゃるとおりです。わたくしはアドレー様にふさわしくはございません」
二人はクリスティンに注目する。
「いっそのこと、わたくしとの婚約を破棄なさってはいかがでしょう」
その場が一瞬凍り、メルが慌てて言葉を発した。
「アドレー様。実はクリスティン様は、この間から体調が芳しくないのです」
「メル、わたくしは」
メルは口を挟む隙を与えず、続ける。
「快復には向かっておられますが、今日も微熱がありまして。クリスティン様はアドレー様とお会いできるのをそれはそれは楽しみにしていたのです。ですが、どうか今日のところは」
「わかった」
アドレーは頷いた。
「無理をさせてはいけない。いつものクリスティンとは違うからおかしいと思っていたんだ。体調がまだよくなかったんだね。クリスティン、すまなかった。ゆっくり休んで。私は帰るよ」
表向き彼は優しいのだ。
「そうか。熱で言動が変なのか。ふたりがかりで押しかけて悪かったな」
ラムゼイが少々反省したように言い、彼らは立ち上がった。
母とアドレーが玄関ホールで話をしている間、クリスティンはラムゼイにひそかに耳打ちした。
「ラムゼイ様。アドレー様のことで大切なお話があるのですけれど」
「アドレーのことで?」
「ええ。後日、あらためてこちらにお越しいただけませんでしょうか?」
ラムゼイは怪訝そうにしつつ、顎を引いた。
「ああ」
◇◇◇◇◇
二人が帰ったあと、クリスティンは母にお小言を食らった。
「クリスティン。あなた、どうして使用人も着ないような服を着るの。アドレー様がおみえになるときは、これまでは念入りに身だしなみを整えていたというのに」
「今日お見えになるとは思わなかったのですわ。それにこの服、動きやすいのです。体力をつけるため、今朝もウォーキングをしていて、この格好だったのですわ」
「今後、アドレー様はもちろんのこと、来客のある際は決してそういった格好をしてはいけません」
きちんと身なりを整えることを約束し、体力をつける運動の際は、ステテコでもOKとの許しを得た。
母も娘が虚弱体質でなくなるのは、良いことだと考えている。
繊細な刺繍の入った薄紅色のドレスに着替えたクリスティンは、メルを呼びつけた。
メルは表情が強張っていた。
「失礼いたします」
「掛けて」
椅子に座らせ、クリスティンはジト目で彼を睨む。
「どうして、先程わたくしの体調が悪いなんて言ったの? 熱なんてないわ。せっかく婚約破棄のことを言いだせたのに!」
「クリスティン様……まさか、婚約破棄を望んでいるというのは、本気なのですか」
「当たり前じゃない!」
何が当たり前なのかわからないといったように、彼は肩をすぼめる。
「どうしてなのですか? 王太子殿下との婚約を望まれないのはなぜなのです? 恐れながら、私には理解いたしかねます」
クリスティンはふうと息を吐き出した。
ゲームのことを話せば、それこそ完全に頭がおかしくなったと思われるかも……。
言えない。
けれど近侍の彼の協力は必要不可欠だ。
話せることだけを話そう。
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