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第一章
3.体力をつけよう
しおりを挟むクリスティンはそれから毎朝、ウォーキングした。
公爵家の敷地は広く、ウォーキングにもってこいだった。
朝日を浴びた庭園の緑は命の煌めきを放ち、生き生きと輝いている。
鮮やかに咲き誇る花々は、花弁を可憐に揺らせ、空気は爽やかで、気持ちいい。
隣ではメルが付き従ってくれていた。
だがクリスティンは歩き出して、すぐバテた。
(歩くだけでもこんなキツいなんて……)
まだ十五分も歩いていない。
「クリスティン様、今日はここまでになさっては……」
「ええ……」
柔いこの身体が憎くて仕方ない。
(でも負けない。平穏な未来を手にするために!)
◇◇◇◇◇
ウォーキングのあと、着替えた。
メイドから余り布をもらい、ちくちく縫って、ヨガのウェアを作ったので、それを着た。
ステテコのような代物だが……動きやすさが第一だ。見た目よりも機能性である。
この格好で部屋の外を出歩けば、皆にどうしたのかと怪しまれそうなので、ウォーキングは部屋着で行った。
ヨガは自室だしステテコで良い。
ドレスは、疲れる。
前世では、スウェット姿で、家でごろごろできたのに。
サラリーマン家庭の普通の暮らしが、今は懐かしい。
特に悩みもなく、気楽だった。
今、環境はゴージャスだが、少し動いただけで倒れるし、この先待ち受けているのは惨殺かもしれない。
ぶるっと身を震わせ、暗い未来を変えるため、ヨガをする。
(小さなことからコツコツと!)
すると扉を叩く音が響いた。
「クリスティン様、お茶菓子を用意いたしました」
「どうぞ」
太陽礼拝のポーズをとったまま答える。
「失礼いたし──」
ワゴンを手に入ってきたメルは、ステテコウェアを着たクリスティンをみて棒立ちになった。
「……クリスティン様?」
「ああ、メル。お茶菓子はこれが終わってからにするわね」
彼はワゴンから手を離し、扉を閉めた。
「クリスティン様……何をなさっておいでなのですか? 一体、そのお姿は……」
息を吐き出しながら、説明する。
「ヨガよ。この服はわたくしが縫ったの。薄手で動きやすくていいのよ。あなたも一緒にしてみない?」
彼は唇を引き結んで、一瞬無言となった。
「……それはご命令でしょうか?」
「命令じゃないわよ?」
クリスティンは慌てて彼に向き直る。
「わたくしが何か言っても、それを命令ととらえないでね。絶対的に従う必要はないのだから。嫌なことは嫌と言ってくれていいの」
彼は忠誠心が強いので、気を付けないと。
主従だから、立場上メルはクリスティンに従わなければならない。
平等な国で生きてきた記憶が蘇り、人に命じる行為に違和感を覚えている。
どれほど横暴だったか、客観的にみてよくわかった。
(十二年間、私、本当に傍若無人だった……)
メルは少し目を開いてクリスティンを見たあと、答えた。
「……私もしてみます」
「無理をする必要はないわよ?」
「いえ。クリスティン様がなさっていることが気にかかりますし、私もしてみたいのです」
クリスティンはにっこりと笑った。
「そう。なら一緒にしましょう!」
一人でするよりもきっと楽しい。
「私は全くの初めてなのですが、どのようにすればよいのですか?」
「えっと、わたくしも素人なんだけど」
記憶を辿って説明する。
「呼吸と姿勢が大切なの。丹田というツボがあってね」
「たんでん?」
「そう。ここよ」
クリスティンはおへその少し下に掌を置いた。
「丹田を意識して呼吸し、ポーズをとるの。わたくし、以前はリラックスとダイエットのためにしていたんだけど、幾つかのポーズは覚えてる」
ヨガをすると気力、体力、精神力が充実するし、疲れにくく、身体が軽くなった。
メルは首を傾げる。
「よが、というものを聞いたことはないのですが」
この世界は中世ヨーロッパ風なのだが、ヨガは存在していない。
「ええと……あのね、お茶会で耳にしたのよ。異国でそういった体操があるらしくて」
「そうでしたか」
「ええ。じゃ、メル、はじめましょう」
「はい」
最初は、ウォーミングアップからする。
滑りにくい床の上で、二人で並んであぐらを組む。
呼吸を意識しながら、首や肩を回し、手を伸ばしていると、ノックの音がした。
「はい」
返事をすると、扉が開いて、兄のスウィジンの姿がみえた。
クリスティンとメルを見て、兄は目を丸くする。
「……クリスティン、メル。そこで何をしているんだい?」
「ヨガを始める前のウォーミングアップです、お兄様」
「よが?」
「ええ。お兄様もご一緒にどうです? 健康に良いんですよ」
「いや、僕は遠慮しておくよ」
スウィジンは誘いを軽く断った。
「クリスティン、で、その格好は何?」
ステテコウェアに、彼は唖然としている。
「動きやすいように着替えたのですわ。これはわたくしが縫いましたの」
「そういった格好は、僕はどうかと思うんだけど……」
「室外でこういった格好はたぶんいたしません」
「たぶんじゃなくて、絶対だよ。自室でもどうだろうね。おまえのもとには、月に一度は殿下も訪れるのだから」
王太子アドレーは、仕方なくやって来る。すすんでではない。
クリスティンがどんな格好をしようがアドレーの目には入っていない。
しかし、彼が来る日はいつも着飾ることになる。今まで喜んでドレスアップしてきたが、もうそんな気には全くならない。
「おまえが倒れ、殿下も心配なさっていてね。近々お見舞いに来られるよ」
「えっ」
憧れていたが、現在アドレーにあるのは恐れだけだ。クリスティンが色をなくすと、スウィジンが首を傾げる。
「どうした? クリスティンは殿下がみえると、いつもは喜ぶのに」
「い、いえ……。いついらっしゃるのですか」
「はっきりした日時はわからないが、二、三日の間だよ。来られたときに、おまえがそういった格好をしていれば、殿下を驚かせてしまうよ」
「連絡が入れば着替えますわ」
「あまりおかしなことはしないようにね」
「ええ、お兄様……」
スウィジンはクリスティンの額に口づけて、退室した。
(兄のことも慕っていたけれど、怯えてしまう……)
クリスティンのためを思ってではなく、今のも、公爵家ひいては自らの評判を下げることをしてくれるなということである。
彼は断罪されるクリスティンを容赦なく切り捨てたのだ。
血の気が失せ、俯くクリスティンに、メルが躊躇いがちに声をかける。
「クリスティン様? どうなさったのですか?」
「……何でもないの」
「スウィジン様もおっしゃっていましたが……いつもでしたらクリスティン様はアドレー様の訪問を、とても嬉しそうになさいます……。ですが今は顔色が良くないようですが」
「嬉しくないから」
「え?」
ぽつりと零したクリスティンに、メルが瞬く。
「嬉しくないのですか?」
クリスティンは顔を上げ、メルをじっと眺めた。
メルは攻略対象ではない。悪役令嬢の最も傍にいた人物で、ゲーム内ではいわば悪人側だったけれど、それは忠誠心により悪役令嬢に仕えていたからだ。
前世やゲームのことを話すことはできないが、自らの心情を打ち明けても、彼になら利用されることはない。惨劇に向かうこともない。
クリスティンは腹をくくり、口を切った。
「わたくし、アドレー様と会っても嬉しくないの。それどころか、怖いのよ」
「怖い……?」
「そう」
「アドレー様は、クリスティン様に優しく接しておられると思いますが……」
「それは心からのものではなく、表面的なものよ。アドレー様が月一でこの屋敷を訪れるのは、婚約者としての義務感からだし。愚かにも、わたくしは自分を想ってくれているからだとずっと考えていたわ。でもそうではないって気づいたの。宮廷で大きな影響力を持つ公爵家の娘だから、邪険に扱えず、仕方なく来られている。メル、あなたもそれをわかっているでしょう」
メルはわずかに目を逸らせた。
「……いえ、わかりません。アドレー様はクリスティン様を想って訪問なさっておいでです」
「見え透いた嘘をつかなくていいのよ。わたくしの今までの言動を顧みれば、アドレー様が好いてくれているわけないじゃないの」
メルは言葉に詰まる。
「でもわたくし、それで良いわ。アドレー様との結婚、なくなってほしいの」
先程のスウィジンの言葉にヒントを得て、クリスティンは思った。
このステテコスタイルを、室外でも行い、それをアドレーに見られでもすれば、こんな女は王太子妃にはふさわしくないと、学園入学前に婚約解消してくれるかもしれない。
そうすれば、惨劇は回避されるではないか。
明日からはウォーキングもこのステテコで行おう。
「結婚がなくなるように、メル、あなたも協力して」
メルは不可解そうにクリスティンを見る。
「なぜそのようなことを望まれるのです? あれほど、アドレー様とのご結婚を心待ちにしておられましたのに……」
「目が覚めたのよ。このままではいけないって!」
クリスティンの勢いに、メルは絶句している。
「呑気に彼と婚約なんてしていられないの」
「……頭を強く打たれたに違いない……。王太子殿下との結婚を望まれないなんて……」
メルは口の中で何かぶつぶつ呟いている。
「ねえ、メル。協力して」
「……今、クリスティン様は混乱なさっているように思います。よくよくお考えになってください」
考えてもこの気持ちは変わったりはしない。
だがメルがそういうので、クリスティンは、今は素直に頷いておいた。
「わかったわ」
メル自身の混乱が落ち着いたら、協力してもらおう。
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