闇の悪役令嬢は愛されすぎる

葵川真衣

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第一章

1.悪役令嬢に転生していた

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 うららかな午後。
 公爵令嬢クリスティン・ファネルは屋敷の庭園で、婚約者の王太子アドレー・リューファスから手鏡を渡された。

「東国の珍しい鏡が手に入ったんだ。装飾が精巧で美しい。君にプレゼントするよ」
「アドレー様、ありがとうございます」 
 
 一歳年上のきらきらしい婚約者に見惚れながら、クリスティンは鏡を受け取った。
 
 アドレーは、黄金色の髪に、サファイア色の瞳、気品を感じる鼻梁をした美貌の王太子である。
 
 手鏡は丸い背面に、花の文様があり、赤色に塗られた琥珀が散りばめられていた。
 
 鏡に映る自分を眺める。
 きめの細かい肌、ダークブロンドの髪、吊り上がり気味だけれど美麗な紫色の瞳、薔薇の蕾のような唇。
 王太子とお似合いである。

「嬉しいですわ。大切にいたします」
 
 クリスティンは微笑み、手鏡をテーブルに置いて、ティーカップのハンドルを摘まんだ。
 しかし喉に流れた紅茶は余りに苦かった。
 激しくむせる。
 
 ──こんな濃い紅茶……いや日本茶を口にした記憶。
 それが突如脳裏を駆け巡った。

(──!?) 
 
 自分はニホンという国の女子高生で。
 出過ぎた渋いお茶を飲んだその朝、通学途中、事故に遭い──信号待ちしていたところにバスが突っ込んできて──亡くなった。
 今、鏡に映った自分は、前世でプレイしたゲームのキャラだった。
 
 ──高慢で極悪非道な悪役令嬢、クリスティン・ファネル。
 
 血を吐く勢いで、テーブルに突っ伏す。

「クリスティン!?」

 恐ろしい記憶が蘇り、クリスティンは気絶した。
 
 王太子から四年後、婚約破棄を言い渡され、その後、クリスティンは孤島幽閉もしくは最悪惨殺される──。


◇◇◇◇◇ 
 
 
 意識が戻ったのは、夕闇の迫る頃だった。
 アドレーは屋敷をあとにしていて、すでにいなかった。
 クリスティンは冷や汗を拭う。
 
(アドレー様に憧れていたのに……)

 ヒロインからみたアドレーは素晴らしいが、悪役令嬢の立場からみれば最低だ。
 血も涙もない徹底ぶりでクリスティンを追い込む。
 クリスティンは、髪の中に指を埋めた。

 ショック過ぎて、声も涙も出ない。
 彼のとる行動は、責められるものでもない。
 悪役令嬢がしでかしたことを思えば……。
 ヒロインを非道にいじめ抜く、憎々しいキャラなのだ。

(これは夢……?)
 
 だがこの世界で自分は、ゲームの悪役令嬢と同姓同名、同じ環境に容姿。
 ゲーム開始時より若干幼いものの。
 なによりクリスティン・ファネルとして十二年間生きてきた記憶が、ばっちりとある──。

「大丈夫ですか、クリスティン様」
 
 衝撃で寝台から起きられないでいると、静かに控えていたメル・グレンが声をかけてきた。
 
 彼はクリスティンの身の回りの世話をしてくれる近侍である。
 日頃はメルが紅茶を淹れるのだが、今日は新人のメイドがした。
 
「メル。本当に、アドレー様は帰られたのよね……?」
「ええ。クリスティン様のことをご心配されておりましたが、旦那様に促されてお帰りに」
「そう……」
 
 アドレーが心配していたとは思えない。
 彼はクリスティンに興味もないし、うんざりとしているのだ。前世でのゲームの情報からわかっている……。

「旦那様と奥様に、お目覚めになられたことをお知らせしてまいりますね」
「え!?」

(ちょっ、ちょっと待って!)
 
 だが、引き留める前にメルは退室して、それからすぐ両親と兄、新人メイドがやってきてしまった。
 混乱しているし、頭のなかを整理したいし、しばらく放っておいてほしかったのだが……。

「おお、クリスティン、大丈夫か。倒れたと聞いたぞ」
「顔色がひどく悪いじゃない」
「大丈夫ですわ、お父様、お母様……」

 全く大丈夫ではないが、娘に甘い両親が心配するので、クリスティンはそう返した。

「メイドの淹れた紅茶を飲み、倒れたと聞いたが」

 後ろで青ざめ俯いているメイドを、父が振り返る。
 メイドはぶるぶると震えていた。クリスティンよりも四、五歳上であろうか。

「た、大変申し訳ございませんでした……!!」
 
 涙をためて平身低頭、彼女は謝罪する。

「この者は解雇にしよう」

 父に、母が賛同した。

「そうね。いくら新人とはいえ、倒れるほど苦い紅茶を淹れるなんて、ひどすぎます。この公爵家においておくわけにはいかないわ」

 わがままに育ったのは、両親の甘やかしも多大にあるのでは。
 苦い紅茶を娘に淹れたというだけで解雇なんて。

「お待ちください、お父様、お母様」

 クリスティンは慌てて口を挟む。

「辞めさせる必要はありませんわ。わたくしが倒れたのは紅茶が原因ではありませんもの」

 非常に苦かったが、あの紅茶で多分前世の記憶を思い出せた。
 危機を事前に知れ、その点で感謝である。
 クリスティンの言葉にはっとメイドは瞬く。

「わたくしの身体が弱いのは、お父様もお母様もご存知でしょう。今日は一ヵ月ぶりにアドレー様とお会いして、素敵な鏡をプレゼントされ、気持ちが高ぶって気を失ってしまったのですわ。少し風邪気味でもありましたし。紅茶で倒れたわけではないのです。彼女を辞めさせることなんてありません」
 
 その場は一瞬、水を打ったように静まり返った。
 どうしたのだろうかと思うが、たぶん今までのクリスティンなら、ヒステリックに喚き散らし、両親が言うまでもなくメイドをクビにしていたからだろう。
 前世の記憶が蘇った今では、誰にだって間違いはあるし、小さなミスで解雇なんてしていればキリがないと感じる。

「わたしは、解雇されるのでは……?」
「これから気を付けてくれれば、それでよいです」

 メイドも生活がかかっているだろう。

「まあ、おまえがそういうのであれば……」

 娘に甘い父は、クリスティンの言葉で先程の解雇を撤回した。
 母はクリスティンの頬に触れる。

「風邪気味なの?」
「ええ、お母様。ですからわたくし、休ませていただきたいのです」
 
 混乱している頭と心をなんとかせねば。
 母は頷いた。

「あなたは将来この国の王妃となるのですから。身体にはくれぐれも気を付けるのですよ」

(王妃ではなく、待っているのは惨劇、死なの、お母様……)

 しかしそんなことは言えず、クリスティンはこくりと顎を引いた。

「はい」

 両親とメイドが去り、その場に残った兄のスウィジンが、手を伸ばしてクリスティンの髪を撫でる。

「クリスティン、余り心配をかけさせないでおくれ」
「お兄様……」 
 
 冷や汗の滲む思いで、スウィジンを見る。
 彼も乙女ゲームの攻略対象のひとりだ。
 すらりとした体躯に、ダークブロンドの髪、アイスグレーの瞳、筋の通った鼻梁、口角の上がった唇をした美形である。
 彼は一歳上。断罪イベントに参加している。

(記憶が戻る前は慕っていたけど……)

 ゲームの内容を思い出せば、彼はただ優しいだけの人間ではないことがわかる。
 クリスティンのことを、彼は利用価値のあるコマとしてしかみていない。
 後継者がいなかった公爵家に、養子として引き取られた義兄で、父方のイトコ。
 悪役令嬢側にいるのだが、野心がある。
 義妹を操ろうとするも、ヒロインと出会い、改心する。

(気を許してはいけない……!)

 兄は微笑んで退室する。全てを知った今は悪魔の笑みにみえる……。
 室内には、近侍のメルのみが残った。
 メルはその場に跪く。

「申し訳ありませんでした、クリスティン様」
「え?」

 彼は長い睫毛を伏せる。

「私が留守をしていたために、不快な思いをさせてしまいました。私が給仕していれば、クリスティン様が倒れられることはありませんでした」
 
 彼は父に用を頼まれ、今日屋敷を留守にしていたのである。

「メル。さっき話したように、紅茶が原因ではなく、風邪気味だったから倒れたのよ。あなたのせいではないから気にしないで」

 視線をあげた彼の瞳に、戸惑いが浮かんでいる。

「クリスティン様……?」

 彼の困惑は徐々に懸念へと変わる。

「倒れたとき、もしや頭を強く打たれたのでは……?」
 
 クリスティンは今まで間違っても、使用人に気遣いの言葉をかける人間ではなかったから、彼は驚いているようだ。 
 
「頭を打っていないわ。椅子に座っているとき、テーブルに突っ伏して意識を失ったから」
「では……額を打たれたのでは?」
 
 念のため、額に掌をあててみる。痛くはないし、ぶつかったとしてもそれほどひどくはない。

「赤くなっているかしら?」

 前髪を上げて尋ねると、彼は身を起こした。

「失礼します」
 
 そう断って、クリスティンの額を確認する。
 どきりとした。
 メルはプラチナブロンドの髪に、濃紺の瞳をしていて顔立ちがとても綺麗なのだ。
 
 今から七年前、領地の視察で父が孤児院に寄った際、クリスティンも一緒についていき、そこにいた美しい顔のメルと出会った。
 連れて帰りたいと父に頼み込み、人形を置くように、自分の近侍にした。
 ただの気まぐれだったのだけど、彼は忠実にクリスティンに仕えてくれている。

 ゲームでもそうだった。
 公爵家への忠誠心あつく、悪役側で非攻略対象だったのだが、イケメン過ぎた。前世の自分も、他のプレイヤーたちも彼を攻略できないことを、残念に思ったものだ。
 しかし今は、彼が攻略対象ではなかったことがありがたい。ゲーム開発者に賛辞をおくりたい。
 王太子や兄とは違い、安心感がすごかった。


「赤くはなっていないようですが……頭をひどく打ちつけてしまったのではないでしょうか」

 眉を寄せる彼の表情は、憂いを帯びている。

「なぜ、頭を打ったと思うの?」

 予想はつくが、一応聞いてみる。メルは一拍口ごもった。

「……クリスティン様のご様子が、少々いつもと違うようにお見受けしますので……」
 
 前世を思い出し、クリスティン・ファネルとしての十二年間を客観的に振り返ることができたからだ。
 けれど、そんなこと言えない。誤魔化すしかない。

「そうかしら? 風邪のせいね、きっと」
「熱があるのかもしれません。大丈夫ですか?」

 悪役令嬢クリスティンの未来は、悲惨だ。
 下唇を噛みしめ、シーツを握りしめる。

「……しばらく休むわ。あなたに風邪がうつってもいけないから、下がってくれるかしら」
「ゆっくりお休みください。何かありましたら、すぐにお呼び付けくださいね」
「ええ」
 
 メルは丁重に礼をして、下がっていった。
 
 クリスティンは元々虚弱体質。
 
 未来の不安に怯え、三日三晩うなされる羽目に陥ってしまった。
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