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奪 還 (四)

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 安祥から幸田、蒲郡へと夜を徹して馬を飛ばしながら、途中で、わたしは五郎兵衛の背に、巣鴨は大久保衆の背に縄で縛られたまま馬の上で眠った。
 地理にあかるい大久保衆が先行し、籠の行列が通りはしなかったかと聴いて回ってくれたらしい。

 豊橋で母を乗せた籠は、浜へ向かったことを知り、海岸に向かった。休憩をとり、また駈けた。
 三日めの朝、ようやく新居の浜に出た。浜沿いに行けば、舞阪である。眠っているのかいないのか、現実と空想のはざまにいたような気がしたとき、

「姫!かごですぞ!姫、見つけましたぞ!」
と、誰かが叫ぶ声を聴いた。
 わたしは、一体、なにをさがしているのだろう。朦朧もうろうとした意識の中で、そんなことを考えていた。そのとき、嬌声きょうせいが上がった。
 悲鳴だったか、海鳥のさえずりであったか。

 そこは浜であった。
 けれどなぜか波の音は聴こえなかった。潮のにおいもなかった。懐かしい岡崎のにおいだけがうっすらと漂っていたような気がする。
 馬をおりた五郎兵衛たちが、走り出した後ろ姿が、浮かびあがるようにえた。

御前ごぜんさまぁぁあ!」

 それは誰が誰に向かって叫んだ声であったろうか。
 ふいに、現実の風が、わたしの頬を撫でた。わたしの左手を掴んだ巣鴨が、懸命に浜へと導こうとしていた。
 籠が見えた。
 いかにも質素な造りだなあとおもった。
 籠の周りで、武士たちが正座していた。慟哭どうこくしている。その声と音が合わさり、うーあーえーいーと、意味を為さない韻律を奏でていた。
 アッとおもった瞬間、わたしは狂ったように叫んでいた。

ははさま、母さま!」

 籠の前で、五郎兵衛が立ちふさがった。ゆっくり首を横に振ったあとで、
「すでに、ご自害あさばされたようでござる」
と、囁くように告げた。
 その声は潮風のゆらぎにも似ていた。

一刻いっときもの間、供の衆はこうして泣いていたようで。家康様宛の書状が、これに……」

 手渡されたが、すぐにそれは風に乗って下に落ちた。
 すぐに五郎兵衛が拾い、両の手で丁寧に目の高さに差し上げ、頭を垂れてから読み出した。
 それは父家康への遺言のようなものであった。

《……叛心というものは、おのが手で打ち砕いたつもりでも、時を経て、来し方のことを思い返そうとするとき、からだのなかの秘密の扉にそっと潜り込み、消えかかった炎がめらめらと勢いをとりもどすことがある……》

 そんなことがしるされていた。

《……周囲の者ども、わが胸の内を忖度そんたくし、さきざまな噂を耳にするたびに、秘密の扉が少しずつ開かれていったことに、これまで一度たりとも気づこうとしなかったことが、すべての因である。この身は、稀代きだいの淫婦、鬼女と罵られようと一向にかまわないが、三郎信康には一片いっぺんの罪もない。どうか、信康のいのちを救ってたもれ……》

 これは母の最期の慟哭というものであったろう。
 母の髪をき、何度も顔を撫でた。そうして五郎兵衛に、近くに寺があれば埋葬してほしいと頼んだ。

「いえ、それがしも、二股城までお供つかまつりまする」

 事の成り行きをしっかと報告せねばならないのだろう、その使命を帯びている五郎兵衛の表情は厳しい。わたしは、
「そう願いたいのはやまやまですけれど……」
と、呟いた。

「……わが母のことを託せるのは、いまはそなたしかおりませぬゆえ。それに、母さまの最期に立ち会った者たちの身が立つようにおはからいくださりませ。国に残れば、のちのち、とやかく申す者もおりましょうから、望む者あれば、茶屋衆にお加えあって、京にでもお連れくださいましな」

 幼子をあやす口調になって、一言一言をどうにかつむぎ出した。
 すると五郎兵衛は涙目になって、
委細いさい、承知つかまつりました」
と、こうべれた。

「……けれど姫さま、この五郎兵衛、そのお役を果たしたのちは、たとえ一騎なりとも姫さまのもとへと馳せ参じまするぞ。それでよろしゅうございまするな」

 おそらく五郎兵衛は、わたしが死を決意しているのではと勘繰かんぐっていたのかもしれない。

「わかりました。五郎兵衛、必ずやこの亀が雇ってさしあげますれば、いつの日にかあいまみえましょうぞ」

 そう云ってから筒井衆と大久保衆に目配せして、出立しゅったつを促した。ちょうど馬に乗ったとき、一騎が駆け寄ってきた。颯爽さっそうとした身のこなしのなかに、わたしは、兄信康の姿をた。視た、ような気がした。

「ご老公っ!」

 奥山休賀斎の老公がはらりと降り立った。を背負ってきたらしい。
 わたしを覚えてくれていたのか、は駆け寄ってきてから、抱きつくようにわたしの肩におのが掌をのせた。
 母の屍に手を合わせて黙祷もくとうしたのち、母の書状を老公に手渡した。ざっと一読すると丁寧にたたんで、老公は懐に納めた。

「さて、最後の最後まで、お供つかまつろうかいのう」

 やさしい響きだった。千万の援軍を得た気分になった。きっと母からの贈りものだろうと、そんなことを考えていた。
 
        ○   

 天正七年九月十五日、岡崎三郎信康、切腹。享年二十一。

 ・・・・その二日前のことである。

 遠州二股城で、芦名兵太郎、大久保彦左衛門と落ち合った。
 兵太郎の脇には、茣蓙ござにくるんだ屍体が横たえられていた。
 臭いはない。それどころか瑞々みずみずしいまでの生気の残滓ざんしが感じられた。
 まさに新鮮なる死人しびとであった。

「お亀よ、待ちかねたぞ!母者のほうは、無念であったの」

 経緯いきさつのすべてを伝える気力がなかった。その代わりに屍体を指差し、
「これが、三郎あにさまの身代わり?」
と、たずねた。

「そうだ!背丈肉づきは、ほぼ同じ。おまえから指摘されたように、背中から右太腿にかけて火傷のあともつくっておいた」

 兄信康の身代わりとなる屍体が、本当に役立つのか、確信が持てないことの苛立ちが先に立って、兵太郎は柄になく緊張していたようだ。それはこちらにもいえることで、もし、兄信康に、母の死にざまを伝えたとしたら、そのまま自裁じさいを選ぶのではないかという不安がぬぐえきれないでいた。

「姫様っ、よくぞお越しくだされました。彦左衛門どのから聴いた策略を若殿にお伝えしましたが、一笑に付されました。あとは、姫様だけが頼りでございます」

 わたしの足元にうずくまるようにすがりついてきた侍のかおをみると、懐かしいあの熊蔵であった。

「姫様に固くお約束申し上げましたのに、若殿をおまもりすることかなわず、このような仕儀になってしまいました……御赦しくださいませっ」
「三郎あにさまは、承諾なされないのですね」

 わたしがため息をつくと、耳朶がふるえたほどの訛声が響いた。

「いざとなれば、気を失わせ、運び出すのみ!」

 叫んだのは休賀斎の老公で、すべての責めを一人で負おうと決めているようにみえた。

「……それもいいが、半蔵がいなと申さば、なんとする?」

 横から兵太郎が口をはさんだ。
 介錯人の服部半蔵さまには、すでに彦左からわたしの意向を告げてもらっていた。
 けれど、いまにしても、父家康がわが子の介錯に、あえて半蔵さまをつかせたのはどうしてだろうか、それがわからない。本来ならば宿老級の酒井忠次、石川数正、本多正信等々といった歴々方れきれきがたをあてがい、しかるべく処置するのが、むしろ、信長様へのかっこうのつら当てにもなるはずである。
 粛々しゅくしゅくとした賜死ようしの儀礼のありようのすべてを広く喧伝けんでんすることこそが、信長様への静かなる反抗ともなるはずなのに、父がそれをしないのは、なぜなのか。

 ……そのことをわたしなりに考えてみた。

 やはり、父には、父なりの苦悩や逡巡しゅんじゅんというものがあったのかもしれない。
 あるいは、彦左が推測していたように、暗黙のうちに兄の助命もしくは奪還を、家来に示唆しさし、そのことを密かに期待していたというのも、あながちうがった見方ではないとおもった。
 巷間こうかん、徳川家中に伝わっているように、父家康が、武将の師と仰いだのは、亡き武田信玄公ではない、とおもう。父が手本としたのは、芸州三十七豪族の一人から身を起し、中国から四国と九州の一部までその勢力圏下に収めた毛利もうり元就ともなり公その人であった。二重三重の謀略を駆使してなお、大義名分にこそこだわり続け、忍従に徹し続けたかの毛利元就公なのだ。

 そんな父が、ただ、唯々諾々いいだくだくと、信長様に命じられるままにおのが嫡子を切腹させるなどとは、到底考えられなかった。これには、休賀斎の老公も同じ意見だった。

 兄信康の身代わりの屍体をしつらえ、兄を逃亡させるという筋書きは、最後の最後の一手であった。
 わたしは、ついに、父家康、いや、信長様と真っ向から闘う道を選んだのだ。
 それは、わたしのなかで初めてあらわになった〈叛心〉だったかもしれない。
 信長様の兄に対する熾烈しれつなまでの仕打ちが、わたしの行動を促した。
 これは賭けのようなものであった。
 夫奥平信昌どのに、京から離縁を請う書状を送っておいてよかったとおもった。かりに事が露見しても、奥平一族にまで累が及ぶことだけはかろうじて避けられるかもしれない。

 あとは、直接、信長様と対決するだけであった。
 このときまでに、わたしが為すべき大まかな道筋が見えてきていた。
 死出しでの道行きになるかもしれないけれど、たとえそうなっても兄信康だけは、助け出さねばとおもっていた。それが母の最期の願いなのだから。
 けれどもそれを成し遂げるには、まずは服部半蔵さまを説き伏せねばならない。


 熊蔵に半蔵さまのもとまで案内あないさせた。わたしを認めるなり、半蔵さまは、熊蔵に掴み寄って、
「こらっ、!なにゆえ、亀姫様をこのような場に……」
と、叱り飛ばした。
 半左衛門?とは、一体、誰のことであろう。
 すると、半蔵さまは、熊蔵は幼名、まことの姓名は、伊奈いな半左衛門であると、わたしにさとした。
 おお、とわたしは胸のなかで唸った。伊奈家の血脈に繋がる者だったのだ。そのことを初めて知って、人もいうものは別の顔をたくさん持っているのだと今更ながら感心させられた。

「……半蔵さま、この熊蔵は、いまは、私の家臣、わが亀党の探索方組頭くみがしらなのですよ、いかな半蔵さまとはいえ、私の前でかかる無体むたいは、この亀が許しませぬぞ」
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