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嶺 鳴 (七)

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 いかつい相貌かおからは想像できないほど快活な兵太郎の声の響きというものは、初対面の相手ですら、長年の知己ちきであるかのような気にさせてしまう不思議な魅力があった。
 わたしはそのまま反応せずにじっと固まっていた。
 すると兵太郎は、立ち上がってわたしの隣まで近寄ってきた。

「ほれ、兵太郎でござるよ!芦名兵太郎めにござる」

 繰り返し言われると、それが、皇女から近衛卿の姪へと成り代わる合図のような気がしたのだ。だから、おそるおそる口に出して言ってみた。

「・・・・久闊きゅうかつでござります····」

 わたしの返辞へんじが、座にどよめきの波をもたらせたようである。
 わたしが、兵太郎のことばを理解し返答したのだから、驚くのも無理からぬことだった。

「芦名うじ、これは、なんとしたことぞ!」

 翁狐、松永弾正久秀どのが目をいた。座に列していた武士たちに聴かせるためであったろう、兵太郎がすかさず大声を張り上げた。

「この姫は、まさしく、さきの関白、近衛前久さきひさ卿の姪御めいごさまにておわす。群盗どもにかどわかされて行方が知れなかったが、よくぞ、保護してくだされた。弾正どの、近衛卿になり代わり礼を申し述べますぞ!」

 翁狐は悔しげに唇を噛み締めていた。翁狐らしからぬ狼狽ろうばいぶりだった。わたしはなぜか晴れやかな心持ちになっていた。
 けれど一方では、この翁狐の狼狽うろたえぶりも演技ではないのかともおもわれてきた。いつかの夜のを思い返しつつ、翁狐の心底をみたように感じていたものの、やはり茫洋ぼうようとしてつかめなかった。

「ま、待たれよ!この姫君は、隆慶帝の遺児、秀華様ではござらぬのか!」

 叫んだのは翁狐ではなく、武藤喜兵衛どのだった。兵太郎は向きを変えて、ふたたび大声を発した。

「おお、お手前は、武田家の武藤どのか。そのほうにも、礼を申さねばなるまいの。こたびの並々ならぬお働き、感服つかまつった。しかるべく、報奨の沙汰さたあるものと武田家のあるじにお伝えあれかし」

 まだ武藤喜兵衛どのは信じられないらしかった。こちらに鋭い視線を投じてきたので、わたしはかれのほうをむいて両の手をついて言った。

「……武藤さま、まことに御足労をおかけいたしました」

 すらすらと流暢りゅうちょうに喋ってみせると、ようやく得心したのか、
「ははっ」
と、平伏した。
 翁狐は翁狐で、怒り心頭に発しているさまを露骨にみせてはいたものの、それが演技であればまさしく翁狐そのものだ。このとき、初めて翁狐のことをそれほどおそれなくなっていた。
 こちらの心持ちのありよう次第で、がらりと目の前の光景が変わるということを初めて知った。
 兵太郎が、その翁狐にとどめの言葉を放った。

「・・・・弾正どの、そこもとが描いた絵図どおりには、もはや立ちゆかなくなったようだ。明国皇女を足利義昭公の猶子ゆうしと為したまい、有力大名の御曹司と婚儀させ、産まれた男児をして十六代将軍に推戴すいたいせんとするそこもとの策略は、すでに破綻したるは明白。・・・まして、十三代将軍義輝よしてる公の弑逆しいぎゃくに手を貸したそこもとは、同じ足利一族たる義昭公にとってもかたきと同じぞ。このこと、しっかと伝えおくぞ!」

 兵太郎が強い口調で叱ると、翁狐、松永弾正久秀どのは、ますます顔にしゅを添えて眉を寄せた。
 いかにも口惜しそうにみえた。
 けれど、それも演技なのかどうかは依然として判らなかった·····。
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