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翁 狐 (四)

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 幾日もの間、わたしは一人きりであった。
 食餌しょくじのおりは老女や侍女が世話をしてくれるが、互いに一言も喋らないのは明国皇女に扮しているから仕方ないことであるし、こちらとしても余計な詮索を回避することができる。かわや厠も部屋に隣接しており、慣れればなんの不自由もなかった。おそらくこの部屋は、数多くの人質の女人たちが暮らしたところであったのかもしれない。
 人と喋ることはなかったけれど、警護の武士たちの話し声が、なによりも気鬱きうつをやわらげてくれた。知らなかったこと、これまで一度も思いを及ぼすことがなかったもろもろが、かれらの会話から流れてきて、わたしにとっては学舎まなびやにきているような気がしていた。

 その会話から、判明したことがある。武田勝頼さまの家臣、武藤喜兵衛という人物が、なぜ、はるばると大和国まで来ているのか、その理由の一端がつかめかけてきたようだ。

 亡き信玄公が、東大寺大仏殿再建に手を差しのべられて以来、この遠国えんごくまう人々との間に武田家は目には見えない固いきずなのようなものを築いてきたにちがいなかった。
 遠謀なのか、それとも、善意というものがもたらした偶然の結果なのか。
 いろいろと学ぶことは多かった。
 しかも、翁狐、松永弾正久秀どのの謀略の大筋までもが浮かび上がってきた……。

『……南蛮寺の建造を許した信長めの裏をかく弾正様の奇策は見事というほかはない!率先して各地に南蛮寺を築き、そのことごとくを要塞と化して、反信長の拠点と為さんとするとは、そら恐ろしいほどの知謀ぞ』

『それだけでなく、大陸から逃れてきた皇女を、足利義昭公の猶子ゆうしと為したまい、有力大名の跡継ぎと婚姻せしめ、産まれた児を、十六代将軍に推戴すいたいせんとする弾正様の計略の前には、いかな信長とて立ち向かえまい……』

 ……明国皇女と有力大名とを繋いで、無理やりをつくることが、ほんとうに必要なことなのだろうか。
 皇女の未来は、その児の未来ははどうなるというのか。無性にはらわたが煮えたぎってくる。皇女を勝手に奪い合ったり、殿方とのがたと添わせるという発想こそ、無礼千万、まことに嘆かわしいかぎりだ。

 数日経った寅の下刻。
 老女に本丸まで案内され、さらに脇道を下ると、檜のにおいが漂う真新しい茅葺きの茶室に通された。
 翁狐が茶をてていた。
 大広間で見た高山右近さまも居て、その隣に座らさせられた。
 ほかには誰もいない。
 侍女こしもとらしき女が、茶菓子が載った平らな皿をわたしの膝元に置いた。
 差し出された手の甲のまばゆい白さに驚いて、目線を合わせた。

 赤みがかった栗色の髪、青い瞳……。
 侍女に扮した詞葉しようが、目の前にいた。
 わたしの思念が閉ざされる前に、高山右近さまが詞葉に目配せしたのを見逃さなかった。詞葉もまた、わたしに構うことなく右近さまに微笑み返した。

 ……どうやら、小太郎から姉上と呼ばれた詞葉は、高山右近さま配下の者らしい。あまりにも複雑すぎる人間模様の狭間はざまのなかで、急に息苦しくなって吐き気をもよおした。

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