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翁 狐
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深更、わたしは馬上にあった。
弥右衛門の背中につかまり、奥深い山中の炭焼き小屋でしばし休憩をとり、再び乗った。
三日前、天満屋の寮に姿を見せた大久保彦左衛門の口から、弥右衛門は茶屋衆配下の組頭であると聴かされていた。やはり熊蔵の見立てどおりだった。
けれど、新城からわたしを連れ去った張本人は、茶屋衆ではなく、もっと別の誰かかもしれない。……あまりにも背景が複雑すぎて、わたしには話が見えてこない。
弥右衛門は身分を偽って、松永衆の末端に潜入しているだけだ、と彦左は言ったはすである。
『……信長様に対して、ふたたび謀叛を企んでいる松永弾正の謀略を事前に察した服部半蔵様が、弾正の企みを逆手に取る作戦を立てられたのではないか……』
……そんなことを告げてくれた彦左にも、実のところ、詳細をよく把握できてはいないようであった。それに、新城を襲撃した弾正どのの一隊のなかには、やはり大賀弥四郎の残党もいたらしい。さらに、その機に乗じて半蔵さまは、かの芦名小太郎を狙っていたらしいのだ。そのことは小太郎が指摘したとおりだったのだ。
その理由を、彦左は、『奥平家を護るため』と、強調した。
『……小太郎のやつが、亀さまの近くにいれば、奥平家が潰れてしまいかねない……芦名衆の頭目の兵太郎は、海賊を率いて信長様と敵対しているから、一刻も早く、小太郎に新城から去ってもらおうとしただけだとおもう。小太郎を殺そうとしたのではないずらよ。その証拠に、城は燃えてはおらぬ。襲来者の目を欺くため、半蔵様の機転で、松明の煙をいぶし……』
炎も燃え広がったわけではないと知って、ようやく一息つくことができたことを彦左は強調した。
いまも、彦左は弥右衛門とともに、松永弾正どのの一味に紛れ込んでいるらしかった。
天満屋嘉兵衛がどういう目的で松永弾正どのに味方しているのかまでは判らないが、わたしを家康息女として弾正どのに差し出すのではなく、明国皇女として赴かせようとしているのは、一体、誰の計画なのだろう。やはり、茶屋衆ではないような気がしてならなかった。
それに、嘉兵衛はこちらの立ち位置というものを、それとなく伝えてくれていたようにもおもわれてきた。つまりは、嘉兵衛は、松永弾正側でも茶屋衆・徳川側でもない、第三の勢力というものに属しているのではなかったろうか……。
途中で馬から降りた。
松明の灯りが妖しげに揺らめく中を歩いた。
「姫様、なにが起ころうとも、決して口を開いてはなりませぬぞっ!」
弥右衛門が念を押した。口を開くな、という意味は十分に判っている。異国の皇女に成りすますのだから、この国の言葉を理解している素振りを見せるなということだろう。
一行の総勢は五十人ばかり。篝火を先頭に二列で進んだ。意外にも秩序立っていた。
どうやら弥右衛門の統制が効いているようであった。
大門に到着すると、いつの間にか正装に替えていた彦左が大声を張り上げた。
「……それがし、三河を逐電せし、大久保彦左衛門忠教なりぃ!明国皇女、秀華姫をともない、かくまかりこした次第、まずはご開門あれかし!」
狐につままれた気持ちで、アッと声をあげそうになった。すると、佐助が鋭い目で見返してきた。
弥右衛門と佐助は、彦左の郎党を装っていたのだ。
これからどのような道化がはじまろうとしているのだろうか……。
まずは畳敷の大広間に通された。三方の大襖には、金箔を施した珍しい獣たちが戯れている絵図が描かれていた。
七、八人の恰幅のいい武士たちが上座からみて左側に座していた。
右側には鬢から顎までつかながった髭をたくわえた武士がいた。
その男が、
「……拙者、武田勝頼が臣武藤喜兵衛でござる……」
と、こちらをみて目礼を送ってきた。
「おお、三河の大久保衆といえば、海内に聴こえた豪の者ども……その一族の彦左衛門どのが、大陸の皇女をお連れして馳せ参じられるとは、まことにもって結構至極、ご苦労に存ずる」
武藤喜兵衛と名乗った男の声は、遠くまで響き渡る透き通った高音だった。
「……姫様におかれましては、ようも、ご無事で、なによりでございました。国を逃れ、大海の波頭を乗り越え、はるばると参られたからには、もう二度とかかるご苦労はおかけ申さぬ。まもなく、わが武田の領地にまでお連れ申し上げますぞ」
つまりは武田勝頼に買われるということなのだろうか。頷くこともなく、わたしは喜兵衛なる者の容貌に見入りながらあれこれとさまざな思念が胸のなかを駆けめぐっていた。
弥右衛門の背中につかまり、奥深い山中の炭焼き小屋でしばし休憩をとり、再び乗った。
三日前、天満屋の寮に姿を見せた大久保彦左衛門の口から、弥右衛門は茶屋衆配下の組頭であると聴かされていた。やはり熊蔵の見立てどおりだった。
けれど、新城からわたしを連れ去った張本人は、茶屋衆ではなく、もっと別の誰かかもしれない。……あまりにも背景が複雑すぎて、わたしには話が見えてこない。
弥右衛門は身分を偽って、松永衆の末端に潜入しているだけだ、と彦左は言ったはすである。
『……信長様に対して、ふたたび謀叛を企んでいる松永弾正の謀略を事前に察した服部半蔵様が、弾正の企みを逆手に取る作戦を立てられたのではないか……』
……そんなことを告げてくれた彦左にも、実のところ、詳細をよく把握できてはいないようであった。それに、新城を襲撃した弾正どのの一隊のなかには、やはり大賀弥四郎の残党もいたらしい。さらに、その機に乗じて半蔵さまは、かの芦名小太郎を狙っていたらしいのだ。そのことは小太郎が指摘したとおりだったのだ。
その理由を、彦左は、『奥平家を護るため』と、強調した。
『……小太郎のやつが、亀さまの近くにいれば、奥平家が潰れてしまいかねない……芦名衆の頭目の兵太郎は、海賊を率いて信長様と敵対しているから、一刻も早く、小太郎に新城から去ってもらおうとしただけだとおもう。小太郎を殺そうとしたのではないずらよ。その証拠に、城は燃えてはおらぬ。襲来者の目を欺くため、半蔵様の機転で、松明の煙をいぶし……』
炎も燃え広がったわけではないと知って、ようやく一息つくことができたことを彦左は強調した。
いまも、彦左は弥右衛門とともに、松永弾正どのの一味に紛れ込んでいるらしかった。
天満屋嘉兵衛がどういう目的で松永弾正どのに味方しているのかまでは判らないが、わたしを家康息女として弾正どのに差し出すのではなく、明国皇女として赴かせようとしているのは、一体、誰の計画なのだろう。やはり、茶屋衆ではないような気がしてならなかった。
それに、嘉兵衛はこちらの立ち位置というものを、それとなく伝えてくれていたようにもおもわれてきた。つまりは、嘉兵衛は、松永弾正側でも茶屋衆・徳川側でもない、第三の勢力というものに属しているのではなかったろうか……。
途中で馬から降りた。
松明の灯りが妖しげに揺らめく中を歩いた。
「姫様、なにが起ころうとも、決して口を開いてはなりませぬぞっ!」
弥右衛門が念を押した。口を開くな、という意味は十分に判っている。異国の皇女に成りすますのだから、この国の言葉を理解している素振りを見せるなということだろう。
一行の総勢は五十人ばかり。篝火を先頭に二列で進んだ。意外にも秩序立っていた。
どうやら弥右衛門の統制が効いているようであった。
大門に到着すると、いつの間にか正装に替えていた彦左が大声を張り上げた。
「……それがし、三河を逐電せし、大久保彦左衛門忠教なりぃ!明国皇女、秀華姫をともない、かくまかりこした次第、まずはご開門あれかし!」
狐につままれた気持ちで、アッと声をあげそうになった。すると、佐助が鋭い目で見返してきた。
弥右衛門と佐助は、彦左の郎党を装っていたのだ。
これからどのような道化がはじまろうとしているのだろうか……。
まずは畳敷の大広間に通された。三方の大襖には、金箔を施した珍しい獣たちが戯れている絵図が描かれていた。
七、八人の恰幅のいい武士たちが上座からみて左側に座していた。
右側には鬢から顎までつかながった髭をたくわえた武士がいた。
その男が、
「……拙者、武田勝頼が臣武藤喜兵衛でござる……」
と、こちらをみて目礼を送ってきた。
「おお、三河の大久保衆といえば、海内に聴こえた豪の者ども……その一族の彦左衛門どのが、大陸の皇女をお連れして馳せ参じられるとは、まことにもって結構至極、ご苦労に存ずる」
武藤喜兵衛と名乗った男の声は、遠くまで響き渡る透き通った高音だった。
「……姫様におかれましては、ようも、ご無事で、なによりでございました。国を逃れ、大海の波頭を乗り越え、はるばると参られたからには、もう二度とかかるご苦労はおかけ申さぬ。まもなく、わが武田の領地にまでお連れ申し上げますぞ」
つまりは武田勝頼に買われるということなのだろうか。頷くこともなく、わたしは喜兵衛なる者の容貌に見入りながらあれこれとさまざな思念が胸のなかを駆けめぐっていた。
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