1 / 66
慈 雨
しおりを挟む
兄の凛々しい姿が忽然と夢の中に浮かんだ翌朝は、たいてい雨になった。
すぐに止む夕立のような雨のときもあったし、じめじめとしと降ることもある。たとえ降らずとも、ひたひたと忍び来る湿り気を含んだ雨足のけだるい気配だけが、いつまでもどこまでも、頭裡に焼き付いて離れない。
摩利支天にも似たり……などと、父たちは兄のことを評していたけれど、記憶の奥底に息づいている兄は、この乱世には珍しく、はにかんだ笑みがよく似合うやさしい風貌のままであった。
『お亀、おまえ、もう女になったのか?』
そんなことばが、兄の口から飛び出たのは、いつのことだったろうか。
最初、何を言われているのか、まったく判らなかった。たしか馬上であった。
供奉の者らを振り切り、兄の背にしがみついていたときであったはずである。
蹄の音が風に消され、耳朶に何かがねっとりとまとわりついたような気がした。
このように供奉衆の目を逃れ、二人きりで城の外へ逃れることは幾度もあった。厳重なまでの警護を極度に嫌う兄の悪戯心のようなものだった。周囲を驚かせてやろうという茶目っ気たっぷりの言動は、ときに傲岸不遜に映った者もいたに違いない。
そんな兄の挙措には、なにかと誤解を招くことも多かったけれど、それは心の深奥を吐露できない日々の緊張の裏返しのようなものであったろうか。
『お亀は、もう、とつぎのわざを教わったかか?』
兄より一つ年下のわたしは、十三を過ぎて初潮を迎え、殿方との閨事の手順というものを、繰り返し侍女たちから教え込まれていた。
〈とつぎのわざ〉とは、交合のことで、これが転じて〈嫁ぐ〉という意味にでもなったのだろうか。
それだけでなく、親元を離れ、嫁として敵陣に乗り込む覚悟というものを、何度も何度も伝え聴かされた。
たとえば、嫁いだのちも、わが目と耳で得た情報は、逐一、文にて報せるべし、といったようなことで、そのおりのことばの選び方、密偵とのつなぎの方法も事細かく教えられた。
ひとかどの武家のもとに産まれた女人には当然のことで、兄嫁もまた、絆つなぎのために、はるばる尾張の織田家から岡崎の城へやってきたのだ。
兄嫁とは、かの織田信長様のご息女だ……。
○
わたしたち兄妹の父は、徳川家康である。
今川家で人質生活を過ごし、駿府で元服した父は、当時、松平元康と呼ばれていた。
今川家の縁戚にあたる関口義広さまの姫、瀬名を娶った。今川義元公の姪にあたる瀬名姫こそ、わたしたちの母である。
もっともいまは母は、築山殿と呼ばれている。岡崎城内に土を盛って造られた庭園に築いた屋敷で暮らしているからだ。
兄、三郎は永禄二年に産まれた。翌年に産まれたわたしは、〈亀〉と名付けられた。
わたしが産まれた永禄三年は、天変地異とでも形容すべき事変が起こった年として後世に記憶されることになるだろう。
五月、桶狭間の地で、今川義元公が信長様の奇襲に遭い、斬殺されてしまったのだ。
このとき父は、わたしたちが暮らしていた駿府には戻って来なかった。そのまま父祖伝来の地、岡崎城へ入ったのだ。
父が十九歳のときである。
戦国の世の慣わしでは、その行為は敵前逃亡であり、軍規違反であり、今川家に対する裏切りに他ならない。
そうして、わたしたちへの訣別を意味している……。
駿府に残されたわたしたちは、即時処刑されたとしても仕方なかったのだから。
けれど父は、わたしたちを棄てることを迷うことなく決断したのだ。もっとも、のちに双方の人質交換によって、母とわたしたち三人は救出されたのだけれど、物心ついてこの一連の経緯を知ったとき、涙がとめどなく溢れた。
耳の奥底で、おそろしい蟲どもが暴れ、蠢き、息巻いているようにも思われてきて、数日の間、激しい耳鳴りと頭痛に苛なまれた。
(……父は、わたしたちを、見殺しにする道を選んだのだ……)
父のことを恨むとか、畏れるといった単純なことばで表現できるものではない。むしろ、兄の胸裡に渦巻いているかもしれない黒い焔を想像するにつけ、居たたまれない歯痒さにかられた。
黒い焔のことは、ただのわたしの内の妄想かもしれない。
けれど嫡男として産まれた兄は、過去のこのような経緯をどのように見つめ、どのように処理してきたのだろうか。
そのことを想像するたびに、兄のこころの奥底深く刻まれたにちがいない亀裂の大きさというものに思いを馳せずにはいられなかった。
このような共通の体験が、兄の存在を、より特別で、そうして、より複雑なものにさせていたのかもしれない。
今川家からの独立を果たした父は、信長様と盟約した。
永禄九年十二月、従五位下徳川三河守の叙任を受けた父は、二十五歳になっていた。
すぐに止む夕立のような雨のときもあったし、じめじめとしと降ることもある。たとえ降らずとも、ひたひたと忍び来る湿り気を含んだ雨足のけだるい気配だけが、いつまでもどこまでも、頭裡に焼き付いて離れない。
摩利支天にも似たり……などと、父たちは兄のことを評していたけれど、記憶の奥底に息づいている兄は、この乱世には珍しく、はにかんだ笑みがよく似合うやさしい風貌のままであった。
『お亀、おまえ、もう女になったのか?』
そんなことばが、兄の口から飛び出たのは、いつのことだったろうか。
最初、何を言われているのか、まったく判らなかった。たしか馬上であった。
供奉の者らを振り切り、兄の背にしがみついていたときであったはずである。
蹄の音が風に消され、耳朶に何かがねっとりとまとわりついたような気がした。
このように供奉衆の目を逃れ、二人きりで城の外へ逃れることは幾度もあった。厳重なまでの警護を極度に嫌う兄の悪戯心のようなものだった。周囲を驚かせてやろうという茶目っ気たっぷりの言動は、ときに傲岸不遜に映った者もいたに違いない。
そんな兄の挙措には、なにかと誤解を招くことも多かったけれど、それは心の深奥を吐露できない日々の緊張の裏返しのようなものであったろうか。
『お亀は、もう、とつぎのわざを教わったかか?』
兄より一つ年下のわたしは、十三を過ぎて初潮を迎え、殿方との閨事の手順というものを、繰り返し侍女たちから教え込まれていた。
〈とつぎのわざ〉とは、交合のことで、これが転じて〈嫁ぐ〉という意味にでもなったのだろうか。
それだけでなく、親元を離れ、嫁として敵陣に乗り込む覚悟というものを、何度も何度も伝え聴かされた。
たとえば、嫁いだのちも、わが目と耳で得た情報は、逐一、文にて報せるべし、といったようなことで、そのおりのことばの選び方、密偵とのつなぎの方法も事細かく教えられた。
ひとかどの武家のもとに産まれた女人には当然のことで、兄嫁もまた、絆つなぎのために、はるばる尾張の織田家から岡崎の城へやってきたのだ。
兄嫁とは、かの織田信長様のご息女だ……。
○
わたしたち兄妹の父は、徳川家康である。
今川家で人質生活を過ごし、駿府で元服した父は、当時、松平元康と呼ばれていた。
今川家の縁戚にあたる関口義広さまの姫、瀬名を娶った。今川義元公の姪にあたる瀬名姫こそ、わたしたちの母である。
もっともいまは母は、築山殿と呼ばれている。岡崎城内に土を盛って造られた庭園に築いた屋敷で暮らしているからだ。
兄、三郎は永禄二年に産まれた。翌年に産まれたわたしは、〈亀〉と名付けられた。
わたしが産まれた永禄三年は、天変地異とでも形容すべき事変が起こった年として後世に記憶されることになるだろう。
五月、桶狭間の地で、今川義元公が信長様の奇襲に遭い、斬殺されてしまったのだ。
このとき父は、わたしたちが暮らしていた駿府には戻って来なかった。そのまま父祖伝来の地、岡崎城へ入ったのだ。
父が十九歳のときである。
戦国の世の慣わしでは、その行為は敵前逃亡であり、軍規違反であり、今川家に対する裏切りに他ならない。
そうして、わたしたちへの訣別を意味している……。
駿府に残されたわたしたちは、即時処刑されたとしても仕方なかったのだから。
けれど父は、わたしたちを棄てることを迷うことなく決断したのだ。もっとも、のちに双方の人質交換によって、母とわたしたち三人は救出されたのだけれど、物心ついてこの一連の経緯を知ったとき、涙がとめどなく溢れた。
耳の奥底で、おそろしい蟲どもが暴れ、蠢き、息巻いているようにも思われてきて、数日の間、激しい耳鳴りと頭痛に苛なまれた。
(……父は、わたしたちを、見殺しにする道を選んだのだ……)
父のことを恨むとか、畏れるといった単純なことばで表現できるものではない。むしろ、兄の胸裡に渦巻いているかもしれない黒い焔を想像するにつけ、居たたまれない歯痒さにかられた。
黒い焔のことは、ただのわたしの内の妄想かもしれない。
けれど嫡男として産まれた兄は、過去のこのような経緯をどのように見つめ、どのように処理してきたのだろうか。
そのことを想像するたびに、兄のこころの奥底深く刻まれたにちがいない亀裂の大きさというものに思いを馳せずにはいられなかった。
このような共通の体験が、兄の存在を、より特別で、そうして、より複雑なものにさせていたのかもしれない。
今川家からの独立を果たした父は、信長様と盟約した。
永禄九年十二月、従五位下徳川三河守の叙任を受けた父は、二十五歳になっていた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
伊藤とサトウ
海野 次朗
歴史・時代
幕末に来日したイギリス人外交官アーネスト・サトウと、後に初代総理大臣となる伊藤博文こと伊藤俊輔の活動を描いた物語です。終盤には坂本龍馬も登場します。概ね史実をもとに描いておりますが、小説ですからもちろんフィクションも含まれます。モットーは「目指せ、司馬遼太郎」です(笑)。
基本参考文献は萩原延壽先生の『遠い崖』(朝日新聞社)です。
もちろんサトウが書いた『A Diplomat in Japan』を坂田精一氏が日本語訳した『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)も参考にしてますが、こちらは戦前に翻訳された『維新日本外交秘録』も同時に参考にしてます。さらに『図説アーネスト・サトウ』(有隣堂、横浜開港資料館編)も参考にしています。
他にもいくつかの史料をもとにしておりますが、明記するのは難しいので必要に応じて明記するようにします。そのまま引用する場合はもちろん本文の中に出典を書いておきます。最終回の巻末にまとめて百冊ほど参考資料を載せておきました。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
わが友ヒトラー
名無ナナシ
歴史・時代
史上最悪の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラー
そんな彼にも青春を共にする者がいた
一九〇〇年代のドイツ
二人の青春物語
youtube : https://www.youtube.com/channel/UC6CwMDVM6o7OygoFC3RdKng
参考・引用
彡(゜)(゜)「ワイはアドルフ・ヒトラー。将来の大芸術家や」(5ch)
アドルフ・ヒトラーの青春(三交社)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる