【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖  豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?

海善紙葉

文字の大きさ
上 下
23 / 40

23 新たな疑惑

しおりを挟む
 は近松と別れて一人で歩いている……。
 淀屋辰五郎の述懐は、お民との出会いまででおわった。急な来客があって、淀辰が席をはずしたからである。五日後の再訪を快諾してくれたことは収穫だったが、それにしても……と、はいまだ感じたことのふわりとした感情にさいなままれていた。お民の姿を思い出したことも一因だが、やはり、自分の知らない男と女の世界の一端を覗き見たことが、の心をざわめかせている。
 近松は近松で、淀辰の表情から物書きならではの何かを察したらしく、知り合いの薬師やくしを訪ねるということであった。
 気もそぞろに一人で歩いていると、瓦屋町とは違う方角へ向かっていた。
 天満天神社の境内にさしかかった頃、ふいに、
「おときさん」
と、背後から呼び止める声がした。
 ぎょっとしては足をとめた。
 振り向くと商人らしき中年の男が駆け寄ってきた。なぜ商人と察したかといえば、み手のまま、やや前傾の姿態でこちらを見て、頬をたるませていたからである。しかも小僧こぞうを一人伴っていた。まだ、九、十とみえた。
「どなたはん?」
 あえてはぞんざいな口調で威嚇した。いや考え事を中断させられた腹いせだったかもしれない。

「あ、これは申し訳ございません。どうやら、驚かせてしまいましたようで……」

 相手は一層腰を落とし揉み手を見せつけるように腕を揺すっている。ことばの抑揚からは、どうやら上方かみがたではなさそうだった。

西海屋さいかいやと申します」

 男は先に名を明かした。

「あ、西の海、の西海屋……、徳右衛門とくえもんです、どうぞ、お見知りおきを……」

 わざわざ〈西の海〉と付け足したのは、おそらく大坂に来てから、散々『そりゃ再開するんはええことや』とか、『再会しとうおますな』とか、『なにを再開発するんでっか』などと大いに茶化されたにちがいなかった。上方人にはそういうところがある。

「あ、それはご丁寧に……で、うちになんか御用なんですか?」

 すかさずも口調を改め向き直った。

「お呼び立てしましたのは、厄介な事になっておりまして……手前どもも難儀しておるのですよ」

 徳右衛門がぼそりと言った。声は小さいものの謡曲うたいのような、はっきりと筋が通っていて聞きやすい。上方人なら、〈往生してまっせ〉と言うところか……。

「難儀ってどんなことです?」
「それが……あの、心中があった影絵茶屋のことなんです」
「影絵……」
「ええ、小屋主さんのお一人から場所を借りまして、し物や酒を売っておったんです。……この大坂でたなを持ちたい、出したいと博多から出て参ったものでして……手っ取り早く資金集めしようと考えまして……」

 途切れなく徳右衛門の話は続く。いつものなら、『もうちょっと早うしゃべらなあかんわ』とせっつくところだが、あまりにも耳触りの良い声に、口を挟むことすら忘れていた。
 徳右衛門によれば……お民が死んだ影絵茶屋と隣の茶屋との隙間に屋台を出していたという。真っ先に奉行所へ小僧を走らせたのはこの徳右衛門であったらしかった。

「……間の悪いというのはこのことでしょうか、たまたま近くに居たということだけで、取り調べは受けるは、屋台は閉鎖されるはで、もう、大変な目にいました……」

 おそらくこんなときにも上方人ならば、『往生しまっせ……』を連発するにちがいなかった。

「……それが、うちと何の関係が?」
「ですから、お亡くなりになった女人が、おときさんのお友達だったそうで……。ほんとうにご愁傷さまでございます」
「・・・・・・・」
「実は……わたしども、いまだに、監視されておるようなんです」
「監視?」
「はい、あ、町奉行所の御方ではございません……なにやら、お奉行所では、相対死あいたいじにとして落着されたと聴き及んでおります」
「心中やない!お民ちゃんがそんなことするはずがないわっ」

 突然怒り出したの形相にもたじろかず、徳右衛門はしばし口を閉じてふた息置いてから、再び喋り出した。
 そして、意外なことをは耳にしたのだ。

「はい、わたしも相対死だとはおもいません……これは、殺人です……間違いございません」
「え?初めてです、うちの言うことをまともに聞いてくれたん……あ、西海屋さんは、モン様の次です」
「も、もん様?」
「いえ、こっちのことです……お民ちゃんが殺されたって、なんか証拠でもあったんですか?」
「だから、お呼び立てしました……さきほど申しました、こちらを監視しているのは、御城代様直属の市中探索目附の方々らしいのです……分部わけべ様と申される御方がお目附様……寺島家とはご昵懇になされているとうかがいました。ですから、分部様に御口添え願えませぬかと……」
「はい、分部さんならようく知っとります。けんど、証拠をお持ちなら奉行所に……」
「いえ、ですから、一件落着したものを手前どもが蒸し返すというのは、後々、しっぺ返しが恐ろしい……犯人を自首させますから、おときさんから分部様に……」
「え?自首って?お民ちゃんを殺したもんを知ってはるんですか?」

 畳み掛けるようにが言うと、西海屋徳右衛門は一人の青年の名を告げた。
 墨職人 清兵衛せいべえ
 は初めて耳にする名だった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

侍ウーマン ~婚活女侍は江戸に婿探しに行く。条件は長男以外で自分より強い人。できればイケメンで~

十三岡繁
歴史・時代
 私より強い長男以外の殿方を探しています。私のところに婿に来てください。  古河藩剣術指南役の家に生まれた累は、女でありながら幼少の頃より剣術をその身に叩き込まれてきた。  男兄弟はおらず、婿養子をとる前に父親が亡くなってしまったことからお家は断絶してしまう。  婿を取りお家の復興を願う累であったが、父親の残した婿取りの条件が『我が娘よりも剣術の腕が上回る』事であった。  また長男では婿養子にとれないので、自分より強く独身で長男以外の人間を探さなければならない。  しかし累はこの世の全てを見定めるとも言われる、赤い目の一族の血を色濃く受け継いでいる。剣の修行にも明け暮れた結果、周辺では向かう所敵なしの状況になってしまっていた。  多くの人が集う江戸であれば、自分以上の存在も見つかるかもしれないと、累は江戸の町へと向かう事にする。  一方時を同じくして、大店の放蕩息子佐吉は蔵に眠る祖父の遺品から、『反魂の法』と呼ばれる、死体を依り代として死者の魂をこの世に蘇らせる方法を見つけてしまう。  そうしてあろうことか、伝説の剣豪塚原卜伝をこの世に蘇らせてしまったのだ。 ※6月から隔日朝の6時に更新予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

融女寛好 腹切り融川の後始末

仁獅寺永雪
歴史・時代
 江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。 「良工の手段、俗目の知るところにあらず」  師が遺したこの言葉の真の意味は?  これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

日本の運命を変えた天才少年 -戦勝国日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1940年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、美貌と天才的な頭脳で軍部を魅了し、外交・戦略・経済・思想、あらゆる分野で革命を起こしていく。 真珠湾攻撃を再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出すレイ。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、第二次世界大戦を勝利に導き、世界一の国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。

富羅鳥城の陰謀

薔薇美
歴史・時代
時は江戸中期。若き富羅鳥藩主が何者かに暗殺され富羅鳥城から盗み出された秘宝『金鳥』『銀鳥』。 『銀鳥』は年寄りの銀煙、そして、対の『金鳥』は若返りの金煙が吹き上がる玉手箱であった。 そう、かの浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱と同じ類いのものである。 誰しもが乞い願う若返りの秘宝『金鳥』を巡る人々の悲喜こもごも。忍びの『金鳥』争奪戦。 『くノ一』サギと忍びの猫にゃん影がお江戸日本橋を飛び廻る!

空の海~渤海の果て~

国香
歴史・時代
~かつて渤海という幻の大国があった~ 不安定な新興国・定安に生きる一人の若き貴族。 貧しい彼は、いつも疎外されていた。 救いの手を差し伸べてくれる人はなく、彼自身の才能だけで、運を切り開いて行くしかなかった。 中国、ロシア、北朝鮮に広がっていた謎の大国・渤海。 平安時代の日本が最も親しく交流していたのは、唐ではなく渤海だった。 しかし、突如として滅亡してしまう。 その跡地には、渤海を復興しようとした人々がいた。 渤海滅亡後に存在したとされる復興国を舞台にした物語。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

夢宵いの詩~勝小吉伝

あばた文士
歴史・時代
この物語の主人公は幕末維新期にその名も有名な勝海舟(麟太郎)の実父勝小吉です。生涯喧嘩や悪事にあけくれた実に数奇な運命を歩んだ人で、ある意味江戸っ子の典型例といってもいいでしょう。物語を通して後の勝海舟に与えた影響や、最晩期の江戸の風景に迫ってみたいと思っている次第であります。(小説家になろうでも連載中ですので、そちらもよろしくお願いします) https://ncode.syosetu.com/n0233ex/ (この物語は、基本的には小吉自身が残した自叙伝である「夢酔独言」にしたがって話を進めています。しかしなにしろ、かなりの年齢になるまでまったく字が書けなかった小吉が書いたものなので、一見すると内容は意味不明な箇所が目立ちます。また事実であるとは到底思えない箇所も多々あり、史実としての信憑性は限りなく低いです。恐らく大ほら吹きで大嘘つきの小吉のことですから、誇張や見栄張ったり、嘘偽りがかなり混じっていることと思われますので、その点はご了承ください) 第五回歴史時代小説大賞エントリー

処理中です...