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22 淀辰、大いに語る

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 ・・・・このわては、知ってのとおり、淀屋の五代目として生まれ、これまで何の不自由もなく、勝手気儘に、思うがままに生きてきました。
 これといった商才があるわけでもなく、ただ気心の知れた番頭や分家の者に商いのことは任せてさえおけば、わてがおろうがおるまいが、家は栄えていくもんでおます。周りのもんも、あんまり余計なことはせんほうがええ、と、そんな目でみておったんでっしゃろ。
 世間さまからは、やれ淀屋のお大尽よ、なにわ長者よ、とおだてられ、羨ましがられていたとしても、わてはわてなりに、なにをするために、この世に産まれてきたんかいなあと、考えたり悩んだりしたこともおましたんやで。
 贅沢な悩みといわれればそれまでのことですがなあ。
 それで、あるときから、とことん、金を使うてみたろ、と思うて、この屋敷を改築し、びいどろをふんだんに使って、こんな夏座敷まで建ててみましたんや。
 そうやって、あれこれと頭の中で計画を立てているうちは、なにやら胸がわくわくしてきよりましてなあ、そりゃあもう、子どもの時分にかえったような心持ちになって、たのしゅうおました。ところが、いざ完成してしまうと、急にアホらしくなってきよってな、また、ため息ばかりが出てきよりましたわ。
 
 ・・・・ああ、お民の事どしたな。
 去年の七夕が終わった宵の口のことでおました。わては、松屋町まつやまちめかけの家から抜け出て、ふらりふらりと一人で歩いてましたんや。
 妾の名は、お駒といいます。
 あいつが捨てようとしたぼろの浴衣がありましてな、酔狂にもそれを着て、たった一人で、安堂寺橋のたもとに佇んでおりましたんや。はた目には、身投げでもしようとする世捨て人のように見えましたんやろうかなぁ、ぽんと肩を叩かれて、ふりむくと、質素な身なりの町家の娘子が立ってまして、なあんもいわずに、わての手に、ごまをまぶした米餅を、手渡してくれましたんや。
 ほんまに、あのときはびっくりしよりましたで。
〈これでも食べて、元気だしてぇなぁ〉
と、ただ一言、そう云いよりました。そのまんま橋を渡ろうとした娘を呼び止めて、わしはこう聴きましたんや。

〈娘はん……わては、そないに、身すぼらしく見えましたんかいな?〉

 すると、その娘は、慌ててこう謝りよりました。

〈お気に触ったんなら、どうか許してくださいな。ただ、うつにずっと遠くのほうを見つめてたんで、まるで、この世に生きている人やないような気がしてきましてん……〉
〈ほうそうかいな。まあ、そう見えたかて、ちっともおかしなことやないかもしれんわ〉

 わては急に笑い出して、娘に名を告げると、相手はその場にひれ伏さんばかりに恐縮し出しましてな。
 それが、そう、お民、でしたんやで。

 そのとき、わては、お民をぜひともそばに置いときたくなりましたんや。
 といっても、決してスケベ心やおまへん。なんかこう、無性にこの娘と、一日中、いろいろなことを喋り合いとうなってきよってな。
 いってみれば、わての一目惚れのようなもんですなあ。
 話を聴けば、父親をあの大洪水のときに亡くし、いまは、病がちの母親と長柄ながらあたりの長屋で二人で暮らしているとのこと、わてはその足で、お民の母親に会いに行きましたんや。ぜひ、お民を世話をさせて欲しいと、両の手をついて頭を下げました。
 滅多に人さまには下げたことがないこの頭を、床にすりつけるようにして、いのちがけでお願いしましたんやで。

 お民の母親は、もうびっくり仰天でしたな。でも、相当お金に困っていたんでっしゃろ、よくよく考えたあげく、わてに、すべてをまかせますちゅうことになって、お民の母親を、知り合いの町医者のもとに預け、松屋町にいた妾のお駒を、その日のうちに追い出して、代わりにその家にお民をいれましたんや。その日から、毎日のようにお民のもとに通いました。
 でも、まだ、そん時には、男と女の仲にはなってまへん。
 お民のそばにいるだけで、わての気ぃがずいぶんとまぎれましたんや。
 わてらが結ばれたんは、それから、ふた月ほどしてからのことや。

 それになあ、お民は、日向屋で働くのをやめようとはせなんだ。
 すべての面倒を見るというたのに、なんでも材木問屋の日向屋には、父親が働かせてもろうて、大層世話になったとかで、ご恩返しに手伝いたいと、こう云っとりました。けったいなことに、おがくずのにおいが好きやとも云うてましたわ。
 一日一度、そのにおいを嗅がなあかん、嗅がなんだら病になるいうて、そないなことを……ほんま素直で、心根こころねのやさしい娘やったんです……
 
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