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17 謹慎する大志郎
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謹慎処分といっても、これで三度目だから慣れたものだと嘘ぶきたい久富大志郎だったが、おときの胸中をおもうとなかなかに気鬱は晴れなかった。
奉行所の裁断に対しての異議申し立ての仕組みはない。
もっとも堅物の筆頭与力ですら、
『相対死とはどうにもこうにも解せませぬ』
と、喰い下がった大志郎の肩をたたきながら、
『おまえの気持ちはわかるが、どうにもならぬ。上からのお達しなのだ』
と、慰めてさえくれたのだ。
これには大志郎も驚かされた。なおも、『では、お奉行に直接……』
といいかけると、意外な答えが返ってきた。
『……お奉行が口を出せる“上”ではないぞ!大坂城代のさらに上のそのまた上……の御意向のようだ』
一体、どのあたりの“上”を指すというのであろうか。
ますます大志郎は推理というものにのめり込んでいく。
死んだお民には悪いが、またおときは怒り狂うだろうが、たかが町娘の死というものに、幕閣の歴々が重大な関心を寄せているというこの事実は、一体、何を意味しているのか。
考えれば考えるほど、迷路の渦のなかに放り込まれてしまう。
けれども。
その迷路の中のおのれの姿というものに気づいた時、まさにそれが大志郎の“欲”というものに火をつけるきっかけとなった。それはなにも出世欲であるとか名誉欲といったものではない。すでに三度も謹慎を申し渡された身の上としては、いまさら出世なぞ望むべくもない。
また、寺島家へ婿入りして、その身代を狙っていると同心仲間では陰口を叩く者がいることは知っているが、それは的はずれもいいところだ。大志郎は、嗣子のない久富家に外からきた部外者であって、かりに久富家に女子あらば婚姻となるのだが、該当者はおらず、いま久富親族内で大志郎の嫁探しをしているところで、つまるところそれが家を嗣ぐということであろう。大志郎は、久富家の嗣子なのだから。
それに。
謹慎一か月の処分というものは、上司に楯突くという職務上の不手際をやってしまった大志郎にとっては軽すぎるもので、むしろかれは〈一か月〉という期間のなかにこそ、“上”の意図が隠されているのではないかとも疑っていた。
一か月で決着を付ける、そんな穏やかならざる陰謀の存在を、漠然とながら大志郎は察知しつつあった。
なによりそのことを裏付けているのは、同心長屋での謹慎を申し渡されたことであろう。自邸での謹慎蟄居というのが常法というものであり、さらに重い処罰の場合は、屋敷の門を竹矢来で封印する。竹を交互に組んで縄で結び、門からの出入りを塞ぐのである。
過去二回の謹慎のときは、さすがに竹矢来まではなかったが自邸での蟄居という処置であった。
今回は、夜回り同心や自邸を持たない役人が泊まる長屋での謹慎を命じられた。これは異例の処置であった。大志郎の推理は、この事実をもとに広がっていった。
……同心長屋ならば昼夜の監視が容易だとおもれたにちがいない。
なぜか。
おそらくは、お民の死の真相を探ろうとするおときと近い間柄ということが、“上”なる者から警戒されたのではなかったか。
このように推測を重ねていくと、当然、あのお民の死というものには、こちらの想像をはるかに上回るなにかどす黒いものが渦巻いているとおもっても、あながち妄想ではあるまい。
そこまで考えた大志郎は、どうにか長屋を脱け出して、分部宗一郎に事情の一切を告げようとおもった。
同心長屋を脱ける算段をしていた大志郎は、戸口に人影を認めて、大刀を掴んだ。
まだ六月の陽は高く、明かり扉から洩れる光は、六畳の間の奥まで射し込んでいる。戸の外からは、奉行所の手代らが忙しく動く足音やざわめき声が絶え間なく大志郎の耳朶をふるわせている。
「わたしだ、分部だ!」
戸口の人影が声を発したとき、これぞ神仏の助けというものだと、大志郎は勢いよく戸を引いて、おやっと小首をかしげた。
奉行所の裁断に対しての異議申し立ての仕組みはない。
もっとも堅物の筆頭与力ですら、
『相対死とはどうにもこうにも解せませぬ』
と、喰い下がった大志郎の肩をたたきながら、
『おまえの気持ちはわかるが、どうにもならぬ。上からのお達しなのだ』
と、慰めてさえくれたのだ。
これには大志郎も驚かされた。なおも、『では、お奉行に直接……』
といいかけると、意外な答えが返ってきた。
『……お奉行が口を出せる“上”ではないぞ!大坂城代のさらに上のそのまた上……の御意向のようだ』
一体、どのあたりの“上”を指すというのであろうか。
ますます大志郎は推理というものにのめり込んでいく。
死んだお民には悪いが、またおときは怒り狂うだろうが、たかが町娘の死というものに、幕閣の歴々が重大な関心を寄せているというこの事実は、一体、何を意味しているのか。
考えれば考えるほど、迷路の渦のなかに放り込まれてしまう。
けれども。
その迷路の中のおのれの姿というものに気づいた時、まさにそれが大志郎の“欲”というものに火をつけるきっかけとなった。それはなにも出世欲であるとか名誉欲といったものではない。すでに三度も謹慎を申し渡された身の上としては、いまさら出世なぞ望むべくもない。
また、寺島家へ婿入りして、その身代を狙っていると同心仲間では陰口を叩く者がいることは知っているが、それは的はずれもいいところだ。大志郎は、嗣子のない久富家に外からきた部外者であって、かりに久富家に女子あらば婚姻となるのだが、該当者はおらず、いま久富親族内で大志郎の嫁探しをしているところで、つまるところそれが家を嗣ぐということであろう。大志郎は、久富家の嗣子なのだから。
それに。
謹慎一か月の処分というものは、上司に楯突くという職務上の不手際をやってしまった大志郎にとっては軽すぎるもので、むしろかれは〈一か月〉という期間のなかにこそ、“上”の意図が隠されているのではないかとも疑っていた。
一か月で決着を付ける、そんな穏やかならざる陰謀の存在を、漠然とながら大志郎は察知しつつあった。
なによりそのことを裏付けているのは、同心長屋での謹慎を申し渡されたことであろう。自邸での謹慎蟄居というのが常法というものであり、さらに重い処罰の場合は、屋敷の門を竹矢来で封印する。竹を交互に組んで縄で結び、門からの出入りを塞ぐのである。
過去二回の謹慎のときは、さすがに竹矢来まではなかったが自邸での蟄居という処置であった。
今回は、夜回り同心や自邸を持たない役人が泊まる長屋での謹慎を命じられた。これは異例の処置であった。大志郎の推理は、この事実をもとに広がっていった。
……同心長屋ならば昼夜の監視が容易だとおもれたにちがいない。
なぜか。
おそらくは、お民の死の真相を探ろうとするおときと近い間柄ということが、“上”なる者から警戒されたのではなかったか。
このように推測を重ねていくと、当然、あのお民の死というものには、こちらの想像をはるかに上回るなにかどす黒いものが渦巻いているとおもっても、あながち妄想ではあるまい。
そこまで考えた大志郎は、どうにか長屋を脱け出して、分部宗一郎に事情の一切を告げようとおもった。
同心長屋を脱ける算段をしていた大志郎は、戸口に人影を認めて、大刀を掴んだ。
まだ六月の陽は高く、明かり扉から洩れる光は、六畳の間の奥まで射し込んでいる。戸の外からは、奉行所の手代らが忙しく動く足音やざわめき声が絶え間なく大志郎の耳朶をふるわせている。
「わたしだ、分部だ!」
戸口の人影が声を発したとき、これぞ神仏の助けというものだと、大志郎は勢いよく戸を引いて、おやっと小首をかしげた。
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