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13 おときの後悔
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・・・・かりに、その殺害現場に冷静な者が一人でもいたならば、誰も小屋の外には出さなかっただろう。
壊れた板壁の隙間から出できた観客らを、ひとまず足留めした上で、町役人か奉行所へひとを走らせたはずである。
久富大志郎は、そのことが悔やまれてならなかった。
これが殺しなら、あきらかに下手人は、その場にいたはずだからだ。
だが、小屋主が町役人に報せたのは、夜が明けてからで、回り回って大志郎が知って駆けつけたときには、死んだ男とお民が、どのような肢体で倒れていたのかを、その眼で確かめることはできなかった。
すでに屍体はそれぞれ板の上に仰向けに並んで横たえられていた。
それでも大志郎が手順に従い、てきぱきと屍体を検分し、複数の証言を照らし合わせていたとき、小屋の周辺を取り囲むように集まってきていた群衆の中に、いまばかりは見たくはない顔をみつけて愕然となった。
「どいて、どいて!」
人の波を掻き分けて飛び出してきたのは、おときである。
すでに報せを聴いたときから、さんざん涙を流し尽くしたのであったろう、赤く充血した瞳には怒りの炎が宿っていた。
「おとき、見るなっ!」
「お民ちゃん、お民ちゃん!」
突進してきたおときをかろうじて抱き止めた大志郎は、おときの隣で佇みながら、小首をかしげながら屍体を覗き込んでいる小柄な年配の男に気づいた。
「こらっ!近づくでない!」
怒鳴られた近松門左衛門は、それでも怯むことなく、
「はて、隣の男が、お民さんを刺したのでござろうか」
と、低声でつぶやいた。
「な、なに?」
怒鳴りかけた大志郎は、痛いところをつかれたとばかり、渋面のまま近松をキッと睨んだ。なぜなら、男は手に包丁を握って死んでいたらしいのだが、ざっと聞き込みをした限りでは、男が倒れる直前に包丁を見た者は一人もいなかった。
それどころか、口から涎を泡のように垂らしながら、そのまま倒れたという証言もある。お民はおそらく演舞側にいたはずであろうから、死んだ男とはその場では接触していないのではないかと、大志郎は考えていたのだ。
近松門左衛門は、なにも大志郎の返答を待っていたのではなかったようで、するっと二人を掻き分け、男の屍体のそばで片膝をついた。その素早い動きに、大志郎が唖然としている間に、近松は懐紙を男の唇にあて、そっとぬぐった。
さっと立ち上がり、懐紙を袖内にしまい込んだ。
「おい、勝手に何をしたんだ?」
大志郎が問い詰めると、近松はにやりと笑った。
「……いやなに、ここ最近、このような小屋のなかで、口から涎を垂らして死んだ者が数人いると聴き及んでおりましてな、ゴロさんの知り合いに腕のいい医師もおるので、ちょいと調べてもらおうと、の」
「ごろさん?そいつは、一体、誰のことだ?それに、おまえは、何者?おときの連れか?」
大志郎が問い質すと、近松が答える前に、おときが口を挟んだ。
「うちの手習いのおっしょさんや!おまえやなんて、失礼やわ!モン様とお呼びして!」
「もんさま?どこの何奴……あっ、寺島の惣右衛門どの存じ寄りの御仁か?」
途中で口調を改めた大志郎は、ちらりとおときと近松の二人を見比べた。
「イサさんもよう知ってはる御方や!そんなことより、大志郎はん、淀辰のことも、ちゃんと調べてや!」
おときが大志郎を鋭く睨んだ。
「淀辰?とは、あの淀屋のことか?」
「淀辰といえば、他にはおらん!」
「ど、どうして、いま、淀辰の名が出てくるんだ!」
意味が理解できずに大志郎は群衆のなかに伊左次の姿を探したが、みつからない。すると、おときが大声を張り上げた。
「うち、今から、淀辰に会いにいってくるわ!」
駆け出そうとしたおときの肩に手をかけたのは、近松だった。そのまま近松の胸のなかに倒れ落ちたおときの体は、いまにも溶けそうなほどふらついてみえた。
「もっと早く会いにいくべきやったわ。なんで、そうせえへんかったんやろ」
おときが叫び続けるのをみて、事情がまったく掴めていない大志郎ですら、
「ばかなことをするな!」
と、本気で怒鳴った。
淀辰は、大坂の大物である。惣年寄も兼ねている。
相手は町人とはいえ、ここ大坂では町奉行所の同心ごときが掛け合える相手でない。
大志郎は近松に、ひとまずおときを瓦屋町に帰すように頼み、検分を続けることにした。想像以上の厄介事が降ってわいたような気がしてきて、自分を罵るおときの声を背中で受け止めるしかなかった。
壊れた板壁の隙間から出できた観客らを、ひとまず足留めした上で、町役人か奉行所へひとを走らせたはずである。
久富大志郎は、そのことが悔やまれてならなかった。
これが殺しなら、あきらかに下手人は、その場にいたはずだからだ。
だが、小屋主が町役人に報せたのは、夜が明けてからで、回り回って大志郎が知って駆けつけたときには、死んだ男とお民が、どのような肢体で倒れていたのかを、その眼で確かめることはできなかった。
すでに屍体はそれぞれ板の上に仰向けに並んで横たえられていた。
それでも大志郎が手順に従い、てきぱきと屍体を検分し、複数の証言を照らし合わせていたとき、小屋の周辺を取り囲むように集まってきていた群衆の中に、いまばかりは見たくはない顔をみつけて愕然となった。
「どいて、どいて!」
人の波を掻き分けて飛び出してきたのは、おときである。
すでに報せを聴いたときから、さんざん涙を流し尽くしたのであったろう、赤く充血した瞳には怒りの炎が宿っていた。
「おとき、見るなっ!」
「お民ちゃん、お民ちゃん!」
突進してきたおときをかろうじて抱き止めた大志郎は、おときの隣で佇みながら、小首をかしげながら屍体を覗き込んでいる小柄な年配の男に気づいた。
「こらっ!近づくでない!」
怒鳴られた近松門左衛門は、それでも怯むことなく、
「はて、隣の男が、お民さんを刺したのでござろうか」
と、低声でつぶやいた。
「な、なに?」
怒鳴りかけた大志郎は、痛いところをつかれたとばかり、渋面のまま近松をキッと睨んだ。なぜなら、男は手に包丁を握って死んでいたらしいのだが、ざっと聞き込みをした限りでは、男が倒れる直前に包丁を見た者は一人もいなかった。
それどころか、口から涎を泡のように垂らしながら、そのまま倒れたという証言もある。お民はおそらく演舞側にいたはずであろうから、死んだ男とはその場では接触していないのではないかと、大志郎は考えていたのだ。
近松門左衛門は、なにも大志郎の返答を待っていたのではなかったようで、するっと二人を掻き分け、男の屍体のそばで片膝をついた。その素早い動きに、大志郎が唖然としている間に、近松は懐紙を男の唇にあて、そっとぬぐった。
さっと立ち上がり、懐紙を袖内にしまい込んだ。
「おい、勝手に何をしたんだ?」
大志郎が問い詰めると、近松はにやりと笑った。
「……いやなに、ここ最近、このような小屋のなかで、口から涎を垂らして死んだ者が数人いると聴き及んでおりましてな、ゴロさんの知り合いに腕のいい医師もおるので、ちょいと調べてもらおうと、の」
「ごろさん?そいつは、一体、誰のことだ?それに、おまえは、何者?おときの連れか?」
大志郎が問い質すと、近松が答える前に、おときが口を挟んだ。
「うちの手習いのおっしょさんや!おまえやなんて、失礼やわ!モン様とお呼びして!」
「もんさま?どこの何奴……あっ、寺島の惣右衛門どの存じ寄りの御仁か?」
途中で口調を改めた大志郎は、ちらりとおときと近松の二人を見比べた。
「イサさんもよう知ってはる御方や!そんなことより、大志郎はん、淀辰のことも、ちゃんと調べてや!」
おときが大志郎を鋭く睨んだ。
「淀辰?とは、あの淀屋のことか?」
「淀辰といえば、他にはおらん!」
「ど、どうして、いま、淀辰の名が出てくるんだ!」
意味が理解できずに大志郎は群衆のなかに伊左次の姿を探したが、みつからない。すると、おときが大声を張り上げた。
「うち、今から、淀辰に会いにいってくるわ!」
駆け出そうとしたおときの肩に手をかけたのは、近松だった。そのまま近松の胸のなかに倒れ落ちたおときの体は、いまにも溶けそうなほどふらついてみえた。
「もっと早く会いにいくべきやったわ。なんで、そうせえへんかったんやろ」
おときが叫び続けるのをみて、事情がまったく掴めていない大志郎ですら、
「ばかなことをするな!」
と、本気で怒鳴った。
淀辰は、大坂の大物である。惣年寄も兼ねている。
相手は町人とはいえ、ここ大坂では町奉行所の同心ごときが掛け合える相手でない。
大志郎は近松に、ひとまずおときを瓦屋町に帰すように頼み、検分を続けることにした。想像以上の厄介事が降ってわいたような気がしてきて、自分を罵るおときの声を背中で受け止めるしかなかった。
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