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12 太左衛門橋
しおりを挟む道頓堀にも橋がある。十橋、架かっている。
東から、下大和橋。
日本橋。
相合橋。
太左衛門橋。
戎橋。
大黒橋。
住吉橋。
幸橋。
汐見橋。
日吉橋。
紀州街道への起点ともなる日本橋を渡るのは人だけではない。数えきれない馬や牛でごった返す光景は〈摂津名所図会〉にも描かれている。
道頓堀は、大坂の南極、といわれた。〈大坂の南の端〉という意味である。
道頓堀をはさんで北側が〈島の内〉で、南側には芝居櫓が建ち並ぶ。それで〈芝居側〉とも呼ばれた。
島の内とは、〈城の内〉の意で、つまりは、大坂城から見て道頓堀川の手前までが、城の内、すなわち、狭い意味の〈大坂〉であった。
芝居側には道頓堀五座(竹本座、中座、角座、豊竹座、竹田座)があり、水茶屋が並んでいる。四十七軒あったことから、いろは四十七にかけて〈いろは茶屋〉と呼ばれた。
……お民が殺されたのは、このような茶屋ではない。
太左衛門橋のふもと、川岸に添って乱立する影絵茶屋である。
駆けつけた久富大志郎が、おおまかではあるものの把握できた経緯は、つぎのようなものであった……。
……小屋の中は、繋ぎ合われた畳二畳ほどはある障子紙が、部屋を二つに仕切るようにして天井から垂らされている。向こう側に灯された蠟燭の炎が、ゆらゆらと揺れている。
陽が落ちかけた頃合いをみはからって、見物客を招き入れる。
女人が佇むのは、炎の側である。一人ではない。多いときには十人になるときもある。拍子木の合図とともに、着物を脱いでいく。三味線や太鼓などの音曲はない。ただ脱いでいくだけである。
裸体となったその曲線のなだらかな凹凸のさまを、障子紙を隔てた側から、影絵として眺めるのだ。
女人側の蝋燭の炎を近づけたり遠ざけたりすることで、見る側には、いかにも焦れったい感覚が増幅され、その単調な繰り返しこそが場の臨場感を盛り上げる演出というものであろう。やがて、全裸の女たちは互いを抱擁し、乳房をまさぐり合い……。
見物客は、それぞれに、ハァと嘆息し、ゴクリと唾を呑み込み、ウッホと咳払いする。そんな人が立てる音こそが音曲の代わりのようなものであった。
だが。
事件が起こったその日は、いつもとは少し様子がちがった。
……見物客の中の酔客はいつもより多かった。
女人が登場する前から、ざわざわと喧しい声と物音が満ちていた。何度も何度も
『静かにせえや!』
と、互いを牽制する声があがった。
炎が灯されてからも、いつになくヤジが飛びかった。
と、客の中から、ふわりと立ち上がった男がいた。ふらつきながら、障子紙のほうへ歩いていく……。
『こらっ!待たんかい!なにさらしてけつかるんや!』
『そないに立ったら、見えへんがな!』
怒声にも男はひるまない。ぶつぶつと呟きながら……進んでいく。口から涎《よだれ》がたらたら垂れている。
『こ、こいつ、いかれてしもてるわ!』
側にいた数人が立ち上がり、男に飛びつこうとして、勢い余って前のめりに数珠繋ぎのように倒れた。
倒れた誰かの手が、垂れ下がっていた障子紙を突き破った。
『きゃーっ!』
奇声があがった。半裸の女たちが、脱いだ襦袢を抱えて駆け回る……うしろで観ていた観客は、新手の趣向かと、やんややんやと喝采するなかで、前にいた観客が、大声を張り上げた。
『……げえっ!こ、こいつ、死んどるやないか!』
瞬く間に、恐怖の感情が女から男へ伝染していった。狭い入り口へ殺到した観客たちは、暴徒のように無目的に互いを押し退い、人なだれの圧力が板壁を崩れさせた。
『おい!お、おなごも、死んどるでぇ!』
女の腹から、血が滲み出ている……その傍らに口からよだれを垂らしていた男が倒れていた。男の右手には包丁が握られていた。
死んだ女が……お民であった。
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