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事 故
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和菓子司横藤の入口のドアには、〈忌中〉の紙が貼ってある。それほど長くはない商店街の両端にはサイレンをとめたパトカーが停まっている。
“正月以外原則無休”を謳ってきた商店街は、六日前から重たい空気に淀み、沈鬱の霧が覆いかぶさっている。
「まだ、見つからない?」
のり代は、その日も朝から駆け回っていた。やっと亜沙美が見つかって安堵したとおもったら、今度は源さんの行方がわからなくなった。
「……責任を感じて、源さん、よからぬことを考えないといいけど……」
横藤の店に集まっていた商店会の面々は、いまだに沈鬱な表情を隠しきれないでいる。
悲惨な事故であった。
三人死亡、二人重傷、五人軽傷……という商店会メンバーの慰安旅行・先発ミニバスの転落事故の衝撃の余波は日数を経ても鎮まることはなかった。
こちら側の運転ミスではなく、暴走カーに追突されて崖から転落してしまったのだ。逮捕された相手側のドライバーは薬物と飲酒で意識朦朧としていたことがニュースでも報じられていた。
「源さんが企画した慰安旅行とはいえ、あんなに責任を感じることはない……」
そう誰もが思っている。
まして、のり代は、突然、夫を喪ったのだ。誰かを怨むとしたら、それは瀬戸物屋の源さん……ではなく、相手側のドライバーのほうだ。もちろん、気持ちが落ち着いたら商店会メンバーには民事訴訟も視野の内にある。
けれどもいまは、亜沙美のこれからの手術のこと、警察で事情聴取を受けている大沢眞のことを片付けていかなければならない。難しいことは、のり代にも判らないのだが、亜沙美の心臓弁の開閉の不調は、いわば磁石のようなもので、手術で正常に戻る……と、紗恵から何度も聴いていた。
亜沙美が見つかったからには、こんどは突然姿を消した源さんを無事に保護しなければ……。
むしろやらなければならない事が次から次へ起こったおかげで、のり代はなんとか持ちこたえていたともいえた。
「なあ、ノリちゃん、消防団も警察も捜してくれているし、こちらも夜を徹して見廻ってみるから」
商店会メンバーの一人が言った。
その声に励まされるように、のり代はうなづいてから、一度、通りに出た。外の空気はそれでも風の動きを感じられる。
斜め向かい奥には、石原書店の看板がみえる。電気は灯っていない。
まだ、陽は落ちてはいない。気の早い夜の鳴虫の声が耳朶をとらえた。
のり代はじっと看板をみていた。
ふいに、その石原書店の文字がぼやけたようにおもえた。
誰かが看板を遮ったのか・・・・と、目を凝らしたのり代は、ハッと息を呑んだ。
(え、えどのひと・・・・)
確かに視た。
やはり、昨日も視た気がしたのは間違いではなかったのだとのり代は悟った。
……えどのひとをのり代が最初に視たのは、ちょうどいまの亜沙美と同じ年頃のことだったはずである。祖父が亡くなって、死ぬというその意味が、わからなくて、店の奥でうずくまってシクシク泣いていたら、隣に同じようにかがんでいる着物姿の婦人がいた。その武家女は、なにも言わず、ただのり代の横顔を眺めていたはずである。
不思議と怖くはなかった。
そのとき、なにを喋ったのか喋らなかったのか、もう記憶には残っていない。けれど気分の翳りが少しだけ和らいだことだけは、はっきりと覚えている。
それから、何度か、えどのひとを視たことがあった。イジメで悩んでいたときや親と大喧嘩して悲しんでいたとき、なぜか、えどのひとが現れて、つかの間、そばに寄り添ってくれたはすである。
……のり代が初潮を迎え、いろいろ世の中のことが知識として頭に入ってきてからは、えどのひとを視ることもなくなった・・・・。
「え? 呼んでいる? わたしを?」
のり代は独りごちた。えどのひとが手招きしているように彼女にはおもえたのだ。
「ノリちゃん」
そのとき、背中をぽんと叩かれた。
「ひゃあ! あ! げ、源さん!」
あたかも夕暮れ時の気配そのものが運んできたようにかれは力弱く佇んでいる。
「もう、どこに行っていたの!みんな、心配してたのよ」
「すまん、すまんの、事故の現場に花を捧げてから、そこらへんを歩いては休み、休んでは歩いて帰ってきたんよ。アサミちゃんを探しながら」
「なに言ってんの? アサミちゃんならとっくに見つかったわ」
「おっ、本当か?」
「うん、いま、部屋で休ませているとこ。明日、わたしが病院に連れていく……」
「ひゃ、よかった、よかった……」
思わずのり代は源さんの頭を殴ろうとした。寸でのところで手を開いて彼の頬を撫でた。
「す、すまん、すまん」
すると亜沙美がのり代を追って店から出てきた。
「おう、アサミちゃん」
源さんが亜沙美を抱きかかえた。
「よかった、無事で。ああ、よかった」
何度も何度も同じ言葉を繰り返した源さんの汗ばんだ臭いに、亜沙美は噎せそうになった。
「ひゃ、すまんの」
慌ててからだを離した源さんは、亜沙美が石原書店へ向かって歩いていくのを見た。
「……源さん、わたしらも行こ、行こ」
「どこへ?」
「石原書店……えどのひとが、えどのひとが……」
「きのうもそんなことつぶやいていたぞ! わしより、おまえさんのほうこそ、しゃんとせなぁ……」
「ううん、いたよ、いま。いるよ、いる、いる……いたの、いた、いた、えどのひとが呼んでる……きっとアサミちゃんにもみえてるんだわ」
「おい、おい、のりちゃん、しゃんとせえ」
「あ、そっかぁ、えどのひとが、アサミちゃんをずっと護っていてくれていたのだわ。そうだわ、きっとそうなんだ」
何度も同じことを叫び立てながらのり代は、源さんの腕を掴まえ、引きずるように亜沙美のあとを追って石原書店へ向かって駆け出した……。
“正月以外原則無休”を謳ってきた商店街は、六日前から重たい空気に淀み、沈鬱の霧が覆いかぶさっている。
「まだ、見つからない?」
のり代は、その日も朝から駆け回っていた。やっと亜沙美が見つかって安堵したとおもったら、今度は源さんの行方がわからなくなった。
「……責任を感じて、源さん、よからぬことを考えないといいけど……」
横藤の店に集まっていた商店会の面々は、いまだに沈鬱な表情を隠しきれないでいる。
悲惨な事故であった。
三人死亡、二人重傷、五人軽傷……という商店会メンバーの慰安旅行・先発ミニバスの転落事故の衝撃の余波は日数を経ても鎮まることはなかった。
こちら側の運転ミスではなく、暴走カーに追突されて崖から転落してしまったのだ。逮捕された相手側のドライバーは薬物と飲酒で意識朦朧としていたことがニュースでも報じられていた。
「源さんが企画した慰安旅行とはいえ、あんなに責任を感じることはない……」
そう誰もが思っている。
まして、のり代は、突然、夫を喪ったのだ。誰かを怨むとしたら、それは瀬戸物屋の源さん……ではなく、相手側のドライバーのほうだ。もちろん、気持ちが落ち着いたら商店会メンバーには民事訴訟も視野の内にある。
けれどもいまは、亜沙美のこれからの手術のこと、警察で事情聴取を受けている大沢眞のことを片付けていかなければならない。難しいことは、のり代にも判らないのだが、亜沙美の心臓弁の開閉の不調は、いわば磁石のようなもので、手術で正常に戻る……と、紗恵から何度も聴いていた。
亜沙美が見つかったからには、こんどは突然姿を消した源さんを無事に保護しなければ……。
むしろやらなければならない事が次から次へ起こったおかげで、のり代はなんとか持ちこたえていたともいえた。
「なあ、ノリちゃん、消防団も警察も捜してくれているし、こちらも夜を徹して見廻ってみるから」
商店会メンバーの一人が言った。
その声に励まされるように、のり代はうなづいてから、一度、通りに出た。外の空気はそれでも風の動きを感じられる。
斜め向かい奥には、石原書店の看板がみえる。電気は灯っていない。
まだ、陽は落ちてはいない。気の早い夜の鳴虫の声が耳朶をとらえた。
のり代はじっと看板をみていた。
ふいに、その石原書店の文字がぼやけたようにおもえた。
誰かが看板を遮ったのか・・・・と、目を凝らしたのり代は、ハッと息を呑んだ。
(え、えどのひと・・・・)
確かに視た。
やはり、昨日も視た気がしたのは間違いではなかったのだとのり代は悟った。
……えどのひとをのり代が最初に視たのは、ちょうどいまの亜沙美と同じ年頃のことだったはずである。祖父が亡くなって、死ぬというその意味が、わからなくて、店の奥でうずくまってシクシク泣いていたら、隣に同じようにかがんでいる着物姿の婦人がいた。その武家女は、なにも言わず、ただのり代の横顔を眺めていたはずである。
不思議と怖くはなかった。
そのとき、なにを喋ったのか喋らなかったのか、もう記憶には残っていない。けれど気分の翳りが少しだけ和らいだことだけは、はっきりと覚えている。
それから、何度か、えどのひとを視たことがあった。イジメで悩んでいたときや親と大喧嘩して悲しんでいたとき、なぜか、えどのひとが現れて、つかの間、そばに寄り添ってくれたはすである。
……のり代が初潮を迎え、いろいろ世の中のことが知識として頭に入ってきてからは、えどのひとを視ることもなくなった・・・・。
「え? 呼んでいる? わたしを?」
のり代は独りごちた。えどのひとが手招きしているように彼女にはおもえたのだ。
「ノリちゃん」
そのとき、背中をぽんと叩かれた。
「ひゃあ! あ! げ、源さん!」
あたかも夕暮れ時の気配そのものが運んできたようにかれは力弱く佇んでいる。
「もう、どこに行っていたの!みんな、心配してたのよ」
「すまん、すまんの、事故の現場に花を捧げてから、そこらへんを歩いては休み、休んでは歩いて帰ってきたんよ。アサミちゃんを探しながら」
「なに言ってんの? アサミちゃんならとっくに見つかったわ」
「おっ、本当か?」
「うん、いま、部屋で休ませているとこ。明日、わたしが病院に連れていく……」
「ひゃ、よかった、よかった……」
思わずのり代は源さんの頭を殴ろうとした。寸でのところで手を開いて彼の頬を撫でた。
「す、すまん、すまん」
すると亜沙美がのり代を追って店から出てきた。
「おう、アサミちゃん」
源さんが亜沙美を抱きかかえた。
「よかった、無事で。ああ、よかった」
何度も何度も同じ言葉を繰り返した源さんの汗ばんだ臭いに、亜沙美は噎せそうになった。
「ひゃ、すまんの」
慌ててからだを離した源さんは、亜沙美が石原書店へ向かって歩いていくのを見た。
「……源さん、わたしらも行こ、行こ」
「どこへ?」
「石原書店……えどのひとが、えどのひとが……」
「きのうもそんなことつぶやいていたぞ! わしより、おまえさんのほうこそ、しゃんとせなぁ……」
「ううん、いたよ、いま。いるよ、いる、いる……いたの、いた、いた、えどのひとが呼んでる……きっとアサミちゃんにもみえてるんだわ」
「おい、おい、のりちゃん、しゃんとせえ」
「あ、そっかぁ、えどのひとが、アサミちゃんをずっと護っていてくれていたのだわ。そうだわ、きっとそうなんだ」
何度も同じことを叫び立てながらのり代は、源さんの腕を掴まえ、引きずるように亜沙美のあとを追って石原書店へ向かって駆け出した……。
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