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第七話 星雲はるかに

敵対者

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「まだテラモンはやって来てはいないのだな?」

 ややかすれ気味の声は、そのぬしの歯が何本か欠けているせいであろう。

「へえ、来たのは、井上善右衛門とかいう、剣術つかいだけでした」

 答えたのは町人まげで、ほかに数人がたむろしていた。浪人も混じっている。
 山肌がり出した巨岩の隙間から、東方ひがしかた斜め下#に、舟宿と隣接する陣屋が見える。
 近くはない。
 崖からすべり落ちない限り、辿り着くのは困難だろう。人馬が降りることはできない位置に拠点を設けているのは、いわゆる、攻めるにかたく、守りにやさしいからである。
 声の主……福島兵庫ひょうごは露骨に舌打ちをした。
 周りに控えている面々よりは、よほど若い。けれども誰もが福島の指示を待ち受けている。
 舟宿の事件以来、福島兵庫は寺田文右衛門を付け狙っていたのである(第三話「殺らずの雨」参照)。
 かれは、、源吾らによって厠の中に閉じ込められた。脱出したのは、肥溜めのなかを息を留めてくぐって、外へ抜けたのである。幸い、といっていいのか、豪雨のなかで、体についた糞尿は洗い流されたが、怨みは消えることはなかった。福島兵庫は、群盗空狐からきつねの生き残りであった。
 いや、いまのお頭であった弥左衛門に拾われ育てられた恩があった。その弥左衛門も討たれた(第一話「家宝は寝て持て!」参照)。

 ……あとになって知ったことだが、すべては、寺田文右衛門の仕業しわざだと判明してからは、テラモンの異名を持つ、この老侍のことを調べ上げた。数カ月前、たまたま舟宿に現れたテラモンを視たとき、これぞ捲土重来とばかりにさっそく始末してやろうと決意したのだが果たせなかった。
 かれは空狐からきつねの残党を糾合きゅうごうし、かつまたこの無法地帯にたむろする浪人、乞食、やさぐれ者たちを雇い、一大勢力を築こうとした矢先、事もあろうか神坂藩が代官所のごとき陣屋を設けると聴きつけ、見晴らしの効く拠点を築いたばかりであった。
「代官はそれほど腕がたつのか?」
 福島にはそれだけが唯一の気掛かりであった。
「正式には仕置陣屋差配さはいというのだそうですぜ」
「ふん、代官でも差配でも、そんな形だけの名なんかどうでもいいが、敵の手下の数は……」
「こちらには十五、六、ですが、あと三十人ほどは里に散らばっています」
手下じゃない。代官の手下だ」
「へえ、誰も……城下から中間ちゅうげんが一人だけ」

 中間……と聴いて福島は、弥七と名乗っていた三十がらみの男の顔を思い出した。田舎育ちではなく、上方かみがたや江戸のにおいを放っていた。
「おそらく奴は密偵のようなものだろう。すばしっこいが、さほど腕は立つまい」
「ならば、一番腕が立つという井上善右衛門を討てばよかろう。いかな剣の達人でも、われらが押し寄せ取り囲めば、倒すのはそう難しいことはあるまいよ」
 横から口を出したのは浪人である。よほど腕に自信があるのだろう、大刀を手で撫でている。
「だがの」と、続けて浪人が言った。
「……決してテラモンをあなどるではないぞ! 老齢とはいえ、奴の凄さは……わしのこの目に焼き付いておる」
「ほう」と、福島兵庫が興味を示した。
「おぬし、立ち合ったのか?」
「いや、そばで見ていただけだ。かれこれ十年がほど前のことだがな。わしはまだ剣の修行の最中であったが、備中松山の路上で、テラモンに試合を挑んだ武芸者を……」
「斬ったのか? テラモンが?」
「いや、そうではない。やつは刀を抜かず、雨傘を構えて、武芸者の眉間を突いた……目にもとまらぬ早わざとは、あのことだ。思わずわしも尻餅をついた」
「やはり、それほどできるのか?」

 信じられないといった顔つきで福島兵庫がつぶやいた。まだ童顔で、正視すれば一六、七にしか見えないだろうが、すでに二十代半ば。盗賊集団の長としての貫禄はある。
 その兵庫に助言している浪人は、さしずめ軍師を気取っているのであったろう。
 
「な、若きお頭どの。できるもなにも、テラモンという奴は、化け物さ。わしも、いまでも、一人いちにんだけでは立ち合いたくはないぞ。槍、火矢、仕掛け網などで、じっくりと奴をからめとるしかないとおもうぞ」 

 謙虚すぎる浪人の発言は、それはそれで実際のテラモンの凄腕ぶりを垣間見た当事者ならではの感想であったろう。そのことは、兵庫にもよくわかった。

「では、お主がテラモンをからめとる道筋を考えてくれ。礼金ははずむ。一生、贅沢三昧できる金と、なんなら瀬戸内せとうちに土地と屋敷もくれてやる。弥左衛門のお頭が、生前、貯めた財で、何箇所にもそういう家を持っておるゆえ」
「おおっ、それはよきかな。空狐からきつねの新しいおかしらだけのことはあるな。腹が太いわ」

 心底、浪人は嬉しそうに眼光をひからせた。
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