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第四話 感謝の対価
人物試し腕試し
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しかも。
・・・・世之介の住まいは“剣術長屋”である。藩財政の浮沈すらなければ、建造されたであろう剣術道場の師範として活躍していたのは、じつは他ならないまだ若き日の文右衛門であったかもしれないのだ。
往時、まだ家老に昇進する前の主から、
『すでにご重臣方の了解は取り付けておるゆえ、初代剣術指南役として、大いに腕を奮ってもらいたい』
と、テラモンは伝えられていたのだが、その後の環境変化、すなわち藩財政の悪化などで、道場建設は頓挫した。そういう経緯がある。
つまりは、その一点でも、テラモンと佐々木世之介との間にはどこかしら見えない糸で細く長くつながっているようにもテラモンにはおもわれてくるのだった。
(はてさて……縁というものは、ほんに不可思議なものじゃ)
こうなれば、とことん世之介の剣技の芯というものを見極めてみたくなってきた。
その日、谷崎屋敷には帰らずに、その足で谷崎本邸へ向かった。谷崎家老と直談判するためであった。
テラモンの要望を聴いた谷崎は、
「なんと、佐々木由良之助との試合を……?」
と、目をしばたいた。テラモンの意図がつかめないのだ。
「種田どのはなんと申しておったのだ?」
種田武雄の名を出した谷崎は、由良之助との試合は種田の奇略なのかとおもったようであった。
「いえ、まだ、御耳には入れてはございませぬ」
「では、爺の独断なのか?」
「さようでございます。それがしが勝てば、佐々木様に、なにゆえ、これまで感謝のことばを口にしないのか、その理由を包み隠さずに述べていただく……それが条件でございます。このことを主より、直々に佐々木様に命じていただきたいのでございます」
……珍しくテラモンは多弁になった。
谷崎家老は谷崎で、まだテラモンの真意がつかめないでいた。それに一つ気掛かりなことがあった。老齢とはいえどテラモンの剣の腕前には絶対の信を置いている。けれど、最近、妙にテラモンの影が薄くなる……ときおり生気を喪くしてしまったふうに感ずることもあった。また、勝敗は時の運、ともいう。かりに佐々木由良之助が勝ちを手にした場合はどうなるのか……その一点を糺した。
すると、すんなり、テラモンは、
「新しくできる剣術道場の師範の座を、佐々木様に……」
「な、なんと……? もともと、そのほうを師範に推挙する予定であったが、建造が止まり、二十年余も経ってしまった。けれど、佐々木のような変人を抜擢せずとも、家中には、若手の剣遣いがいくらでもおろうが……」
「いえ、かの佐々木世之介こそ、隠れた逸材、近頃では珍しい居合の達人……と見てとりました」
「なに、あの変人が、か?」
「しかり……」
テラモンは先刻の様子を一部始終、谷崎家老に告げた。
「おそらく、それがしと仕合いましても、よくて引き分け、と存じまする」
「そ、それほどの腕前なのか、やつは?」
「しかり。それを確かめるためにも、切に試合を所望いたしたいのです」
「だがの、勝者のいない引き分けならば、仕合うたところで、佐々木の口から、感謝の弁を垂れない理由は聴き出せないと思うがの」
「そこはそれ、一度、仕合うと、それは個のすべてを曝け出すことと同義。必ずや、佐々木様の胸のうちを吐き出させてご覧にいれますゆえ」
なおもテラモンは引き下がらなかった。そのうちに谷崎家老自身が、ふたりの立ち合いをわが目で観戦したくなったようである。
佐々木由良之助がそれほどの腕というならば、剣術道場の師範に抜擢させてもいい。けれど、それには確とした理由が必要であろう。
「相わかった、ならば、わしが審判をするぞ。それに試合はあくまで非公開だ……」
「ひゃあ、ありがたきしあわせ……」
礼を述べたテラモンはひさかたぶりに熱いものがこみあげてきた。
(さても、これは佳き立ち合いになろうぞ)
テラモンは老剣客としての矜持というものが、おのれからまだすべてが失せていないことを知って、ふふふとほくそ笑んだ。それから嬉嬉として試合の準備に取りかかった……。
・・・・世之介の住まいは“剣術長屋”である。藩財政の浮沈すらなければ、建造されたであろう剣術道場の師範として活躍していたのは、じつは他ならないまだ若き日の文右衛門であったかもしれないのだ。
往時、まだ家老に昇進する前の主から、
『すでにご重臣方の了解は取り付けておるゆえ、初代剣術指南役として、大いに腕を奮ってもらいたい』
と、テラモンは伝えられていたのだが、その後の環境変化、すなわち藩財政の悪化などで、道場建設は頓挫した。そういう経緯がある。
つまりは、その一点でも、テラモンと佐々木世之介との間にはどこかしら見えない糸で細く長くつながっているようにもテラモンにはおもわれてくるのだった。
(はてさて……縁というものは、ほんに不可思議なものじゃ)
こうなれば、とことん世之介の剣技の芯というものを見極めてみたくなってきた。
その日、谷崎屋敷には帰らずに、その足で谷崎本邸へ向かった。谷崎家老と直談判するためであった。
テラモンの要望を聴いた谷崎は、
「なんと、佐々木由良之助との試合を……?」
と、目をしばたいた。テラモンの意図がつかめないのだ。
「種田どのはなんと申しておったのだ?」
種田武雄の名を出した谷崎は、由良之助との試合は種田の奇略なのかとおもったようであった。
「いえ、まだ、御耳には入れてはございませぬ」
「では、爺の独断なのか?」
「さようでございます。それがしが勝てば、佐々木様に、なにゆえ、これまで感謝のことばを口にしないのか、その理由を包み隠さずに述べていただく……それが条件でございます。このことを主より、直々に佐々木様に命じていただきたいのでございます」
……珍しくテラモンは多弁になった。
谷崎家老は谷崎で、まだテラモンの真意がつかめないでいた。それに一つ気掛かりなことがあった。老齢とはいえどテラモンの剣の腕前には絶対の信を置いている。けれど、最近、妙にテラモンの影が薄くなる……ときおり生気を喪くしてしまったふうに感ずることもあった。また、勝敗は時の運、ともいう。かりに佐々木由良之助が勝ちを手にした場合はどうなるのか……その一点を糺した。
すると、すんなり、テラモンは、
「新しくできる剣術道場の師範の座を、佐々木様に……」
「な、なんと……? もともと、そのほうを師範に推挙する予定であったが、建造が止まり、二十年余も経ってしまった。けれど、佐々木のような変人を抜擢せずとも、家中には、若手の剣遣いがいくらでもおろうが……」
「いえ、かの佐々木世之介こそ、隠れた逸材、近頃では珍しい居合の達人……と見てとりました」
「なに、あの変人が、か?」
「しかり……」
テラモンは先刻の様子を一部始終、谷崎家老に告げた。
「おそらく、それがしと仕合いましても、よくて引き分け、と存じまする」
「そ、それほどの腕前なのか、やつは?」
「しかり。それを確かめるためにも、切に試合を所望いたしたいのです」
「だがの、勝者のいない引き分けならば、仕合うたところで、佐々木の口から、感謝の弁を垂れない理由は聴き出せないと思うがの」
「そこはそれ、一度、仕合うと、それは個のすべてを曝け出すことと同義。必ずや、佐々木様の胸のうちを吐き出させてご覧にいれますゆえ」
なおもテラモンは引き下がらなかった。そのうちに谷崎家老自身が、ふたりの立ち合いをわが目で観戦したくなったようである。
佐々木由良之助がそれほどの腕というならば、剣術道場の師範に抜擢させてもいい。けれど、それには確とした理由が必要であろう。
「相わかった、ならば、わしが審判をするぞ。それに試合はあくまで非公開だ……」
「ひゃあ、ありがたきしあわせ……」
礼を述べたテラモンはひさかたぶりに熱いものがこみあげてきた。
(さても、これは佳き立ち合いになろうぞ)
テラモンは老剣客としての矜持というものが、おのれからまだすべてが失せていないことを知って、ふふふとほくそ笑んだ。それから嬉嬉として試合の準備に取りかかった……。
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