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第三話 殺らずの雨
岐路ふたたび
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テラモンの企略は、山本正二郎にはなかなか理解できなかった。けれど、ふさ恵が正二郎を急かし、ふたりで部屋を出ていこうとした。ふさ恵にはテラモンの意図がしっかりと汲み取れたのだろう。
「……ふさどのや、すでに木下様にはお会いになられたのかの」
テラモンが呼び止めた。
ふさ恵の祖父、木下太左衛門の消息を確認したのだ。
「いえ……」
ふさ恵は短く答えた。
「……この宿で一番上等な侍部屋にいるようなのです。ご無事ならば、それでいいのです。もしかすれば、祖父上さまは、曲者の目星をつけて、密かに探っておられるのやもしれませぬゆえ」
「ほ……なるほどの、痴呆を装っていると、みておられるのじゃな」
「当初は……そんな考えはまったくありませんでした。ただ、この舟宿にたむろする者たちのあまりにも雑多で異様なありさまをみて……」
「ひゃ、それぞれが、なにかを抱えている、装いながら生きておる……と、かように感得されたということじゃの。ならば、爺めもしばらくは会わずにおこうかの」
ぼそりとテラモンがつぶやいた。
ふさ恵と山本正二郎が出ていくと、入れ違いに姿を現したのは、田所源吾であった。
源吾はムスッとしたまま、テラモンと小野寺次郎右衛門をみても、何も言わなかった。大きめの鼻の穴を膨らませ、次郎右衛門の顔をちら見してから、竈の下に木を投げ入れた。
小野寺は誰も見ていない。
ぼぉっとしたままで視線が定まっていないのは、そばにいたテラモンにもわかった。惚けるとは、まさにこのことだろう。老齢のふさ恵の祖父のそれとは、また異なる。人は年齢や来歴に関係なく、たとえ若者であってもふいに惚けたくなる時、事があるにちがいなかった……。
「まだ迷いの中か……」
言ったのはテラモンではなく、源吾だった。
「……江戸には帰らないのか……わしは討たれてやると申したぞ! 嘘偽りではない。わしを討って帰れば、また、元通りの日がはじまるぞ」
源吾は言う。
かれもまた、ある意味でどこかで、惚けていたのかもしれない。そもそも誤解で生じた仇討ちというのに、なぜに源吾はあえて討たれてやろうとするのか……。
「おまえ様も、とうとう疲れてしまわれたのかの」
ふいに横から口を出したテラモンは、濡れた萱笠を乾かしている。それを回して窯に近づけながら、
「これから、仇討ちの真似事をまじめねばなるまいの……」
と、続けた。
「息を合わせ、ふたりで芝居を続けてもらわねばならぬ。公儀隠密か、あるいはどこぞの藩の忍びの者かわからねど、御城に忍び込み文書を盗んだ曲者を捕まえるために、そなたやにも助力を請わねばならぬようじゃ」
「ご、御老体……は、神坂藩の御役人でござろうや?」
源吾が訊くと、テラモンは首を横に振った。
「さにあらず。じゃが、いまそこにおった、山本正二郎さまは、山横目の任にあった御方……ここは、ふたりとも、騙されたつもりで、この爺めにご助力願いたい」
すると源吾は、
「……手ぬるいぞ」
と、語気を強めた。
「……おぬしらが探しているのが、隠密か密偵かは知らねども、相手は二本差とはかぎらぬぞ。わしはな、行商人の老人と小娘の二人連れが怪しいとみておる……仇討ちの芝居もいいが、せいぜいそちらのほうにも目を配ることだな」
「や!」と、テラモンが小声をあげた。
「おお、すでに、目星をつけておられたのか。それはありがたや」
テラモンが面をあげたとき、源吾はぷいとそのまま視線を逸らして出ていった。
「……ふさどのや、すでに木下様にはお会いになられたのかの」
テラモンが呼び止めた。
ふさ恵の祖父、木下太左衛門の消息を確認したのだ。
「いえ……」
ふさ恵は短く答えた。
「……この宿で一番上等な侍部屋にいるようなのです。ご無事ならば、それでいいのです。もしかすれば、祖父上さまは、曲者の目星をつけて、密かに探っておられるのやもしれませぬゆえ」
「ほ……なるほどの、痴呆を装っていると、みておられるのじゃな」
「当初は……そんな考えはまったくありませんでした。ただ、この舟宿にたむろする者たちのあまりにも雑多で異様なありさまをみて……」
「ひゃ、それぞれが、なにかを抱えている、装いながら生きておる……と、かように感得されたということじゃの。ならば、爺めもしばらくは会わずにおこうかの」
ぼそりとテラモンがつぶやいた。
ふさ恵と山本正二郎が出ていくと、入れ違いに姿を現したのは、田所源吾であった。
源吾はムスッとしたまま、テラモンと小野寺次郎右衛門をみても、何も言わなかった。大きめの鼻の穴を膨らませ、次郎右衛門の顔をちら見してから、竈の下に木を投げ入れた。
小野寺は誰も見ていない。
ぼぉっとしたままで視線が定まっていないのは、そばにいたテラモンにもわかった。惚けるとは、まさにこのことだろう。老齢のふさ恵の祖父のそれとは、また異なる。人は年齢や来歴に関係なく、たとえ若者であってもふいに惚けたくなる時、事があるにちがいなかった……。
「まだ迷いの中か……」
言ったのはテラモンではなく、源吾だった。
「……江戸には帰らないのか……わしは討たれてやると申したぞ! 嘘偽りではない。わしを討って帰れば、また、元通りの日がはじまるぞ」
源吾は言う。
かれもまた、ある意味でどこかで、惚けていたのかもしれない。そもそも誤解で生じた仇討ちというのに、なぜに源吾はあえて討たれてやろうとするのか……。
「おまえ様も、とうとう疲れてしまわれたのかの」
ふいに横から口を出したテラモンは、濡れた萱笠を乾かしている。それを回して窯に近づけながら、
「これから、仇討ちの真似事をまじめねばなるまいの……」
と、続けた。
「息を合わせ、ふたりで芝居を続けてもらわねばならぬ。公儀隠密か、あるいはどこぞの藩の忍びの者かわからねど、御城に忍び込み文書を盗んだ曲者を捕まえるために、そなたやにも助力を請わねばならぬようじゃ」
「ご、御老体……は、神坂藩の御役人でござろうや?」
源吾が訊くと、テラモンは首を横に振った。
「さにあらず。じゃが、いまそこにおった、山本正二郎さまは、山横目の任にあった御方……ここは、ふたりとも、騙されたつもりで、この爺めにご助力願いたい」
すると源吾は、
「……手ぬるいぞ」
と、語気を強めた。
「……おぬしらが探しているのが、隠密か密偵かは知らねども、相手は二本差とはかぎらぬぞ。わしはな、行商人の老人と小娘の二人連れが怪しいとみておる……仇討ちの芝居もいいが、せいぜいそちらのほうにも目を配ることだな」
「や!」と、テラモンが小声をあげた。
「おお、すでに、目星をつけておられたのか。それはありがたや」
テラモンが面をあげたとき、源吾はぷいとそのまま視線を逸らして出ていった。
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