8 / 61
第一話 家宝は寝て持て!
ゴンさん、登場!
しおりを挟む
それにしても……と佐吉は驚くよりも嘆いていた。
なぜ、この場に、わざわざ長山権兵衛が登場してしまうのか……。
ゴンさんさえ現れなければ、せっかく気を利かせてくれたテラモンとともに、堂々と胸を張って屋敷から外へ出られたものを……と、佐吉は権兵衛を恨んだ。
権兵衛と目が合った。
かれのほうが異様な物の怪と遭遇したかのようにギロリと眼光を光らせた。
けれど、なにも言わない。
テラモンはテラモンで、二歩後退った。左手を脇差の鞘口に添えている。おそらく、平野屋の家人たちの動きを牽制していたのであったろう。そうと察して、佐吉は、
(テラさんは、ほんに、不思議な御仁だわい……)
と、半ば驚き、半ば意外な展開に動悸が揺れていた。
松明の灯がもたらす影の明暗が、テラモンの皺だらけの貌を、さらに妖しさを含んだこの世のものとはおもえない、或る種の幻覚めいた光景をそこに現出させていた。その異様さが、先刻まで周囲に充ちていた殺気を掻き消したようであった。
さて、これからどうなるのか、と佐吉が他人事のように思ったとき、権兵衛がひょいと縁台から降りて、松明に近づくと、突然、腕に抱えていた巻軸を一幅、ぽいと炎のなかに投じた。
「ひゃ、な、長山さま、な、なにをなさる……」
平野屋の主人が慌てて権兵衛に近づこうとした。
すると。
……なんと、滔々と権兵衛は喋り出したのである。
半年ともにいた佐吉ですら、権兵衛の生の声を聴いたのは珍しいことであった。
「……主人どのよ、拙者がこの地に来たのは、まさに御当家に用があったからでござる」
「な、長山さま、一体、な、なんのことで……」
「……鳥取でな、ことのほか世話になり申した某商家があった……ちょっとした借金をした挙句、高利を要求され一家離散の憂目に遭うてしまわれた……。借り先は平野屋……拙者は何もでき申さぬが、まあ、これぐらいはよろしかろうて」
謡を舞うごときしぐさで権兵衛は、もう一幅、もう一幅と巻軸を炎のなかへ放り込んだ……。
ふいに、権兵衛と佐吉との目が合った。
互いの視線が絡み合ったが、双方、何も言わない。
権兵衛はまだ喋り続けている……。
「……のう、主人どの、ここに居る弥左衛門と申す者、かつて、世間を騒がせた盗賊空狐の一味に相違あるまいぞよ! 一家皆殺しの非道を繰り返してきた悪人ぞ!まさかそのような悪人と懇意になさるは、これ、御当家不運の兆しなりと心得候へ」
権兵衛の声は、白み始めた夜明けの気配のなかに溶け込むように凛として響き渡った。
「ゴ、ゴンさん……」
佐吉は感動の渦のなかにいた。
なんといい声質なのだろう、男惚れするような権兵衛の声は、お珠には勿体無いかもしれない……。いや。そんなことを一瞬なりとも想像してしまったおのれを佐吉は恥じた。
平野屋の家人たちは一斉に弥左衛門を取り囲んだ。
テラモンは動かない。
ただ、権兵衛がどのように始末をつけるのかを見極めようとしていたのであったろう。
権兵衛に名指しされた弥左衛門は、刀を手にしていない。
ただ不吉な笑みを浮かべつつ、半歩、半歩と、権兵衛との間合いを圧していく。
そのときである。
佐吉は視た。
器用にも片腕に巻軸や冊子を抱えたまま、脇差を抜いて小走りに弥左衛門に向っていった権兵衛の姿を……。
弥左衛門に近づくと、刃で頸を撫でた権兵衛は、その動作のまま、くるりと背後に回って頸の付け根を突いた。
数瞬の出来事であった。
片腕のなかの巻軸が、権兵衛の手を離れてぱっと宙に待った。
すると、権兵衛は剽軽にも、もう一度、大きな欠伸をしながら、佐吉を視た。
「おお、棟梁、わざわざお出迎えでござるか」
「ご、ゴンさん……」
そのとき、佐吉はふたたび視たのだ。家人の一人が短刀を権兵衛に向けて走り来る姿を……。おそらく弥左衛門の仲間の一人であったにちがいない。平野屋に潜んで弥左衛門を手引し、機会を窺っていたのだろう。
「ひゃあ」
誰が叫んだ声であったろうか。
佐吉は最後の武器、小型の鑿を投げた。異変に気づいた権兵衛がくるりと踵を返しざま、脇差しで襲来を防いだ。
相手の胸には……佐吉の鑿が突き刺さっていた。
「ひゃあ」
今度は佐吉が叫んだ。
心ならずもまたもや人を殺めてしまったのだ。
事情はどうあれ、このまま、この地を離れるべきだとおもった。そうしなければ、お珠を巻き添えにしてしまう……。
「ご、ゴンさん……み、見事な……」
佐吉が言った。
見事な声、と伝えたつもりなのだが、権兵衛は悪人を成敗した秘技のことを褒められたのだと勘違いしたらしい。
「いや、なに……」
権兵衛が答えた。
「……家伝来の居合でござる。戦場で敵の大将首を掻っ切る卑しき技……いまの世には、まったく役には立ち申さぬ」
なるほど、と佐吉は感嘆した。
災いの根というものは、早いうちに、断ち切るしかあるまい……。
やはり、身を隠そうと佐吉は決めた。
それがお珠のためでもあろう。独り善がりかもしれないが、そうすべきだと佐吉はおもった。
去り際に権兵衛の耳元で佐吉はぼそりと囁いた。
「……そのうち、こっそり、孫の顔でも見に戻ってくるから」
そう言い残し、佐吉は塀をよじ登った。テラモンの視線が自分を追っていることに気づき、佐吉はその老剣客に深々と目礼を送ると、そのまま塀の向こうに消えた。
地にばら撒かれた巻軸を慌ただしく集めて埃を払い、縁台に置く家人たちの姿を横目でながめつつ、権兵衛はさも退屈げにのびをした。
そして、足下の屍体を見下ろしながら、テラモンにこくりと頭を下げた。
「ご貴殿のおかけで、騒ぎをなんとか収めることができました。感謝いたす」
すると、テラモンは首を横に振って、
「いや、傍観していただけのこと……礼などご無用に」
と、答えた。
すると、権兵衛は、漫然と囁くようにつぶやいた。
「おお、やっと、夜が明けましたなあ」
なぜ、この場に、わざわざ長山権兵衛が登場してしまうのか……。
ゴンさんさえ現れなければ、せっかく気を利かせてくれたテラモンとともに、堂々と胸を張って屋敷から外へ出られたものを……と、佐吉は権兵衛を恨んだ。
権兵衛と目が合った。
かれのほうが異様な物の怪と遭遇したかのようにギロリと眼光を光らせた。
けれど、なにも言わない。
テラモンはテラモンで、二歩後退った。左手を脇差の鞘口に添えている。おそらく、平野屋の家人たちの動きを牽制していたのであったろう。そうと察して、佐吉は、
(テラさんは、ほんに、不思議な御仁だわい……)
と、半ば驚き、半ば意外な展開に動悸が揺れていた。
松明の灯がもたらす影の明暗が、テラモンの皺だらけの貌を、さらに妖しさを含んだこの世のものとはおもえない、或る種の幻覚めいた光景をそこに現出させていた。その異様さが、先刻まで周囲に充ちていた殺気を掻き消したようであった。
さて、これからどうなるのか、と佐吉が他人事のように思ったとき、権兵衛がひょいと縁台から降りて、松明に近づくと、突然、腕に抱えていた巻軸を一幅、ぽいと炎のなかに投じた。
「ひゃ、な、長山さま、な、なにをなさる……」
平野屋の主人が慌てて権兵衛に近づこうとした。
すると。
……なんと、滔々と権兵衛は喋り出したのである。
半年ともにいた佐吉ですら、権兵衛の生の声を聴いたのは珍しいことであった。
「……主人どのよ、拙者がこの地に来たのは、まさに御当家に用があったからでござる」
「な、長山さま、一体、な、なんのことで……」
「……鳥取でな、ことのほか世話になり申した某商家があった……ちょっとした借金をした挙句、高利を要求され一家離散の憂目に遭うてしまわれた……。借り先は平野屋……拙者は何もでき申さぬが、まあ、これぐらいはよろしかろうて」
謡を舞うごときしぐさで権兵衛は、もう一幅、もう一幅と巻軸を炎のなかへ放り込んだ……。
ふいに、権兵衛と佐吉との目が合った。
互いの視線が絡み合ったが、双方、何も言わない。
権兵衛はまだ喋り続けている……。
「……のう、主人どの、ここに居る弥左衛門と申す者、かつて、世間を騒がせた盗賊空狐の一味に相違あるまいぞよ! 一家皆殺しの非道を繰り返してきた悪人ぞ!まさかそのような悪人と懇意になさるは、これ、御当家不運の兆しなりと心得候へ」
権兵衛の声は、白み始めた夜明けの気配のなかに溶け込むように凛として響き渡った。
「ゴ、ゴンさん……」
佐吉は感動の渦のなかにいた。
なんといい声質なのだろう、男惚れするような権兵衛の声は、お珠には勿体無いかもしれない……。いや。そんなことを一瞬なりとも想像してしまったおのれを佐吉は恥じた。
平野屋の家人たちは一斉に弥左衛門を取り囲んだ。
テラモンは動かない。
ただ、権兵衛がどのように始末をつけるのかを見極めようとしていたのであったろう。
権兵衛に名指しされた弥左衛門は、刀を手にしていない。
ただ不吉な笑みを浮かべつつ、半歩、半歩と、権兵衛との間合いを圧していく。
そのときである。
佐吉は視た。
器用にも片腕に巻軸や冊子を抱えたまま、脇差を抜いて小走りに弥左衛門に向っていった権兵衛の姿を……。
弥左衛門に近づくと、刃で頸を撫でた権兵衛は、その動作のまま、くるりと背後に回って頸の付け根を突いた。
数瞬の出来事であった。
片腕のなかの巻軸が、権兵衛の手を離れてぱっと宙に待った。
すると、権兵衛は剽軽にも、もう一度、大きな欠伸をしながら、佐吉を視た。
「おお、棟梁、わざわざお出迎えでござるか」
「ご、ゴンさん……」
そのとき、佐吉はふたたび視たのだ。家人の一人が短刀を権兵衛に向けて走り来る姿を……。おそらく弥左衛門の仲間の一人であったにちがいない。平野屋に潜んで弥左衛門を手引し、機会を窺っていたのだろう。
「ひゃあ」
誰が叫んだ声であったろうか。
佐吉は最後の武器、小型の鑿を投げた。異変に気づいた権兵衛がくるりと踵を返しざま、脇差しで襲来を防いだ。
相手の胸には……佐吉の鑿が突き刺さっていた。
「ひゃあ」
今度は佐吉が叫んだ。
心ならずもまたもや人を殺めてしまったのだ。
事情はどうあれ、このまま、この地を離れるべきだとおもった。そうしなければ、お珠を巻き添えにしてしまう……。
「ご、ゴンさん……み、見事な……」
佐吉が言った。
見事な声、と伝えたつもりなのだが、権兵衛は悪人を成敗した秘技のことを褒められたのだと勘違いしたらしい。
「いや、なに……」
権兵衛が答えた。
「……家伝来の居合でござる。戦場で敵の大将首を掻っ切る卑しき技……いまの世には、まったく役には立ち申さぬ」
なるほど、と佐吉は感嘆した。
災いの根というものは、早いうちに、断ち切るしかあるまい……。
やはり、身を隠そうと佐吉は決めた。
それがお珠のためでもあろう。独り善がりかもしれないが、そうすべきだと佐吉はおもった。
去り際に権兵衛の耳元で佐吉はぼそりと囁いた。
「……そのうち、こっそり、孫の顔でも見に戻ってくるから」
そう言い残し、佐吉は塀をよじ登った。テラモンの視線が自分を追っていることに気づき、佐吉はその老剣客に深々と目礼を送ると、そのまま塀の向こうに消えた。
地にばら撒かれた巻軸を慌ただしく集めて埃を払い、縁台に置く家人たちの姿を横目でながめつつ、権兵衛はさも退屈げにのびをした。
そして、足下の屍体を見下ろしながら、テラモンにこくりと頭を下げた。
「ご貴殿のおかけで、騒ぎをなんとか収めることができました。感謝いたす」
すると、テラモンは首を横に振って、
「いや、傍観していただけのこと……礼などご無用に」
と、答えた。
すると、権兵衛は、漫然と囁くようにつぶやいた。
「おお、やっと、夜が明けましたなあ」
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖 豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?
海善紙葉
歴史・時代
●青春真っ盛り・話題てんこ盛り時代小説
現在、アルファポリスのみで公開中。
*️⃣表紙イラスト︰武藤 径 さん。ありがとうございます、感謝です🤗
武藤径さん https://estar.jp/users/157026694
タイトル等は紙葉が挿入しました😊
●おとき。17歳。「世直しおとき」の異名を持つ。
●おときの幼馴染のお民が殺された。役人は、心中事件として処理しようとするが、おときはどうしても納得できない。
お民は、大坂の豪商・淀屋辰五郎の妾になっていたという。おときは、この淀辰が怪しいとにらんで、捜査を開始。
●一方、幕閣の柳沢吉保も、淀屋失脚を画策。実在(史実)の淀屋辰五郎没落の謎をも巻き込みながら、おときは、モン様こと「近松門左衛門」と二人で、事の真相に迫っていく。
✳おおさか
江戸時代は「大坂」の表記。明治以降「大阪」表記に。物語では、「大坂」で統一しています。
□主な登場人物□
おとき︰主人公
お民︰おときの幼馴染
伊左次(いさじ)︰寺島家の職人頭。おときの用心棒、元武士
寺島惣右衛門︰公儀御用瓦師・寺島家の当主。おときの父。
モン様︰近松門左衛門。おときは「モン様」と呼んでいる。
久富大志郎︰23歳。大坂西町奉行所同心
分部宗一郎︰大坂城代土岐家の家臣。城代直属の市中探索目附
淀屋辰五郎︰なにわ長者と呼ばれた淀屋の五代目。淀辰と呼ばれる。
大曽根兵庫︰分部とは因縁のある武士。
福島源蔵︰江戸からやってきた侍。伊左次を仇と付け狙う。
西海屋徳右衛門︰
清兵衛︰墨屋の職人
ゴロさん︰近松門左衛門がよく口にする謎の人物
お駒︰淀辰の妾
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる