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第一話 家宝は寝て持て!

ゴンさん、登場!

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 それにしても……と佐吉は驚くよりも嘆いていた。
 なぜ、この場に、わざわざ長山権兵衛が登場してしまうのか……。
 ゴンさんさえ現れなければ、せっかく気をかせてくれたテラモンとともに、堂々と胸を張って屋敷から外へ出られたものを……と、佐吉は権兵衛をうらんだ。
 権兵衛と目が合った。
 かれのほうが異様な物のと遭遇したかのようにギロリと眼光を光らせた。
 けれど、なにも言わない。
 テラモンはテラモンで、二歩後退あとずさった。左手を脇差の鞘口に添えている。おそらく、平野屋の家人たちの動きを牽制していたのであったろう。そうと察して、佐吉は、
(テラさんは、ほんに、不思議な御仁ごじんだわい……)
と、半ば驚き、半ば意外な展開に動悸がれていた。

 松明の灯がもたらす影の明暗が、テラモンの皺だらけのかおを、さらに妖しさを含んだこの世のものとはおもえない、或る種の幻覚めいた光景をそこに現出させていた。その異様さが、先刻さっきまで周囲にちていた殺気を掻き消したようであった。
 さて、これからどうなるのか、と佐吉が他人事ひとごとのように思ったとき、権兵衛がひょいと縁台から降りて、松明に近づくと、突然、腕に抱えていた巻軸を一幅いっぷく、ぽいと炎のなかに投じた。

「ひゃ、な、長山さま、な、なにをなさる……」

 平野屋の主人あるじが慌てて権兵衛に近づこうとした。
 すると。
 ……なんと、滔々とうとうと権兵衛は喋り出したのである。
 半年ともにいた佐吉ですら、権兵衛のなまの声を聴いたのは珍しいことであった。

「……主人あるじどのよ、拙者それがしがこの地に来たのは、まさに御当家に用があったからでござる」

「な、長山さま、一体、な、なんのことで……」

「……鳥取でな、ことのほか世話になり申したある商家があった……ちょっとした借金をした挙句、高利を要求され一家離散の憂目うきめうてしまわれた……。借り先は平野屋……拙者は何もでき申さぬが、まあ、これぐらいはよろしかろうて」

 うたいを舞うごときしぐさで権兵衛は、もう一幅、もう一幅と巻軸を炎のなかへ放り込んだ……。
 ふいに、権兵衛と佐吉との目が合った。
 互いの視線がからみ合ったが、双方、何も言わない。
 権兵衛はまだ喋り続けている……。

「……のう、主人あるじどの、ここにる弥左衛門と申す者、かつて、世間を騒がせた盗賊空狐からぎつねの一味に相違あるまいぞよ! 一家皆殺しの非道を繰り返してきた悪人ぞ!まさかそのような悪人と懇意になさるは、これ、御当家不運の兆しなりと心得こころえそうらへ」

 権兵衛の声は、白み始めた夜明けの気配のなかに溶け込むようにりんとして響き渡った。

「ゴ、ゴンさん……」

 佐吉は感動の渦のなかにいた。
 なんといい声質なのだろう、男惚おとこぼれするような権兵衛の声は、お珠には勿体無いかもしれない……。いや。そんなことを一瞬なりとも想像してしまったおのれを佐吉は恥じた。

 平野屋の家人たちは一斉に弥左衛門を取り囲んだ。
 テラモンは動かない。
 ただ、権兵衛がどのように始末をつけるのかを見極めようとしていたのであったろう。
 権兵衛に名指しされた弥左衛門は、刀を手にしていない。
 ただ不吉な笑みを浮かべつつ、半歩、半歩と、権兵衛との間合いを圧していく。
 そのときである。
 佐吉は視た。
 器用にも片腕に巻軸や冊子を抱えたまま、脇差を抜いて小走りに弥左衛門に向っていった権兵衛の姿を……。

 弥左衛門に近づくと、刃で頸を撫でた権兵衛は、その動作のまま、くるりと背後に回って頸の付け根を突いた。
 数瞬せつなの出来事であった。

 片腕のなかの巻軸が、権兵衛の手を離れてぱっと宙に待った。
 すると、権兵衛は剽軽ひょうきんにも、もう一度、大きな欠伸あくびをしながら、佐吉を視た。

「おお、棟梁、わざわざお出迎えでござるか」
「ご、ゴンさん……」

 そのとき、佐吉はふたたび視たのだ。家人の一人が短刀を権兵衛に向けて走り来る姿を……。おそらく弥左衛門の仲間の一人であったにちがいない。平野屋に潜んで弥左衛門を手引し、機会をうかがっていたのだろう。

「ひゃあ」

 誰が叫んだ声であったろうか。
 佐吉は最後の武器、小型ののみを投げた。異変に気づいた権兵衛がくるりときびすを返しざま、脇差しで襲来を防いだ。
 相手の胸には……佐吉の鑿が突き刺さっていた。

「ひゃあ」

 今度は佐吉が叫んだ。
 心ならずもまたもや人をあやめてしまったのだ。
 事情はどうあれ、このまま、この地を離れるべきだとおもった。そうしなければ、お珠を巻き添えにしてしまう……。

「ご、ゴンさん……み、見事な……」

 佐吉が言った。
 見事な声、と伝えたつもりなのだが、権兵衛は悪人を成敗せいばいした秘技のことをめられたのだと勘違いしたらしい。

「いや、なに……」

 権兵衛が答えた。

「……家伝来の居合いあいでござる。戦場いくさばで敵の大将首を掻っ切る卑しき技……いまの世には、まったく役には立ち申さぬ」

 なるほど、と佐吉は感嘆した。
 災いの根というものは、早いうちに、断ち切るしかあるまい……。
 やはり、身を隠そうと佐吉は決めた。
 それがお珠のためでもあろう。ひとがりかもしれないが、そうすべきだと佐吉はおもった。

 去りぎわに権兵衛の耳元で佐吉はぼそりと囁いた。

「……そのうち、こっそり、孫の顔でも見に戻ってくるから」

 そう言い残し、佐吉は塀をよじ登った。テラモンの視線が自分を追っていることに気づき、佐吉はその老剣客に深々と目礼を送ると、そのまま塀の向こうに消えた。

 地にばらかれた巻軸を慌ただしく集めて埃を払い、縁台に置く家人たちの姿を横目でながめつつ、権兵衛はさも退屈げにのびをした。
 そして、足下の屍体を見下ろしながら、テラモンにこくりと頭を下げた。

「ご貴殿のおかけで、騒ぎをなんとかおさめることができました。感謝いたす」

 すると、テラモンは首を横に振って、
「いや、傍観していただけのこと……礼などご無用に」
と、答えた。
 すると、権兵衛は、漫然と囁くようにつぶやいた。
「おお、やっと、夜が明けましたなあ」
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