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レンタル料金
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このところ夜の空……は、なにかとアクシデント続きだった。
たとえば、せっかくのデート中にそっと見上げた夜空には……なぁんにもないのだ。ほんのひとかけらのロマンティック効果もないのだ。なぜなら視覚に入る夜空には、ぽっかりと空白(そう、文字通りの意味だ)ができていて、まるで巨大なジグソーパズルのひとコマがなくなったかのように、その部分だけ夜空が消えるのだった……。
何年か周期で訪れる有名な彗星を眺めようと期待に胸を膨らませて夜空を見上げても、誰かにレンタルされている間は、なにも見えない、なにも感じない。
……こんなことが続くと、さすがに夜空は、金持ち連中に占有されてしまったようにもおもえてくる。実際のところ、タカは
(こりゃ、テロでもするしかないのかなぁ)
などと毎朝そうおもうのだ。けれど、夜空に殴り込むことなどできようはずもなく、かりに一晩でも、夜空ジャックするとしたら、8時間としても、2万8800秒。夜空のレンタル料は、最近のレートでは〈1秒10万円〉なので、一晩のレンタルだけで、ざっと28億8000万円かかる計算になる……。
「ったく……いいかげんにしろよなァ」
朝からぶつくさ望遠レンズを拭きながら、タカはその日もぶつくさぼやいていた。部室には誰もいない。けれど昨夜のことを思い出すたびに、辛言は止まらない。
……写真部の貴は、年に二回開催される写真コンテストに応募するために、毎夜、とっておきのスポットに陣取って一眼レフカメラを三脚に据え付け、待ち構えていると、突然、夜空の一部がぼよよんとかすみ、あたかもその部分だけぽっかりと穴があいたような、そこだけがすべての色彩を失ったかのような、本来あるべきものをどこかに置き忘れてきたかのように、一定時間、夜空ではなくなってしまうのだ。
「あぁぁあ……やってられねえ」
一度や二度ならまだ我慢できる。三度目の正直に賭ける希望もあるからだ。けれど、三度どころか、誰かのレンタル夜空発動が毎夜毎夜続くとこれは写真撮影ができないことを意味している。
「待てよ……撮影だけなら3分……いや、事前にセッティングして、シャッターのレリーズボタンを握りしめていれば、30秒さえあれば……」
とも、タカはおもう。1分の“レンタル夜空”は600万円。30秒なら300万円。それでも高2のタカには目から星が出るほどの金額になる……。
「まてよ……」
と、かつてかれは考えてみたこともあった。
一晩丸々“レンタル夜空”する大金持ちはそうそういないはずだ。小刻みに発動される“レンタル夜空”の隙間を縫うように寝ずにじっと待ち構えていればシャッターチャンスは逃さないはずだと考え、それを実行してもきたが、やはりダメだった。構図にこだわるタカにしてみれば、やはり30秒で処理するのは至難の技だ。
その朝、部室でぶつぶつと辛言を繰り返しているタカにストレートなふれーを投げかけてきた声が響いた。
女の声だ。
「でも、今夜も行くんでしょ?」
振り向くと、惠が笑っていた。隣りには天体観測クラブの部室があって、壁ではなくカーテンで仕切られているだけだ。天体と写真は切ってもきれない関係にある……。
「……そんなに腹が立つなら、いっそのこと、レンタルしちゃえばいいじゃない?」
意味ありげに言うメグは、それでもタカをからかっているふうにはみえない。それどころか天体観測クラブも、夜空の一部だけがぼよよんと空間がたわみ、その部分だけがモザイクがかかるので、天体観測どころではなくなる日が続いていたのだ。
誰かが“レンタル夜空”を発動したのだろう……。レンタルした権利者およびその関係者しか、本物の夜空を見ることはできない。
「レンタル夜空料金、一秒で10万円だぞぉ……1分でも600万! いったい、そんな金どこにあるんだよぉ」
かりに、中高生、いや、大学も含め、写真や天体観測に関係する全国の生徒、学生から寄付を募ったとしても、また、その親からもせしめたとしても、せいぜいほんの数分レンタルできるかできないかだろう。まして、全国の生徒や関係者に呼びかけたとしても、何ヶ月もかかる。
……そんなことは、メグだって分かっている。
「だ、か、ら、お金のことは、今はやりのクラウドファンディングをやってみるとか……」
メグはそう言ったものの、高校生にそれが可能かどうかは不明だ。保護者の名を借りたとしても、すでに“レンタル夜空”関連のクラウドファンディングは、それこそ雨後の筍のごとく登場して世間を賑せている。
「ふん、手っ取り早く強盗でも……やっか」
冗談としてもタカがそんなことを口をするのは、よほど腹を立てている証拠だ。
「うーん、これは、明確なる犯意の芽生え、というやつね……うふふ」
「なに? なんか、つっかかるなあ」
「ちがうよ、ちがう、ちがう、あたしらもね、かなり腹立ってるし」
「…………」
「でね、いろいろ、みんなと対策を考えてたら、貴クン、小さい頃、お父さんがお誕生日のプレゼントかなにかで、レンタル夜空したってことを聴いて……」
「ん……?」
「ね、レンタル夜空してもらって、どんな感じだったかなってさ、ふとおもったから」
ぼそりとメグはいった。
ぼそり。
突っ込んで根掘り葉掘り聴きたいのだろうけど、そこはそれ、ちょっぴり控え目に、相手の虚栄心をくすぐるように、メグは声のトーンを抑えている。
予想通り、タカは何も言わない、返して来ない。
しかたなく、メグは、
「……ちょうどね、いま、交通遺児を励ますボランティアをやってて、その子たちにさ、レンタル夜空、してあげたいなあって……」
と、続けた。
ぐさり。
……と、タカの胸に何かが刺さった。かれもまた、交通遺児ではないものの、父母はいない。
レンタル夜空を父がプレゼントしてくれたのは八月、そしてその翌日、警察の出頭要請を蹴って逃亡したはずである。それから半年も経たないうちに病弱だった母は逝ってしまった。タカが9歳のときだった。
そして。いまだに父の行方はしれない。
どうやらメグには、自分が関わっている市民ボランティアのグルーブにタカを誘う魂胆があるらしかった。だから、さきほどから、“ぼそり・ぐさり作戦”でそのことを仄めかそうとしていたのだろう。
「さあ、そんな大昔のこと、忘れちまったな」
吐き捨てるように言うとタカは椅子を蹴らんばかりの大きな音を残して出ていった。それでも、メグはため息を吐かない。瞳をさらりと細め、なにやら考え込む表情になって、ぷいと横を向いたままの椅子を、ゆっくりと元に戻した……。
たとえば、せっかくのデート中にそっと見上げた夜空には……なぁんにもないのだ。ほんのひとかけらのロマンティック効果もないのだ。なぜなら視覚に入る夜空には、ぽっかりと空白(そう、文字通りの意味だ)ができていて、まるで巨大なジグソーパズルのひとコマがなくなったかのように、その部分だけ夜空が消えるのだった……。
何年か周期で訪れる有名な彗星を眺めようと期待に胸を膨らませて夜空を見上げても、誰かにレンタルされている間は、なにも見えない、なにも感じない。
……こんなことが続くと、さすがに夜空は、金持ち連中に占有されてしまったようにもおもえてくる。実際のところ、タカは
(こりゃ、テロでもするしかないのかなぁ)
などと毎朝そうおもうのだ。けれど、夜空に殴り込むことなどできようはずもなく、かりに一晩でも、夜空ジャックするとしたら、8時間としても、2万8800秒。夜空のレンタル料は、最近のレートでは〈1秒10万円〉なので、一晩のレンタルだけで、ざっと28億8000万円かかる計算になる……。
「ったく……いいかげんにしろよなァ」
朝からぶつくさ望遠レンズを拭きながら、タカはその日もぶつくさぼやいていた。部室には誰もいない。けれど昨夜のことを思い出すたびに、辛言は止まらない。
……写真部の貴は、年に二回開催される写真コンテストに応募するために、毎夜、とっておきのスポットに陣取って一眼レフカメラを三脚に据え付け、待ち構えていると、突然、夜空の一部がぼよよんとかすみ、あたかもその部分だけぽっかりと穴があいたような、そこだけがすべての色彩を失ったかのような、本来あるべきものをどこかに置き忘れてきたかのように、一定時間、夜空ではなくなってしまうのだ。
「あぁぁあ……やってられねえ」
一度や二度ならまだ我慢できる。三度目の正直に賭ける希望もあるからだ。けれど、三度どころか、誰かのレンタル夜空発動が毎夜毎夜続くとこれは写真撮影ができないことを意味している。
「待てよ……撮影だけなら3分……いや、事前にセッティングして、シャッターのレリーズボタンを握りしめていれば、30秒さえあれば……」
とも、タカはおもう。1分の“レンタル夜空”は600万円。30秒なら300万円。それでも高2のタカには目から星が出るほどの金額になる……。
「まてよ……」
と、かつてかれは考えてみたこともあった。
一晩丸々“レンタル夜空”する大金持ちはそうそういないはずだ。小刻みに発動される“レンタル夜空”の隙間を縫うように寝ずにじっと待ち構えていればシャッターチャンスは逃さないはずだと考え、それを実行してもきたが、やはりダメだった。構図にこだわるタカにしてみれば、やはり30秒で処理するのは至難の技だ。
その朝、部室でぶつぶつと辛言を繰り返しているタカにストレートなふれーを投げかけてきた声が響いた。
女の声だ。
「でも、今夜も行くんでしょ?」
振り向くと、惠が笑っていた。隣りには天体観測クラブの部室があって、壁ではなくカーテンで仕切られているだけだ。天体と写真は切ってもきれない関係にある……。
「……そんなに腹が立つなら、いっそのこと、レンタルしちゃえばいいじゃない?」
意味ありげに言うメグは、それでもタカをからかっているふうにはみえない。それどころか天体観測クラブも、夜空の一部だけがぼよよんと空間がたわみ、その部分だけがモザイクがかかるので、天体観測どころではなくなる日が続いていたのだ。
誰かが“レンタル夜空”を発動したのだろう……。レンタルした権利者およびその関係者しか、本物の夜空を見ることはできない。
「レンタル夜空料金、一秒で10万円だぞぉ……1分でも600万! いったい、そんな金どこにあるんだよぉ」
かりに、中高生、いや、大学も含め、写真や天体観測に関係する全国の生徒、学生から寄付を募ったとしても、また、その親からもせしめたとしても、せいぜいほんの数分レンタルできるかできないかだろう。まして、全国の生徒や関係者に呼びかけたとしても、何ヶ月もかかる。
……そんなことは、メグだって分かっている。
「だ、か、ら、お金のことは、今はやりのクラウドファンディングをやってみるとか……」
メグはそう言ったものの、高校生にそれが可能かどうかは不明だ。保護者の名を借りたとしても、すでに“レンタル夜空”関連のクラウドファンディングは、それこそ雨後の筍のごとく登場して世間を賑せている。
「ふん、手っ取り早く強盗でも……やっか」
冗談としてもタカがそんなことを口をするのは、よほど腹を立てている証拠だ。
「うーん、これは、明確なる犯意の芽生え、というやつね……うふふ」
「なに? なんか、つっかかるなあ」
「ちがうよ、ちがう、ちがう、あたしらもね、かなり腹立ってるし」
「…………」
「でね、いろいろ、みんなと対策を考えてたら、貴クン、小さい頃、お父さんがお誕生日のプレゼントかなにかで、レンタル夜空したってことを聴いて……」
「ん……?」
「ね、レンタル夜空してもらって、どんな感じだったかなってさ、ふとおもったから」
ぼそりとメグはいった。
ぼそり。
突っ込んで根掘り葉掘り聴きたいのだろうけど、そこはそれ、ちょっぴり控え目に、相手の虚栄心をくすぐるように、メグは声のトーンを抑えている。
予想通り、タカは何も言わない、返して来ない。
しかたなく、メグは、
「……ちょうどね、いま、交通遺児を励ますボランティアをやってて、その子たちにさ、レンタル夜空、してあげたいなあって……」
と、続けた。
ぐさり。
……と、タカの胸に何かが刺さった。かれもまた、交通遺児ではないものの、父母はいない。
レンタル夜空を父がプレゼントしてくれたのは八月、そしてその翌日、警察の出頭要請を蹴って逃亡したはずである。それから半年も経たないうちに病弱だった母は逝ってしまった。タカが9歳のときだった。
そして。いまだに父の行方はしれない。
どうやらメグには、自分が関わっている市民ボランティアのグルーブにタカを誘う魂胆があるらしかった。だから、さきほどから、“ぼそり・ぐさり作戦”でそのことを仄めかそうとしていたのだろう。
「さあ、そんな大昔のこと、忘れちまったな」
吐き捨てるように言うとタカは椅子を蹴らんばかりの大きな音を残して出ていった。それでも、メグはため息を吐かない。瞳をさらりと細め、なにやら考え込む表情になって、ぷいと横を向いたままの椅子を、ゆっくりと元に戻した……。
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