千里さんは、なびかない

黒瀬 ゆう

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うまく言葉にできなくて

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 ホールは写真で見るよりもはるかに広かった。スマホでダウンロードしていたマップを早速見比べる。
 私は専ら恋愛小説が好きだから、気になる出店者に目星をつけていた。ジャンルは小説だけでざっと十はあるだろう。その他に詩や短歌、エッセイに辞典なんかもある。
 こんなイベント、参加するの初めて。見るもの全てが新鮮で、ワクワクしてきた。


 「ブース、どこ?」
 「Fのい、だって」
 「結構奥だ。色々見ながら行こう」


 通路に入ると、自然とブースに目がいってしまう。どこを見ても本、本、本。色んな表紙と会話が飛び交っている。前までの私だったら気絶していた。
 そんなとき、斜め前の売り子をしているお姉さんと目が合った。
 
 「既刊セール中です! どうですか!」


 高い澄んだ声と、ぶんぶんと音が聞こえてそうなくらい手を振ってきた。可愛い。微笑まれてしまったら、もう立ち止まるしかない。隣の今宮も、心無しか鼻が伸びている気がする。生身の女、いや人間には興味が無さそうだったが、やはり今宮も可愛い子には弱いのか。
 見本と書かれた冊子を手に取る。表紙は赤と黒のやけに禍々しいデザインだ。


 「泣く子も黙る。世界の凶悪事件ファイルVOL3」


 どんなギャップだよ! しかもシリーズ化してるし! 試しにパラパラめくると、ホルマリン漬けだとかバラバラ死体だとか物騒な用語が見えた。そっちの耐性がない私にはとんだ刺激物だ。しかしこれはお姉さんがたくさん練って書いたもの。傷つけるわけにはいかない。私は今宮の様子をうかがうフリをしながら、冊子を元の位置に戻そうとした。しかし。


 「ちょっと待って、面白そう」


 と、今宮に止められた。興味津々に見ている。そうだ、この人ミステリ作家だ。
 それから今宮は800円でこの本を購入した。本人曰く、これから使えそうな資料らしい。どんな本書くんだ。
 何分歩き回っただろうか。気づけば私も、バッグの中に三冊の本が入っていた。正直これでもかなり抑えた。


 靴を履いてきて正解だった。オールスタンディングのライブよりも疲れた。13時を回ったところで、お昼を食べにフードコートへ向かう。時間をずらしたからか、だいぶ空いていた。


 「あー、やっと座れた! 先買って来ていいよ、荷物見てる」
 「わかった、ありがとう」


 今宮は重たそうなサブバッグを椅子に置くと、財布を片手にふらふらと歩いていった。
 買ったばかりのA5冊子を手に取る。ここで作品を書いている人たちも、やっぱり小説家になりたいのだろうか。趣味で書いている人もいるのかな。


 ……私もいつか、出店出来たりするのかな。いやいやいや。まだ書き方すらわからないから。そもそも書いたところで、読んでくれる人とかいないだろうし。


 本当に、小説家になれるのかな。こんな不純な動機で、目指して良いのかな。
 会場の人の多さ、そして自分の知らなかった世界に圧倒されて、つい弱気になってしまう。


 「お待たせ。奥にドーナツあったから買ってきた」
 「え?」


 ドーナツ? 戻ってきた今宮が持っているトレーには、坦々麺とお皿に並ぶドーナツが乗っていた。しかも、私の好きなイチゴチョコがかかってるやつ。
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