千里さんは、なびかない

黒瀬 ゆう

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うまく言葉にできなくて

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 私は視線を泳がせる。ここまで焦るとは思わなくて、ごまかした方がいい気がしてきた。ほら、世の中には知らない方が良いことだってある。


 「……いや、何も」
 「いや絶対見たでしょ。いてっ、腰打った……」


 そう言って、腰をさすりながらよろよろと立ち上がる。そしていきなり、すごい勢いで頭を下げた。


 「お願いします。誰にも言わないでください……。お金、お金なら少しあるので……」


 私はヤクザか。心の中でツッコミを入れ、ため息をつく。と、同時に、私ってそんなイメージなのか……と心ばかりショックを受けた。


 「そんなことしなくても、誰にも言わないよ。でもすごいね。私だったら自分から言いふらしてるわ」
 「あんまり目立ちたくないから……。その、ありがとう」


 今宮はぼそぼそとお礼を言うと、倒れた椅子を元に戻し座った。その様子を、隣でボーっと見ていた。
 ここでひらめいた。


 大人気小説家の今宮と、どうしても小説家になりたい私。秘密を知られたくない今宮、その秘密を握る私。完璧じゃない? どうしよう、私本当に、小説家になれるかもしれない。


 「でも、条件がある」


 今日、最高にツイてるかも。ドキドキと昂る鼓動。


 「私の先生になってほしい」
 「うん、わかった」
 「え?」
 「いや、周りで共通の話題で話せる人いなかったから、いたら楽しいかなって……。でも俺まだ全然教えられるほどじゃないと言うか……先生だなんてそんな……」


 こんなにあっさりと承諾されると思わなかった。おかげで拍子抜けしてしまい、まぬけな声が出てしまった。しかもなぜか今宮のほうが申し訳なさそうにしている。意味がわからない。


 「あんた十分すごいじゃん! もっと自信持ちなよ。えーっと、とりあえず私は本読めばいいの?」
 「あ、ありがとう。そうだね、だんだん自分の好きなジャンルが見つかると思う。それでいつか書きたくなるストーリーが思い浮かぶと思うから、その時が来たら教えてほしい」
 「わかった。で、どのくらいで小説家になれるモンなの? 私、結構急いでるんだよね」


 ピアノを題材にしている小説なんて、腐るほどあるだろう。だから一日でも早く、面白く・売れる作品を書かなければならない。ダラダラしていたら、もしかしたら他の作品の主演が決まってしまうかもしれない。


 「どれくらい……。正直何とも……」
 「そっか、まあそうだよね」
 「そういえば、来週の土曜日にこんなイベントがあるんだけど」


 キーボードの上を、有り得ない速さで指が滑る。てか、キーボード見ないで打ってた。なんだ、今のは。
 表示されたのは、「文芸マーケット 東京」の文字が強調されたページ。


 「何これ?」
 「千里さんみたいに、文芸に興味ある人が自分で書いた小説や詩を売ったりしてる。コミケの文芸バージョンかな。俺も何回か参加したことあるんだけど、面白いしタメになると思う。
 だから、経験として行ってみるのも良いかなって」


 なるほど。
 マウスを借りてホームページをスクロールしていく。
 会場は都内のホールだ。家から三十分くらい。入場無料で、11時から17時まで。ジャンルは、文字だったらなんでも良い。去年は入場制限がかかるほどの大盛況だったそうだ。


 偶然にも、来週の土曜日は人手が足りていたためバイトは休みだ。千里ちゃん、いつも頑張ってくれてるから……という要らない気遣いだ。行けというお告げかもしれない。
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