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煤色の鉄鎖
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傷つけたい訳じゃなかった。
そんな顔をさせたい訳じゃなかった。
本当は、目が覚めた時まだ家に居たという事が分かっただけでも嬉しかったのに、風邪をうつさない為に突き放す様な言い方をしてしまった。
いつも思っている事が上手く吐き出せなくて、冬真はそんな自分自身に嫌気が差した。
そして、結果的に招いたのが、ベッドの上で冬真がほのかを抱き締めるという状況だった。
腕や胸に柔らかい感触とあたたかい体温と、吐息が感じられる距離感に冬真は体の熱が更に高くなる様な感覚がした。
ほのかはというと、冬真の腕の中で身動きが取れず、床に落ちたスケッチブックを目にしては何か言いたげに口をパクパクとさせ、顔がトマトみたいに赤くなったかと思うとそのまま混乱した様子で石の様に硬直してしまった。
冬真は風邪をうつさないように離れなければ、そらから色々と釈明をしなければと頭では分かっていたが、体の気怠さと、腕の中のほのかの心地良さから、思考とは逆に腕に力を込めた。
そうして暫く経って、また眠りにつきかけた時、流石にこのまま寝る訳にはいかないと思った冬真は腕の力を緩めほのかを解放した。
ほのかは体を起こし、ベッドから降りると冬真はゆっくりと上半身を起こした。
「ごめん、体が大分怠くて眠るとこだった。嫌な思いさせた」
申し訳なさそうに言うと、ほのかは横に頭を振った。
このまま抱き枕にならずに済んだ事にほのかは胸を撫で下ろした。
「・・・・・・・・・・・・」
二人の間に長い沈黙が流れた。
その気まずさにほのかは【やっぱり帰った方がいい?】と冬真に尋ねた。
「いや、その前にちゃんと言わないとと思って、今言うからちょっと待って」
冬真は言いたい事を頭の中で整理しようとするも、熱のせいで頭の回転が徐行運転になっていた。
言葉を何とか纏めあげると冬真は気恥しそうに伏し目がちに言った。
「あんな態度をとって・・・・・・ごめん。お見舞いに来てくれたのも、看病をしてくれたのも、もうとっくのとうに帰ってると思ってたのにまだ家に居た事も・・・・・・嬉しかった。けど、月島さんに風邪をうつす訳にはいかないと思ったから・・・・・・だから」
ぽつりぽつりと話す冬真の言葉をほのかは一つ一つ丁寧に拾い上げた。
そして、家に来た時からのいつも以上に冷たい態度にはあたたかい理由があった。
【心配してくれてありがとう。でも大丈夫! 体力には自信があるし、これで風邪をひいても絶対に後悔はしないから】
ほのかはにこりと笑ってスケッチブックを見せた。
「そこまで言うならもう知らないぞ。でも、ありがとう・・・・・・」
素直な感謝の言葉に、ほのかはくすりと笑った。
「なんだよ」
【今日は氷室君の気持ちが聞けて嬉しいと思った。いつも分かりにくいから】
ほのかは昨日の事を思い出した。
きっとあの時も本音を言わないだけで、何か理由があるのだろうと考えた。
「そうか? 分かりにくいのか?」
【とっても】
ほのかは大きく頷きながらスケッチブックを見せた。
「悪いけど、これが自分としか言えない。嫌になるだろ?」
それが悪い事なのであれば変えるべきなのだろうが、冬真には何をどうしたらいいのかも分からずにいた。
ほのかも、他の人と同じ様にこの性格をどうこうしろと言ってくるのだろうかと冬真は身構えた。
だが、ほのかは首を横に振った。
【氷室君はそのままでいいと思う】
予想外の答えに冬真は目を白黒させた。
【それが氷室君らしいと思うから。でも、たまにはワガママ言ってもいいし、思ってる事聞かせてくれたら嬉しい】
「我儘・・・・・・か」
ほのかの言葉に冬真は今まで自分の気持ちを押し殺し、親や周りの人の感情や気持ちを優先させてきた自分に気が付いた。
頭がいいだけに、歳を重ねるとそれを周りには悟らせないよう冷たい態度を取りながらもそつなく立ち回る事や、無理な要求には角が立たぬよう上手くあしらう事を覚えた。
そして、それはいつしか冬真自身も気が付かない内に自分を縛る重い鎖となっていた。
「ははっ」
だけれど、全身をがんじがらめに縛る煤けた色の鎖はほのかの言葉でこんなにも簡単に解けて体がすっと楽になった気がした。
【?】
ほのかは冬真が面白がるような事を何かしただろうかと不思議な顔をした。
「我儘・・・・・・ね、そんな事を言ってると」
冬真はほのかの髪をひと房手に取るとそれを愛おしそうに口付けた。
その予想外の冬真の行動にほのかは火がついたように顔を赤くさせた。
「本当に好き勝手要求するけど、いいの?」
上目遣いで不敵に笑う冬真の顔を見て、ほのかは増々真っ赤になり、目線を明後日の方向へと向けた。
冬真はふとベッドサイドに置かれたお盆が目に入った。
そのお盆の上には蓋がされた小さな土鍋があった。
「それ・・・・・・」
冬真が土鍋を指さすと、ほのかは今の今まですっかり忘れていたという顔をした。
だが、鍋を持ち上げたと思えばすぐに置き、それを二度程繰り返すとほのかは躊躇いがちにスケッチブックに【これは何でもありません】と書き、体で土鍋を隠そうとした。
「何でもないんだったら持ち主がどうこうしても問題ない訳だな」
にやりと笑ってそう言った冬真はほのかの後ろのお盆を取ろうとしたが、ほのかはそれを体で遮った。
だが、冬真は瞬間的にバスケットボール選手ばりのフェイントをかますとまんまとほのかからお盆を掠め取った。
ほのかは慌てた様子だったが、冬真は気にする事なく土鍋の蓋を開けた。
鍋からは優しい出汁の香りと共に温かな湯気が立ち上った。
鍋の中には柔らかく煮込まれたお粥と食欲をそそるふんわりとした溶き卵が入っていた。
「卵粥か」
【風邪ひいた時お母さんが良く作ってくれたから】
「わざわざ作ってくれたのか・・・・・・」
良く見れば傍らには真新しい風邪薬もあり冬真はハッとした。
「家に何も無かっただろ。材料費と薬代ちゃんと返すから」
【今はいいから、ご飯食べて薬を飲んだ方がいいと思う】
「気を使わせたな」
【いつもお世話になってるから、甘えてくれていい】
「ふーん、じゃあそれを食べさせてくれるんだ?」
意地の悪い笑みを浮かべながら冬真はスプーンをほのかに手渡した。
ほのかはその渡されたスプーンの意味が分かると、せっかく鎮火したばかりの顔の火が再燃し始めた。
ほのかはスプーンとお粥と冬真を交互に見て戸惑っていたが、『甘えていい』と書いてしまった手前やるしかないと覚悟を決めた。
一連のやり取りから大分時間が経っていた為、粥は調度良い温度になっていた。
ほのかはその粥を軽く掻き混ぜると一口分をそっと掬い下に手を添えながら冬真の口へと運んだ。
恥じらいながらも献身的で可愛らしい様子のほのかに冬真は不覚にも顔を赤らめ鼓動が早くなるのを感じた。
冗談のつもりだったが、自分で言い出した事なので引っ込みがつかなくなり、冬真は躊躇いながらも差し出された粥を口にした。
粥は優しい薄味なのに出汁の風味がしっかりしていて食べやすい味付けになっていた。
「美味しい。でも、やっぱり自分で食べる。じゃないと熱がまた上がりそうだし、こっちの心臓が持たない・・・・・・」
最後の方は口元を隠されて何を言っているのかほのかには分からなかった。
自分で食べると言われてほのかはホッとしたが、ほんの少しだけ残念に思いながらも冬真にスプーンを渡した。
薬を飲んだ後、冬真は目を細めウトウトしている様子だった。
熱も段々と下がってきた様子に安心したほのかはそろそろ帰ろうとした。
【じゃあそろそろ帰るね】
スケッチブックにそう書き、冬真に背を向けるとほのかは腕を掴まれた。
既視感を覚えながら何事だろうかと振り向くと、冬真が熱を帯びた瞳で見詰めていた。
「行かないで、もう、少し・・・・・・だけ」
在りし日の言えなかった言葉を冬真はほのかの手に縋りそう言った。
そんな顔をさせたい訳じゃなかった。
本当は、目が覚めた時まだ家に居たという事が分かっただけでも嬉しかったのに、風邪をうつさない為に突き放す様な言い方をしてしまった。
いつも思っている事が上手く吐き出せなくて、冬真はそんな自分自身に嫌気が差した。
そして、結果的に招いたのが、ベッドの上で冬真がほのかを抱き締めるという状況だった。
腕や胸に柔らかい感触とあたたかい体温と、吐息が感じられる距離感に冬真は体の熱が更に高くなる様な感覚がした。
ほのかはというと、冬真の腕の中で身動きが取れず、床に落ちたスケッチブックを目にしては何か言いたげに口をパクパクとさせ、顔がトマトみたいに赤くなったかと思うとそのまま混乱した様子で石の様に硬直してしまった。
冬真は風邪をうつさないように離れなければ、そらから色々と釈明をしなければと頭では分かっていたが、体の気怠さと、腕の中のほのかの心地良さから、思考とは逆に腕に力を込めた。
そうして暫く経って、また眠りにつきかけた時、流石にこのまま寝る訳にはいかないと思った冬真は腕の力を緩めほのかを解放した。
ほのかは体を起こし、ベッドから降りると冬真はゆっくりと上半身を起こした。
「ごめん、体が大分怠くて眠るとこだった。嫌な思いさせた」
申し訳なさそうに言うと、ほのかは横に頭を振った。
このまま抱き枕にならずに済んだ事にほのかは胸を撫で下ろした。
「・・・・・・・・・・・・」
二人の間に長い沈黙が流れた。
その気まずさにほのかは【やっぱり帰った方がいい?】と冬真に尋ねた。
「いや、その前にちゃんと言わないとと思って、今言うからちょっと待って」
冬真は言いたい事を頭の中で整理しようとするも、熱のせいで頭の回転が徐行運転になっていた。
言葉を何とか纏めあげると冬真は気恥しそうに伏し目がちに言った。
「あんな態度をとって・・・・・・ごめん。お見舞いに来てくれたのも、看病をしてくれたのも、もうとっくのとうに帰ってると思ってたのにまだ家に居た事も・・・・・・嬉しかった。けど、月島さんに風邪をうつす訳にはいかないと思ったから・・・・・・だから」
ぽつりぽつりと話す冬真の言葉をほのかは一つ一つ丁寧に拾い上げた。
そして、家に来た時からのいつも以上に冷たい態度にはあたたかい理由があった。
【心配してくれてありがとう。でも大丈夫! 体力には自信があるし、これで風邪をひいても絶対に後悔はしないから】
ほのかはにこりと笑ってスケッチブックを見せた。
「そこまで言うならもう知らないぞ。でも、ありがとう・・・・・・」
素直な感謝の言葉に、ほのかはくすりと笑った。
「なんだよ」
【今日は氷室君の気持ちが聞けて嬉しいと思った。いつも分かりにくいから】
ほのかは昨日の事を思い出した。
きっとあの時も本音を言わないだけで、何か理由があるのだろうと考えた。
「そうか? 分かりにくいのか?」
【とっても】
ほのかは大きく頷きながらスケッチブックを見せた。
「悪いけど、これが自分としか言えない。嫌になるだろ?」
それが悪い事なのであれば変えるべきなのだろうが、冬真には何をどうしたらいいのかも分からずにいた。
ほのかも、他の人と同じ様にこの性格をどうこうしろと言ってくるのだろうかと冬真は身構えた。
だが、ほのかは首を横に振った。
【氷室君はそのままでいいと思う】
予想外の答えに冬真は目を白黒させた。
【それが氷室君らしいと思うから。でも、たまにはワガママ言ってもいいし、思ってる事聞かせてくれたら嬉しい】
「我儘・・・・・・か」
ほのかの言葉に冬真は今まで自分の気持ちを押し殺し、親や周りの人の感情や気持ちを優先させてきた自分に気が付いた。
頭がいいだけに、歳を重ねるとそれを周りには悟らせないよう冷たい態度を取りながらもそつなく立ち回る事や、無理な要求には角が立たぬよう上手くあしらう事を覚えた。
そして、それはいつしか冬真自身も気が付かない内に自分を縛る重い鎖となっていた。
「ははっ」
だけれど、全身をがんじがらめに縛る煤けた色の鎖はほのかの言葉でこんなにも簡単に解けて体がすっと楽になった気がした。
【?】
ほのかは冬真が面白がるような事を何かしただろうかと不思議な顔をした。
「我儘・・・・・・ね、そんな事を言ってると」
冬真はほのかの髪をひと房手に取るとそれを愛おしそうに口付けた。
その予想外の冬真の行動にほのかは火がついたように顔を赤くさせた。
「本当に好き勝手要求するけど、いいの?」
上目遣いで不敵に笑う冬真の顔を見て、ほのかは増々真っ赤になり、目線を明後日の方向へと向けた。
冬真はふとベッドサイドに置かれたお盆が目に入った。
そのお盆の上には蓋がされた小さな土鍋があった。
「それ・・・・・・」
冬真が土鍋を指さすと、ほのかは今の今まですっかり忘れていたという顔をした。
だが、鍋を持ち上げたと思えばすぐに置き、それを二度程繰り返すとほのかは躊躇いがちにスケッチブックに【これは何でもありません】と書き、体で土鍋を隠そうとした。
「何でもないんだったら持ち主がどうこうしても問題ない訳だな」
にやりと笑ってそう言った冬真はほのかの後ろのお盆を取ろうとしたが、ほのかはそれを体で遮った。
だが、冬真は瞬間的にバスケットボール選手ばりのフェイントをかますとまんまとほのかからお盆を掠め取った。
ほのかは慌てた様子だったが、冬真は気にする事なく土鍋の蓋を開けた。
鍋からは優しい出汁の香りと共に温かな湯気が立ち上った。
鍋の中には柔らかく煮込まれたお粥と食欲をそそるふんわりとした溶き卵が入っていた。
「卵粥か」
【風邪ひいた時お母さんが良く作ってくれたから】
「わざわざ作ってくれたのか・・・・・・」
良く見れば傍らには真新しい風邪薬もあり冬真はハッとした。
「家に何も無かっただろ。材料費と薬代ちゃんと返すから」
【今はいいから、ご飯食べて薬を飲んだ方がいいと思う】
「気を使わせたな」
【いつもお世話になってるから、甘えてくれていい】
「ふーん、じゃあそれを食べさせてくれるんだ?」
意地の悪い笑みを浮かべながら冬真はスプーンをほのかに手渡した。
ほのかはその渡されたスプーンの意味が分かると、せっかく鎮火したばかりの顔の火が再燃し始めた。
ほのかはスプーンとお粥と冬真を交互に見て戸惑っていたが、『甘えていい』と書いてしまった手前やるしかないと覚悟を決めた。
一連のやり取りから大分時間が経っていた為、粥は調度良い温度になっていた。
ほのかはその粥を軽く掻き混ぜると一口分をそっと掬い下に手を添えながら冬真の口へと運んだ。
恥じらいながらも献身的で可愛らしい様子のほのかに冬真は不覚にも顔を赤らめ鼓動が早くなるのを感じた。
冗談のつもりだったが、自分で言い出した事なので引っ込みがつかなくなり、冬真は躊躇いながらも差し出された粥を口にした。
粥は優しい薄味なのに出汁の風味がしっかりしていて食べやすい味付けになっていた。
「美味しい。でも、やっぱり自分で食べる。じゃないと熱がまた上がりそうだし、こっちの心臓が持たない・・・・・・」
最後の方は口元を隠されて何を言っているのかほのかには分からなかった。
自分で食べると言われてほのかはホッとしたが、ほんの少しだけ残念に思いながらも冬真にスプーンを渡した。
薬を飲んだ後、冬真は目を細めウトウトしている様子だった。
熱も段々と下がってきた様子に安心したほのかはそろそろ帰ろうとした。
【じゃあそろそろ帰るね】
スケッチブックにそう書き、冬真に背を向けるとほのかは腕を掴まれた。
既視感を覚えながら何事だろうかと振り向くと、冬真が熱を帯びた瞳で見詰めていた。
「行かないで、もう、少し・・・・・・だけ」
在りし日の言えなかった言葉を冬真はほのかの手に縋りそう言った。
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