上 下
29 / 37

任務は終了

しおりを挟む

 魔法師団の諜報員。特殊工作部隊、通称『赤狗』

 表の部隊とは別に、秘密裏に動く部隊が存在する。
 赤狗は魔法師団のなかでも隠された部隊で、同じ師団員であっても関わることはない。顔を知らないのはもちろん、赤狗が何人存在しているかというのすら、通常の団員は知らされていない。その理由は、彼らが潜入捜査官であり、その捜査対象は身内である魔法師団も含まれるためである。
 先ほどの師団長の話と状況的に、エリザに監視が付けられていたのは間違いない。それに気づいた時、ようやくエリックの存在が腑に落ちたのだった。

 エリックは無表情でそれを聞いていたが、ふっと苦く笑うと肩をすくめていつもの軽い口調でエリザの言葉を肯定した。

「あーあ、ばれてしまったか。ただのヒモ男が、侵入者を簡単に捕まえてしまうのはさすがに不自然だったかな。でもいい証拠だから侵入者は捕まえておきたくてね。最後まで騙し通したかったんだけど、失敗したな」

「いえ……最初から不自然さはありました。その理由が今分かっただけです」

「なんだ、最初から疑っていたのかい? 驚いた、ホームレスになったヒモ男を上手く演じられたと思ったんだがな」

 確かに彼の演技は完璧だった。やる気のないヒモ男という設定に違和感はなかった。あれが演技だなんて疑う理由は少しもなかった。

「演じているとは思いませんでした。でも、見た目の汚れ具合に対し、あなたからは体臭がほとんどしなかった。だからわざと服を汚してホームレスらしく見せているのではないかと、あの時思ったんです」

 汚れた衣服とすり減った靴。爪先が真っ黒に汚れているのを見て、最初は本当に公園で寝泊まりしている浮浪者なのだと思った。
 だが、エリザも任務で野営をして何日も風呂に入れないこともあるから分かるのだが、数日風呂に入らないだけで人は臭うのだ。だからあれだけ服や手足が汚れているのに体臭がしないなんてことはありえない。
 必要以上に服や手足を汚しているだけで、本当は路上生活をしていないのではとあの時点で疑いを持っていた。

「最初から疑っていたのに、どうして僕の話に乗ったんだい?」
「どういう目的で近づいて来たのか確かめたかったというのもありますが……まあ少々捨て鉢になっていたから、どうにでもなれっていう気分だったんです」

「どうにでもなれと言う割には、居室のドアに守護魔法を常にかけて警戒していたよね。不在時に僕がカギを壊して侵入するのを警戒していたんだろう?」

「そうですね。でも魔術師のあなたには無意味でしたね。破ってもかけ直せますから、私には気づかれないでしょう」

 さすがに魔術師だとは思っていなかったから、彼の意図を探るため色々な術を室内に駆けていたのだ。結局それも全て彼の手のひらだったかと思うと自分が情けない。

「……騙すような真似をして悪かった、と思っているよ」

 少しうつむいてエリックは謝罪を口にした。
 謝られるとは思っていなかったため正直驚いたが、どう返答すべきか分からなくて黙って目を逸らした。彼は任務を遂行しただけで、本来謝る必要などないのだ。だから謝る必要などないと言うべきなのに、彼と過ごした日々が思いだされて受け流すことができずにいる。

 最初から、不自然で疑惑を持ったまま始まった関係だった。
 けれど一緒にいる時間が増えるほど、彼を信じたい気持ちになっていた。最初に感じた違和感はずっと心の中で引っかかっていたのに、本当に住むところを求めて転がり込んできたダメ男だったらいいのにと願ってしまっていた。
 フィルにこっぴどく振られたあの夜、疑わしくても受け入れたのは、本当のおかげで最低な気分から救われたからだ。
 厳しい言葉も、温かい食事も、全部彼の優しさのように感じていたが、潜入捜査なのだから人の心を掴んで油断させるための人心掌握術に過ぎなかったのだろう。
 当たり前のことなのに、あれが全て偽りだったと知ってひどく絶望する自分がいた。それほどまでにこの人に心を寄せてしまっていたことに気づいてしまって、胸が苦しくなる。

「……仕事であれば、仕方ありませんよ。それで、まだ私の調査は必要ですか?」

「いや、もう完全に君の潔白は証明されている。だからこそ、あちらがエリザさんに仕掛けてくるのを予測できたんだ。決め手はあの香水だよ。あれがあったから、今回あちらの動きをつかめた」

 以前にフィルが渡してきた香水が、実は例の薬物が含まれている商品だったと言われ驚く。エリックはあの時、市販品のように言っていたが、一般的には出回らず一部の貴族のあいだだけで流通していたものだと一目見て気づいたらしい。

「最初の計画ではあれを証拠として見つけさせるつもりだったんだろう。でも僕が古物店に売りに出したんだよ。すぐに組織の人間がそれを見つけて買い取っていったから、そこから彼らの足取りを追ってアジトを特定することができたんだ」

 潜入捜査した甲斐があったよと言われ、あいまいに頷く。
 
 エリザにかけられている疑いの全ては、組織が捏造したものだと今回の捕り物で証明されたので、完全に潔白だと証明されているとエリックに言われるが内心は複雑だった。

「それならもうエリックさんの任務は終了なんですね。……これまでの私の無礼な態度をお許しください」

 動揺が声に出ないよう必死に取り繕いながら頭を下げる。
 エリックが諜報部隊の人間なら、エリザなどよりずっと上の立場のはずだ。へりくだるわけではないが、もう気軽な口を利くわけにはいかないだろう。
 だが彼はエリザのその態度にひどくショックを受けたように唇をぐっとかみしめていた。

「すまなかったね。もう、わずらわせることはないから……」

 言葉は途中で途切れた。
 少しの沈黙の後、エリックは踵を返して静かに家から出て行った。
 
 エリザは閉じられた扉をじっと見つめ、その場から動けずにいた。

「……うっ、うぅ」

 彼が去った扉の前で、エリザはずっと堪えていた涙を流す。

 情けないことに、彼のあの優しさは任務のためなんかじゃなくて彼の本心だったと言い訳してくれることを最後の最後まで期待していた。
 諜報部員であるとバレてしまった以上、彼は姿を変えて二度とエリザの前には現れない。
 たった数か月、わずかな時間を一緒に過ごしただけの同居人。最初から信頼なんてなかった相手だ。
 裏切られたわけでもない。彼はただ、任務を遂行しただけだと分かっているから、恨む気持ちもない。そうと分かっていても、流れる涙を止めることはできなかった。

 気づかないふりを続けていればよかったのだろうか。
 でもどうしても聞かずにいられなかった。耳障りのいい嘘ではなく、彼の本音で語ってほしかった。
 もう開くことのない扉を見つめながら、エリザはずっとその場に佇んでいた。


 ***
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子は婚約破棄をし、令嬢は自害したそうです。

七辻ゆゆ
ファンタジー
「アリシア・レッドライア! おまえとの婚約を破棄する!」 公爵令嬢アリシアは王子の言葉に微笑んだ。「殿下、美しい夢をありがとうございました」そして己の胸にナイフを突き立てた。 血に染まったパーティ会場は、王子にとって一生忘れられない景色となった。冤罪によって婚約者を自害させた愚王として生きていくことになる。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

死んで巻き戻りましたが、婚約者の王太子が追いかけて来ます。

拓海のり
恋愛
侯爵令嬢のアリゼは夜会の時に血を吐いて死んだ。しかし、朝起きると時間が巻き戻っていた。二度目は自分に冷たかった婚約者の王太子フランソワや、王太子にべったりだった侯爵令嬢ジャニーヌのいない隣国に留学したが──。 一万字ちょいの短編です。他サイトにも投稿しています。 残酷表現がありますのでR15にいたしました。タイトル変更しました。

離婚したらどうなるのか理解していない夫に、笑顔で離婚を告げました。

Mayoi
恋愛
実家の財政事情が悪化したことでマティルダは夫のクレイグに相談を持ち掛けた。 ところがクレイグは過剰に反応し、利用価値がなくなったからと離婚すると言い出した。 なぜ財政事情が悪化していたのか、マティルダの実家を失うことが何を意味するのか、クレイグは何も知らなかった。

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

結婚相手の幼馴染に散々馬鹿にされたので離婚してもいいですか?

ヘロディア
恋愛
とある王国の王子様と結婚した主人公。 そこには、王子様の幼馴染を名乗る女性がいた。 彼女に追い詰められていく主人公。 果たしてその生活に耐えられるのだろうか。

処理中です...