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クナイ
咎人の後悔17
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「海でクナイが私を解放すると言った時も、その声の後ろから『おいて行かないで』と小さな子どもの声が聞こえていたわ。ねえ、それがあなたの本当の気持ちなんじゃない?」
「そっ、そんなことは言った覚えはない! そんなガキみたいなこと……」
図星を刺されたような恥ずかしさを覚え、かっと顔が紅潮する。みっともなく取り乱して必死に否定するが、ハンナは困ったように笑って首を振る。
「だからもうクナイの言葉は嘘を隠せていないのよ。ねえ、私、クナイの本当の気持ちを聞きたい。取り繕うのはやめて、本音で話してほしい」
「……本音、で」
「うん」
もういいか、と半ば投げやりな気持ちが湧き上がる。どうせ言葉を取り繕っても、ハンナの心眼に見抜かれてしまうのだ。見栄や意地を張ったところで意味がない。
「…………ずっとお前に触れたいと思っていた。あの男のように手を取ることができたらどんなにいいだろうと願って、でもこの呪いに塗れた身では許されないことだと分かっていた。それなのに……」
俺を刺した男の酷い死に様を目の当たりにした後だというのに、ハンナは少しもためらわず傷の手当をしてくれた。
呪術師や、俺と同じように呪いを刻まれた仲間同士でも、お互いに触れることは禁忌とされていた。もし血に触れたら呪いを移しあうことになるからだ。呪術師は特に死の呪いがあるから、怪我を負った場合でも誰かに手当を頼むことはなかった。
自分で手当てができない者は打ち捨てられるのが当たり前だった。
死体も供養されず敵地に投げ込まれ呪物として使われる。
諜報員など、あの国では人として扱われなかった。
「呪いをうつしておいて、こんなこと思うべきじゃないと分かっているが……お前が俺の手当てをしてくれて、嬉しかったんだ。人として扱われ、怪我の心配をされるなんてこの身にはあり得ないと思っていたから」
「幼馴染だもの。心配するのは当たり前のことでしょ。何も特別じゃないわ。でも、そうね。あなたはそういうのが当たり前じゃない場所でずっと生きてきたのね。それはとても辛いことよ。もっと嘆いていいし、理不尽だと憤っていいのよ」
「数えきれないほどの人間を殺してきた俺がか? 俺はもう己を不憫がる資格なんてとっくに失くしているんだよ」
「あなたが生きてきた世界ではそれが正しいこととされていて、従わなければ生きていけなかった。自分の命がとても軽く扱われているのに、他者の命を尊ぶことなんてできるわけがないわ。人殺しを肯定するつもりはないけれど、それはあなた個人が全て背負う罪ではないでしょう」
自分の命を大切に扱われるから、他者の命も大切なものだと思えるようになる。人は愛を与えられて初めて人の愛し方を知る。そうやって人の心は育っていく。心を育てることができないまま俺は大人になってしまったのだとハンナは言った。
「なぜ……お前はそこまで俺に寄り添おうとする? 俺はお前の人生を壊した張本人だぞ? 同情にしても度が過ぎる」
「今ここにいる私は、あなたの幼馴染の『ハナ』よ。大切な友達が泣いていたら涙を拭いてあげたいし、困っていたら助けになりたいと思うのは当たり前でしょう?」
そう言ってハンナはにこりと俺に微笑みかける。
……その言葉にすがっていいのだろうか。
彼女の優しさに甘えていいのだろうか。
そんなことが俺に赦されるのだろうか。血が足りない頭でぐるぐる考えても答えは出てこない。
「……お前が作ってくれた食事は、ちゃんと味がするんだ。とっくの昔に味覚は壊れていたと思っていたのに。お前のそばにいると、生きていると感じる。もっと早く、手放さなければいけないと思っていたのに、離れられなかった」
「クナイは私に……そばにいてほしいの?」
問われて一瞬ためらう。俺がそれを望めば、ハンナの人生を犠牲にすることになる。だが……。
「赦されるなら……お前と共にありたい」
ふっと笑い声がハンナから漏れた。そして俺の顔をまっすぐに見つめ、こくりと頷いた。
「そばにいるわ。だからもう泣かないで」
泣いていない、と言いかけた俺の目じりを指で拭われ、自分が泣いていることに気が付いた。拷問されても涙などでなかったのに、ハンナといるとまるで子どもの頃に戻ったように感情が揺さぶられてしまう。
「頼みがあるんだ」
「なあに?」
「手を握ってもいいか?」
俺の頼みを聞いたハンナが、驚いたように目を瞠ってからおかしそうに笑う。そして手を取って、子どもの頃のように右手をつないだ。
「子どもの頃は、いいかなんて訊かなくてもつなげたのにね」
彼女の指が俺の手に絡む。小さくて細くて、頼りないその手は、とても温かかった。
終わり
=====
これでクナイ視点のお話は終了です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
一応の完結と考えていますが、いつかハンナ視点でその後や、消えたイザベラの行方などを書きたいなあと思っています。
「そっ、そんなことは言った覚えはない! そんなガキみたいなこと……」
図星を刺されたような恥ずかしさを覚え、かっと顔が紅潮する。みっともなく取り乱して必死に否定するが、ハンナは困ったように笑って首を振る。
「だからもうクナイの言葉は嘘を隠せていないのよ。ねえ、私、クナイの本当の気持ちを聞きたい。取り繕うのはやめて、本音で話してほしい」
「……本音、で」
「うん」
もういいか、と半ば投げやりな気持ちが湧き上がる。どうせ言葉を取り繕っても、ハンナの心眼に見抜かれてしまうのだ。見栄や意地を張ったところで意味がない。
「…………ずっとお前に触れたいと思っていた。あの男のように手を取ることができたらどんなにいいだろうと願って、でもこの呪いに塗れた身では許されないことだと分かっていた。それなのに……」
俺を刺した男の酷い死に様を目の当たりにした後だというのに、ハンナは少しもためらわず傷の手当をしてくれた。
呪術師や、俺と同じように呪いを刻まれた仲間同士でも、お互いに触れることは禁忌とされていた。もし血に触れたら呪いを移しあうことになるからだ。呪術師は特に死の呪いがあるから、怪我を負った場合でも誰かに手当を頼むことはなかった。
自分で手当てができない者は打ち捨てられるのが当たり前だった。
死体も供養されず敵地に投げ込まれ呪物として使われる。
諜報員など、あの国では人として扱われなかった。
「呪いをうつしておいて、こんなこと思うべきじゃないと分かっているが……お前が俺の手当てをしてくれて、嬉しかったんだ。人として扱われ、怪我の心配をされるなんてこの身にはあり得ないと思っていたから」
「幼馴染だもの。心配するのは当たり前のことでしょ。何も特別じゃないわ。でも、そうね。あなたはそういうのが当たり前じゃない場所でずっと生きてきたのね。それはとても辛いことよ。もっと嘆いていいし、理不尽だと憤っていいのよ」
「数えきれないほどの人間を殺してきた俺がか? 俺はもう己を不憫がる資格なんてとっくに失くしているんだよ」
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自分の命を大切に扱われるから、他者の命も大切なものだと思えるようになる。人は愛を与えられて初めて人の愛し方を知る。そうやって人の心は育っていく。心を育てることができないまま俺は大人になってしまったのだとハンナは言った。
「なぜ……お前はそこまで俺に寄り添おうとする? 俺はお前の人生を壊した張本人だぞ? 同情にしても度が過ぎる」
「今ここにいる私は、あなたの幼馴染の『ハナ』よ。大切な友達が泣いていたら涙を拭いてあげたいし、困っていたら助けになりたいと思うのは当たり前でしょう?」
そう言ってハンナはにこりと俺に微笑みかける。
……その言葉にすがっていいのだろうか。
彼女の優しさに甘えていいのだろうか。
そんなことが俺に赦されるのだろうか。血が足りない頭でぐるぐる考えても答えは出てこない。
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問われて一瞬ためらう。俺がそれを望めば、ハンナの人生を犠牲にすることになる。だが……。
「赦されるなら……お前と共にありたい」
ふっと笑い声がハンナから漏れた。そして俺の顔をまっすぐに見つめ、こくりと頷いた。
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「頼みがあるんだ」
「なあに?」
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「子どもの頃は、いいかなんて訊かなくてもつなげたのにね」
彼女の指が俺の手に絡む。小さくて細くて、頼りないその手は、とても温かかった。
終わり
=====
これでクナイ視点のお話は終了です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
一応の完結と考えていますが、いつかハンナ視点でその後や、消えたイザベラの行方などを書きたいなあと思っています。
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息を詰めて、クナイ編まで一気に読み切りました。
ひとりひとりのキャラに没入しすぎたためか、頭の中が混乱しています。
当たり障りのない普通の人がいない…
それでも読み進めてしまうのは、この作品にハマっている自分がいるからでしょうかね…
もっと読みたいです。
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