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クナイ

咎人の後悔4

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「あの……」

 ハンナに呼びかけられ、ハッと我に返る。
 食事の手が止まったままなのを訝しく思われたらしい。気付けばハンナはもう食べ終わっていた。

「ああ、ちょっと考え事をしていた。俺を待たなくていいからお前は湯を使って先に休め」

 ハンナは席を立つか少しためらっていたけれど、言われたとおり浴室へと入っていった。

 食べ終わっていない相手がいるのに席を立つのはマナー違反だとでも思ったのだろう。俺相手であってもそんな気遣いを考えてしまうあたり、育ちの良さがにじみ出ている。

 食べかけの食事を口に詰め込んで無理やり嚥下する。諜報部で働いていた時に色々な毒の味を教え込まれた訓練のせいで、俺の味覚は死んでいる。もう飯を旨いと思って食っていた時代を思い出せない。

 テーブルの上を片づけて、ハンナと入れ替わりで浴室へ入る。服を脱ぐと呪詛がびっしりと書き込まれた俺の体が鏡に映っていた。敗戦となれば、自分たちが全員掃討されると悟った呪術師たちが、術式を諜報部員の体に書き込んだ。
 他国に紛れることができる諜報部員が呪術を継承して、敵国に一矢報いろとの願いだったが、今更祖国の仇を討つような忠誠心を持った者が生き残っているはずもない。諜報部の仲間たちも、掃討作戦で呪術師としてほとんど殺されてしまった。
 俺は高位の魔術師でも見抜けないほど上手く己の存在を消すことができる技を得意としていたので、掃討作戦でも誰にも見つからず国を脱出できた。
 これは父が望んだことだった。
 魔力が少ないため、呪術師の才はないと判定されていたが、それは父の策略だった。
 呪術師は契約で国に縛られる。
 父もその縛りから逃れられず、国の滅亡と共に死んだ。祖国が亡ぶと予想していた父は、俺の魔力を隠して、自分と同じ道を歩ませまいとしたのだ。

 父は秘密裏に俺に呪術を教え込んでいた。最高位の術師だけが知る禁術であろうとも、必要になりそうな技は全て、俺が扱えるようになるまで体に叩きこまれた。
 俺が今でも生き残れているのは、この父の教えがあったからだ。

 父の想いは有難かったが、俺は正直、この先も生きて何の意味があるのかとも思っていた。仲間も故郷も失くして、一生姿を隠して生きていくことに、何か希望を見いだせるはずもない。
 死にたいわけではなかった。けれど絶対に生き残ってやるという意欲もわいてはこない。だからそのまま国にとどまって祖国が滅亡していく様を眺めてやろうと姿を消したまま戦況をずっと眺めていた。
 俺の隠遁術は、俺に術を教え込んだ父でさえ感知することはできない。視認できないだけでなく、魔力の気配すら消すことができる。
 姿を消して、仲間が次々と打ち破れていくのを俺はただ見ていた。

 父が契約をしている将軍が殺された時、父にかけられていた死の呪いが発動して、肉体が爆散する瞬間を目の当たりにした。
 これは事前に父から聞かされていて、将軍を斃した相手を確実に死に至らしめるように、術師には死の呪いが組み込まれているのだと知っていたが、人の死を山ほど見てきた俺ですら父の死にざまを見て吐き気を覚えた。

 父の返り血を浴びた者たちは、同じように肉体がはじけ飛び次々と死んでいく。
 呪術師の命を引き換えにしたその呪いは協力で、血が触れた部分からあっという間に呪詛が体中を巡る。

 すさまじい光景だった。呪いは見慣れていたはずだったが、死の呪いの威力はけた違いだった。あの呪いに侵食されたら助かるすべはない。

 その瞬間、ああ、終わったな……と、俺の中でひとつの区切りがついた。
 上層部の人間もすでにほとんどが殺されている。皇族は子ども以外全てとらわれたその場で処刑されていた。
 もうこの国は終わりだ。
 父にかけられていた死の呪いは半径十メートル以内にいた者を全て巻き込み、周辺はまさしく血の海になっていた。仲間を助けようと駆け寄り、血に触れた者もそこから呪いが感染し、バタバタと倒れていく様を見て、それを見ていた兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 人がいなくなった広間に降り立つ。
 血と肉片が転がる床を歩いて、父の死に顔を拝んでからこの地を離れようと考えていた時――――。

「ぐ……」

 血だまりのなか、まだ死に切れていない者がいた。
 それが将軍を討ち取った敵の大将で、真っ先に呪いを受ける者のはずなのにまだ息があることに驚く。本来なら体が膨れ上がり爆散するはずなのにおかしいと思い、そいつを凝視した。

 何が起きているのか気にかかり、倒れている男の顔をのぞきこんだ瞬間、驚きで息をのんだ。

 倒れていた男は、ハンナの夫だった。
 
 ハンナの隣に立ち、彼女の手を取り庭園を歩いていた姿がよみがえる。
 ぶわっと怒りともつかない負の感情が腹の底から湧き上がり、同時にこの男の死にざまに立ち会うことになった偶然に歓喜した。

 呪いの発動が遅れていたのか、観察しているうちに男の体に呪詛がめぐり始めた。
 ハンナが愛したであろう端正なあの男の顔がぼこぼこと波打つ。
 醜いこぶが全身に湧き上がり、化け物の様相に変わり始め、呪いが完遂するまでもう少しだと期待を込めて見つめる。

 だが、俺の期待を余所に、呪詛の浸食はそこで止まってしまった。
 は? とおかしな声が漏れる。
 男の体は中途半端に呪いが進んだせいで爆ぜる直前のこぶに覆われた状態だったが、完全に呪いは止まっていてしまっている。

「……どういうことだ?」

 術を用いて男の体内にある呪詛を読み解いていく。
 すると、呪詛が千切れて浸食が途中で止まってしまっているのだと分かった。

 その場にいた者が全て死んだのに、この男だけ呪いが完遂できなかった。
 なぜ途中で呪詛が千切れるに至ったのか、理由がわからない。
 
 虫の息の男をひっくり返し、呪詛が途切れた個所を探ってみると……。

「守護、か……!」

 男が身に着けていた鎖帷子に、守護がびっしりと編み込まれていたのだ。
 その守護は全て焼き切れていたが、複数の守護によって呪詛が削られそれ以上の進行を阻んだのだと分かり、目を瞠る。
 
 隣国には伝わっていない、呪いを祓う守護の文字であるから、間違いなくハンナの手によって作られたものだと予想がつく。
 ひとつひとつは大した効果のあるものではない。だが小さな守護の積み重ねが、強力な呪いも打ち破った。
 いや、違う。数の多さではない。
 これほどまでに夫の無事を願う妻の想いが呪いに勝ったのだ。

 かっと頭に血が上る。ハンナがこの男を守った事実に怒りがこみ上げて、目の前が真っ赤に染まる。

「死ね」

 ヒューヒューと呼吸が漏れる口を踏みつけ、まだ鼓動を続ける心臓に短剣を突き刺そうと刀を当てる。
 刃が浮き上がったこぶに突き刺さり、ぶしゅっと血があふれてきた光景を見て、ふと気が変わり力を緩めた。
 
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