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クナイ
咎人の後悔2
しおりを挟む「日が暮れる前に宿に入る。なにか必要なものがあれば今買っていけ」
ハンナにそう声をかけると、首を横に振った。なにもいらないということだろう。そう解釈して俺はハンナを連れて手ごろな宿に入った。
「いらっしゃいませーご宿泊ですかあ?」
「ああ、二人だ。風呂付の部屋を頼む」
「へい、ではこちらに記帳をお願いいたしますう。ご夫婦ですね。まあ初々しいお二人で。奥さん、えらい別嬪さんですねえ。旦那さんは果報者ですねえ」
番頭がおあいそを言ってくるのを適当にあしらいながら部屋へと案内させる。ハンナと二人で国を出てから、俺たちは夫婦という設定にしていた。そのほうが動きやすいからだ。
一つの部屋しかとらなくても、ハンナは何も言わなかった。
国を出てから、初めて宿を取った時、一部屋しかとらなかったからハンナは俺が『そういうつもり』なのだろうと覚悟していたようだ。
表情は変わらなかったが、強張って青い顔をしていた。俺がなにもせず床について寝始めた時、小さく安堵の息を吐いていたのが聞こえた。
『俺のものになれ』というのが、俺が賭けに勝った時の条件だった。
だから俺が一向に手を出して来ないのが不思議だったのだと思う。ともにいる時間が日々増えるうちに、時々こちらを探るような目で見てくることが増えた。
俺自身もいっそ、彼女を娼婦のように扱い乱暴に抱いてしまえば、この関係に名前がついて楽になるような気がしたが、激しい嫌悪を向けられることを考えると、そんな気にもなれなかった。
戦争中、攻め入っていた兵士に女が凌辱される姿を何度も見てきた。嫌がる女を押さえつけ、泣き叫ぶ声を聴きながら欲情できるその精神構造が俺には理解できなかった。
俺に組み敷かれて、絶望に顔をゆがませるハンナを想像すると、気分が悪くなる。
部屋に荷物を置くと、俺はハンナに声をかけた。
「なにか食うものを買ってくる。お前は少し横になっていろ」
頷くのを確認して、俺は部屋のドアを閉めた。
今日は一日移動だったから疲れているはずなのに、俺が座れと言うまで座らないし、食事も俺が時間ごとに食べさせなければ、自分から空腹だと訴えることもしない。
屋台で適当に飯を見繕い、少し時間を空けてから部屋に戻ると、ハンナは横になっておらず、部屋の窓から外をじっと眺めていた。
まるで誰かを待ちわびるかのように眺めるその姿は、以前に別荘で過ごしていた時を思い起こさせる。
ひとりきりの別荘で、ハンナはいつも窓際に座り、道の向こうをじっとながめ、誰かをまっていた。
来ないと分かっている相手を、それでもほんのわずかな希望をもって、日がな一日外を見ていた。
……いまでもあの男が迎えに来るとでも思っているのだろうか。
そんなことは万が一にもあり得ないのに。
あの男の妻だったハンナは死んだ。今ここにいるのは、俺の幼馴染だった『ハナ』だ。
だがハナと呼びかけた時の絶望に満ちた顔を見て以降、その名で呼ぶことができなくなった。何も言われなかったが、もう一度あの顔をされたらと思うともう呼びかける気にはならない。
未だに彼女は、あの男の妻の『ハンナ』でありたいと思っているのだろうか。
アイツがお前を探しに来ることなどあり得ないんだと言いたくなる気持ちを抑えつつ、黙って食事をテーブルに広げた。
「これはお前の分だから、ちゃんと食えよ」
少し多いくらいの食事をハンナの前に並べる。
「……ありがとう。いただきます」
俺に対し律儀にお礼を言うと、チーズと野菜を薄焼きパンで巻いたものを珍しそうに眺めてから口に運んだ。
上流家庭で暮らしていただけあって、こんな手づかみの食事でも食べ方はとてもきれいだ。もくもくと一生懸命咀嚼する姿は、小さい時と変わらないなと思う。
幼い頃、俺があげた菓子を両手でしっかりと持ってチビチビと大切そうに食べていた姿を思い出す。
もっと早く食べろよという俺に、『早く食べるとすぐなくなっちゃうから、ちょっとずつ食べるの』といって、本当に長い時間かけてチビチビ食べていた。
そんな少しずつ食べたら味が分からないだろうと言っても、『ちょっとずつ食べたらずっと美味しい』と反論してきた。その訳が分からない理屈を馬鹿にしつつも、結局俺はいつもハンナが食べ終わるのを律儀に待っていた。
文句を言いつつも、俺はハンナがそうやってチビチビ食べているのを見るのが好きだった。
ハンナの家は母親が亡くなっていて、父親は仕事でいつも不在だった。家政婦が食事の準備はしてくれるが、オヤツまでは作ってもらえないから、時々俺の母が作ったオヤツを分けてやることが多かった。
ハンナはいつも遠慮しながらも、満面の笑顔で菓子を受け取っていた。同い年だが俺のほうが生まれ月が早いから、いつも年上ぶってハンナの世話を焼いていた。
あの頃の俺は、まだ戦争も魔術も呪いも知らなくて、隣に住むハンナと自分が世界の全てで、この先もずっと同じような毎日が続くと信じて疑わなかった。
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