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夫視点
side:レイモンド3
しおりを挟むある日、イザベラが『ギャレットの遺品をもらってほしい』と言ってきた。
遺品はほとんどもらえなかったらしいのだが、彼の軍服の金ボタンと、携帯用の小ナイフだけはなんとか持ち出せた。そのたったふたつの遺品の、ナイフを俺にもらってほしいという。
ずっと鞘に入れたままにしていたら錆が浮いてきてしまって、砥ぎに出す余裕も無いので、ちゃんと保管できる人に持っていてほしいのだ、と彼女は言った。
大切だからこそ、ちゃんと管理できるひとに渡したいという気持ちはとても理解できたので、預かるつもりで遺品を貰うことを了承した。
ナイフを受け取るために、仕事終わりに一緒にイザベラの家へと向かう。
彼女の家は、女性独りで暮らすには向かないような治安の悪い場所にあった。口にはしなかったが、顔に出ていたのだろう。彼女は俺の顔を見て『これでもマシな場所に家を借りられたんですよ!』と言ってきた。
お茶でも飲んでいってくださいと言われ、上がらせてもらった。部屋は古びているものの、掃除が行き届いている。だが、物がほとんどない寂しい部屋だった。婚家はかなり裕福だったはずなのに、なんの援助もせずにただ追い出したのかと驚き怒りがこみ上げる。
そう言えば、戦争で国内情勢も安定しないせいで、立場の弱い者が虐げられ訴え出る場所もなく泣き寝入りをしているという話を以前ハンナが言っていた。
支援団体を立ち上げた頃に聞いた話だったから、イザベラのように不当に婚家から追い出されるという事例は昔から少なくないのだろう。
彼女の現状を知って、俺は支援団体を紹介する、とイザベラに伝えてみた。
支援団体には、交渉を請け負ってくれる者もいるはずだから、相談すれば今からでも婚家に賠償金を払わせることもできるかもしれない。それに、住宅のあっせんや仕事の紹介もしてもらえるだろうから、一度話をしてみるといい、と言うと、彼女はとても複雑そうな顔をした。
「支援団体の存在は知っています。何度も相談に行こうと思いました。でも……あの団体の運営は、軍人さんの奥様方がおやりになっているじゃないですか。
立派な旦那様がいて、金銭的にも精神的にも余裕があるから、底辺にいる者に施しをしてくれるんですよね?
そこに頼ってしまったら、自分がどうしようもなく惨めになりそうで……ごめんなさい、底辺の生活だとしても、そこには頼りたくないんです。下らないプライドだって分かっていますけど、どうしてもイヤなんです」
申し訳なさそうに下を向く彼女に、考えなしに勧めてしまったことを後悔した。自分が全て失ったものをみんな持っている人々から、施しを受けるのは辛いのだろう。
「すまない、軽率だった。妻は今身体を壊していて活動には参加していないが、以前その支援活動をしていたんだ。支援によって助けられているという話しか聞かなかったので、良かれと思って勧めてしまった」
「……知っています」
「ん?なにを……」
「いえいえ!せっかくご厚意で仰ってくださったのに、生意気言ってごめんなさい!あっ!ナイフ今持ってきますね!」
ぱっと表情を変え、彼女は部屋の奥に踵を返した。
形見のナイフを受け取り、なんとなく気まずいまま、『じゃあ』と言って部屋を出ようとすると、背中にドッと彼女がぶつかって来た。
振り向くと彼女は青い顔をして俺の背中に縋りついていた。
どうした、と声をかけるより前に、彼女が涙声でぽつりと呟く。
「奥様が……羨ましい。あなたみたいな、優しくて強い旦那様がそばにいて、愛されていて……」
「ハンナとは……妻は……」
妻のことを言われると、どうしても今の呪いに侵された醜い姿が脳裏に浮かんでしまう。言葉につまっていると、イザベラがそっと腕を回してきた。
「ごめんなさい。ちょっとだけ……あなたのぬくもりを分けてください。お願い……」
震える指で彼女は俺のシャツをぎゅっとつかむ。
ダメだ、と押し返そうとするが、ごめんなさいごめんなさいと謝りながら涙を流す彼女を、力ずくで振り払う訳にもいかず、仕方なく気持ちが落ちつくまでのつもりで、彼女の好きなようにさせておいた。
早く帰らなくてはいけない。だが、あの呪いに侵されたハンナに会わなくてはならないのかと思うと気持ちが重くなってくる。
ハンナには感謝の気持ちしかない。あれだけのことをしてくれた妻を大切にしなくてはならないと分かっているが、少し前まで自分を苦しめていた呪いが目の前に来ると、またアレが戻ってくるんじゃないかと恐ろしくて仕方がなくなる。
本音を言うと、帰りたくない。ハンナは俺を責めたりしないが、呪いの姿を見せられているだけで、あんなものを妻に押し付けた己の罪を自覚して苦しくなる。
心の中で葛藤していると、彼女が俺の腕を取り、それを抱きしめるようにして指先に何度も口づけをしてきた。
腕が彼女の豊満な胸に挟まれ、柔らかな唇が俺の指を食んでいるのを見て、その隠微な光景に頭がくらくらしてきた。
「少しだけでいいんです。愛人にしてなんて思ってない。少しだけぬくもりを分けてもらえたら、私まだ頑張れる気がするの」
そこまで言われて、俺は彼女を拒むことができなかった。
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