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しおりを挟む軍人だった夫が戦地で呪いを受け負傷兵として帰ってきたのは、奇しくも我が国が勝利宣言をした日だった。
人々が勝利の歓喜に沸き上がるなか、夫の隊が帰還したとの知らせを受けた私は喜びと不安を胸に抱えながら必死に城までの道を走った。
どうか無事で。
それだけを祈り、なりふり構わず人々の波をかき分け城へと行進する帰還兵達の中から夫が居る筈の部隊を見つけ出した。
「夫は……レイは無事ですか?レイモンド・アストンの妻、ハンナです。夫はどこに?」
顔見知りの兵隊を捕まえて夫の消息を尋ねると、みな眉を顰め申し訳なさそうに俯いた。その様子をみて私は最悪の事態が頭をよぎる。
隣国との戦いは我が国の軍事力が大きく勝っていた為、国内への侵攻は受けずに済んだ。だが、隣国は古の呪術を用い我が国の軍隊を翻弄し多くの兵士を殺害し、軍事力に大きな差があるにも関わらず我が国の軍はかなりの被害を受けた。
戦争は当初の予想よりもずいぶんと長引いて、国民はこれまで終わらない戦争に疲弊していた。
夫は軍師の一人として自分の隊を持ち、この一年は終戦に向けて最後の大詰めのためほとんどを戦場で過ごしていた。
最前線に乗り込むことはまずないが、いくつかの部隊は敵の罠にはまり全滅したという話もあった。
まさか夫も戦地で死亡したのだろうかと思い、私は足元から崩れ落ちそうになってしまった。
そんな私に兵隊たちは慌てて『部隊長はご帰還されています!』と声をかけてくれた。
生きている……。それだけで安堵するが、どうやら大きな怪我を負っているらしいと知らされ再び血の気が引いた。
「夫はどこに……?ひ、瀕死の大怪我なのでしょうか?」
そう問うと、皆そうではないと口を揃えて言うが、何か奥歯に物が挟まったような歯切れの悪い様子なのが気になった。とにかく夫に会いに行かねば、と彼が運び込まれた救護室へと走った。
入口で夫の名を告げると、看護師は表情を曇らせ『こちらです』といって少し離れたテントへと私を案内した。中に居る医師の男性に声をかけ、私を引き合わせると看護師は逃げるようにテントから出て行った。
夫はどこかと焦る私に医師は『まず病状の説明をしてから』と言って私を椅子に座らせた。
「落ち着いて聞いてください。アストン隊長は、最後の敵将を討ちとった時に、影に潜んでいた呪術師に呪いを受けてしまいました。
呪術師が奇襲をかけてきた呪いのせいで兵士がその場で5名即死しています。
隊長は鎖帷子に織り込まれた守護符のおかげで死を免れましたが……全くの無事とは言い切れません。呪いに触れてしまったため、皮膚が爛れ容貌が崩れてしまっています。
ご記憶のご主人とはかけ離れた姿になっておられますので……お会いになる前に心の準備をなさってください」
痛ましいものを見るような目で医師は私に夫が置かれている状況を説明した。
私がショックを受けることばかり心配しているようだが、そんなことよりも夫が今生きているという事実だけで十分だった。
鎖帷子に織り込んだ守護符は私が作った物だ。過保護すぎると夫に苦笑されたが、それが夫の命を守れたのだからこれほど嬉しい事は無い。夫の見た目がどのように変わろうと私にとっては些末な問題だ。
「大丈夫です、早く夫に会わせてください。看護が必要な状態なら私がお世話いたします」
医師はためらいながら奥に私を案内してくれた。
簡素なベッドの上で夫は白い包帯にぐるぐる巻きにされた状態で寝かされていた。
顔にも包帯が巻かれていたが、医師の言った意味がすぐに分かった。
夫は軍人ながら端正な顔立ちをしていて、軍服に身を包んだその姿を一目見ようと出陣の際は多くの女性が夫目当てに集まったほどだった。細身ながらしなやかな筋肉に包まれた体躯と涼やかな顔立ちは妻から見てもとても格好よく、人目を引く容姿をしていた。
ベッドに横たわる夫の顔は元の倍くらいに膨れ上がりその皮膚は赤黒く変色している。大きなこぶがボコボコと浮かび体中を覆っているように見えた。顔と同じく身体も大きく膨れ上がり、細身であった元の姿とは似ても似つかない。
ようするに、見た目では夫とは分からないくらいに容貌が変わっていたのだ。
とにかく生きている。話すことは出来るのだろうか?まずは声を聞きたいと思い私は夫に話しかけた。
「レイ、おかえりなさい。……生きて帰ってきてくれて、ありがとう」
私は夫の枕元に跪き声をかける。夫は私の姿をみとめると、驚いたように目を瞠り私から目を逸らした。
大きな肩が震えている。私は夫に手を伸ばしたが、医師にそれを止められた。
「この呪いを解く術が無いのです。ご主人の姿はおそらくこのままでしょう。身体を動かすのにも痛みが伴うようですし、恐らく職務に復帰することは難しいかと。今はそっとしておいて差し上げるしかありません」
夫は軍人としての自分にとても誇りを持っていた。その職務に二度と戻れないという事実はどれだけ彼を苦しめただろうと思うと考えるだけで苦しくなった。
一旦夫の元を離れ、夫のこれからの事を話し合うため軍上層部の元を訪れた。
夫の処遇についての説明だったが、軍から提案されたのは軍に籍は残し傷病兵として手当を毎月支給するということだった。加えて、彼の功績を認め二等級上の勲章を授与するという恐らく破格の扱いを賜り、私はそれを夫に代わり了承した。
勲章は直接夫に授与してほしいと申し上げたが、それはすでに断られたという。呪いを受けたみじめな姿を仲間に晒したくないと言ったそうだ。
プライドの高い夫がそのように思うのは理解できた。
この城に隣接して設営された救護室に留まることも、彼にとっては辛いだろう。城の周りは戦争の終結で歓喜に沸いている。民衆の歓声が聞こえるあの場所で過ごすのは、傷病兵となってしまった彼には拷問のようなものだ。
私たちの家に夫を連れて帰ろう。
どうせここにいても呪いが解けるわけでも無いし、これ以上良くなることも無い。ならば我が家で静かに過ごさせてあげたい。そう思った私は夫を連れて帰る手配をした。
夫の部隊の者や多くの仲間が、城を離れる前に夫にあいさつさせてほしいと申し入れてきたが、彼は静かに首を振るだけで誰とも会おうとはしなかった。
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