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プロローグ
【第1話】真夏の夜の異世界転生
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「パス! 出せ!」
俺は叫んだ。
すかさずミッドフィルダーの蓮から、絶妙なパスが送られてきた。
俺は右足のインサイドでトラップし、スライディングしてきた相手ディフェンダーを軽いステップでかわすと、飛び出してきたゴールキーパーの位置を見定めてから、思いきり右足を振り抜いた。
低い弾道で放たれたボールは、狙いすましたようにゴール左角へと突き刺さった。
アシストを決めた蓮が、俺に抱きついてきた。
「やったぜ、啓太!」
「ナイスパス」
俺は蓮の頭をポンポンと叩いた。
続々と集まってくるチームメイトとハイタッチを交わし、俺は空を見上げた。
夏休みが始まり、はや2週間。
目に写る空は胸に迫るほどに青く、ギラギラと輝く太陽と沸き上がるような入道雲が、夏の真っ只中を告げていた。
試合は結局、1点を守りきった俺たち青陵高校の勝利に終わった。
校内で行われたただの練習試合とはいえ、やっぱり勝てれば気分がいい。それも、自分のゴールが決勝点ともなれば尚更だ。
インターハイの予選では早々に負けてしまったけど、新チームに移行して最初の試合に勝つことができたのはーー
「俺のパスが良かったからだろ」
試合後の後片付けの最中、そう言って蓮はおどけた。
「ま、それはともかく、これから頼むぜ新キャプテン」
そう言い残して、蓮は他のチームメイトの所へ向かった。
そう。3年生が抜けたあとの、新チームのキャプテンに選ばれた俺の名前は、鈴木啓太。
17才の高校2年生だ。
身長は175cmで、体重65kg。
勉強は苦手だが、運動神経なら悪くない。
女子にモテモテ大人気! という訳ではないが、かといって全く相手にされない訳じゃない......はず。今のところ彼女と呼べる人はいないけど、それなりに楽しい高校生活を送っている。俺が新キャプテンに選ばれたのも、きっと人望の為せる技なのだ。
......まあキャプテンなんて言っても、俺が通うこの青陵高校はサッカーの名門でも強豪でもないどこにでもある県立高校で、仕事内容なんてほとんど雑用係のお気楽なもんだから、体よく押し付けられただけのようにも思えるが。
「啓太、ナイスシュートだったね」
自主練後の片付けを終えて部室に向かう途中、不意に声をかけられて振り向くと、そこにはバスケ部のユニフォームを着たポニーテールの女の子がにっこりと笑っていた。幼なじみの宮原紬だ。
紬は女子にしては背が高く、今165cmあるらしい。確かにすらりとした白くて長い手足がユニフォームから伸びている。顔は小さな丸顔で目が大きく、勉強ができてスポーツも得意な紬は、結構男子からの人気が高い。
「格好よかったぞ」
紬の隣にいた、やはり女子バスケ部で普段から仲の良い遠藤千尋が、からかうように言った。
小麦色の肌をした千尋は、紬よりもさらに背が高く、さっぱりとした性格とハスキーな声が相まって、同性の特に下級生の子たちから異常な人気があるらしく、本人は嫌がっているが間違いなく俺よりモテている。
どうやら女子バスケ部も今、練習が終わったところ
らしく、3人で連れだって歩いていると、部室の方から制服に着替えた蓮がやって来た。
「お、本日ノーゴールの蓮くんの登場だ」
千尋が小馬鹿にしたように冷やかした。
「なんだ、蓮。まだいたのか」
俺が言うと、
「あ、ひでえ! 一緒に帰ろうと思って待っててやったのに。それに千尋、啓太の得点の半分は俺のナイスパスのお陰だぞ!」
と、蓮はまとめて抗議の声を上げた。
「分かってる分かってる。ちゃんと見てたよ」
千尋は蓮を完全に子供扱いだ。
実際、身長は千尋より蓮のほうがちょっぴり低い。
ちなみに千尋の自称身長は169cmで、蓮は蓮で自分は170cmだと言い張っており、どう見ても矛盾しているのだが、2人とも(特に蓮は)決して人前で横並びになろうとはしない。
「ねえ、2人とも少し待っててよ。私たちダッシュで着替えてくるから、みんなで一緒に帰ろ」
紬が提案すると、
「お、それいいね」
と千尋も乗ってきた。
「じゃあ、校門のとこで集合な」
蓮もまんざらではないらしい。
俺と紬は家が近所なうえ幼稚園も一緒で、蓮は小学校、千尋は中学からの友達だから、帰る方角がざっくり同じなのだ。
俺は手早くシャワーを浴びて、蓮と一緒に校門へ向かった。
当然、紬と千尋はまだ来ていないみたいだ。
「なあ」
「ん?」
2人を待っていると、蓮がおもむろに口を開いた。
「お前、まだ紬と付き合ってないんだろ?」
「なんだよ急に」
俺は少しドキッとした。
「俺のクラスに伊藤っていうちょっとチャラいやつがいるだろ? あいつおととい紬に告ったらしい」
「へえー」
ってことは、6組の男子バスケ部で陽キャの典型みたいなあいつか。
紬、本当にモテるんだな。
「それで、紬はなんて?」
「伊藤、断られたってさ」
なぜか蓮は少し嬉しそうだ。
「紬ってさ、お前が思ってる以上にモテるんだぜ。何しろとにかくかわいいし、性格もいいからな」
「そうかぁ?」
一緒にいる時間が長すぎると、お互いの存在が当たり前になりすぎて見えなくなることがあるらしい。
「なあ啓太。紬が何で彼氏作らないのか、考えたことあるか?」
「忙しいからだろ?」
何気なく答えると、
「ちょ、お前......バカ! お前本当にバカ!」
蓮は突然怒りだした。
「な、なんだよ急に」
情緒の不安定な蓮に困惑していると、昇降口のほうからバタバタと足音を響かせて、制服姿の女子が2人走ってきた。
「ごめーん、遅くなって! 待った?」
紬の声だ。
2人ともシャワーを浴びてきただろうに、早くも額に汗を浮かばせている。
「全然待ってねえよ! な、啓太!」
「あんた、何怒ってんのよ」
ハスキーボイスが不思議そうに尋ねる。
「啓太の鈍感さに呆れてんの!」
「ふうん。何? あんたたち、付き合ってるの?」
千尋の言葉に、4人は一斉に笑い声を上げた。
「じゃあな!」
「また明日ね!」
黄昏時の交差点で蓮と千尋と別れた俺と紬は、思いがけないスピードで夜に変わりつつある寂れた田舎道を、2人並んで自転車を押しながら歩いた。
さっきまであれほど喋ってあれほど笑っていたのが嘘のように、紬は急に無口になった。
俺は俺で、校門で蓮の言っていたセリフが妙に気になって、いつものような軽口が出てこない。
(お前、まだ紬と付き合ってないんだろ?)
(紬が何で彼氏作らないのか、考えたことあるか?)
......なんだよそれ。俺のせいだってのか?
ってことは、紬は俺のこと......いやいやいや。それはない。それはないわ。だって俺たち物心ついた時にはもう一緒になって遊んでたんだぜ。感覚的にはもう、兄妹とか家族みたいなもんだろ。
......紬は違うのか?
夜の闇が昼の明るさを駆逐しだし、ポツンポツンと並んだ街灯が、チカチカと弱々しい光を灯しはじめた。
本日最終の破れかぶれみたいな蝉時雨の中を、無言のまま体感で5分くらい歩き、人気のない小さな公園の前まできたところで、俺は思いきって声を掛けることにした。
「なあ」
「ねえ」
っておい、嘘だろ! タイミング被ったんですけど!
「あっ、ごめん何?」
「あ、ああ。いや、紬から先どぞ」
うわ、ヤバ。俺今めっちゃキョドってるじゃん。
「どぞ」の時のこの左手はなんだよ。
「あ、うん。んとさ、明後日氷室神社でお祭りがあるの知ってる?」
そんな俺の内心の焦りをよそに、紬は話し始めた。
「ああ、毎年一緒に行ってたとこだろ? そういやここ数年行かなくなっちゃったな」
「うん。でね、また昔みたいに行きたいなって思ったの。啓太と2人で」
そう言って紬は、はにかむように笑った。
本人はたぶん、サラッと言ったつもりなんだろうけど、俺は気がついていた。
紬の耳が、真っ赤に染まっていることに。
(ああ、紬ってかわいかったんだな)
初めて俺は紬を1人の女の子として意識した。
最後の残照の一雫に照らされた紬の瞳は潤んだようにキラキラと輝いていた。
思わず見惚れる俺に、紬は戸惑ったように言った。
「あの......ダメ、かな」
「あっ、いや、ダメじゃない。いいよ、行こうぜ」
俺は何かを吹っ切ったように言った。
「本当!? やった!」
嬉しさと恥ずかしさを同居させながら喜ぶ紬を見て、俺たち2人の新しい関係の始まりを予感したとき、突然この辺りには似つかわしくない悪趣味なワンボックスが俺たちのすぐ脇を駆け抜け、やがて止まった。
(なんだ?)
何事だろうと思い眺めていると、間もなくワンボックスから2人の若い男が降りてきた。
1人は背の高いタンクトップを着たリーゼントの男 で、1人は背の低い黄色のアロハシャツを着た坊主頭だ。
見るからにタチの悪そうなその男たちは、まっすぐにこちらに向かってくると、紬の前に立ちはだかった。
「あんた宮原紬さんだよね? 宮原武瑠の妹の」
タンクトップの男がそう尋ねた。
「え....」
紬は明らかに怯え、戸惑っている。
タンクトップの男の言う通り、武瑠くんは、紬の3つ上のお兄さんで、俺も小学生の頃まではよく一緒に遊んでいた。
ただ、最近は紬もあまり語りたがらないが、家を飛び出して、良からぬ連中とつるんでいるらしい。
「武瑠の居場所知らない?」
タンクトップは、爬虫類みたいな冷たい目で、紬を見ている。
まるで俺のことなど存在していないかのごときだ。
だが、どう考えたってこれはただ事じゃない。
「行こう」
俺は紬の手を握って歩きだそうとした。
すると突然アロハシャツの男が俺の自転車を蹴り倒した。
「おい、兄ちゃん! どっか行くんなら1人で行けや! 俺たちはこの姉ちゃんに話があるんじゃ!」
ええ!?
俺は思わずムッとしてアロハの男を睨み付けた。だが、それが良くなかったらしい。
「なんだその面は!」
左頬が衝撃とともにカッと熱くなった。
どうやら俺は殴られたらしい。
「啓太!」
紬の叫ぶ声が聞こえる。
嘘だろおい。
武瑠くん、一体何をやらかしたんだよ。
「あー、なんか面倒臭せえな。ちょっと姉ちゃん、一緒に来てよ」
「きゃあっ!」
ガシャンと自転車の倒れる音がして、顔を上げるとなんとタンクトップが紬の腕を掴み、趣味の悪いワンボックスに連れ込もうと引っ張り始めていた。
おいおい。
おいおいおいおい。
「待てよ!」
もう何がなんだか分からないけど、とにかく紬が車に乗せられたらアウトだ。
それだけは絶対阻止しなきゃいけない。
俺は紬を助けるために、タンクトップに駆け寄ろうとした。
が、アロハシャツに胸ぐらを掴まれ再び殴られた。
「嫌っ! 放して!」
そうこうしてる間にも、紬はどんどん車の方へと引っ張られている。
「このっ!」
こうなりゃこっちもやってやる!
俺は2発分の恨みも込めて、アロハの顔面を思いきり殴りつけた。自慢ではないが、全力で人を殴ったのは生まれて初めてだ。
すると、案外あっさりとアロハは仰向けにひっくり返った。
なんだこいつ、見かけ倒しだ。めちゃめちゃ弱いぞ。よし!
俺は急いで紬の元へ向かい、紬の腕を掴んでいるタンクトップの右腕を掴みながら言った。
「手を離せ!」
「ちっ」
タンクトップがダルそうに舌打ちした。
「おい、兄ちゃん。お前にゃ関係ねえ。すっこんでな」
「そうはいかないね」
(紬は俺の大切な......)
ドン。
その時、背中に強い衝撃が走った。
「啓太!」
紬の叫び声が響いた。
なんだ?
思わず振り向くと、アロハがすぐ目の前にいた。手に何か握っている。
そう思った瞬間、今度は腹に何かが突き刺さったようだ。
「嫌ぁ!!」
また、紬の叫ぶ声。
あれっ?
突然足に力が入らなくなって、俺はヘナヘナと情けなくその場にへたりこんだ。
嘘だろ。
俺、刺されたのか?
痛みはない。
ただ、腹に手を当てると、両手がすぐに真っ赤に染まった。よく見ると、足元には大量の血溜まりができている。
人間、こんなに血って出るもんなんだな。
「おい、お前勝手に何やってんだ!」
「こいつがふざけた真似しやがるのが悪いんだ」
タンクトップとアロハが何か言い争いをしている。
「キャーッ!」
遠くで高齢女性の悲鳴が聞こえた。
「くそ、行くぞ!」
タンクトップとアロハが車に飛び乗り、そのまま走り去って行った。
「啓太! 大丈夫!? しっかりして、啓太!」
紬が俺の顔を抱え込むようにして体を支えている。
俺の背中と腹からは、なお止めどなく血が流れ続けているようだ。
ああ、これはあれだ。
俺はもう助からないな。
こういうのって、本能で分かるもんだな。
でも、紬が無事でよかった。
体からどんどんと力が抜けていく。
冷えていく体に、紬の体温だけが熱いくらいだ。
そうだ、最後に俺の思いを伝えなきゃ。やっと気づいた俺の思いを。
「紬......」
もう、思ったような声量が出ない。
「お前、かわいいよ......」
「啓太! 啓太!」
ああ、せっかくのかわいい顔がグシャグシャだ。
「紬......幸せに.......」
なって欲しい。
最後は言葉にならなかったけど、届いたよな、俺の気持ち。
俺たち、ずっと一緒だったもんな。
やがて全身からすっかり力が抜け、ただ感覚だけが闇の中へと滑り落ちて行った。
......。
............。
「......さん」
「ケ......タさん......」
「ケイタさん......」
どこからか俺の名を呼ぶ声が聞こえる。
「ケイタさん!」
「え?」
目を開くと、視界一面に青空が広がった。
どうやら俺は制服姿のまま仰向けに寝転がっているらしい。
首を捻って周囲を見渡すと、ここは不思議な形の山と森に囲まれた草原だった。
遠くでキラキラと光るのは湖の水面だろうか。どことなく幻想的な景色だ。
「よかった。気がついて」
「わ!」
声のする方を振り向いて、俺は思わず声を上げた。
そこにはスズメくらいの大きさの、透明な羽を生やした女の子が、ゆらゆらと揺れるように宙に佇んでいた。
「私、妖精のマァルです」
女の子は、おずおずとした様子で俺に自己紹介をした。
俺は叫んだ。
すかさずミッドフィルダーの蓮から、絶妙なパスが送られてきた。
俺は右足のインサイドでトラップし、スライディングしてきた相手ディフェンダーを軽いステップでかわすと、飛び出してきたゴールキーパーの位置を見定めてから、思いきり右足を振り抜いた。
低い弾道で放たれたボールは、狙いすましたようにゴール左角へと突き刺さった。
アシストを決めた蓮が、俺に抱きついてきた。
「やったぜ、啓太!」
「ナイスパス」
俺は蓮の頭をポンポンと叩いた。
続々と集まってくるチームメイトとハイタッチを交わし、俺は空を見上げた。
夏休みが始まり、はや2週間。
目に写る空は胸に迫るほどに青く、ギラギラと輝く太陽と沸き上がるような入道雲が、夏の真っ只中を告げていた。
試合は結局、1点を守りきった俺たち青陵高校の勝利に終わった。
校内で行われたただの練習試合とはいえ、やっぱり勝てれば気分がいい。それも、自分のゴールが決勝点ともなれば尚更だ。
インターハイの予選では早々に負けてしまったけど、新チームに移行して最初の試合に勝つことができたのはーー
「俺のパスが良かったからだろ」
試合後の後片付けの最中、そう言って蓮はおどけた。
「ま、それはともかく、これから頼むぜ新キャプテン」
そう言い残して、蓮は他のチームメイトの所へ向かった。
そう。3年生が抜けたあとの、新チームのキャプテンに選ばれた俺の名前は、鈴木啓太。
17才の高校2年生だ。
身長は175cmで、体重65kg。
勉強は苦手だが、運動神経なら悪くない。
女子にモテモテ大人気! という訳ではないが、かといって全く相手にされない訳じゃない......はず。今のところ彼女と呼べる人はいないけど、それなりに楽しい高校生活を送っている。俺が新キャプテンに選ばれたのも、きっと人望の為せる技なのだ。
......まあキャプテンなんて言っても、俺が通うこの青陵高校はサッカーの名門でも強豪でもないどこにでもある県立高校で、仕事内容なんてほとんど雑用係のお気楽なもんだから、体よく押し付けられただけのようにも思えるが。
「啓太、ナイスシュートだったね」
自主練後の片付けを終えて部室に向かう途中、不意に声をかけられて振り向くと、そこにはバスケ部のユニフォームを着たポニーテールの女の子がにっこりと笑っていた。幼なじみの宮原紬だ。
紬は女子にしては背が高く、今165cmあるらしい。確かにすらりとした白くて長い手足がユニフォームから伸びている。顔は小さな丸顔で目が大きく、勉強ができてスポーツも得意な紬は、結構男子からの人気が高い。
「格好よかったぞ」
紬の隣にいた、やはり女子バスケ部で普段から仲の良い遠藤千尋が、からかうように言った。
小麦色の肌をした千尋は、紬よりもさらに背が高く、さっぱりとした性格とハスキーな声が相まって、同性の特に下級生の子たちから異常な人気があるらしく、本人は嫌がっているが間違いなく俺よりモテている。
どうやら女子バスケ部も今、練習が終わったところ
らしく、3人で連れだって歩いていると、部室の方から制服に着替えた蓮がやって来た。
「お、本日ノーゴールの蓮くんの登場だ」
千尋が小馬鹿にしたように冷やかした。
「なんだ、蓮。まだいたのか」
俺が言うと、
「あ、ひでえ! 一緒に帰ろうと思って待っててやったのに。それに千尋、啓太の得点の半分は俺のナイスパスのお陰だぞ!」
と、蓮はまとめて抗議の声を上げた。
「分かってる分かってる。ちゃんと見てたよ」
千尋は蓮を完全に子供扱いだ。
実際、身長は千尋より蓮のほうがちょっぴり低い。
ちなみに千尋の自称身長は169cmで、蓮は蓮で自分は170cmだと言い張っており、どう見ても矛盾しているのだが、2人とも(特に蓮は)決して人前で横並びになろうとはしない。
「ねえ、2人とも少し待っててよ。私たちダッシュで着替えてくるから、みんなで一緒に帰ろ」
紬が提案すると、
「お、それいいね」
と千尋も乗ってきた。
「じゃあ、校門のとこで集合な」
蓮もまんざらではないらしい。
俺と紬は家が近所なうえ幼稚園も一緒で、蓮は小学校、千尋は中学からの友達だから、帰る方角がざっくり同じなのだ。
俺は手早くシャワーを浴びて、蓮と一緒に校門へ向かった。
当然、紬と千尋はまだ来ていないみたいだ。
「なあ」
「ん?」
2人を待っていると、蓮がおもむろに口を開いた。
「お前、まだ紬と付き合ってないんだろ?」
「なんだよ急に」
俺は少しドキッとした。
「俺のクラスに伊藤っていうちょっとチャラいやつがいるだろ? あいつおととい紬に告ったらしい」
「へえー」
ってことは、6組の男子バスケ部で陽キャの典型みたいなあいつか。
紬、本当にモテるんだな。
「それで、紬はなんて?」
「伊藤、断られたってさ」
なぜか蓮は少し嬉しそうだ。
「紬ってさ、お前が思ってる以上にモテるんだぜ。何しろとにかくかわいいし、性格もいいからな」
「そうかぁ?」
一緒にいる時間が長すぎると、お互いの存在が当たり前になりすぎて見えなくなることがあるらしい。
「なあ啓太。紬が何で彼氏作らないのか、考えたことあるか?」
「忙しいからだろ?」
何気なく答えると、
「ちょ、お前......バカ! お前本当にバカ!」
蓮は突然怒りだした。
「な、なんだよ急に」
情緒の不安定な蓮に困惑していると、昇降口のほうからバタバタと足音を響かせて、制服姿の女子が2人走ってきた。
「ごめーん、遅くなって! 待った?」
紬の声だ。
2人ともシャワーを浴びてきただろうに、早くも額に汗を浮かばせている。
「全然待ってねえよ! な、啓太!」
「あんた、何怒ってんのよ」
ハスキーボイスが不思議そうに尋ねる。
「啓太の鈍感さに呆れてんの!」
「ふうん。何? あんたたち、付き合ってるの?」
千尋の言葉に、4人は一斉に笑い声を上げた。
「じゃあな!」
「また明日ね!」
黄昏時の交差点で蓮と千尋と別れた俺と紬は、思いがけないスピードで夜に変わりつつある寂れた田舎道を、2人並んで自転車を押しながら歩いた。
さっきまであれほど喋ってあれほど笑っていたのが嘘のように、紬は急に無口になった。
俺は俺で、校門で蓮の言っていたセリフが妙に気になって、いつものような軽口が出てこない。
(お前、まだ紬と付き合ってないんだろ?)
(紬が何で彼氏作らないのか、考えたことあるか?)
......なんだよそれ。俺のせいだってのか?
ってことは、紬は俺のこと......いやいやいや。それはない。それはないわ。だって俺たち物心ついた時にはもう一緒になって遊んでたんだぜ。感覚的にはもう、兄妹とか家族みたいなもんだろ。
......紬は違うのか?
夜の闇が昼の明るさを駆逐しだし、ポツンポツンと並んだ街灯が、チカチカと弱々しい光を灯しはじめた。
本日最終の破れかぶれみたいな蝉時雨の中を、無言のまま体感で5分くらい歩き、人気のない小さな公園の前まできたところで、俺は思いきって声を掛けることにした。
「なあ」
「ねえ」
っておい、嘘だろ! タイミング被ったんですけど!
「あっ、ごめん何?」
「あ、ああ。いや、紬から先どぞ」
うわ、ヤバ。俺今めっちゃキョドってるじゃん。
「どぞ」の時のこの左手はなんだよ。
「あ、うん。んとさ、明後日氷室神社でお祭りがあるの知ってる?」
そんな俺の内心の焦りをよそに、紬は話し始めた。
「ああ、毎年一緒に行ってたとこだろ? そういやここ数年行かなくなっちゃったな」
「うん。でね、また昔みたいに行きたいなって思ったの。啓太と2人で」
そう言って紬は、はにかむように笑った。
本人はたぶん、サラッと言ったつもりなんだろうけど、俺は気がついていた。
紬の耳が、真っ赤に染まっていることに。
(ああ、紬ってかわいかったんだな)
初めて俺は紬を1人の女の子として意識した。
最後の残照の一雫に照らされた紬の瞳は潤んだようにキラキラと輝いていた。
思わず見惚れる俺に、紬は戸惑ったように言った。
「あの......ダメ、かな」
「あっ、いや、ダメじゃない。いいよ、行こうぜ」
俺は何かを吹っ切ったように言った。
「本当!? やった!」
嬉しさと恥ずかしさを同居させながら喜ぶ紬を見て、俺たち2人の新しい関係の始まりを予感したとき、突然この辺りには似つかわしくない悪趣味なワンボックスが俺たちのすぐ脇を駆け抜け、やがて止まった。
(なんだ?)
何事だろうと思い眺めていると、間もなくワンボックスから2人の若い男が降りてきた。
1人は背の高いタンクトップを着たリーゼントの男 で、1人は背の低い黄色のアロハシャツを着た坊主頭だ。
見るからにタチの悪そうなその男たちは、まっすぐにこちらに向かってくると、紬の前に立ちはだかった。
「あんた宮原紬さんだよね? 宮原武瑠の妹の」
タンクトップの男がそう尋ねた。
「え....」
紬は明らかに怯え、戸惑っている。
タンクトップの男の言う通り、武瑠くんは、紬の3つ上のお兄さんで、俺も小学生の頃まではよく一緒に遊んでいた。
ただ、最近は紬もあまり語りたがらないが、家を飛び出して、良からぬ連中とつるんでいるらしい。
「武瑠の居場所知らない?」
タンクトップは、爬虫類みたいな冷たい目で、紬を見ている。
まるで俺のことなど存在していないかのごときだ。
だが、どう考えたってこれはただ事じゃない。
「行こう」
俺は紬の手を握って歩きだそうとした。
すると突然アロハシャツの男が俺の自転車を蹴り倒した。
「おい、兄ちゃん! どっか行くんなら1人で行けや! 俺たちはこの姉ちゃんに話があるんじゃ!」
ええ!?
俺は思わずムッとしてアロハの男を睨み付けた。だが、それが良くなかったらしい。
「なんだその面は!」
左頬が衝撃とともにカッと熱くなった。
どうやら俺は殴られたらしい。
「啓太!」
紬の叫ぶ声が聞こえる。
嘘だろおい。
武瑠くん、一体何をやらかしたんだよ。
「あー、なんか面倒臭せえな。ちょっと姉ちゃん、一緒に来てよ」
「きゃあっ!」
ガシャンと自転車の倒れる音がして、顔を上げるとなんとタンクトップが紬の腕を掴み、趣味の悪いワンボックスに連れ込もうと引っ張り始めていた。
おいおい。
おいおいおいおい。
「待てよ!」
もう何がなんだか分からないけど、とにかく紬が車に乗せられたらアウトだ。
それだけは絶対阻止しなきゃいけない。
俺は紬を助けるために、タンクトップに駆け寄ろうとした。
が、アロハシャツに胸ぐらを掴まれ再び殴られた。
「嫌っ! 放して!」
そうこうしてる間にも、紬はどんどん車の方へと引っ張られている。
「このっ!」
こうなりゃこっちもやってやる!
俺は2発分の恨みも込めて、アロハの顔面を思いきり殴りつけた。自慢ではないが、全力で人を殴ったのは生まれて初めてだ。
すると、案外あっさりとアロハは仰向けにひっくり返った。
なんだこいつ、見かけ倒しだ。めちゃめちゃ弱いぞ。よし!
俺は急いで紬の元へ向かい、紬の腕を掴んでいるタンクトップの右腕を掴みながら言った。
「手を離せ!」
「ちっ」
タンクトップがダルそうに舌打ちした。
「おい、兄ちゃん。お前にゃ関係ねえ。すっこんでな」
「そうはいかないね」
(紬は俺の大切な......)
ドン。
その時、背中に強い衝撃が走った。
「啓太!」
紬の叫び声が響いた。
なんだ?
思わず振り向くと、アロハがすぐ目の前にいた。手に何か握っている。
そう思った瞬間、今度は腹に何かが突き刺さったようだ。
「嫌ぁ!!」
また、紬の叫ぶ声。
あれっ?
突然足に力が入らなくなって、俺はヘナヘナと情けなくその場にへたりこんだ。
嘘だろ。
俺、刺されたのか?
痛みはない。
ただ、腹に手を当てると、両手がすぐに真っ赤に染まった。よく見ると、足元には大量の血溜まりができている。
人間、こんなに血って出るもんなんだな。
「おい、お前勝手に何やってんだ!」
「こいつがふざけた真似しやがるのが悪いんだ」
タンクトップとアロハが何か言い争いをしている。
「キャーッ!」
遠くで高齢女性の悲鳴が聞こえた。
「くそ、行くぞ!」
タンクトップとアロハが車に飛び乗り、そのまま走り去って行った。
「啓太! 大丈夫!? しっかりして、啓太!」
紬が俺の顔を抱え込むようにして体を支えている。
俺の背中と腹からは、なお止めどなく血が流れ続けているようだ。
ああ、これはあれだ。
俺はもう助からないな。
こういうのって、本能で分かるもんだな。
でも、紬が無事でよかった。
体からどんどんと力が抜けていく。
冷えていく体に、紬の体温だけが熱いくらいだ。
そうだ、最後に俺の思いを伝えなきゃ。やっと気づいた俺の思いを。
「紬......」
もう、思ったような声量が出ない。
「お前、かわいいよ......」
「啓太! 啓太!」
ああ、せっかくのかわいい顔がグシャグシャだ。
「紬......幸せに.......」
なって欲しい。
最後は言葉にならなかったけど、届いたよな、俺の気持ち。
俺たち、ずっと一緒だったもんな。
やがて全身からすっかり力が抜け、ただ感覚だけが闇の中へと滑り落ちて行った。
......。
............。
「......さん」
「ケ......タさん......」
「ケイタさん......」
どこからか俺の名を呼ぶ声が聞こえる。
「ケイタさん!」
「え?」
目を開くと、視界一面に青空が広がった。
どうやら俺は制服姿のまま仰向けに寝転がっているらしい。
首を捻って周囲を見渡すと、ここは不思議な形の山と森に囲まれた草原だった。
遠くでキラキラと光るのは湖の水面だろうか。どことなく幻想的な景色だ。
「よかった。気がついて」
「わ!」
声のする方を振り向いて、俺は思わず声を上げた。
そこにはスズメくらいの大きさの、透明な羽を生やした女の子が、ゆらゆらと揺れるように宙に佇んでいた。
「私、妖精のマァルです」
女の子は、おずおずとした様子で俺に自己紹介をした。
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国内最強の勇者パーティを率いる勇者ユーリが、突然の引退を宣言した。
幼い頃に神託を受けて勇者に選ばれて以来、寝る間も惜しんで人々を助け続けてきたユーリ。
彼はもう限界だったのだ。
「これからは好きな時に寝て、好きな時に食べて、好きな時に好きな子とエッチしてやる!! ハーレム作ってやるーーーー!!」
そんな発言に愛想を尽かし、パーティメンバーは彼の元から去っていくが……。
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