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41.糸(2)
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「こんな話を、娘にするのも恥ずかしいんだが……実は、母さんと知り合ったきっかけがイトの葉でね」
「えっ……そうなの?」
「ああ。私が家の庭でイトの葉を摘んでいたら、たまたま通りかかった母さんが話しかけてきたんだ。『ずいぶん良い香りがするけれど、それは何という植物なのですか?』って……煌びやかな服を着た貴族のお嬢さんが、垣根の上からひょっこり顔を出して。ふふっ、あの時は驚いたなあ」
遠い目をしながら懐かしそうに語る父を、ミーアはただ無言で見つめた。
父と母の馴れ初めにも驚いたが、今まで父が特別な想いを込めてイトの葉を育てていたことを初めて知り、ミーアの胸にも熱いものが込み上げてくる。これもきっと、王都に来ることがなければ一生知ることはなかったのだろう。
「イリヤも……母さんもきっと、立派に育ったおまえの姿を見たかったことだろうな。ふふ、新しい家に着いたら、またイトの苗木を植えようか」
「うん……そうね。お父様にとって、イトの葉は特別なものだったのね。知らなかったわ」
「はは、そうだなあ。だから、城の庭でイトの苗木に水やりをしている殿下と会ったときは驚いたよ。思わず声をかけたら、ミーアに教わって植えたとおっしゃるものだから、またびっくりしてね」
笑いながら話す父の横顔を見つめながら、ミーアはリオンとイトの苗を植えたときのことを思い出す。彼とともにイトの葉を育てていたあの一時だけは、つらく苦しい城での生活の中でも唯一穏やかな時が流れていたように思う。
「植物を育てるのは難しいが、思い通りにならないのが楽しい……こんな感情は生まれて初めてだと、リオン殿下はおっしゃっていたよ」
「……そう、なんだ」
「農民がこうして苦労しながら作物を育ててくれていると、身をもって知ることができた。ミーアには大切なことを教えてもらっているんだ、ってね。私は何もしていないが、それを聞いてなんだか誇らしくなったよ」
相槌を打とうとしたが、それと同時になぜか涙があふれそうになって、ミーアはただ黙って頷くことしかできなかった。
父はそんなミーアをちらりと見やったが、それ以上は何も言わなかった。父は父なりに思うことがあるようだが、今はミーアの気持ちが落ち着くのを待つつもりでいるのだろう。父の無言の優しさに甘えて、ミーアは馬車の揺れに身を任せながら、しばらくの間ただじっと外の景色を眺めていた。
「――ああ、もうすぐ薬屋に着くな。ミーア、すまんが少し待っていてくれるか?」
街の中心地から少し離れた場所で、馬車は動きを止めた。新しい家へと向かう前に、父の持病の薬を多めに出してもらうため、いつも世話になっている薬屋に寄るらしい。
「事前に頼んでおいてもらったから、受け取るだけで済むはずだ。そう時間はかからないよ」
「それなら、私が行ってお薬をもらってくるわ。お父様は待っていて」
「だが……」
「大丈夫よ。外の空気も吸いたいし」
「そうか? それじゃあ、頼むよ。ありがとう」
馭者に馬車の扉を開けてもらい外に出ると、眩しい太陽の光がミーアを照らした。今日も王都は快晴で、雲一つない青空が広がっている。
少し伸びをしてから、通りを挟んだ向こう側にある薬屋へと足を向ける。すると、ちょうどその薬屋の中から人が出てくるのが見えた。何気なくその顔を見て、ミーアは思わず声を上げる。
「あれは……トガミさん?」
紙袋を抱えて薬屋から出てきたのは、星読師のトガミだった。
いつも彼が身に纏っている重たそうな飾りのついた衣装ではなく、周囲の人々と同じ簡素な服を着てはいるが、見間違えではない。ミーアはぴたりと動きを止めて、咄嗟に馬車の影に隠れた。
ミーアたちが今日ソルズ城を出ていくことを、トガミはまだ知らないはずだ。側近である彼にもそのうちこのことは知られるのだろうが、今はまだ伏せておいた方がいいだろう。それに、今トガミと顔を合わせていろいろと口出しされるのは避けたかった。
「そろそろ、行ったかな……?」
こそこそと顔を出して通りの向こうを見ると、トガミはミーアに気づくことなく大通り沿いを歩いていき、一つ目の路地を曲がってすぐ姿を消してしまった。
「えっ……そうなの?」
「ああ。私が家の庭でイトの葉を摘んでいたら、たまたま通りかかった母さんが話しかけてきたんだ。『ずいぶん良い香りがするけれど、それは何という植物なのですか?』って……煌びやかな服を着た貴族のお嬢さんが、垣根の上からひょっこり顔を出して。ふふっ、あの時は驚いたなあ」
遠い目をしながら懐かしそうに語る父を、ミーアはただ無言で見つめた。
父と母の馴れ初めにも驚いたが、今まで父が特別な想いを込めてイトの葉を育てていたことを初めて知り、ミーアの胸にも熱いものが込み上げてくる。これもきっと、王都に来ることがなければ一生知ることはなかったのだろう。
「イリヤも……母さんもきっと、立派に育ったおまえの姿を見たかったことだろうな。ふふ、新しい家に着いたら、またイトの苗木を植えようか」
「うん……そうね。お父様にとって、イトの葉は特別なものだったのね。知らなかったわ」
「はは、そうだなあ。だから、城の庭でイトの苗木に水やりをしている殿下と会ったときは驚いたよ。思わず声をかけたら、ミーアに教わって植えたとおっしゃるものだから、またびっくりしてね」
笑いながら話す父の横顔を見つめながら、ミーアはリオンとイトの苗を植えたときのことを思い出す。彼とともにイトの葉を育てていたあの一時だけは、つらく苦しい城での生活の中でも唯一穏やかな時が流れていたように思う。
「植物を育てるのは難しいが、思い通りにならないのが楽しい……こんな感情は生まれて初めてだと、リオン殿下はおっしゃっていたよ」
「……そう、なんだ」
「農民がこうして苦労しながら作物を育ててくれていると、身をもって知ることができた。ミーアには大切なことを教えてもらっているんだ、ってね。私は何もしていないが、それを聞いてなんだか誇らしくなったよ」
相槌を打とうとしたが、それと同時になぜか涙があふれそうになって、ミーアはただ黙って頷くことしかできなかった。
父はそんなミーアをちらりと見やったが、それ以上は何も言わなかった。父は父なりに思うことがあるようだが、今はミーアの気持ちが落ち着くのを待つつもりでいるのだろう。父の無言の優しさに甘えて、ミーアは馬車の揺れに身を任せながら、しばらくの間ただじっと外の景色を眺めていた。
「――ああ、もうすぐ薬屋に着くな。ミーア、すまんが少し待っていてくれるか?」
街の中心地から少し離れた場所で、馬車は動きを止めた。新しい家へと向かう前に、父の持病の薬を多めに出してもらうため、いつも世話になっている薬屋に寄るらしい。
「事前に頼んでおいてもらったから、受け取るだけで済むはずだ。そう時間はかからないよ」
「それなら、私が行ってお薬をもらってくるわ。お父様は待っていて」
「だが……」
「大丈夫よ。外の空気も吸いたいし」
「そうか? それじゃあ、頼むよ。ありがとう」
馭者に馬車の扉を開けてもらい外に出ると、眩しい太陽の光がミーアを照らした。今日も王都は快晴で、雲一つない青空が広がっている。
少し伸びをしてから、通りを挟んだ向こう側にある薬屋へと足を向ける。すると、ちょうどその薬屋の中から人が出てくるのが見えた。何気なくその顔を見て、ミーアは思わず声を上げる。
「あれは……トガミさん?」
紙袋を抱えて薬屋から出てきたのは、星読師のトガミだった。
いつも彼が身に纏っている重たそうな飾りのついた衣装ではなく、周囲の人々と同じ簡素な服を着てはいるが、見間違えではない。ミーアはぴたりと動きを止めて、咄嗟に馬車の影に隠れた。
ミーアたちが今日ソルズ城を出ていくことを、トガミはまだ知らないはずだ。側近である彼にもそのうちこのことは知られるのだろうが、今はまだ伏せておいた方がいいだろう。それに、今トガミと顔を合わせていろいろと口出しされるのは避けたかった。
「そろそろ、行ったかな……?」
こそこそと顔を出して通りの向こうを見ると、トガミはミーアに気づくことなく大通り沿いを歩いていき、一つ目の路地を曲がってすぐ姿を消してしまった。
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