上 下
39 / 55

39.心(3)

しおりを挟む
 ――リオン殿下がほかの人と結婚しないことに、私はなぜ安堵したのだろう。

 その答えに辿り着いてしまうことが恐ろしくて、ミーアは顔を伏せる。そんな彼女の胸中など知らぬまま、リオンは言葉を続けた。
 
「以前ミーアが言ったように、今までの私は星のお導きだけに従い、自ら考えることを放棄していたように思う。それが王族の習わしなのだと教えられて、愚直にそう信じ続けていた……」
「……はい」
「だが、きみと出会ってから考えるようになったんだ。星のお導きとは、何か……本当にこの国の民のことを思うなら、星の示すがままにするのではなく、自分自身で考え行動すべきではないかと。それに私はこれまで、王都以外の、陽の当たらない土地に住む者たちのことを顧みていなかった」

 リオンと共にイトの苗を植え育てたことを思い出し、ミーアは目を細める。
 植物を育てるのは初めてだと言って、彼はまるで少年のようにはしゃいでいた。ミーアの教えを忠実に守りながら、楽しそうに苗を植えていたリオンの横顔を今でもよく覚えている。
 あのとき育てたイトの葉は、ミーアとリオンが賊に襲われたことで収穫することが叶わなかったから、きっとそのまま枯れてしまったのだろう。少し前にミーアが畑の様子を見に行ったが、そこにはもう役目を終えた茶色い木々が並んでいるだけだった。
 
「この一件が落ち着いたら、すぐにでも政策の見直しをするつもりだ。今は、王都に近い地域でないと富を得られない仕組みになっている……それでは、ミーアたちの住んでいたような雨の多い農村地域はますます廃れていってしまう。気候の差があるからこそ様々な作物が育つというのに、それでは多様性が失われていくばかりだからな」
「え……リオン殿下、もしかしてこの国の植物について調べたのですか?」
「ああ。なぜ今までこんな大事なことに目を向けなかったのかと、自分を恥じたよ。ミーアのおかげで気付けたんだ」

 穏やかに微笑むリオンに、ミーアは胸がどきんと高鳴るのを感じた。
 それは決して不快なものではないのに、ミーアは必死でそれに気づかないふりをした。気づいてはいけない、触れてはいけないと自分に何度も言い聞かせながら、彼女は静かにリオンの顔を見上げる。

「離縁を、すれば……此度の首謀者は、それで満足するでしょうか? 襲撃が失敗すれば下手人に自害をさせるような残忍な人間が、大人しく引き下がるとは思えません」
「ああ……私も、そんな簡単に片が付くとは思っていない。だが、私の意思で決めたんだ。ミーアを、この城に……私に縛り付けてはいけないと」
「リオン殿下……」
「きみは、自由に生きるべきだ。その美しい心を守るためにも、きみは私のそばにいてはならない。大切に思うからこそ、離れるべきだと分かったんだ」

 ミーアの両肩に触れながら、リオンは熱くそう語った。
 意思のないお飾りだとミーアが彼を罵った時とはまったく違う、まっすぐな目をして己を見つめるリオンに、ミーアはただ黙って体を震わせることしかできなかった。

「以前、私がきみに言ったことを覚えているか? そんなに苦しいのなら、心など捨ててしまえばいいと」

 こくりと、静かにミーアは頷く。つい先ほども思い出して、胸を締め付けられた言葉だ。
 目に涙を溜めながら黙りこくるミーアを見つめ、リオンはゆっくりと口を開いて言う。
 
「でも、今は――きみの、その心が欲しい。心が手に入らないのなら、他には何もいらない」

 その言葉とともに、リオンは再びミーアの体をきつく抱きしめた。
 彼の腕はかすかに震えていて、まるで今生の別れを惜しむかのように痛いほど強く彼女を包み込む。その力強さが彼の思いを表しているように思えて、ミーアの胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
 思わず彼の名を口に出そうとしたその時、部屋の外から声がかかる。おそらく、いつもリオンに付き従っている護衛の声だ。

「リオン殿下、失礼します。ミーア様のご準備はお済みでしょうか? お父上様はいつでも出立することができるようですが」
「……分かった。すまないが、ミーアの準備を手伝ってほしい。私はこれから、陛下へご報告に上がる」
「かしこまりました。それでは、侍女を二、三人呼んで参ります」
 
 どうやら、父の方はすでにこの城を出る準備が整っているらしい。
 すぐに荷物をまとめられるような心境ではないミーアをよそにリオンは話を進め、きつく抱きしめていた腕の力を緩めてしまう。そして、戸惑うミーアに目線を合わせて穏やかな声音で囁いた。
 
「どうか幸せに。……愛しているよ、ミーア」

 ――どうして、今さら。

 そう彼に問う代わりに、ミーアの頬に一筋の涙が伝っていく。
 それを見たリオンは一瞬何かを堪えるようにぐっと唇を引き結んだが、すぐに身を翻して部屋を後にする。一人残されたミーアは、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

閉じ込められて囲われて

なかな悠桃
恋愛
新藤菜乃は会社のエレベーターの故障で閉じ込められてしまう。しかも、同期で大嫌いな橋本翔真と一緒に・・・。

純潔の寵姫と傀儡の騎士

四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。 世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。

生贄

竹輪
恋愛
十年間王女の身代わりをしてきたリラに命令が下る。 曰く、自分の代わりに処女を散らして来いと……。 **ムーンライトノベルズにも掲載しています

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

夜這いを仕掛けてみたら

よしゆき
恋愛
付き合って二年以上経つのにキスしかしてくれない紳士な彼氏に夜這いを仕掛けてみたら物凄く性欲をぶつけられた話。

サラシがちぎれた男装騎士の私、初恋の陛下に【女体化の呪い】だと勘違いされました。

ゆちば
恋愛
ビリビリッ! 「む……、胸がぁぁぁッ!!」 「陛下、声がでかいです!」 ◆ フェルナン陛下に密かに想いを寄せる私こと、護衛騎士アルヴァロ。 私は女嫌いの陛下のお傍にいるため、男のフリをしていた。 だがある日、黒魔術師の呪いを防いだ際にサラシがちぎれてしまう。 たわわなたわわの存在が顕になり、絶対絶命の私に陛下がかけた言葉は……。 「【女体化の呪い】だ!」 勘違いした陛下と、今度は男→女になったと偽る私の恋の行き着く先は――?! 勢い強めの3万字ラブコメです。 全18話、5/5の昼には完結します。 他のサイトでも公開しています。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

【完結】彼女はまだ本当のことを知らない

七夜かなた
恋愛
騎士団の受付係として働くタニヤは実家を助けるため、女性用のエロい下着のモニターのバイトをしていた。 しかしそれを、女性関係が派手だと噂の狼獣人の隊長ランスロット=テスターに知られてしまった。 「今度俺にそれを着ているところを見せてよ」 彼はタニヤにそう言って、街外れの建物に連れて行った。

処理中です...