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39.心(3)
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――リオン殿下がほかの人と結婚しないことに、私はなぜ安堵したのだろう。
その答えに辿り着いてしまうことが恐ろしくて、ミーアは顔を伏せる。そんな彼女の胸中など知らぬまま、リオンは言葉を続けた。
「以前ミーアが言ったように、今までの私は星のお導きだけに従い、自ら考えることを放棄していたように思う。それが王族の習わしなのだと教えられて、愚直にそう信じ続けていた……」
「……はい」
「だが、きみと出会ってから考えるようになったんだ。星のお導きとは、何か……本当にこの国の民のことを思うなら、星の示すがままにするのではなく、自分自身で考え行動すべきではないかと。それに私はこれまで、王都以外の、陽の当たらない土地に住む者たちのことを顧みていなかった」
リオンと共にイトの苗を植え育てたことを思い出し、ミーアは目を細める。
植物を育てるのは初めてだと言って、彼はまるで少年のようにはしゃいでいた。ミーアの教えを忠実に守りながら、楽しそうに苗を植えていたリオンの横顔を今でもよく覚えている。
あのとき育てたイトの葉は、ミーアとリオンが賊に襲われたことで収穫することが叶わなかったから、きっとそのまま枯れてしまったのだろう。少し前にミーアが畑の様子を見に行ったが、そこにはもう役目を終えた茶色い木々が並んでいるだけだった。
「この一件が落ち着いたら、すぐにでも政策の見直しをするつもりだ。今は、王都に近い地域でないと富を得られない仕組みになっている……それでは、ミーアたちの住んでいたような雨の多い農村地域はますます廃れていってしまう。気候の差があるからこそ様々な作物が育つというのに、それでは多様性が失われていくばかりだからな」
「え……リオン殿下、もしかしてこの国の植物について調べたのですか?」
「ああ。なぜ今までこんな大事なことに目を向けなかったのかと、自分を恥じたよ。ミーアのおかげで気付けたんだ」
穏やかに微笑むリオンに、ミーアは胸がどきんと高鳴るのを感じた。
それは決して不快なものではないのに、ミーアは必死でそれに気づかないふりをした。気づいてはいけない、触れてはいけないと自分に何度も言い聞かせながら、彼女は静かにリオンの顔を見上げる。
「離縁を、すれば……此度の首謀者は、それで満足するでしょうか? 襲撃が失敗すれば下手人に自害をさせるような残忍な人間が、大人しく引き下がるとは思えません」
「ああ……私も、そんな簡単に片が付くとは思っていない。だが、私の意思で決めたんだ。ミーアを、この城に……私に縛り付けてはいけないと」
「リオン殿下……」
「きみは、自由に生きるべきだ。その美しい心を守るためにも、きみは私のそばにいてはならない。大切に思うからこそ、離れるべきだと分かったんだ」
ミーアの両肩に触れながら、リオンは熱くそう語った。
意思のないお飾りだとミーアが彼を罵った時とはまったく違う、まっすぐな目をして己を見つめるリオンに、ミーアはただ黙って体を震わせることしかできなかった。
「以前、私がきみに言ったことを覚えているか? そんなに苦しいのなら、心など捨ててしまえばいいと」
こくりと、静かにミーアは頷く。つい先ほども思い出して、胸を締め付けられた言葉だ。
目に涙を溜めながら黙りこくるミーアを見つめ、リオンはゆっくりと口を開いて言う。
「でも、今は――きみの、その心が欲しい。心が手に入らないのなら、他には何もいらない」
その言葉とともに、リオンは再びミーアの体をきつく抱きしめた。
彼の腕はかすかに震えていて、まるで今生の別れを惜しむかのように痛いほど強く彼女を包み込む。その力強さが彼の思いを表しているように思えて、ミーアの胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
思わず彼の名を口に出そうとしたその時、部屋の外から声がかかる。おそらく、いつもリオンに付き従っている護衛の声だ。
「リオン殿下、失礼します。ミーア様のご準備はお済みでしょうか? お父上様はいつでも出立することができるようですが」
「……分かった。すまないが、ミーアの準備を手伝ってほしい。私はこれから、陛下へご報告に上がる」
「かしこまりました。それでは、侍女を二、三人呼んで参ります」
どうやら、父の方はすでにこの城を出る準備が整っているらしい。
すぐに荷物をまとめられるような心境ではないミーアをよそにリオンは話を進め、きつく抱きしめていた腕の力を緩めてしまう。そして、戸惑うミーアに目線を合わせて穏やかな声音で囁いた。
「どうか幸せに。……愛しているよ、ミーア」
――どうして、今さら。
そう彼に問う代わりに、ミーアの頬に一筋の涙が伝っていく。
それを見たリオンは一瞬何かを堪えるようにぐっと唇を引き結んだが、すぐに身を翻して部屋を後にする。一人残されたミーアは、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
その答えに辿り着いてしまうことが恐ろしくて、ミーアは顔を伏せる。そんな彼女の胸中など知らぬまま、リオンは言葉を続けた。
「以前ミーアが言ったように、今までの私は星のお導きだけに従い、自ら考えることを放棄していたように思う。それが王族の習わしなのだと教えられて、愚直にそう信じ続けていた……」
「……はい」
「だが、きみと出会ってから考えるようになったんだ。星のお導きとは、何か……本当にこの国の民のことを思うなら、星の示すがままにするのではなく、自分自身で考え行動すべきではないかと。それに私はこれまで、王都以外の、陽の当たらない土地に住む者たちのことを顧みていなかった」
リオンと共にイトの苗を植え育てたことを思い出し、ミーアは目を細める。
植物を育てるのは初めてだと言って、彼はまるで少年のようにはしゃいでいた。ミーアの教えを忠実に守りながら、楽しそうに苗を植えていたリオンの横顔を今でもよく覚えている。
あのとき育てたイトの葉は、ミーアとリオンが賊に襲われたことで収穫することが叶わなかったから、きっとそのまま枯れてしまったのだろう。少し前にミーアが畑の様子を見に行ったが、そこにはもう役目を終えた茶色い木々が並んでいるだけだった。
「この一件が落ち着いたら、すぐにでも政策の見直しをするつもりだ。今は、王都に近い地域でないと富を得られない仕組みになっている……それでは、ミーアたちの住んでいたような雨の多い農村地域はますます廃れていってしまう。気候の差があるからこそ様々な作物が育つというのに、それでは多様性が失われていくばかりだからな」
「え……リオン殿下、もしかしてこの国の植物について調べたのですか?」
「ああ。なぜ今までこんな大事なことに目を向けなかったのかと、自分を恥じたよ。ミーアのおかげで気付けたんだ」
穏やかに微笑むリオンに、ミーアは胸がどきんと高鳴るのを感じた。
それは決して不快なものではないのに、ミーアは必死でそれに気づかないふりをした。気づいてはいけない、触れてはいけないと自分に何度も言い聞かせながら、彼女は静かにリオンの顔を見上げる。
「離縁を、すれば……此度の首謀者は、それで満足するでしょうか? 襲撃が失敗すれば下手人に自害をさせるような残忍な人間が、大人しく引き下がるとは思えません」
「ああ……私も、そんな簡単に片が付くとは思っていない。だが、私の意思で決めたんだ。ミーアを、この城に……私に縛り付けてはいけないと」
「リオン殿下……」
「きみは、自由に生きるべきだ。その美しい心を守るためにも、きみは私のそばにいてはならない。大切に思うからこそ、離れるべきだと分かったんだ」
ミーアの両肩に触れながら、リオンは熱くそう語った。
意思のないお飾りだとミーアが彼を罵った時とはまったく違う、まっすぐな目をして己を見つめるリオンに、ミーアはただ黙って体を震わせることしかできなかった。
「以前、私がきみに言ったことを覚えているか? そんなに苦しいのなら、心など捨ててしまえばいいと」
こくりと、静かにミーアは頷く。つい先ほども思い出して、胸を締め付けられた言葉だ。
目に涙を溜めながら黙りこくるミーアを見つめ、リオンはゆっくりと口を開いて言う。
「でも、今は――きみの、その心が欲しい。心が手に入らないのなら、他には何もいらない」
その言葉とともに、リオンは再びミーアの体をきつく抱きしめた。
彼の腕はかすかに震えていて、まるで今生の別れを惜しむかのように痛いほど強く彼女を包み込む。その力強さが彼の思いを表しているように思えて、ミーアの胸に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
思わず彼の名を口に出そうとしたその時、部屋の外から声がかかる。おそらく、いつもリオンに付き従っている護衛の声だ。
「リオン殿下、失礼します。ミーア様のご準備はお済みでしょうか? お父上様はいつでも出立することができるようですが」
「……分かった。すまないが、ミーアの準備を手伝ってほしい。私はこれから、陛下へご報告に上がる」
「かしこまりました。それでは、侍女を二、三人呼んで参ります」
どうやら、父の方はすでにこの城を出る準備が整っているらしい。
すぐに荷物をまとめられるような心境ではないミーアをよそにリオンは話を進め、きつく抱きしめていた腕の力を緩めてしまう。そして、戸惑うミーアに目線を合わせて穏やかな声音で囁いた。
「どうか幸せに。……愛しているよ、ミーア」
――どうして、今さら。
そう彼に問う代わりに、ミーアの頬に一筋の涙が伝っていく。
それを見たリオンは一瞬何かを堪えるようにぐっと唇を引き結んだが、すぐに身を翻して部屋を後にする。一人残されたミーアは、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
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