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34.存在意義(2)

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「あー、やっぱり散らかってるな……すみませんねえ、王太子妃様をこんな物置小屋のような場所に連れてきて」
「い、いえ……」
「えーっと、椅子はどこでしたかねえ……あ、あったあった」

 トガミが部屋の隅から運んできた小さな椅子は、座ったら壊れるのではないかと不安になるくらい古いものだった。その椅子だけでなく、この天文台にあるものはどれも年季が入っていて、おまけに掃除がされていないのか埃まみれだ。部屋の中央には大きく立派な望遠鏡が置かれているが、それもところどころ錆びている。
 前にリオン個人の天文台を訪れたとき、彼は「トガミの天文台の方が立派だ」と言っていたが、ミーアが見た限りではリオンの持っていた望遠鏡の方がずっと手入れが行き届いている気がした。

「基本的に、この天文台には星読師しか立ち入ることができないんですよ。だから誰かに掃除を頼むわけにもいかなくてねえ」

 あまりの埃っぽさに小さく咳き込むミーアをよそに、トガミはいつも通りへらへらと笑っている。今度は茶を淹れるための器を探しているようだが、それも最後に使ったのはいつなのだろうとミーアは思わず顔をしかめた。

「あ、あの、お茶は結構ですから……」
「まあまあ、遠慮なさらず」
「遠慮ではなくて……あっ、この大きな机は何ですか? 文字が書かれていますが」

 話題を逸らすためにミーアが目の前にあった机を指差すと、トガミは茶器を探すのを諦めてミーアの向かいの椅子に腰掛けた。

「これは机じゃなくて星読盤ですよ。これと望遠鏡を使って、僕たちは星のお導きを読み取るんです」
「えっ……それなら、とても大切なものですよね。こんな風に、ただの机のように扱っていいのですか?」
「あー、いいんですいいんです。恩人の形見として置いてあるだけですから」

 呑気に笑うトガミに違和感を覚えつつも、ミーアは彼の持ってきたぼろぼろの椅子に腰掛ける。
 扉付近には侍女や護衛が控えているが、彼らもまたこの異様な部屋を訝しげにきょろきょろと見渡していた。

「それで、なんでしたっけ? 僕に聞きたいことって。リオン殿下の昔話でもして差し上げましょうか?」
「はぐらかさないでください。ここ最近、トガミさんが私にわざと辛辣な物言いをする理由を教えていただきたいのです」

 のらりくらりと質問を躱そうとしたトガミだが、少しも視線を逸らさずに問いかけてくるミーアに閉口する。張り詰めた空気が漂う中、少ししてから彼は深くため息をつきながら話し始めた。
 
「……予想外だったんですよ。リオン殿下がここまであなたに入れ込むようになるとは、考えもしなかった」

 どこか投げやりな口調でそう言うと、トガミは無表情のまま星読盤に肘をついた。それから、ミーアの目を見て言葉を続ける。

「この前、リオン殿下は言いましたよね。王位を継ぐのは、ルカ殿下でも構わない。あなたとの間に子を成さなければ、それは仕方のないことだと」
「あ……は、はい」
「あなたと出会うまでのリオン殿下は、冗談でもそんなことを言うような人ではなかったんですよ? 第一王子である自分が王位を継ぐのは当然で、そのためには犠牲を厭わない……たとえ他人の人生を狂わそうとも、それは正しい道のためにやむを得ないことだと信じていた」

 その言葉に、ミーアはリオンに初めて体を暴かれた夜のことを思い出して唇を噛んだ。トガミの言う通り、リオンはミーアと父の平和な生活を奪おうとも、それは「星のお導き」が示した必要な犠牲であるという姿勢を決して崩さなかったのだ。

「リオン殿下は、この国の歴史と伝統を重んじている。だから僕たち星読師のことも手厚く扱い、星のお導きに反することは決してしない……まあ言ってしまえば、とにかく素直なお方なんです」

 トガミの言わんとすることが掴めず、ミーアはただ黙って彼の話を聞いていた。これまでトガミの胸の内を聞いたことは無かったから、少しでも彼の考えを理解しようと耳を傾ける。

「それに対して弟のルカ殿下は、自由奔放なくせに妙に疑り深い。慣わしやら決まりごとのようなものがとにかくお嫌いで、合理的に物事を進めたがるお方です。そのせいか、『星読師なんて本当に必要か?』と常々思っていらっしゃるようでねえ。僕への当たりが強いんですよ」
「そうなのですか……」
「だから、星のお導きのもと連れてこられたあなたに対しても懐疑的なんです。すみませんねえ、とばっちりで」

 へらへらと笑うトガミに、ミーアは無言で首を振る。農民でありながら王太子妃となってしまったミーアに対して、合理的なやり方を好むルカが冷たい態度をとるのも頷ける。だが、今はそれよりも、トガミが何を考えているのかが知りたいのだ。

「結論から言うと……僕は、何が何でもリオン殿下に王位を継承していただきたい。もしルカ殿下がこの国を治めることになれば、僕たち星読師はお払い箱だ」
「なっ……まさか、そんな身勝手な理由だけでリオン殿下に付き従っているのですか?」
「ええ、そうですよ。だが、今の立場と生活を守るために働いて何が悪い? 場所が違うだけで、あなたもそうして暮らしてきたんじゃないですか?」

 試すような視線で、トガミがミーアに向き合う。
 確かに、彼の言うことは正しい。ミーアだって、農作物をより高く買い取ってもらえるよう商人に働きかけたことがあるし、少しでも条件の良い取引ができるよう交渉もしていた。それは自分たちの生活を守るためで、トガミのしていることもそれと同じだと彼は言いたいのだろう。

「……とはいえ、幸いなことにルカ殿下は王座にあまり興味が無い。それに、第一王子であるリオン殿下は何の問題もなく王位を継承できる有能なお方だ。だから、僕の将来も安泰だったんですよ。ミーア様が来るまではね」

 そこで言葉を切ると、トガミは自嘲気味に笑った。

「あなたさえいなければ、僕がこんな思いをすることもなかったんですけどねえ……でもまあ、元はと言えば僕がミーア様を王太子妃にと薦めたわけですから、ただ単に歯車が上手く噛み合わなかったってだけですよ」
「はあ……それで、私が憎くてそのような態度を?」
「まあ、端的に言うとそういうことです。八つ当たりってところですかねえ」
「……本当に、それだけですか?」
「それだけですよ? あはは、どうもすみませんねえ。感情が表に出やすいもので」

 ちっとも反省の色が見えない顔でそう言うと、トガミは「ちょっと喋りすぎましたねえ」とため息をついた。
 彼がなぜミーアを疎んじているのかについては上手くはぐらかされたような気がするが、トガミの立場やリオンとルカの考え方の違いなど、ミーアの知らなかったことを聞くことはできた。
 ミーアがまだ怪訝な顔でトガミを見つめていると、彼は居心地が悪そうにごほんと一つ咳払いをする。

「まだ僕に何か聞きたいことでも?」
「あ……い、いえ、大丈夫です。今のところは」
「……はあ。あなたもルカ殿下と同じで疑り深いのようですねえ。僕は僕なりに、この国の行く末を真剣に考えてるんですよ? はあ、尋問されてどっと疲れました」

 トガミはそう言って大げさに項垂れると、「早く片付けないとなあ」と独り言のように呟く。それはどういう意味かとミーアが尋ねようとしたが、トガミは突然ぱっと顔を上げてことさら明るい声で叫んだ。

「そろそろリオン殿下が戻ってきたんじゃないですかねえ? さあさあ、皆さんも戻りましょう!」
「えっ? あ、はい……」
「僕は用事を思い出したので、さっきお話ししたセイレン家の件、殿下に伝えておいてもらえます? 破談になったと」
「あ……わ、分かりました。殿下への用件はそれだけだったのですか?」
「ええ、そうですよ。ってことで、僕はお先に失礼しますねえ」

 それだけ言い残すと、トガミは逃げるように天文台を後にする。残されたミーアはその後ろ姿をぽかんとした顔で見つめていたが、彼のおかしな言動に首を傾げながらもリオンの部屋へと戻ることにした。
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