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1.手紙
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鍬で土を耕し、畝を作る。邪魔な石があれば退けて、種を植えるための溝を掘っていく。単調だが、気力と体力の要る作業だ。
そうやって汗をにじませながら働くミーアを見守るように、傾き始めた日の光が彼女の背をやわらかく照らしている。
昨日まで降り続いていた雨のせいで、モルイの実の種を植える予定が大幅に遅れてしまった。やっと訪れた晴れ間を逃してはならないと、ミーアはいつも以上に集中して畑を耕す。
半乾きの土を掘り起こすざくざくという音を遮るかのように、少ししわがれた男の声が響いた。
「ミーア、そろそろ切り上げようか。日が落ちてきた」
「はい、お父様! でも、あと一列で終わりなの。これだけ終わらせてからにするわ」
首にかけた手拭いで額の汗を拭っているのは、ミーアの父だ。同じように額に玉の汗をかきながら働く娘の姿に、父は苦笑した。
「すまんなあ、ミーア。おまえのような若い娘に、こんな畑仕事ばかりさせて……本当なら、よその娘さんたちのように暖かい家の中で読書や裁縫だけさせてやりたいんだが」
「もう、お父様。何度も言っているでしょう? 私は日がな家に籠るより、こうしてお父様と畑で働く方が楽しいの。好きでやっているんだから」
父の言葉に、ミーアは笑ってそう返した。その言葉はまるっきりの嘘ではないものの、父と子が二人食べていくにはミーアも働かなければ立ち行かないのがこの家の現状だ。
この国の階級で言えば最下層にあたる平民が暮らすこの土地で、ミーアは父と農業を営んで暮らしている。母は、彼女がまだ幼い頃に病で亡くなった。
先ほど父は娘に読書と裁縫だけさせてやりたいと言ったが、この辺りの家々ではそんな風に優雅な暮らしをしている娘は少ない。皆ミーアと同じく、無駄な贅沢などせず、家業を手伝いながら慎ましく生きているのだ。
きりの良いところまで作業を終えた二人は、夕日が射すなか帰路に着く。そして、ミーアがいつものように家の外にある郵便受けを覗いたところ、一通の封筒が届いていた。真っ白なそれを手にとってから、ばたりと家の扉を閉める。
「お父様、手紙が届いてたわ。差出人の名前が書かれていないけれど」
「ん? 誰からだろうな。ありがとう」
封筒を手渡すと、父はびりびりとその封を開ける。ミーアは水道で汚れた手を洗ってから、夕食の支度に取り掛かることにした。高価な肉や魚はたまにしか買えないけれど、幸い野菜ならたくさん採れる。料理は彼女の好きな家事のひとつだった。
「お父様、夕ご飯の前に薬を飲むの忘れないでね。昨日の分、机に置きっぱなしだったわよ」
「あー、そうだったか? 分かった分かった。それよりミーア、虫眼鏡はどこにしまったんだったかな。最近小さな文字が見えづらくなってなあ」
「虫眼鏡は引き出しの一番下。お父様、そろそろちゃんとした眼鏡を買った方がいいんじゃない?」
「ははは、そんなものを買う金があるならおまえに綺麗な服のひとつでも買ってやりたいよ」
「もう……」
冗談めかして言う父を横目に見ながら、包丁で野菜を刻んでいく。今晩は炒め物にする予定だったけれど、やっぱり父の好きな煮込み料理にしよう。ミーアはそう思って、家で一番大きな鍋を戸棚から取り出した。
「なっ……! まさか、そんな……」
「え? お父様、どうかしたの?」
届いた手紙を読んでいた父が、突然驚いたような声をあげた。ミーアが鍋を手に持ったまま問いかけると、父は動揺を隠しきれない様子でわなわなと震えている。
「こ、国王から……」
「え?」
「国王から、おまえに……おまえを、王子の妻にしたいと」
「妻って……どういうこと?」
常にはない父の慌てふためいた様子に、ミーアは眉を顰める。そして、鍋を置いてから父の持つ手紙をひったくるように手に取った。
ミーアがこれまで見たこともないような上質な便箋には、ソルズ王国――この国の王章である太陽を模した印が捺されている。まさか、と父と同じことを思いながら手紙に目を通すと、そこには信じられない内容が書かれていた。
「王太子であるリオン殿下の、妻となるにふさわしいお方として、貴方様の御息女ミーア様には城にお越しいただきたく…………え? 私のこと?」
「ああ……まさか、こんなことが……」
父はぐしゃりと髪をかきながら項垂れる。しかし、あまりにも深刻な顔をする父を見て、ミーアは空気を変えるように思い切り笑い飛ばした。
「やだ、お父様! こんなの誰かのいたずらに決まってるじゃない! まさか信じてるの?」
「ミーア……」
「だっておかしいわ。平民である私と王子様が結婚だなんて! そういうのは他国のお姫様だとか、身分の高い貴族様たちのお話よ。私にはこれっぽっちも関係ないじゃない!」
「そう、なんだが……」
こんな見え透いた嘘を深刻に受け止めている父に違和感を抱きつつ、ミーアはわざと明るく言う。
「ああ、びっくりした! もう、こんな手の込んだいたずらをするなんて暇な人もいるものね。ねえ、お父様」
「そ、そうか……そうだよな。まさかそんなこと、あるはずがないよな」
「そうよ! さ、夕飯を作らないと。今晩はお父様の好きな野菜の煮込みにするからね」
ミーアはもう一度手紙に目を通してから、困ったように笑ってそれを屑かごに捨てて落とした。こんな高そうな便箋、もっと意義のあることに使えばいいのにもったいない。きっと暇を持て余したいたずら好きの人間が、手当たり次第にこんなことをして遊んでいるのだろう。
父はまだ落ち着かない様子だったが、夕飯を食べ終えてから普段のように寝室に向かっていった。ミーアもまたそんな手紙のことなどすぐに忘れて、次に植える野菜は何にしようかと考えながら眠りについた。
そうやって汗をにじませながら働くミーアを見守るように、傾き始めた日の光が彼女の背をやわらかく照らしている。
昨日まで降り続いていた雨のせいで、モルイの実の種を植える予定が大幅に遅れてしまった。やっと訪れた晴れ間を逃してはならないと、ミーアはいつも以上に集中して畑を耕す。
半乾きの土を掘り起こすざくざくという音を遮るかのように、少ししわがれた男の声が響いた。
「ミーア、そろそろ切り上げようか。日が落ちてきた」
「はい、お父様! でも、あと一列で終わりなの。これだけ終わらせてからにするわ」
首にかけた手拭いで額の汗を拭っているのは、ミーアの父だ。同じように額に玉の汗をかきながら働く娘の姿に、父は苦笑した。
「すまんなあ、ミーア。おまえのような若い娘に、こんな畑仕事ばかりさせて……本当なら、よその娘さんたちのように暖かい家の中で読書や裁縫だけさせてやりたいんだが」
「もう、お父様。何度も言っているでしょう? 私は日がな家に籠るより、こうしてお父様と畑で働く方が楽しいの。好きでやっているんだから」
父の言葉に、ミーアは笑ってそう返した。その言葉はまるっきりの嘘ではないものの、父と子が二人食べていくにはミーアも働かなければ立ち行かないのがこの家の現状だ。
この国の階級で言えば最下層にあたる平民が暮らすこの土地で、ミーアは父と農業を営んで暮らしている。母は、彼女がまだ幼い頃に病で亡くなった。
先ほど父は娘に読書と裁縫だけさせてやりたいと言ったが、この辺りの家々ではそんな風に優雅な暮らしをしている娘は少ない。皆ミーアと同じく、無駄な贅沢などせず、家業を手伝いながら慎ましく生きているのだ。
きりの良いところまで作業を終えた二人は、夕日が射すなか帰路に着く。そして、ミーアがいつものように家の外にある郵便受けを覗いたところ、一通の封筒が届いていた。真っ白なそれを手にとってから、ばたりと家の扉を閉める。
「お父様、手紙が届いてたわ。差出人の名前が書かれていないけれど」
「ん? 誰からだろうな。ありがとう」
封筒を手渡すと、父はびりびりとその封を開ける。ミーアは水道で汚れた手を洗ってから、夕食の支度に取り掛かることにした。高価な肉や魚はたまにしか買えないけれど、幸い野菜ならたくさん採れる。料理は彼女の好きな家事のひとつだった。
「お父様、夕ご飯の前に薬を飲むの忘れないでね。昨日の分、机に置きっぱなしだったわよ」
「あー、そうだったか? 分かった分かった。それよりミーア、虫眼鏡はどこにしまったんだったかな。最近小さな文字が見えづらくなってなあ」
「虫眼鏡は引き出しの一番下。お父様、そろそろちゃんとした眼鏡を買った方がいいんじゃない?」
「ははは、そんなものを買う金があるならおまえに綺麗な服のひとつでも買ってやりたいよ」
「もう……」
冗談めかして言う父を横目に見ながら、包丁で野菜を刻んでいく。今晩は炒め物にする予定だったけれど、やっぱり父の好きな煮込み料理にしよう。ミーアはそう思って、家で一番大きな鍋を戸棚から取り出した。
「なっ……! まさか、そんな……」
「え? お父様、どうかしたの?」
届いた手紙を読んでいた父が、突然驚いたような声をあげた。ミーアが鍋を手に持ったまま問いかけると、父は動揺を隠しきれない様子でわなわなと震えている。
「こ、国王から……」
「え?」
「国王から、おまえに……おまえを、王子の妻にしたいと」
「妻って……どういうこと?」
常にはない父の慌てふためいた様子に、ミーアは眉を顰める。そして、鍋を置いてから父の持つ手紙をひったくるように手に取った。
ミーアがこれまで見たこともないような上質な便箋には、ソルズ王国――この国の王章である太陽を模した印が捺されている。まさか、と父と同じことを思いながら手紙に目を通すと、そこには信じられない内容が書かれていた。
「王太子であるリオン殿下の、妻となるにふさわしいお方として、貴方様の御息女ミーア様には城にお越しいただきたく…………え? 私のこと?」
「ああ……まさか、こんなことが……」
父はぐしゃりと髪をかきながら項垂れる。しかし、あまりにも深刻な顔をする父を見て、ミーアは空気を変えるように思い切り笑い飛ばした。
「やだ、お父様! こんなの誰かのいたずらに決まってるじゃない! まさか信じてるの?」
「ミーア……」
「だっておかしいわ。平民である私と王子様が結婚だなんて! そういうのは他国のお姫様だとか、身分の高い貴族様たちのお話よ。私にはこれっぽっちも関係ないじゃない!」
「そう、なんだが……」
こんな見え透いた嘘を深刻に受け止めている父に違和感を抱きつつ、ミーアはわざと明るく言う。
「ああ、びっくりした! もう、こんな手の込んだいたずらをするなんて暇な人もいるものね。ねえ、お父様」
「そ、そうか……そうだよな。まさかそんなこと、あるはずがないよな」
「そうよ! さ、夕飯を作らないと。今晩はお父様の好きな野菜の煮込みにするからね」
ミーアはもう一度手紙に目を通してから、困ったように笑ってそれを屑かごに捨てて落とした。こんな高そうな便箋、もっと意義のあることに使えばいいのにもったいない。きっと暇を持て余したいたずら好きの人間が、手当たり次第にこんなことをして遊んでいるのだろう。
父はまだ落ち着かない様子だったが、夕飯を食べ終えてから普段のように寝室に向かっていった。ミーアもまたそんな手紙のことなどすぐに忘れて、次に植える野菜は何にしようかと考えながら眠りについた。
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