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第1章
17.自覚、そしてすれ違い
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「も、もうだめだってっ……! ん、んんっ……!」
「ええやん、もうちょっと……」
「んうっ……!」
就寝前。
いつもソウとは距離をとってベッドに入るはずなのだが、いつの間にかすぐそばに来ている。
おやすみのキスも、ここの所毎日だ。しかも、日に日に長く、激しくなっている気がする。
「く、るしっ……! んむっ、んぅ……!」
「はぁ、ユキちゃん……っ」
そろり、と窺うようにソウの手が夜着の上から身体を這う。これも、ここ最近毎日だ。抵抗したいのに、キスのせいで力が抜けてしまう。
キスをされるたび、頭がぼーっとして、体の奥が痺れる気がする。自分でも知らない自分がいる気がして、恐ろしくなるのだ。
ふと気づくと、夜着の隙間からソウの手が直に肌に触れている。それに気付いた瞬間、力いっぱいソウの身体を押し返した。
「はあ、はあっ……へ、陛下っ! 身体に触れないでくださいと、あれほど言ったじゃないですか!」
「そやけど、キスしたら自然と触ってまうねん」
「どうにかしてください、その変な癖! 第一、き、キスだって、わたしは許してませんっ!」
「え、そうなん? いっつも気持ちよさそうやから、好きなんやと思てたんやけど」
「なっ……! す、好きなんかじゃありませんっ! もう、おやすみなさいっ!」
そう叫ぶと、わたしは布団に潜り込んで無理やり目を瞑った。まだ心臓がどきどきして、とても眠れそうにない。
「これでも、頑張って我慢してるんやけどなぁ……そろそろ、潮時やな」
ソウの声が聞こえたが、反応したらまたキスされてしまいそうだ。聞こえないふりをして、夢の中に入り込んだ。
*
「ふう……今日は量が多いなぁ」
朝食を食べ終わって部屋に戻ると、わたしは早速積み上げられた書類に目を通し始めた。
ソウに渡す重要書類と、判を押すだけでいい書類、あとは手紙や報告書などを分類するだけの簡単な作業だ。
ソウはこういった地味な仕事をするのが嫌いらしく、日に日にわたしにまわってくる書類の量が増えていく。でも、何もしないでいるよりも何か作業をしていた方がずっといい。
「ん? この手紙、なんだろ……」
それは、他の書類の間に挟まっていた白い封筒だった。誰かからの手紙のようだが、封筒には宛名も差出人の名も書いていない。
封を開けると、やはり手紙だった。おそらく、女性の字である。
『ソウへ
いきなり結婚しちゃって驚いたわ! なんで私に相談してくれなかったのよ! 今はちょっと仕事が立て込んでるから、とりあえず手紙だけだけど、近いうちにまた城にお邪魔するわ。あなたの大事な王妃にも会わせてね』
短い文章だが、それだけでソウと近しい人なのだと分かる。しかも、文末には。
「こ、これって……キスマーク!?」
真っ赤な口紅で、はっきりとキスマークが押されていた。わたし自身は男性相手に、こんなキスマーク付きの手紙を送ったことなんてない。
手紙を読んだだけなのに、なぜかいけないものを見てしまった気がして、そそくさとその手紙を封筒にしまった。
「どうしよう……でも、ソウはまだ読んでないってことだよね……」
封筒は開けられていなかった。おそらく、書類の束と混ざって分からなくなってしまっていたのだろう。
もしかしたら、わたしが読んだらいけないものだったのかもしれない。手紙を手にしたまましばらく考え込んでいると、コンコンとドアがノックされた。
「は、はいっ!」
咄嗟に、持っていた手紙を後ろ手に隠した。やましいことはなにもないはずなのだが。
「ユキちゃん、調子どう? ごめんなぁ、こない仕事やらせてもうて」
「へ、陛下……いえっ、これくらい、どうってことないです」
部屋に入ってきたのはソウだった。
ソウは時々、暇つぶしなのかこうしてわたしの部屋を訪れる。今も特に用があるわけではないようだ。
「あ、あの、何かご用ですか? 何もなければ、その、仕事を続けたいんですが」
「続けてええよ。けどその前に、今隠したもん出そか?」
「あっ……!」
ごまかそうと思っていたが、ソウにはあっさりとばれてしまっていた。隠していた手紙を、いとも簡単に取り上げられてしまう。
「ご、ごめんなさい! あの、勝手に読んでしまって……!」
「かまへんよ。誰やろ」
そう言ってソウが手紙を読む。
わたしはじっとその様子を窺っていたが、その顔がみるみるうちに険しいものになった。怒っているようには見えないが、とても苦い顔をしている。
「あの、陛下? どなたからですか……?」
思い切って聞いてみる。しかしソウはぱっと表情を無理やり変えて、にっこりと微笑んだ。
「ユキちゃんは気にせんでええよ。ただのお節介女や」
「おせっかい……?」
「あいつ、ユキちゃんに会うて何する気やねん……ごめんユキちゃん、ボクもう行くわ」
「えっ!? あ、はい……」
そう言うと、ソウは持っていた手紙をくしゃりと握りつぶして部屋を出て行ってしまった。残されたわたしは、茫然とソウが出て行った扉を見つめることしかできなかった。
*
「……あの、タカミさん」
「はい、なんでしょう? あ、少しじっとしていてくださいね、すぐ終わりますから」
その日の午後、わたしは医務室に来ていた。週に一度、タカミに診察をしてもらっているのだ。
もう決闘の時の怪我は治ったのだが、念のために、とソウに診察を受けるよう言われている。
「タカミさんは……その、男性は、よく女性から手紙をもらうものなんでしょうか? 例えば……ラブレター、みたいな……」
「ラブレターですか……そうですねえ、ちらほらと、ではありますが」
「へえーっ、やっぱりタカミさんって女性に人気なんですね!」
付き添ってくれているリサが、なぜか興奮気味に話に食いついた。タカミは苦笑しながら、カルテに何やら書き込んでいく。
「殿下、もしかして陛下にラブレターを?」
「ち、違います! えっと、なんて言ったらいいか……偶然、見てしまって。女性からの、陛下宛ての手紙を」
「はあ……仕事上の手紙ではないんですか? 陛下にはよく届いているようですが」
「で、でも、キスマークがついてたんです! それに、陛下にそれを渡したら、なんだか様子がおかしくなって……」
「えっ!? ユキ様、その手紙になんて書いてあったんです?」
「はっきりとは覚えてないんだけど、結婚しちゃったのね、とか、王妃に会わせて、とか……」
思い出すとなんだかへこんでしまう。
ここ最近、やっとソウは自分のことをわたしに話してくれるようになった。なのに、手紙のことについてははぐらかされてしまったのだ。
「そ、それって……まさか陛下、浮気……!?」
「リサさん、そう判断するのは性急すぎますよ。殿下、誰からの手紙だったんですか?」
「それが、わからないんです。手紙には何も書いてなくて、陛下に聞いても、ただのお節介女だ、としか教えてくれなくて」
「お節介女……」
「ユキ様っ、今すぐ陛下を問い質しましょう!」
「えっ、でも……」
リサはなんだか怒りに燃えている。今わたしが何を言っても聞いてくれなさそうだ。
そんなリサをなだめたのはタカミだった。
「リサさん、落ち着いてください。それだけの情報では、何も分かりません」
「でも……!」
「殿下。あなたはまだ、陛下にもう一度聞く勇気がない。そうでしょう?」
「……はい」
「それでしたら、陛下の方から教えてくれるのを待ちましょう。大丈夫、陛下にはあなたしか見えていませんから」
本当にそうだろうか。
よくよく考えてみたら、ソウから好きだと言われたことはない。結婚しようだとか、自分のものだとか、そういったことは何度も言われているが、それは好きと同義ではないだろう。
今さら愛の言葉にこだわるつもりもないが、わたしの気持ちが曖昧なのもそのせいだ。ソウは、わたしのことをどう思っているのだろう。
「……わたし、ちょっと外に出て考えてみます。陛下のことも、自分の気持ちも」
「それでしたら、お供いたします!」
「ううん、大丈夫。そんなに遠くには行かないから」
今は一人で考えたかった。リサはまだ何か言いたそうに身を乗り出したが、タカミがそれを手で制した。
「いってらっしゃい。どうかお気をつけて」
*
城門を警護する衛兵に理由を話して、門を開けてもらった。城の周りを一周しながら、ゆっくり考えてみよう。そう思った、その時。
「あー、ちょうどよかったわ! ねえあなた、城の人でしょ? ソウを呼んでくれない?」
門を開いたところに、金髪をなびかせた女性が立っていた。その姿ははっとするくらい美しく、見目麗しいとはまさにこのことだ。傍にいた衛兵も口を開けて見惚れている。
驚いて何も言えずにいると、その女性がつかつかと歩み寄ってきた。
「その格好、侍女じゃないわね。もしかして、例の王妃?」
「あ……はい、そう、ですが……あなたは……?」
「やっぱり! 聞いてた通りの子だわ! 私はアンナよ、サウスで衣装店をやってるの。それでソウに用事があるんだけど、連れてってくれない?」
はきはきとした声で話しかけてくるが、その間もわたしは彼女の唇を凝視していた。
真紅のルージュ。わたしには到底似合いそうにないその艶やかな色には、見覚えがあった。
わたしの中の女の勘が働く。きっとこの女性が、あの手紙の差出人だ。
「ねえ、どうしたの? あなたとも話がしたかったの、行きましょうよ」
「え、あ、えっと……す、すみません! わたし用があるので失礼しますっ!」
居てもたってもいられず、わたしは顔を伏せて走り出した。後ろで、アンナがわたしを呼び止める声が聞こえる。
全速力で走った。お願いだから、追いかけて来ないで。
気付くとわたしは、湖のほとりに立っていた。
たしか、幼い頃ソウと一緒に来たことのある場所だ。懐かしくなって、少し気持ちが落ち着く。
草むらに座って美しい湖を眺めながら、わたしは思い返していた。
手紙を渡したときの、ソウの表情。リサとタカミの言葉。そして、先ほど会ったアンナの姿。
辻褄が合ってしまった。ソウは、アンナのことが好きなのだ。
「……馬鹿みたい、わたし」
勘違いしていた。ソウは、わたしのことが好きなのだと。お互い身体は大きくなったけれど、昔のまま、わたしを一番に想ってくれているのだと。勘違いして、一人で盛り上がってしまっていた。
ソウにもう一度、恋をしてしまっていた。
失って初めて気付くものがあると言うが、まさにその通りだ。ソウにとって大事な人が現れてから、自分の気持ちに気付くなんて。
知らぬ間に涙が溢れていた。こんなことで泣きたくないのに。
政略結婚だと思いながら、どこかで期待していた自分がいる。ソウを憎めば憎むほど、拒めば拒むほどその気持ちは大きくなっていた。
溢れる涙をこらえきれずに、わたしは子どものように泣き続けた。
「ええやん、もうちょっと……」
「んうっ……!」
就寝前。
いつもソウとは距離をとってベッドに入るはずなのだが、いつの間にかすぐそばに来ている。
おやすみのキスも、ここの所毎日だ。しかも、日に日に長く、激しくなっている気がする。
「く、るしっ……! んむっ、んぅ……!」
「はぁ、ユキちゃん……っ」
そろり、と窺うようにソウの手が夜着の上から身体を這う。これも、ここ最近毎日だ。抵抗したいのに、キスのせいで力が抜けてしまう。
キスをされるたび、頭がぼーっとして、体の奥が痺れる気がする。自分でも知らない自分がいる気がして、恐ろしくなるのだ。
ふと気づくと、夜着の隙間からソウの手が直に肌に触れている。それに気付いた瞬間、力いっぱいソウの身体を押し返した。
「はあ、はあっ……へ、陛下っ! 身体に触れないでくださいと、あれほど言ったじゃないですか!」
「そやけど、キスしたら自然と触ってまうねん」
「どうにかしてください、その変な癖! 第一、き、キスだって、わたしは許してませんっ!」
「え、そうなん? いっつも気持ちよさそうやから、好きなんやと思てたんやけど」
「なっ……! す、好きなんかじゃありませんっ! もう、おやすみなさいっ!」
そう叫ぶと、わたしは布団に潜り込んで無理やり目を瞑った。まだ心臓がどきどきして、とても眠れそうにない。
「これでも、頑張って我慢してるんやけどなぁ……そろそろ、潮時やな」
ソウの声が聞こえたが、反応したらまたキスされてしまいそうだ。聞こえないふりをして、夢の中に入り込んだ。
*
「ふう……今日は量が多いなぁ」
朝食を食べ終わって部屋に戻ると、わたしは早速積み上げられた書類に目を通し始めた。
ソウに渡す重要書類と、判を押すだけでいい書類、あとは手紙や報告書などを分類するだけの簡単な作業だ。
ソウはこういった地味な仕事をするのが嫌いらしく、日に日にわたしにまわってくる書類の量が増えていく。でも、何もしないでいるよりも何か作業をしていた方がずっといい。
「ん? この手紙、なんだろ……」
それは、他の書類の間に挟まっていた白い封筒だった。誰かからの手紙のようだが、封筒には宛名も差出人の名も書いていない。
封を開けると、やはり手紙だった。おそらく、女性の字である。
『ソウへ
いきなり結婚しちゃって驚いたわ! なんで私に相談してくれなかったのよ! 今はちょっと仕事が立て込んでるから、とりあえず手紙だけだけど、近いうちにまた城にお邪魔するわ。あなたの大事な王妃にも会わせてね』
短い文章だが、それだけでソウと近しい人なのだと分かる。しかも、文末には。
「こ、これって……キスマーク!?」
真っ赤な口紅で、はっきりとキスマークが押されていた。わたし自身は男性相手に、こんなキスマーク付きの手紙を送ったことなんてない。
手紙を読んだだけなのに、なぜかいけないものを見てしまった気がして、そそくさとその手紙を封筒にしまった。
「どうしよう……でも、ソウはまだ読んでないってことだよね……」
封筒は開けられていなかった。おそらく、書類の束と混ざって分からなくなってしまっていたのだろう。
もしかしたら、わたしが読んだらいけないものだったのかもしれない。手紙を手にしたまましばらく考え込んでいると、コンコンとドアがノックされた。
「は、はいっ!」
咄嗟に、持っていた手紙を後ろ手に隠した。やましいことはなにもないはずなのだが。
「ユキちゃん、調子どう? ごめんなぁ、こない仕事やらせてもうて」
「へ、陛下……いえっ、これくらい、どうってことないです」
部屋に入ってきたのはソウだった。
ソウは時々、暇つぶしなのかこうしてわたしの部屋を訪れる。今も特に用があるわけではないようだ。
「あ、あの、何かご用ですか? 何もなければ、その、仕事を続けたいんですが」
「続けてええよ。けどその前に、今隠したもん出そか?」
「あっ……!」
ごまかそうと思っていたが、ソウにはあっさりとばれてしまっていた。隠していた手紙を、いとも簡単に取り上げられてしまう。
「ご、ごめんなさい! あの、勝手に読んでしまって……!」
「かまへんよ。誰やろ」
そう言ってソウが手紙を読む。
わたしはじっとその様子を窺っていたが、その顔がみるみるうちに険しいものになった。怒っているようには見えないが、とても苦い顔をしている。
「あの、陛下? どなたからですか……?」
思い切って聞いてみる。しかしソウはぱっと表情を無理やり変えて、にっこりと微笑んだ。
「ユキちゃんは気にせんでええよ。ただのお節介女や」
「おせっかい……?」
「あいつ、ユキちゃんに会うて何する気やねん……ごめんユキちゃん、ボクもう行くわ」
「えっ!? あ、はい……」
そう言うと、ソウは持っていた手紙をくしゃりと握りつぶして部屋を出て行ってしまった。残されたわたしは、茫然とソウが出て行った扉を見つめることしかできなかった。
*
「……あの、タカミさん」
「はい、なんでしょう? あ、少しじっとしていてくださいね、すぐ終わりますから」
その日の午後、わたしは医務室に来ていた。週に一度、タカミに診察をしてもらっているのだ。
もう決闘の時の怪我は治ったのだが、念のために、とソウに診察を受けるよう言われている。
「タカミさんは……その、男性は、よく女性から手紙をもらうものなんでしょうか? 例えば……ラブレター、みたいな……」
「ラブレターですか……そうですねえ、ちらほらと、ではありますが」
「へえーっ、やっぱりタカミさんって女性に人気なんですね!」
付き添ってくれているリサが、なぜか興奮気味に話に食いついた。タカミは苦笑しながら、カルテに何やら書き込んでいく。
「殿下、もしかして陛下にラブレターを?」
「ち、違います! えっと、なんて言ったらいいか……偶然、見てしまって。女性からの、陛下宛ての手紙を」
「はあ……仕事上の手紙ではないんですか? 陛下にはよく届いているようですが」
「で、でも、キスマークがついてたんです! それに、陛下にそれを渡したら、なんだか様子がおかしくなって……」
「えっ!? ユキ様、その手紙になんて書いてあったんです?」
「はっきりとは覚えてないんだけど、結婚しちゃったのね、とか、王妃に会わせて、とか……」
思い出すとなんだかへこんでしまう。
ここ最近、やっとソウは自分のことをわたしに話してくれるようになった。なのに、手紙のことについてははぐらかされてしまったのだ。
「そ、それって……まさか陛下、浮気……!?」
「リサさん、そう判断するのは性急すぎますよ。殿下、誰からの手紙だったんですか?」
「それが、わからないんです。手紙には何も書いてなくて、陛下に聞いても、ただのお節介女だ、としか教えてくれなくて」
「お節介女……」
「ユキ様っ、今すぐ陛下を問い質しましょう!」
「えっ、でも……」
リサはなんだか怒りに燃えている。今わたしが何を言っても聞いてくれなさそうだ。
そんなリサをなだめたのはタカミだった。
「リサさん、落ち着いてください。それだけの情報では、何も分かりません」
「でも……!」
「殿下。あなたはまだ、陛下にもう一度聞く勇気がない。そうでしょう?」
「……はい」
「それでしたら、陛下の方から教えてくれるのを待ちましょう。大丈夫、陛下にはあなたしか見えていませんから」
本当にそうだろうか。
よくよく考えてみたら、ソウから好きだと言われたことはない。結婚しようだとか、自分のものだとか、そういったことは何度も言われているが、それは好きと同義ではないだろう。
今さら愛の言葉にこだわるつもりもないが、わたしの気持ちが曖昧なのもそのせいだ。ソウは、わたしのことをどう思っているのだろう。
「……わたし、ちょっと外に出て考えてみます。陛下のことも、自分の気持ちも」
「それでしたら、お供いたします!」
「ううん、大丈夫。そんなに遠くには行かないから」
今は一人で考えたかった。リサはまだ何か言いたそうに身を乗り出したが、タカミがそれを手で制した。
「いってらっしゃい。どうかお気をつけて」
*
城門を警護する衛兵に理由を話して、門を開けてもらった。城の周りを一周しながら、ゆっくり考えてみよう。そう思った、その時。
「あー、ちょうどよかったわ! ねえあなた、城の人でしょ? ソウを呼んでくれない?」
門を開いたところに、金髪をなびかせた女性が立っていた。その姿ははっとするくらい美しく、見目麗しいとはまさにこのことだ。傍にいた衛兵も口を開けて見惚れている。
驚いて何も言えずにいると、その女性がつかつかと歩み寄ってきた。
「その格好、侍女じゃないわね。もしかして、例の王妃?」
「あ……はい、そう、ですが……あなたは……?」
「やっぱり! 聞いてた通りの子だわ! 私はアンナよ、サウスで衣装店をやってるの。それでソウに用事があるんだけど、連れてってくれない?」
はきはきとした声で話しかけてくるが、その間もわたしは彼女の唇を凝視していた。
真紅のルージュ。わたしには到底似合いそうにないその艶やかな色には、見覚えがあった。
わたしの中の女の勘が働く。きっとこの女性が、あの手紙の差出人だ。
「ねえ、どうしたの? あなたとも話がしたかったの、行きましょうよ」
「え、あ、えっと……す、すみません! わたし用があるので失礼しますっ!」
居てもたってもいられず、わたしは顔を伏せて走り出した。後ろで、アンナがわたしを呼び止める声が聞こえる。
全速力で走った。お願いだから、追いかけて来ないで。
気付くとわたしは、湖のほとりに立っていた。
たしか、幼い頃ソウと一緒に来たことのある場所だ。懐かしくなって、少し気持ちが落ち着く。
草むらに座って美しい湖を眺めながら、わたしは思い返していた。
手紙を渡したときの、ソウの表情。リサとタカミの言葉。そして、先ほど会ったアンナの姿。
辻褄が合ってしまった。ソウは、アンナのことが好きなのだ。
「……馬鹿みたい、わたし」
勘違いしていた。ソウは、わたしのことが好きなのだと。お互い身体は大きくなったけれど、昔のまま、わたしを一番に想ってくれているのだと。勘違いして、一人で盛り上がってしまっていた。
ソウにもう一度、恋をしてしまっていた。
失って初めて気付くものがあると言うが、まさにその通りだ。ソウにとって大事な人が現れてから、自分の気持ちに気付くなんて。
知らぬ間に涙が溢れていた。こんなことで泣きたくないのに。
政略結婚だと思いながら、どこかで期待していた自分がいる。ソウを憎めば憎むほど、拒めば拒むほどその気持ちは大きくなっていた。
溢れる涙をこらえきれずに、わたしは子どものように泣き続けた。
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