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惨劇ノ参事⑴・第肆章《断罪の狂夢・刃掌と吊殺術》
肆之罰「滅黯夢幻死事」ー髪結いの亭主ー
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「もしそこな、盥をお持ちの方。どじょっこふなっこ、めそっこばかり、泳ぎの盥をお持ちの方」
ーー今日はあまりにも色々なことがありにあり過ぎて、自分がある種の妖術で、時空の迷路に迷い込まされていることにすら気づくことなく、いつも通り、ごく普通に帰路についていると思い込んでいる実吉に、声をかける者があった。
ーー無縁坂の端に、鞣されていない荒縄で編んだのであろう分厚い敷物の上に、背筋を伸ばし、実に礼儀正しく正座してーー。
頭から紫の御高祖頭巾を被り、蘇鉄の葉と実、毒蛇のハブを意匠にした龍郷柄の泥大島を着、帯は柿渋色。 帯締めは古紫、さらに帯留は不動明王の梵字入りの、大振りな数珠玉だ。
しかし、頭髪をすべて覆い隠すはずの御高祖頭巾の縁からは、艶のない白髪が、腰まではみ出している。
暗がりでよく見えないが、口腔内でたった一本だけ残ったらしい、向かって右側の上の前歯が、妙に目についた。
……その、一風変わった装いに魅かれた実吉は、足を止めた。
「お前様以外に誰がある。ワシは見料は一銭も貰わぬ、ただの【人相見】そして【憑き物見】に加えて【千里眼持ち】の、とうの昔にツレに先立たれ、未だに未練がましく生き残っておるだけの、ちょんがれ夫婦の死に損ない婆よーー」
「のぅ、重いであろうが、その盥は。ほれほれ、このけったいな婆の横にでも置くがよい。まだ嫁御と子らの待つ長屋の竈で飯が炊けるには、少しばかり刻があるでな。互いにほんの暇潰しぞな」
(ーー!?)
暗がりと、薄ぼんやりとした蓙の四隅に置かれた雪洞しか灯りはないが、このひどく嗄れていながら妙に聞き取り易い声をした老婆は、何故自分の家族構成を知っているのか。
「名を名乗りゃ、お客人」
「え? あ……さ、実吉だ」
ーー見料は一銭も貰わないと断言する、人相見、憑き物見、千里眼持ちを自称する、怪しいことこの上ない老婆。
ーーちょんがれ夫婦の死に損ないと自称しているが、それも本当かどうか。
「『初めチョロチョロチョロ中パッパ。赤子泣いても蓋とるなーー』」
「え?」
「ふひょひょ、お前様の嫁御は、年寄りの言うことを忠実に守る、いまどき珍しい古風な嫁御じゃのぅ。良きかな良きかな」
「……? あ、ありがとうございます」
ほとんど意味がわからないまま、実吉はただ妻のお登代が誉められたことしかわからず、礼を述べた。
乞食同然の怪しげな老婆の占いの道具(ツール)は、
「いやいや、これはならぬ、ならぬならぬ……ならぬわぇ……」
「な、何がならねぇんだよ、婆さん?」
「【従者失いの相】ーー【女難の相】が、併せて四つ。【凶刃の相】」
我知らず、いつの間にかのどがカラカラに乾いていた実吉はごくりと唾を飲み込んだ。
「そして極めつけは【妻子全喪の相】ーーであるぞよ、実吉や?」
その瞬間、実吉は全身が総毛立った。
この奇妙かつ奇怪極まりない婆に、自分の名は伝えていないはずだ。
「バ、ババアてめぇ、何で俺……の、な、なま、名前……」
「ーー顔に書いてあるぞな。それにわたしには、永遠に忘れられぬ名前……」
唐突に、ささやくような女の声が背後から聞こえた。
「!?」
氷のように冷たい両腕が、実吉の首に絡みついた。
その氷の如き冷たさは実吉の背中から腰、尻、両足の太腿からふくらはぎ、左右のかかとにまで及んだ。
「ふぎゃっ!!」
情けなくも、実吉はわずかばかりにちびった。
ーー白い袖の中から突き出された両腕は、血の通わなくなった屍の肌に、白粉を塗り込んだような色をしてーー
後ろから自分の左肩にかかった艶のないバサバサの髪が、ひざまで長く垂れ下がった。
実吉の全身は硬直し、女の身の冷気が、背中一面から全身に凍み込んで来るかのようだった。
背後から、女が耳元でつぶやいた。
「久しぶりだねぇ、あたしはおふさだよ、おふさーー……三ツ堀のお・ぶ・さ……」
(ーーおぶさ!? )
おぶさ。
おぶさ。
お、ぶ、さ……。
その遙か昔に自らの口から、悪意を持って何度となく口にしたあだ名。
雪女の吐息の如き、氷点下の息によるつぶやきを耳にすると同時に、実吉は狂ったような奇声を発し、小魚が泳ぐ盥を放り出すや否や。
こけつまろびつしながら、自分の住処たる御厨長屋を目指し、坂を駆け出して行った。
「何と、逃げ足の早い。だが我に出来るは、この女になり切ることのみ。後はーー」
おふさ、おぶさと名乗った女の幽霊ーー? は、浄昡の声でそういうと、実吉が坂に放り投げて行った桶の中に、不忍池の水をたっぷり溜めてやってから。
坂の上でぴちぴちと跳ねる鮒に泥鰌、おたまじゃくし達を一匹残らず両掌で掬い、ふたたび水の中を悠々と泳がせてやった。
蓙の上に座していた老婆が、うつむいたままこくりとうなずいた。
「へぃ。そちらの盥は、あっしからあの方にお願げぇして、御厨長屋への縁起でもねぇ土産物に致して頂くよう、手配しておりやすんでーー」
老婆の嗄れ声もまた、元の声に戻っていた。
口腔から、白く丈夫な上下の歯を覆い隠すための逆入れ歯が、皺ひとつないしなやかな指先で、かぽっ、と外された。
「ふはは、してそなた、あの暗器は如何にして使う」
「それは、お師匠様が御眼(おんめ)で、とくとご覧くだせぇやし」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー実吉一家が住む御厨長屋の一部屋は、妻のお登代にとっては、今日も朝から戦さ場(いくさば)だった。
朝は家族五人の中でいちばん早く起き、いちばん遅くに寝るとい、まるで丁稚のような暮らしを、今は数えで(現代の四歳)五つになる第一子長男の鉄を産んでから、五年も続いている。
さらにその二年後に、今は三歳(現代の二歳)の第二子次男、剛を産むと鉄の赤ん坊返りが起こり。
その二年後に、初の娘にして、まだ一歳(現代の零歳)になった長女のお科を産むと、今度は兄弟喧嘩が、今までになく増えた。
よりによって兄弟同時に、赤ん坊返りになったのだ。
ーー自分を含めて、家族四人分の朝餉と夕餉を作り。
朝餉と同時に亭主の実吉の弁当ーーといっても、ほとんど昨晩の夕餉の残り物の煮魚、焼き魚の身をほぐしたものを具にした、塩で結んだ握り飯を四つ。
それに加えて、ある日は茄子の辛子和えと梅干し。
またある日は、柴漬けと白菜の漬け物と、必ず自家製の二種類の漬け物を日替わりで添える、細やかな気配りを絶やさずにいる。
ーー毎朝ではないとはいえ。
朝餉の支度をしている途中に、まだ寝小便癖が治らない剛がべそをかきながら起きて来れば、まず剛の寝巻きを洗い、早朝から早々と布団を干し、井戸端で下半身を洗わなければならないし、毎度毎度、冷たい井戸水で寝小便の後を洗い流すのを嫌がり、暴れて泣く剛のために、鍋ひとつ分の湯を沸かし、わざわざ両足を温めてやらねばならない。
そして、後から起床した鉄が目ざとく弟の粗相に気づくと、朝餉の前から兄弟喧嘩が始まってしまう。
「やーいやーい、剛の寝ションベン垂れ~」
と、弟を冷やかし弄る兄。
「うるさいうるさい、兄ちゃ(あんちゃ)のバカ!」
としか反論出来ない、まだまだ語彙力の足りない弟が、泣きながらムキになってやり返す。
その甲高い子ども同士のがなり合いのやり取りに、まだ乳飲み子のお科が反応し、激しく泣き出す。
一旦その状況に陥ってしまうと。
やめろと怒鳴りつけても兄弟喧嘩は止まず。
いくらあやしても、兄達の喧騒に怯えて一度目覚めてしまった背中の娘は、泣き止まない。
だというのに、いちばん遅く起床する亭主は、まるで父親の役目を果たさない。
息子達の喧嘩は無視。
娘の泣き声は聞こえない振りを貫き。
無言で、用意された朝餉を胃の腑にかき込み、用意された昼餉の包みを手にすると、
「ほんじゃ、行ってくらぁ」
ーー無駄に威勢のいい声を、現代でいうところのワンオペの極みの真っ只中にある妻のお登代が耳にする度。
ただただ毎日毎日、まるで家庭を顧みない亭主と。
暴れん坊の盛りの息子ふたりの世話と。
乳飲み子の娘にひたすら乳をやって乳をやって。
その娘が、朝から晩まで無邪気に垂れ流す、大小便にまみれた襁(むつき)は汚物をまとめて厠に捨て、小便が染みたものは別洗いにし。
そこからさらに、家族全員分の衣類に下履きすべてを、井戸端で洗濯する。
それらをすべてひとりで干し、洗濯物が乾いて夕方に取り入れたら、お科をおんぶ紐で背負ったまま、これまたひとりで、家族別に畳み分ける。
それらの重労働を女手ひとつでこなしながら、息子達の昼餉を作り、娘の昼餉たる乳を与える。
ようやく箸を使えるようにはなったものの、まだ口に入るより剛の食べこぼしが散らばるちゃぶ台を、剛の口を拭き。
食べるのが遅い弟の分のおかずまで奪ってしまう兄の鉄を叱り。
それが原因でまた、泣き出す幼児の次男と乳児の娘をあやし、なだめる。
毎日、こんな積み上げた石を崩し、また石を積み上げては崩し。
当然ながら、完成するはずのない石垣を終わりなく延々と積んでは崩し、崩しては積みを繰り返しているかのような、恐ろしく虚無な毎日だ。
しかし、お登代は極めて気丈な女であったから、それを、これっぽっちも苦に感じるはずもなかった。
むしろこの苦行の如き毎日を、楽しんでいるすら風である。
「おぅこら、鉄、剛! おっかちゃんちょいと外に出るから、火に近づくんじゃないよ!?」
「おいよー」
「あーい」
独楽に紐を巻きつける鉄に、きゃっきゃっと風車を左右に振る剛。
息子達から返事は返って来たが、これは完全な生返事だ。
ーー娘以外の家族四人分の、今夜の夕餉の主菜。
長屋の戸口の前に置き、縦に四匹並べた、腹にメの字の切れ目を入れてざっと塩を振った鯵の塩焼きの火加減を見に、お科を背負ったお登代が七輪の前にしゃがみ、竹串で鯵の身を何ヶ所もぷつぷつと刺し、火の通り具合を確認していた、そのときだった。
「もうし、お内儀ーー」
背後から唐突にかけられた低い声に、お登代は反射的に振り向いた。
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(あぁ畜生、けったくそ悪りぃ!)
ーーあの盲の按摩に妙ちきりんな幻覚を見せられ。
ーーアサに隆次と、理由はまるで異なるものの、弟子がふたりも一度にいなくなった。
アサは二度と髪結床に戻らぬと宣言し、隆次に至っては、母親のお糸が頭を丸めさせて、寺に入れると言い切った。
ーーさらに刺青を背負った女白浪の鶴の一声で常連客をあらかた失い、止めに腹にひざ蹴りを喰らわされた。
ーー奇怪極まりない人面魚たる人魚を突然釣り上げて、肝が潰れるかと思うほどに自分を驚かさせた、た、意味不明な言葉を喋る、六尺越えの大柄な浪人。
ーーそして、あのちょんがれ夫婦の片割れにして、自称人相見の乞食婆に、とてつもなく不吉な言葉を幾つも投げかけられ。
極めつけはーー……。
(おぶさ……おぶさ、おぶさ……あ、あの三ツ堀の、菊石(あばた)のおぶさか……!?)
何やら、ひどくやましい記憶があるらしきその名に、実吉は頭を抱え、その場にしゃがみ込みかけた。
しかしすぐさま気を取り直し、左右の頬を、ぺちん、ぺちん、と、軽く両掌で軽く打った。
(おらだけが悪りぃんじゃねっぺや、おらだけじゃ。おらんとこだけ化けて出るなんざ、それこそ逆恨みってもんだっぺや。念仏唱えて塩べ撒いて、悪霊退散、悪霊退散。あんの醜女がぁ)
ーーそんな風に故郷(くに)の言葉で心の中でつぶやきながら、実吉は妻子の待つ御厨長屋の一軒に向けて、歩き出した。
ようやくたどり着いた長屋の手前で、実吉は一端足を止めた。
そして両腕を広げ、大きく、深く深呼吸をーー。
吸って、吐いて。
吸って、吐いてを数回繰り返し。
皺が寄っているだろう眉間を右手の人差し指と親指でよく揉みほぐし。
さらに、強ばっているに違いない顔全体を左右の掌で良く揉み、表情を柔らかくした。
(よし!)
「ただいま」
「お父っちゃん、お帰り!」
「おきゃぁり、おとった」
「あらお帰り、あんた」
いつもと同じ、ふたり息子の鉄と剛の声。
妻のお登代の声。
その背中で、おんぶ紐に括られたお科があぶあぶ言いながら、まだまだ短い両腕両足をばたつかせる。
ーーいつもお登代が用意しておいてくれている、長屋の井戸から汲んだ濯ぎ(両足全体を汚した土埃を洗う水)を注いだ木桶が、やはりいつも通り、土間に置かれていた。
実吉は、家族の履物が散らかった長屋の入り口から、わずか二歩ばかりの場にある畳のふちに浅く来腰かけ、濯ぎを始めた。
髪結床で履いていた高麗納戸色の足袋は、実吉が自ら手洗いし、陰干しして来た。
一枚目、まず濯ぎで土埃を落とし、濡れた両足からしっかり汚れを落とすための、緩く絞った雑巾。
二枚目、汚れが落ちた、濡れた両足を拭くための、固く絞った雑巾。
三枚目、 仕上げにきっちりと乾拭きが出来る雑巾。
雑巾と言っても毎日洗濯して日干しされた、元は使い古しの手拭いだったものだ。
それにわざわざ使う順の、
「壱」「弐」「参」の字を、黒糸で使う順を縫いつけている。
細やかな気遣いで、影で尽くす。
実吉の妻、お登代はそういう女だった。
「あぁ、今晩もいい匂いだぁなぁ」
「今日の夕餉はねぇ、鯵の塩焼きに白菜と油揚げの煮物。それから大根の葉の浅漬けだよ。三軒隣りのお粂さんの知り合いのお百姓が、たくさん大根が採れたから使ってくれって、お粂さんを通して、長屋の皆にお裾分けしてくれてたんだよ」
「へへっ、大根がいらあるってな、嬉しいもんだ」
いら、とは実吉の故郷(くに)の言葉で、たくさんの意味だ。
中でも、みりんも酒も砂糖も一切使わず、実吉の故郷の名産品たる醤油だけを使って、見た目も中身も味も茶色く、塩辛く煮込んだ煮物が、いちばんの好物だった。
しかも、お登代はしっかり面取りをした上で、落とし蓋をして煮込むのだ。
ーー登代よぅ、明日の昼餉、弁当に大根の煮物を入れてくれんべかーー
お登代にそう言おうとしたその瞬間、実吉は息を飲んだ。
鉄と剛が、墓参りの際に使う桶の中に両手を突っ込み、ばしゃばしゃと水しぶきを上げて、水遊びに興じている。
「そ、その桶ぁ、どうしたんだ、鉄、剛」
歓声を上げて水遊びを続ける兄弟の代わりに、お登代が答えた。
「あぁ、それかい。さっき外で鯵を焼いてたらさ、えらい大男の御浪人が、柳川鍋を作ろうとしたら、泥鰌の他に、小鮒だのおたまじゃくしだのがやたら網に引っかかっちまったとかでね? 」
「大きな鯉なら何処ぞの料亭に持ち込めば捌いて貰えるけど、残念ながら小鮒を美味く煮付けてくれるような嫁も女もいない。おたまじゃくしが蛙になるまで泳がせておく池もない貧乏長屋の傘貼り浪人には不要だって仰ってさぁ」
「んで、帰りがけにウチの坊主どもの声聞いて、くれたのさ。飼うのに飽きたら、長屋の井戸に放れば、井戸水が清められるってねぇ」
(ーー大男の浪人!)
軽快に語りながら、炊きたての飯をよく水で湿らせた櫃に、同じくよく濡らしたしゃもじで移し。
実吉とお登代の夫婦茶碗。
鉄と剛の子ども用の小さな茶碗ふたつ。
さらに、大小ふたつの味噌汁椀、大人用の長い箸と子ども用の短い箸を、四畳半の真ん中に置いた、ちゃぶ台の上に並べた。
ーーその瞬間。
甲高い叫び声と、火のついたような泣き声が、既に火を消した七輪の上に乗せたまま、余熱で保温していた焼き鯵を、菜箸で各自の皿に取り分けようと、お登代が土間の片隅にしゃがんだ途端。
お登代の視界の片隅に、桶を持って狭い土間を駆ける夫の下半身が通り過ぎたと思うや否や、その直後、金切り声と、火のついたような泣き声が、お登代の耳をつんざいた。
「あんた!? 鉄、剛!?」
……小鮒におたまじゃくし、泥鰌がふよふよ泳ぐ、牧歌的な光景が浮かぶ桶を持って、裸足のまま外に飛び出した実吉が、桶を逆さまにして、中身をすべて長屋の狭い通路に、ひっくり返していた。
それだけでもお登代は我が目を疑ったが、寸分の間を置かず、実吉は両足の裏で、小鮒や泥鰌、おたまじゃくしらをあらかた踏み潰したのである。
「あんた! 何してやがんだい、あんた! 気でもふれたのかいッ!?」
「戒名が、俺達の戒名がぁッ!? 首が、人魚の首に身体が生えた、生えて、桶から、は、はは、は、這い出したッ!」
「あんたッ! ーー実吉ッ!!」
両親の怒鳴り合いと、ふたりの兄達の号泣に引っ張られ、泣き出したお科を背負ったまま、錯乱する夫を羽交い締めにし、横っ面をひっぱたいた。
「……え? あ……」
「え、じゃないよ! あんた、自分のしたことわかってんのかい! ーーって、え? えぇぇ!?」
夫の両足の裏に踏み潰され、小さな身体から内臓を噴出された小魚や、鯰の孫ではないカエルの子らの惨殺体が、あちらこちらに散乱しているはずだった。
しかし辺りに散らばっているのは、茎が折れ、葉が毟られ、白に赤に黄の花びらが散らばる、仏花としての菊の花々と、その花びらだった。
三人の子ども達はまだ号泣しているが、実吉は目を見開いてその場に硬直し。
お登代は青ざめた顔で、左掌で口を押さえ、右掌で実吉の左肩に、着物越しでもその肌に爪痕が残りそうなほど、強く爪を立てて握り締めていた。
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実吉とお登代がふたりがかりでいくらなだめすかそうと、鉄も剛も泣き止むことはなく、結局、ふたりは泣き疲れて眠りに就いてしまった。
鉄は実吉の懐にしがみつき。
剛はお登代のひざに顔を埋めて。
「……あたしゃ、もう疲れたよ……何なんだよ、あんたも、あの桶も魚も菊も、さぁ……」
焼いた鯵はひとつの鍋に入れ、砂糖と少しだけの醤油で軽く煮て、何とか食べる期限を延ばした。
普段は、四畳半の間に大人用の布団を四枚敷きつめ、お登代の枕元に、兄ふたりのお下がりの小さな布団を敷き、それ以外は、上から見て左側から実吉、鉄、剛、お登代と、一本多い川の字になって寝るのだが。
今晩ばかりは、鉄が右から、剛が左からしっかりと母の懐にしがみつき、ともにまぶたを腫らして眠りに就き。
実吉は完全に腫れ物扱いで、左端に追いやられた。
ーーだがあのとき、実吉はたしかに見たのだ。
あの、小鮒におたまじゃくしに泥鰌が泳ぐ墓参り用の桶ーーお登代は桶などではない、平たい木盥だと言い張っていたがーーその桶には、家族全員の戒名が、墨痕淋漓と記され、刻まれていたのだ。
【実信士】
【登代信女】
【鉄童子】
【剛孩子】
【科嬰女】
ーーと。
そして筍が青竹に変じるが如く、桶の中からゆるゆると両肩まで伸び上がったーー桶のふちからあの女の顔が突き出し、左右から溢れ出た、もつれ合った長い黒髪が、両腕代わりに女の上半身を桶の中からせり出させた。
あろうことか、あの女の首からすぐ下は、完全な「魚」だった。
身の丈は、鯛の尾頭つき程度。
首の左右には生々しくエラが空き、ひくひくと蠢いていた。
あの女ーーその名はおふさ。
「おぶさ……にしゃ(お前)か」
どうにも気が昂って眠ることが出来ず、気がつけば、刻は子の刻(深夜二時)になっていた。
ちらりと左端に視線をやれば、お登代と鉄と剛。
そして珍しく、夜泣きもせずにお科がーー。
妻子達は全員すぅすぅと静かに寝息を立てて、穏やかに眠っている。
安堵したのも束の間。
明日から、髪結床の仕事はどうまわして行けばよいのか、わからないのだ。
弟子のアサも隆次もふたり同時にいなくなり、自分ひとりで客をまわさねばならない。
もう日が変わって昨日のことだが、店替えをすると言って去って行った客達は、ごく一部だ。
それにまだ、他の得意客はーー。
刻は遅いが、寝酒に頼るしかない。
そう思い立った実吉が、四畳半の寝床に敷きつめられた四枚のせんべい布団の上を這い、米櫃と漬物棚が垂直になる場に置いてある、ところどころふちの欠けた、刷毛巻木賊柄の、紺の茶碗だったものを上に被せた、名もなき安酒の焼酎を入れた徳利に手を伸ばし、四畳半の上がり口の畳の端に腰を下ろすと、水甕の中の水ではなく、徳利の中の安酒で湯呑みの中をすすぎ、それから改めて、呑み口いっぱいまで、焼酎を注ぐと、一気に呑み干した。
独特の酒匂が鼻から舌を突き抜け、灼けるような熱さがのどと胃の腑を焼いた。
久しぶりに呑んだ、安い焼酎。
加えて、今の刻。
明日の朝の二日酔いと、酒臭さが残るかも知れない息が心配だったが、空腹で久しぶりな呑みである分、すぐに酔えて、眠気を催すだろう。
実際、三杯目にして既に顔が熱く、心なしか頭がふわふわして来ている。
「来 ね よ」
「!?」
「きゃかぁ(客は)、来ねよ。だーから昔っから言われてっぺよ、人の口に戸は立てられぬ、悪事千里を走る、てよ」
どこから聞こえて来ているのかわからない女の声には、実吉の故郷の訛りがたっぷり含まれていた。
「天網恢恢疎にして漏らさずーー」
誰だぁ! と、自分が思っている以上に既にまわっている酒の酔いにまかせて怒鳴りそうになった口を、辛うじて残っていた理性で、両掌で強く塞いだ。
「嫁御さもらって、倅さふたりに、女っ子さできて、いっちょめ(一丁前)におっ父んなったくせしてよぅ。にしゃ、まぁだおらんこと『おぶさ』て呼ぶかよ、実吉。あてこともねな!」
ーーその瞬間。
無音のつるべ落としが、長屋の天井から実吉の鼻先すれすれに落下した。
長くもつれ、絡み合った濡れ髪が天井の梁に二手に分かれて幾重にも絡みつき、首だけが落ちて来た。
その顔に、実吉は見覚えがあった。
何の前触れもなく、これだけ異様な状況に置かれながらも実吉が悲鳴ひとつ上げなかったのは。
生首が天井から落ちる直前、忍びの者の如く天井に両ひざの裏をかけ、両足首を交差させながら、素早く両掌で九字を組み、
《臨、兵、闘、者、開、陣、烈、在、前》と唱え。
その状態で、滅黯は実吉の背後から、胸元に仕込んだ、三角錐状の黒曜石を、延髄から脳幹、橋を決して傷つけることなく、不安と恐怖を感じさせる扁桃体に侵入させた。
滅黯はすぐさま、左右の指を内側に交えて指を組み。
親指、人差し指、中指を伸ばし、人差し指をわずかに曲げると、中指同士の指先を合わせ、左右の親指同士で、同じく左右の中指を押し、被甲護身の印を組み、
(オン バサラギニ ハラチハタヤ ソワカ)
その瞬間、三角錐の黒曜石は黒薔薇のつぼみに形を変え。
螺旋状の花びらと萼全体が、繰り小刀の諸刃の刃と化して花開くと、実吉はあっけなく壊れた。
(ーー錐刃花無生無死之術(すいじんかむしょうむしのじゅつ)、成りや)
「おぶ、さ、を、わ、さ……」
おぶさ、と呼ばれた女の生首が、大きく口を広げて、舌を伸ばした。
その舌先には、青い火を灯した太い白の蝋燭が、おぶさなる女の舌を燭台にして、揺らめいていた。
「あばぁ」
聞き慣れていながら、聞き慣れない声。
声の出どころを探ると、それはふたりの兄のお下がりの赤子用の小さな布団に寝ていた、末っ子にして一人娘のお科だった。
まだはいはいも出来ないはずのお科が、四つん這いになって、お登代の胸元に這いずって行く。
お科の小ぶり過ぎる、丸く愛らしい手が母のお登代の寝巻きをかき開くと、授乳中の豊満な左右の乳房が、剥き出しになったーーと思うや否や、黒ずんだ左右の乳首から、白濁の母乳が天井まで噴出した。
気がつくと、実吉は右の乳首にむしゃぶりついて、ちゅうちゅう音を立てて、じつに勢いよく母乳を吸っている娘のお科と並び、噴き出した母乳にまみれた妻の左の乳房をひとしきり舐めまわしてから、のどを鳴らして母乳を飲み下している自分に気づいた。
愕然としたのは、ほんの一瞬。
だが、何のためらいも抵抗もなく、自分の心に正直になれたと、すんなりと受け入れられた。
だがそれと同時に、隣りで無垢に母の乳を吸う実の娘に、我が子に、我が娘に。凄まじいまでの嫉妬の炎が、燃え上がったーー。
「妬いたか? なら『焼け』ばいっぺや」
天井裏から地声で呟いた滅黯の声に、実吉は素直に従った。
「ほれ、火種はここにあっからよぉ」
舌の真ん中に蝋燭をわずかに移したおぶさの舌先が、実吉の眼窩の中に潜り込み、さながら飴玉でも舐めるように、左右の眼球の表面に舌先を這わせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(ーー? あんだべ、こりゃ?)
実吉の目の前が、真っ白い。
手でどかそうとしたが、何故か両手首が後ろ手にきつく拘束されているらしく、右手も左手も前に出せない。
両手首だけではなかった。
首の後ろから鎖骨、胸郭、左右の二の腕、へそより少し上、そこからすぐ下の腹と腰全体。
視界を塞いでいるのは顔一面を覆う紙であり、それを顔面に括りつけているのは藁だと、紙越しにその懐かしい感触が伝わって来る。
文字通り猫の額ほどの畑を耕し、たった二坪、畳四枚分の田植えをし。
そして宿場町の関宿まで、新藁を売りに行った。
あぁそうだ、そこで新藁を買う様々な女達の紅や白粉の匂いに目で鼻で触れて、その影響で、髪結いを生業にしようと考えたのだーー。
そんな懐かしい思い出がよみがえった途端、実吉の後頭部に。
ーードン!!
という、凄まじい衝撃が走り抜けた。
(あ?)
突き抜けるような、雲ひとつない青空が視界いっぱいに広がった。
数匹の秋茜が、すぃー、と。
その澄み渡った空を、まっすぐに飛んで行った。
(ふぉ?)
目の前に、四角く掘られた深い穴がある。その底が、ゆっくりと眼前に近づいて来た。
…………………ごとッ…………………
その瞬間、顔の後ろで結んだ藁がほどけ、白い紙が顔の前から離れると、実吉はーー見た。
土壇場の茣蓙の上に、上半身を緊縛された、白の死装束を着た首のない自分の身体が、土の上から四角く掘られた穴の手前まで垂れた茣蓙の上に座っていた。
めくれ上がった着物の中で、緩み切った褌から露出した陰茎が、この期に及んで勃起し、ぴゅぅ、ぴゅぅ、と数回に分けて射精し、自分の肉体であったものの鈴口から、まだ生温かい大量の精液が頭に振りかかり、顔面にどろりと垂れた。
呆然自失の実吉の生首が背後から持ち上げられ、顔には布地、首には氷のように冷たい感触が触れた。
(ほうれ、罰当たりの首さ、おっかけた)
おっかけた、は
「追っかけた」ではなく、
「おっ欠けた」の意味だ。
首が、欠けた。
背後から、左右の鼻腔を長い髪の先端がこちょこちょとくすぐられる。
そこでようやく、実吉は気がついた。
あぁ、袴を履き、たすき掛けをしたこの武士は、首斬り役人。
自分は斬首刑に処され、首が土壇場の穴に落ちたのだ。
そしておぶさが自分の首を拾い上げ、おぶさの襟の合わせ目に押し込まれ、おぶさに鼻腔をいじられているのだ、とーー。
だが、すぐにその意識はぷつりと途絶え、それと同時に視界は一瞬にして真っ黒に塗り潰され。
その意識と五感はすべて真の暗闇の中に放り込まれ。
葬り去られた。
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「ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」
女の断末魔の悲鳴が、丑の刻の御厨長屋の一軒をごくわずかに揺らすほどに、けたたましく響き渡った。
それも、当たり前のことだ。
今まで聞いたことのない、尋常でない泣き方の娘の夜泣きに目覚めさせられた途端、目の前で、娘の実父にして自分の夫が、褌一枚の姿で燃え盛る炎をがっちりと抱え込んだ竈の前に立ち、まだまっすぐになっていない、娘の柔らかく小さく可愛らしい短い両足のひざをわしづかみにし、そこから上を竈の中に押し込んでいるのだ。
火種は、生首のおぶさの舌に乗った蝋燭と、実吉の寝巻き。
だが、娘の両足は激しくばたついている。
他人から観れば絶望この上ない状況だが、母たるお登代は、今ならまだ大丈夫だと確信した。
ーーいや、そう思い込まずにはいられなかった。
上半身裸で、左右の乳房が剥き出しになっているだけでなく。
長い髪を振り乱し、まだふたつ並んだ乳房が大量の母乳にまみれたままのあられもない姿ながら、母親としての本能のみに支配され、死にもの狂いで実吉に体当たりし、お科を竈の中で燃え盛る炎から強奪しようとしたーーが、実吉はまるで微動だにしない。
口端からよだれを垂らし、えへ、ぅふ、ぁは、と、腰を激しく前後に揺すり、竈の前に落ちた褌の下から露出した陰茎は、既に先走りの薄い液を滲ませている。
竈の前に落ちた使い古しの褌が、手のような形に伸びた炎が竈の中に引きずり込まれ、さらに火が勢いを増した。
「実吉ぃぃぃぃぃぃぃぃ
!!! てんめぇ、この野郎ぉぉぉぉぉ!!!」
半狂乱ーーどころではない。
完全に狂乱したお登代は出刃包丁を持ち出し、実吉の両手首を目がけ、鬼の形相で、夫に襲いかかった。
寸分の間も置かず、立て続けに実吉の両手首を、斬り落とすというより、鉈で薪割りをするように、叩き落とした。
まだ乳飲み子の娘の、お科の両ひざに実父の両掌が喰い込んだまま。実吉の両腕のひじから前の二ヶ所から、鮮血が天井まで噴き出上がった。
「お科お科お科、お科ぁぁぁぁぁっ!?」
髪に、上半身裸の肌に、麻の寝巻きに竈の中の炎が燃え移ろうと、お登代は我が身を省みず、娘を気のふれたとしか思えない夫から奪還した。
お登代はその勢いで、土間の水甕の中にお科を放り込み、そのまま自分も、足首まで逆さまになって、水甕の中に飛び込んだ。
お登代は火の着いた麻の寝巻きが肌に何ヶ所も張り付いた、身をものともせず、ぷはぁと息を吐き、両腕で水に浸した娘を両腕で掬い上げた。
だが、遅かった。
今自分の腕の中にあるのは、赤ん坊の原型すら留めていない、ただの炭化した、小さな肉塊であったもの。
それだけだった。
「お、おぶさぁ! にしゃ、お、おぉ、おれの娘さ死んでも、まだ祟る気かぁ!? まだ、足りねっかぁ!?」
「ーー何を、わけわかんねぇこと喚いてやがる、この人殺し! 死ね、死ね死ね死ね、死にさらせぇっ!!!」
両腕を失った実吉は、妻のお登代によって斬られた右腕の断面に、全体重をかけて出刃包丁の柄を根元まで、無理やりに生肉の中に埋め込んでいる。
妻に自身の両手首を斬り落とされた刃物を体内なの無理やり埋め込み、右掌代わりにしようというのだ。
しかしその間、お登代はずぶ濡れの焼死体を左脇に抱えたまま、柳刃包丁で土間にうずくまった実吉の背中を、頭をめちゃくちゃに斬りつける。
土間中に、竈と水甕の周囲に、大量の血飛沫が飛び散る。
壁と、日焼けと竈の煙と埃とで、油じみた茶色に染まりきった障子紙とその障子の木枠に、余すところなく、紅の鮮血が飛散する。
「鉄!頼むから起きとくれよ、鉄! 剛をおぶって、今すぐここからーー」
四畳半の上に敷きつめた布団の上に寝ているはずの息子ふたりに、お登代が声をかけた。
しかし「逃げとくれ」の声は、息子達にかけた言葉の後には続かなかった。
鉄も剛も、軽く太さ一寸はありそうな、返しの着いた太い釣り針状のものが、鉄と剛の口の中、上あごから眉間までを貫通し、ともに大きく口を開け、首吊り死体の成れの果てのように舌を長く突き出し。
舌の上と、下唇から大量の唾液を布団の上に滴り落とし。
兄弟揃って、横並びに吊るされていた。
この頑是無い子らを、このように
無惨な姿に変貌させたのは、天井の梁に潜み続けている滅黯の隣りに座した、浄眩だった。
残念ながら握力、腕力ともに十七歳の若い男の滅黯より、小柄で細身の二十四歳の戀夏の腕力の方が、遥かに勝る。
本来なら、鮟鱇を吊し切りにするに当たっては、天井を補強しなければならないが、血まみれ刃傷沙汰の壮絶な夫婦喧嘩のどさくさにまぎれ。
戀夏の魂と肉体を借りておふさに化けた浄眩が、真の暗闇の中、ひとっ飛びで梁の上に飛び乗り、直弟子の滅黯のすぐ隣りに、立てひざをついた。
その流れで、浄眩は流れるように鮮やかな手の動きで、幼な子ふたりを鮟鱇の吊し切りのやり方そのままに、梁から吊るし上げた。
手製の、大型の釣り針もどきの上部をふたつ一緒に荒縄で俵結びにし、それを片手で持ち出上げて天井の梁近くまで吊し上げるぐらい、朝飯前のことだった。
何しろ、あの戀夏の体を拝借しているのだから。
ーーお登代は、上半身裸で乳房は母乳まみれ。前髪の元結も切れて、髪、顔、裾は陰毛が剥き出しなった、あられもないを通り越しに通り越した下半身は、両足の十爪の中まで、夫を斬りつけ、叩いた返り血で、真っ赤に染まっていた。
ふたたび、滅黯が九字を組んだ。
「…………てっ…………ごぅ…………」
幼いふたりの息子達の全身が、びくびくとあちこち痙攣を起こしている。
鉄と剛の肉体が、急速に瞬く間に萎み始めた。
まだ数えで五つと三つの、柔らかなその肉体の、顔、両腕、両足、急激に萎み、猿の木乃伊の如き、醜悪な姿になった。
その代わり、元よりぽっこりとして丸々とした腹が異様に膨れ上がった。
原因は、ふたりの体内の水分が一気に胃の腑に吸収されたためであった。
俗に、鉄と剛ほどの齢の幼児の体内に含まれる水分は、体の七割。
幼な子のまだ小さな胃の腑に急激に全身七割の水分が、津波の如くどっと押し寄せたのだ。
「……ちょ、『吊切殺……術……ヶ……伍之忌(ちょうせつさつじゅつがごのいみ)……』」
滅黯が思わず奥歯を喰い縛り、青海波の手拭いで両眼を隠した顔をしかめ。
九字の内『在』の型を下に突き出した。
「『身水七集・胃ノ爆(しんすいしちしゅういのはぜ)!』」
幼い兄弟の両眼からは、眼球まで飛び出しそうに眼球のふちから水が噴き出し、鼻腔からは大量の鼻水とともに、水が滴り落ちた。
すぐにふたりの腹は妊婦の如く膨れ上がり、 妊娠線が腹のあちこちに浮かび上がる。
ーーーばひゅっ!!!ーーー
兄弟の腹がほぼ同時に爆ぜ、ふたり分の五臓六腑ーーだけでなく、吐瀉物が、そして下半身からは大量の大小便が、留まることを知らぬ勢いで、ぶりゅぶりゅ、じょごじょごと溢れ出し。
それらはすべて寝床の上に、鮟鱇の切り身の如く滴り落ちた。
ーー今日はあまりにも色々なことがありにあり過ぎて、自分がある種の妖術で、時空の迷路に迷い込まされていることにすら気づくことなく、いつも通り、ごく普通に帰路についていると思い込んでいる実吉に、声をかける者があった。
ーー無縁坂の端に、鞣されていない荒縄で編んだのであろう分厚い敷物の上に、背筋を伸ばし、実に礼儀正しく正座してーー。
頭から紫の御高祖頭巾を被り、蘇鉄の葉と実、毒蛇のハブを意匠にした龍郷柄の泥大島を着、帯は柿渋色。 帯締めは古紫、さらに帯留は不動明王の梵字入りの、大振りな数珠玉だ。
しかし、頭髪をすべて覆い隠すはずの御高祖頭巾の縁からは、艶のない白髪が、腰まではみ出している。
暗がりでよく見えないが、口腔内でたった一本だけ残ったらしい、向かって右側の上の前歯が、妙に目についた。
……その、一風変わった装いに魅かれた実吉は、足を止めた。
「お前様以外に誰がある。ワシは見料は一銭も貰わぬ、ただの【人相見】そして【憑き物見】に加えて【千里眼持ち】の、とうの昔にツレに先立たれ、未だに未練がましく生き残っておるだけの、ちょんがれ夫婦の死に損ない婆よーー」
「のぅ、重いであろうが、その盥は。ほれほれ、このけったいな婆の横にでも置くがよい。まだ嫁御と子らの待つ長屋の竈で飯が炊けるには、少しばかり刻があるでな。互いにほんの暇潰しぞな」
(ーー!?)
暗がりと、薄ぼんやりとした蓙の四隅に置かれた雪洞しか灯りはないが、このひどく嗄れていながら妙に聞き取り易い声をした老婆は、何故自分の家族構成を知っているのか。
「名を名乗りゃ、お客人」
「え? あ……さ、実吉だ」
ーー見料は一銭も貰わないと断言する、人相見、憑き物見、千里眼持ちを自称する、怪しいことこの上ない老婆。
ーーちょんがれ夫婦の死に損ないと自称しているが、それも本当かどうか。
「『初めチョロチョロチョロ中パッパ。赤子泣いても蓋とるなーー』」
「え?」
「ふひょひょ、お前様の嫁御は、年寄りの言うことを忠実に守る、いまどき珍しい古風な嫁御じゃのぅ。良きかな良きかな」
「……? あ、ありがとうございます」
ほとんど意味がわからないまま、実吉はただ妻のお登代が誉められたことしかわからず、礼を述べた。
乞食同然の怪しげな老婆の占いの道具(ツール)は、
「いやいや、これはならぬ、ならぬならぬ……ならぬわぇ……」
「な、何がならねぇんだよ、婆さん?」
「【従者失いの相】ーー【女難の相】が、併せて四つ。【凶刃の相】」
我知らず、いつの間にかのどがカラカラに乾いていた実吉はごくりと唾を飲み込んだ。
「そして極めつけは【妻子全喪の相】ーーであるぞよ、実吉や?」
その瞬間、実吉は全身が総毛立った。
この奇妙かつ奇怪極まりない婆に、自分の名は伝えていないはずだ。
「バ、ババアてめぇ、何で俺……の、な、なま、名前……」
「ーー顔に書いてあるぞな。それにわたしには、永遠に忘れられぬ名前……」
唐突に、ささやくような女の声が背後から聞こえた。
「!?」
氷のように冷たい両腕が、実吉の首に絡みついた。
その氷の如き冷たさは実吉の背中から腰、尻、両足の太腿からふくらはぎ、左右のかかとにまで及んだ。
「ふぎゃっ!!」
情けなくも、実吉はわずかばかりにちびった。
ーー白い袖の中から突き出された両腕は、血の通わなくなった屍の肌に、白粉を塗り込んだような色をしてーー
後ろから自分の左肩にかかった艶のないバサバサの髪が、ひざまで長く垂れ下がった。
実吉の全身は硬直し、女の身の冷気が、背中一面から全身に凍み込んで来るかのようだった。
背後から、女が耳元でつぶやいた。
「久しぶりだねぇ、あたしはおふさだよ、おふさーー……三ツ堀のお・ぶ・さ……」
(ーーおぶさ!? )
おぶさ。
おぶさ。
お、ぶ、さ……。
その遙か昔に自らの口から、悪意を持って何度となく口にしたあだ名。
雪女の吐息の如き、氷点下の息によるつぶやきを耳にすると同時に、実吉は狂ったような奇声を発し、小魚が泳ぐ盥を放り出すや否や。
こけつまろびつしながら、自分の住処たる御厨長屋を目指し、坂を駆け出して行った。
「何と、逃げ足の早い。だが我に出来るは、この女になり切ることのみ。後はーー」
おふさ、おぶさと名乗った女の幽霊ーー? は、浄昡の声でそういうと、実吉が坂に放り投げて行った桶の中に、不忍池の水をたっぷり溜めてやってから。
坂の上でぴちぴちと跳ねる鮒に泥鰌、おたまじゃくし達を一匹残らず両掌で掬い、ふたたび水の中を悠々と泳がせてやった。
蓙の上に座していた老婆が、うつむいたままこくりとうなずいた。
「へぃ。そちらの盥は、あっしからあの方にお願げぇして、御厨長屋への縁起でもねぇ土産物に致して頂くよう、手配しておりやすんでーー」
老婆の嗄れ声もまた、元の声に戻っていた。
口腔から、白く丈夫な上下の歯を覆い隠すための逆入れ歯が、皺ひとつないしなやかな指先で、かぽっ、と外された。
「ふはは、してそなた、あの暗器は如何にして使う」
「それは、お師匠様が御眼(おんめ)で、とくとご覧くだせぇやし」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー実吉一家が住む御厨長屋の一部屋は、妻のお登代にとっては、今日も朝から戦さ場(いくさば)だった。
朝は家族五人の中でいちばん早く起き、いちばん遅くに寝るとい、まるで丁稚のような暮らしを、今は数えで(現代の四歳)五つになる第一子長男の鉄を産んでから、五年も続いている。
さらにその二年後に、今は三歳(現代の二歳)の第二子次男、剛を産むと鉄の赤ん坊返りが起こり。
その二年後に、初の娘にして、まだ一歳(現代の零歳)になった長女のお科を産むと、今度は兄弟喧嘩が、今までになく増えた。
よりによって兄弟同時に、赤ん坊返りになったのだ。
ーー自分を含めて、家族四人分の朝餉と夕餉を作り。
朝餉と同時に亭主の実吉の弁当ーーといっても、ほとんど昨晩の夕餉の残り物の煮魚、焼き魚の身をほぐしたものを具にした、塩で結んだ握り飯を四つ。
それに加えて、ある日は茄子の辛子和えと梅干し。
またある日は、柴漬けと白菜の漬け物と、必ず自家製の二種類の漬け物を日替わりで添える、細やかな気配りを絶やさずにいる。
ーー毎朝ではないとはいえ。
朝餉の支度をしている途中に、まだ寝小便癖が治らない剛がべそをかきながら起きて来れば、まず剛の寝巻きを洗い、早朝から早々と布団を干し、井戸端で下半身を洗わなければならないし、毎度毎度、冷たい井戸水で寝小便の後を洗い流すのを嫌がり、暴れて泣く剛のために、鍋ひとつ分の湯を沸かし、わざわざ両足を温めてやらねばならない。
そして、後から起床した鉄が目ざとく弟の粗相に気づくと、朝餉の前から兄弟喧嘩が始まってしまう。
「やーいやーい、剛の寝ションベン垂れ~」
と、弟を冷やかし弄る兄。
「うるさいうるさい、兄ちゃ(あんちゃ)のバカ!」
としか反論出来ない、まだまだ語彙力の足りない弟が、泣きながらムキになってやり返す。
その甲高い子ども同士のがなり合いのやり取りに、まだ乳飲み子のお科が反応し、激しく泣き出す。
一旦その状況に陥ってしまうと。
やめろと怒鳴りつけても兄弟喧嘩は止まず。
いくらあやしても、兄達の喧騒に怯えて一度目覚めてしまった背中の娘は、泣き止まない。
だというのに、いちばん遅く起床する亭主は、まるで父親の役目を果たさない。
息子達の喧嘩は無視。
娘の泣き声は聞こえない振りを貫き。
無言で、用意された朝餉を胃の腑にかき込み、用意された昼餉の包みを手にすると、
「ほんじゃ、行ってくらぁ」
ーー無駄に威勢のいい声を、現代でいうところのワンオペの極みの真っ只中にある妻のお登代が耳にする度。
ただただ毎日毎日、まるで家庭を顧みない亭主と。
暴れん坊の盛りの息子ふたりの世話と。
乳飲み子の娘にひたすら乳をやって乳をやって。
その娘が、朝から晩まで無邪気に垂れ流す、大小便にまみれた襁(むつき)は汚物をまとめて厠に捨て、小便が染みたものは別洗いにし。
そこからさらに、家族全員分の衣類に下履きすべてを、井戸端で洗濯する。
それらをすべてひとりで干し、洗濯物が乾いて夕方に取り入れたら、お科をおんぶ紐で背負ったまま、これまたひとりで、家族別に畳み分ける。
それらの重労働を女手ひとつでこなしながら、息子達の昼餉を作り、娘の昼餉たる乳を与える。
ようやく箸を使えるようにはなったものの、まだ口に入るより剛の食べこぼしが散らばるちゃぶ台を、剛の口を拭き。
食べるのが遅い弟の分のおかずまで奪ってしまう兄の鉄を叱り。
それが原因でまた、泣き出す幼児の次男と乳児の娘をあやし、なだめる。
毎日、こんな積み上げた石を崩し、また石を積み上げては崩し。
当然ながら、完成するはずのない石垣を終わりなく延々と積んでは崩し、崩しては積みを繰り返しているかのような、恐ろしく虚無な毎日だ。
しかし、お登代は極めて気丈な女であったから、それを、これっぽっちも苦に感じるはずもなかった。
むしろこの苦行の如き毎日を、楽しんでいるすら風である。
「おぅこら、鉄、剛! おっかちゃんちょいと外に出るから、火に近づくんじゃないよ!?」
「おいよー」
「あーい」
独楽に紐を巻きつける鉄に、きゃっきゃっと風車を左右に振る剛。
息子達から返事は返って来たが、これは完全な生返事だ。
ーー娘以外の家族四人分の、今夜の夕餉の主菜。
長屋の戸口の前に置き、縦に四匹並べた、腹にメの字の切れ目を入れてざっと塩を振った鯵の塩焼きの火加減を見に、お科を背負ったお登代が七輪の前にしゃがみ、竹串で鯵の身を何ヶ所もぷつぷつと刺し、火の通り具合を確認していた、そのときだった。
「もうし、お内儀ーー」
背後から唐突にかけられた低い声に、お登代は反射的に振り向いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(あぁ畜生、けったくそ悪りぃ!)
ーーあの盲の按摩に妙ちきりんな幻覚を見せられ。
ーーアサに隆次と、理由はまるで異なるものの、弟子がふたりも一度にいなくなった。
アサは二度と髪結床に戻らぬと宣言し、隆次に至っては、母親のお糸が頭を丸めさせて、寺に入れると言い切った。
ーーさらに刺青を背負った女白浪の鶴の一声で常連客をあらかた失い、止めに腹にひざ蹴りを喰らわされた。
ーー奇怪極まりない人面魚たる人魚を突然釣り上げて、肝が潰れるかと思うほどに自分を驚かさせた、た、意味不明な言葉を喋る、六尺越えの大柄な浪人。
ーーそして、あのちょんがれ夫婦の片割れにして、自称人相見の乞食婆に、とてつもなく不吉な言葉を幾つも投げかけられ。
極めつけはーー……。
(おぶさ……おぶさ、おぶさ……あ、あの三ツ堀の、菊石(あばた)のおぶさか……!?)
何やら、ひどくやましい記憶があるらしきその名に、実吉は頭を抱え、その場にしゃがみ込みかけた。
しかしすぐさま気を取り直し、左右の頬を、ぺちん、ぺちん、と、軽く両掌で軽く打った。
(おらだけが悪りぃんじゃねっぺや、おらだけじゃ。おらんとこだけ化けて出るなんざ、それこそ逆恨みってもんだっぺや。念仏唱えて塩べ撒いて、悪霊退散、悪霊退散。あんの醜女がぁ)
ーーそんな風に故郷(くに)の言葉で心の中でつぶやきながら、実吉は妻子の待つ御厨長屋の一軒に向けて、歩き出した。
ようやくたどり着いた長屋の手前で、実吉は一端足を止めた。
そして両腕を広げ、大きく、深く深呼吸をーー。
吸って、吐いて。
吸って、吐いてを数回繰り返し。
皺が寄っているだろう眉間を右手の人差し指と親指でよく揉みほぐし。
さらに、強ばっているに違いない顔全体を左右の掌で良く揉み、表情を柔らかくした。
(よし!)
「ただいま」
「お父っちゃん、お帰り!」
「おきゃぁり、おとった」
「あらお帰り、あんた」
いつもと同じ、ふたり息子の鉄と剛の声。
妻のお登代の声。
その背中で、おんぶ紐に括られたお科があぶあぶ言いながら、まだまだ短い両腕両足をばたつかせる。
ーーいつもお登代が用意しておいてくれている、長屋の井戸から汲んだ濯ぎ(両足全体を汚した土埃を洗う水)を注いだ木桶が、やはりいつも通り、土間に置かれていた。
実吉は、家族の履物が散らかった長屋の入り口から、わずか二歩ばかりの場にある畳のふちに浅く来腰かけ、濯ぎを始めた。
髪結床で履いていた高麗納戸色の足袋は、実吉が自ら手洗いし、陰干しして来た。
一枚目、まず濯ぎで土埃を落とし、濡れた両足からしっかり汚れを落とすための、緩く絞った雑巾。
二枚目、汚れが落ちた、濡れた両足を拭くための、固く絞った雑巾。
三枚目、 仕上げにきっちりと乾拭きが出来る雑巾。
雑巾と言っても毎日洗濯して日干しされた、元は使い古しの手拭いだったものだ。
それにわざわざ使う順の、
「壱」「弐」「参」の字を、黒糸で使う順を縫いつけている。
細やかな気遣いで、影で尽くす。
実吉の妻、お登代はそういう女だった。
「あぁ、今晩もいい匂いだぁなぁ」
「今日の夕餉はねぇ、鯵の塩焼きに白菜と油揚げの煮物。それから大根の葉の浅漬けだよ。三軒隣りのお粂さんの知り合いのお百姓が、たくさん大根が採れたから使ってくれって、お粂さんを通して、長屋の皆にお裾分けしてくれてたんだよ」
「へへっ、大根がいらあるってな、嬉しいもんだ」
いら、とは実吉の故郷(くに)の言葉で、たくさんの意味だ。
中でも、みりんも酒も砂糖も一切使わず、実吉の故郷の名産品たる醤油だけを使って、見た目も中身も味も茶色く、塩辛く煮込んだ煮物が、いちばんの好物だった。
しかも、お登代はしっかり面取りをした上で、落とし蓋をして煮込むのだ。
ーー登代よぅ、明日の昼餉、弁当に大根の煮物を入れてくれんべかーー
お登代にそう言おうとしたその瞬間、実吉は息を飲んだ。
鉄と剛が、墓参りの際に使う桶の中に両手を突っ込み、ばしゃばしゃと水しぶきを上げて、水遊びに興じている。
「そ、その桶ぁ、どうしたんだ、鉄、剛」
歓声を上げて水遊びを続ける兄弟の代わりに、お登代が答えた。
「あぁ、それかい。さっき外で鯵を焼いてたらさ、えらい大男の御浪人が、柳川鍋を作ろうとしたら、泥鰌の他に、小鮒だのおたまじゃくしだのがやたら網に引っかかっちまったとかでね? 」
「大きな鯉なら何処ぞの料亭に持ち込めば捌いて貰えるけど、残念ながら小鮒を美味く煮付けてくれるような嫁も女もいない。おたまじゃくしが蛙になるまで泳がせておく池もない貧乏長屋の傘貼り浪人には不要だって仰ってさぁ」
「んで、帰りがけにウチの坊主どもの声聞いて、くれたのさ。飼うのに飽きたら、長屋の井戸に放れば、井戸水が清められるってねぇ」
(ーー大男の浪人!)
軽快に語りながら、炊きたての飯をよく水で湿らせた櫃に、同じくよく濡らしたしゃもじで移し。
実吉とお登代の夫婦茶碗。
鉄と剛の子ども用の小さな茶碗ふたつ。
さらに、大小ふたつの味噌汁椀、大人用の長い箸と子ども用の短い箸を、四畳半の真ん中に置いた、ちゃぶ台の上に並べた。
ーーその瞬間。
甲高い叫び声と、火のついたような泣き声が、既に火を消した七輪の上に乗せたまま、余熱で保温していた焼き鯵を、菜箸で各自の皿に取り分けようと、お登代が土間の片隅にしゃがんだ途端。
お登代の視界の片隅に、桶を持って狭い土間を駆ける夫の下半身が通り過ぎたと思うや否や、その直後、金切り声と、火のついたような泣き声が、お登代の耳をつんざいた。
「あんた!? 鉄、剛!?」
……小鮒におたまじゃくし、泥鰌がふよふよ泳ぐ、牧歌的な光景が浮かぶ桶を持って、裸足のまま外に飛び出した実吉が、桶を逆さまにして、中身をすべて長屋の狭い通路に、ひっくり返していた。
それだけでもお登代は我が目を疑ったが、寸分の間を置かず、実吉は両足の裏で、小鮒や泥鰌、おたまじゃくしらをあらかた踏み潰したのである。
「あんた! 何してやがんだい、あんた! 気でもふれたのかいッ!?」
「戒名が、俺達の戒名がぁッ!? 首が、人魚の首に身体が生えた、生えて、桶から、は、はは、は、這い出したッ!」
「あんたッ! ーー実吉ッ!!」
両親の怒鳴り合いと、ふたりの兄達の号泣に引っ張られ、泣き出したお科を背負ったまま、錯乱する夫を羽交い締めにし、横っ面をひっぱたいた。
「……え? あ……」
「え、じゃないよ! あんた、自分のしたことわかってんのかい! ーーって、え? えぇぇ!?」
夫の両足の裏に踏み潰され、小さな身体から内臓を噴出された小魚や、鯰の孫ではないカエルの子らの惨殺体が、あちらこちらに散乱しているはずだった。
しかし辺りに散らばっているのは、茎が折れ、葉が毟られ、白に赤に黄の花びらが散らばる、仏花としての菊の花々と、その花びらだった。
三人の子ども達はまだ号泣しているが、実吉は目を見開いてその場に硬直し。
お登代は青ざめた顔で、左掌で口を押さえ、右掌で実吉の左肩に、着物越しでもその肌に爪痕が残りそうなほど、強く爪を立てて握り締めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
実吉とお登代がふたりがかりでいくらなだめすかそうと、鉄も剛も泣き止むことはなく、結局、ふたりは泣き疲れて眠りに就いてしまった。
鉄は実吉の懐にしがみつき。
剛はお登代のひざに顔を埋めて。
「……あたしゃ、もう疲れたよ……何なんだよ、あんたも、あの桶も魚も菊も、さぁ……」
焼いた鯵はひとつの鍋に入れ、砂糖と少しだけの醤油で軽く煮て、何とか食べる期限を延ばした。
普段は、四畳半の間に大人用の布団を四枚敷きつめ、お登代の枕元に、兄ふたりのお下がりの小さな布団を敷き、それ以外は、上から見て左側から実吉、鉄、剛、お登代と、一本多い川の字になって寝るのだが。
今晩ばかりは、鉄が右から、剛が左からしっかりと母の懐にしがみつき、ともにまぶたを腫らして眠りに就き。
実吉は完全に腫れ物扱いで、左端に追いやられた。
ーーだがあのとき、実吉はたしかに見たのだ。
あの、小鮒におたまじゃくしに泥鰌が泳ぐ墓参り用の桶ーーお登代は桶などではない、平たい木盥だと言い張っていたがーーその桶には、家族全員の戒名が、墨痕淋漓と記され、刻まれていたのだ。
【実信士】
【登代信女】
【鉄童子】
【剛孩子】
【科嬰女】
ーーと。
そして筍が青竹に変じるが如く、桶の中からゆるゆると両肩まで伸び上がったーー桶のふちからあの女の顔が突き出し、左右から溢れ出た、もつれ合った長い黒髪が、両腕代わりに女の上半身を桶の中からせり出させた。
あろうことか、あの女の首からすぐ下は、完全な「魚」だった。
身の丈は、鯛の尾頭つき程度。
首の左右には生々しくエラが空き、ひくひくと蠢いていた。
あの女ーーその名はおふさ。
「おぶさ……にしゃ(お前)か」
どうにも気が昂って眠ることが出来ず、気がつけば、刻は子の刻(深夜二時)になっていた。
ちらりと左端に視線をやれば、お登代と鉄と剛。
そして珍しく、夜泣きもせずにお科がーー。
妻子達は全員すぅすぅと静かに寝息を立てて、穏やかに眠っている。
安堵したのも束の間。
明日から、髪結床の仕事はどうまわして行けばよいのか、わからないのだ。
弟子のアサも隆次もふたり同時にいなくなり、自分ひとりで客をまわさねばならない。
もう日が変わって昨日のことだが、店替えをすると言って去って行った客達は、ごく一部だ。
それにまだ、他の得意客はーー。
刻は遅いが、寝酒に頼るしかない。
そう思い立った実吉が、四畳半の寝床に敷きつめられた四枚のせんべい布団の上を這い、米櫃と漬物棚が垂直になる場に置いてある、ところどころふちの欠けた、刷毛巻木賊柄の、紺の茶碗だったものを上に被せた、名もなき安酒の焼酎を入れた徳利に手を伸ばし、四畳半の上がり口の畳の端に腰を下ろすと、水甕の中の水ではなく、徳利の中の安酒で湯呑みの中をすすぎ、それから改めて、呑み口いっぱいまで、焼酎を注ぐと、一気に呑み干した。
独特の酒匂が鼻から舌を突き抜け、灼けるような熱さがのどと胃の腑を焼いた。
久しぶりに呑んだ、安い焼酎。
加えて、今の刻。
明日の朝の二日酔いと、酒臭さが残るかも知れない息が心配だったが、空腹で久しぶりな呑みである分、すぐに酔えて、眠気を催すだろう。
実際、三杯目にして既に顔が熱く、心なしか頭がふわふわして来ている。
「来 ね よ」
「!?」
「きゃかぁ(客は)、来ねよ。だーから昔っから言われてっぺよ、人の口に戸は立てられぬ、悪事千里を走る、てよ」
どこから聞こえて来ているのかわからない女の声には、実吉の故郷の訛りがたっぷり含まれていた。
「天網恢恢疎にして漏らさずーー」
誰だぁ! と、自分が思っている以上に既にまわっている酒の酔いにまかせて怒鳴りそうになった口を、辛うじて残っていた理性で、両掌で強く塞いだ。
「嫁御さもらって、倅さふたりに、女っ子さできて、いっちょめ(一丁前)におっ父んなったくせしてよぅ。にしゃ、まぁだおらんこと『おぶさ』て呼ぶかよ、実吉。あてこともねな!」
ーーその瞬間。
無音のつるべ落としが、長屋の天井から実吉の鼻先すれすれに落下した。
長くもつれ、絡み合った濡れ髪が天井の梁に二手に分かれて幾重にも絡みつき、首だけが落ちて来た。
その顔に、実吉は見覚えがあった。
何の前触れもなく、これだけ異様な状況に置かれながらも実吉が悲鳴ひとつ上げなかったのは。
生首が天井から落ちる直前、忍びの者の如く天井に両ひざの裏をかけ、両足首を交差させながら、素早く両掌で九字を組み、
《臨、兵、闘、者、開、陣、烈、在、前》と唱え。
その状態で、滅黯は実吉の背後から、胸元に仕込んだ、三角錐状の黒曜石を、延髄から脳幹、橋を決して傷つけることなく、不安と恐怖を感じさせる扁桃体に侵入させた。
滅黯はすぐさま、左右の指を内側に交えて指を組み。
親指、人差し指、中指を伸ばし、人差し指をわずかに曲げると、中指同士の指先を合わせ、左右の親指同士で、同じく左右の中指を押し、被甲護身の印を組み、
(オン バサラギニ ハラチハタヤ ソワカ)
その瞬間、三角錐の黒曜石は黒薔薇のつぼみに形を変え。
螺旋状の花びらと萼全体が、繰り小刀の諸刃の刃と化して花開くと、実吉はあっけなく壊れた。
(ーー錐刃花無生無死之術(すいじんかむしょうむしのじゅつ)、成りや)
「おぶ、さ、を、わ、さ……」
おぶさ、と呼ばれた女の生首が、大きく口を広げて、舌を伸ばした。
その舌先には、青い火を灯した太い白の蝋燭が、おぶさなる女の舌を燭台にして、揺らめいていた。
「あばぁ」
聞き慣れていながら、聞き慣れない声。
声の出どころを探ると、それはふたりの兄のお下がりの赤子用の小さな布団に寝ていた、末っ子にして一人娘のお科だった。
まだはいはいも出来ないはずのお科が、四つん這いになって、お登代の胸元に這いずって行く。
お科の小ぶり過ぎる、丸く愛らしい手が母のお登代の寝巻きをかき開くと、授乳中の豊満な左右の乳房が、剥き出しになったーーと思うや否や、黒ずんだ左右の乳首から、白濁の母乳が天井まで噴出した。
気がつくと、実吉は右の乳首にむしゃぶりついて、ちゅうちゅう音を立てて、じつに勢いよく母乳を吸っている娘のお科と並び、噴き出した母乳にまみれた妻の左の乳房をひとしきり舐めまわしてから、のどを鳴らして母乳を飲み下している自分に気づいた。
愕然としたのは、ほんの一瞬。
だが、何のためらいも抵抗もなく、自分の心に正直になれたと、すんなりと受け入れられた。
だがそれと同時に、隣りで無垢に母の乳を吸う実の娘に、我が子に、我が娘に。凄まじいまでの嫉妬の炎が、燃え上がったーー。
「妬いたか? なら『焼け』ばいっぺや」
天井裏から地声で呟いた滅黯の声に、実吉は素直に従った。
「ほれ、火種はここにあっからよぉ」
舌の真ん中に蝋燭をわずかに移したおぶさの舌先が、実吉の眼窩の中に潜り込み、さながら飴玉でも舐めるように、左右の眼球の表面に舌先を這わせた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
(ーー? あんだべ、こりゃ?)
実吉の目の前が、真っ白い。
手でどかそうとしたが、何故か両手首が後ろ手にきつく拘束されているらしく、右手も左手も前に出せない。
両手首だけではなかった。
首の後ろから鎖骨、胸郭、左右の二の腕、へそより少し上、そこからすぐ下の腹と腰全体。
視界を塞いでいるのは顔一面を覆う紙であり、それを顔面に括りつけているのは藁だと、紙越しにその懐かしい感触が伝わって来る。
文字通り猫の額ほどの畑を耕し、たった二坪、畳四枚分の田植えをし。
そして宿場町の関宿まで、新藁を売りに行った。
あぁそうだ、そこで新藁を買う様々な女達の紅や白粉の匂いに目で鼻で触れて、その影響で、髪結いを生業にしようと考えたのだーー。
そんな懐かしい思い出がよみがえった途端、実吉の後頭部に。
ーードン!!
という、凄まじい衝撃が走り抜けた。
(あ?)
突き抜けるような、雲ひとつない青空が視界いっぱいに広がった。
数匹の秋茜が、すぃー、と。
その澄み渡った空を、まっすぐに飛んで行った。
(ふぉ?)
目の前に、四角く掘られた深い穴がある。その底が、ゆっくりと眼前に近づいて来た。
…………………ごとッ…………………
その瞬間、顔の後ろで結んだ藁がほどけ、白い紙が顔の前から離れると、実吉はーー見た。
土壇場の茣蓙の上に、上半身を緊縛された、白の死装束を着た首のない自分の身体が、土の上から四角く掘られた穴の手前まで垂れた茣蓙の上に座っていた。
めくれ上がった着物の中で、緩み切った褌から露出した陰茎が、この期に及んで勃起し、ぴゅぅ、ぴゅぅ、と数回に分けて射精し、自分の肉体であったものの鈴口から、まだ生温かい大量の精液が頭に振りかかり、顔面にどろりと垂れた。
呆然自失の実吉の生首が背後から持ち上げられ、顔には布地、首には氷のように冷たい感触が触れた。
(ほうれ、罰当たりの首さ、おっかけた)
おっかけた、は
「追っかけた」ではなく、
「おっ欠けた」の意味だ。
首が、欠けた。
背後から、左右の鼻腔を長い髪の先端がこちょこちょとくすぐられる。
そこでようやく、実吉は気がついた。
あぁ、袴を履き、たすき掛けをしたこの武士は、首斬り役人。
自分は斬首刑に処され、首が土壇場の穴に落ちたのだ。
そしておぶさが自分の首を拾い上げ、おぶさの襟の合わせ目に押し込まれ、おぶさに鼻腔をいじられているのだ、とーー。
だが、すぐにその意識はぷつりと途絶え、それと同時に視界は一瞬にして真っ黒に塗り潰され。
その意識と五感はすべて真の暗闇の中に放り込まれ。
葬り去られた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」
女の断末魔の悲鳴が、丑の刻の御厨長屋の一軒をごくわずかに揺らすほどに、けたたましく響き渡った。
それも、当たり前のことだ。
今まで聞いたことのない、尋常でない泣き方の娘の夜泣きに目覚めさせられた途端、目の前で、娘の実父にして自分の夫が、褌一枚の姿で燃え盛る炎をがっちりと抱え込んだ竈の前に立ち、まだまっすぐになっていない、娘の柔らかく小さく可愛らしい短い両足のひざをわしづかみにし、そこから上を竈の中に押し込んでいるのだ。
火種は、生首のおぶさの舌に乗った蝋燭と、実吉の寝巻き。
だが、娘の両足は激しくばたついている。
他人から観れば絶望この上ない状況だが、母たるお登代は、今ならまだ大丈夫だと確信した。
ーーいや、そう思い込まずにはいられなかった。
上半身裸で、左右の乳房が剥き出しになっているだけでなく。
長い髪を振り乱し、まだふたつ並んだ乳房が大量の母乳にまみれたままのあられもない姿ながら、母親としての本能のみに支配され、死にもの狂いで実吉に体当たりし、お科を竈の中で燃え盛る炎から強奪しようとしたーーが、実吉はまるで微動だにしない。
口端からよだれを垂らし、えへ、ぅふ、ぁは、と、腰を激しく前後に揺すり、竈の前に落ちた褌の下から露出した陰茎は、既に先走りの薄い液を滲ませている。
竈の前に落ちた使い古しの褌が、手のような形に伸びた炎が竈の中に引きずり込まれ、さらに火が勢いを増した。
「実吉ぃぃぃぃぃぃぃぃ
!!! てんめぇ、この野郎ぉぉぉぉぉ!!!」
半狂乱ーーどころではない。
完全に狂乱したお登代は出刃包丁を持ち出し、実吉の両手首を目がけ、鬼の形相で、夫に襲いかかった。
寸分の間も置かず、立て続けに実吉の両手首を、斬り落とすというより、鉈で薪割りをするように、叩き落とした。
まだ乳飲み子の娘の、お科の両ひざに実父の両掌が喰い込んだまま。実吉の両腕のひじから前の二ヶ所から、鮮血が天井まで噴き出上がった。
「お科お科お科、お科ぁぁぁぁぁっ!?」
髪に、上半身裸の肌に、麻の寝巻きに竈の中の炎が燃え移ろうと、お登代は我が身を省みず、娘を気のふれたとしか思えない夫から奪還した。
お登代はその勢いで、土間の水甕の中にお科を放り込み、そのまま自分も、足首まで逆さまになって、水甕の中に飛び込んだ。
お登代は火の着いた麻の寝巻きが肌に何ヶ所も張り付いた、身をものともせず、ぷはぁと息を吐き、両腕で水に浸した娘を両腕で掬い上げた。
だが、遅かった。
今自分の腕の中にあるのは、赤ん坊の原型すら留めていない、ただの炭化した、小さな肉塊であったもの。
それだけだった。
「お、おぶさぁ! にしゃ、お、おぉ、おれの娘さ死んでも、まだ祟る気かぁ!? まだ、足りねっかぁ!?」
「ーー何を、わけわかんねぇこと喚いてやがる、この人殺し! 死ね、死ね死ね死ね、死にさらせぇっ!!!」
両腕を失った実吉は、妻のお登代によって斬られた右腕の断面に、全体重をかけて出刃包丁の柄を根元まで、無理やりに生肉の中に埋め込んでいる。
妻に自身の両手首を斬り落とされた刃物を体内なの無理やり埋め込み、右掌代わりにしようというのだ。
しかしその間、お登代はずぶ濡れの焼死体を左脇に抱えたまま、柳刃包丁で土間にうずくまった実吉の背中を、頭をめちゃくちゃに斬りつける。
土間中に、竈と水甕の周囲に、大量の血飛沫が飛び散る。
壁と、日焼けと竈の煙と埃とで、油じみた茶色に染まりきった障子紙とその障子の木枠に、余すところなく、紅の鮮血が飛散する。
「鉄!頼むから起きとくれよ、鉄! 剛をおぶって、今すぐここからーー」
四畳半の上に敷きつめた布団の上に寝ているはずの息子ふたりに、お登代が声をかけた。
しかし「逃げとくれ」の声は、息子達にかけた言葉の後には続かなかった。
鉄も剛も、軽く太さ一寸はありそうな、返しの着いた太い釣り針状のものが、鉄と剛の口の中、上あごから眉間までを貫通し、ともに大きく口を開け、首吊り死体の成れの果てのように舌を長く突き出し。
舌の上と、下唇から大量の唾液を布団の上に滴り落とし。
兄弟揃って、横並びに吊るされていた。
この頑是無い子らを、このように
無惨な姿に変貌させたのは、天井の梁に潜み続けている滅黯の隣りに座した、浄眩だった。
残念ながら握力、腕力ともに十七歳の若い男の滅黯より、小柄で細身の二十四歳の戀夏の腕力の方が、遥かに勝る。
本来なら、鮟鱇を吊し切りにするに当たっては、天井を補強しなければならないが、血まみれ刃傷沙汰の壮絶な夫婦喧嘩のどさくさにまぎれ。
戀夏の魂と肉体を借りておふさに化けた浄眩が、真の暗闇の中、ひとっ飛びで梁の上に飛び乗り、直弟子の滅黯のすぐ隣りに、立てひざをついた。
その流れで、浄眩は流れるように鮮やかな手の動きで、幼な子ふたりを鮟鱇の吊し切りのやり方そのままに、梁から吊るし上げた。
手製の、大型の釣り針もどきの上部をふたつ一緒に荒縄で俵結びにし、それを片手で持ち出上げて天井の梁近くまで吊し上げるぐらい、朝飯前のことだった。
何しろ、あの戀夏の体を拝借しているのだから。
ーーお登代は、上半身裸で乳房は母乳まみれ。前髪の元結も切れて、髪、顔、裾は陰毛が剥き出しなった、あられもないを通り越しに通り越した下半身は、両足の十爪の中まで、夫を斬りつけ、叩いた返り血で、真っ赤に染まっていた。
ふたたび、滅黯が九字を組んだ。
「…………てっ…………ごぅ…………」
幼いふたりの息子達の全身が、びくびくとあちこち痙攣を起こしている。
鉄と剛の肉体が、急速に瞬く間に萎み始めた。
まだ数えで五つと三つの、柔らかなその肉体の、顔、両腕、両足、急激に萎み、猿の木乃伊の如き、醜悪な姿になった。
その代わり、元よりぽっこりとして丸々とした腹が異様に膨れ上がった。
原因は、ふたりの体内の水分が一気に胃の腑に吸収されたためであった。
俗に、鉄と剛ほどの齢の幼児の体内に含まれる水分は、体の七割。
幼な子のまだ小さな胃の腑に急激に全身七割の水分が、津波の如くどっと押し寄せたのだ。
「……ちょ、『吊切殺……術……ヶ……伍之忌(ちょうせつさつじゅつがごのいみ)……』」
滅黯が思わず奥歯を喰い縛り、青海波の手拭いで両眼を隠した顔をしかめ。
九字の内『在』の型を下に突き出した。
「『身水七集・胃ノ爆(しんすいしちしゅういのはぜ)!』」
幼い兄弟の両眼からは、眼球まで飛び出しそうに眼球のふちから水が噴き出し、鼻腔からは大量の鼻水とともに、水が滴り落ちた。
すぐにふたりの腹は妊婦の如く膨れ上がり、 妊娠線が腹のあちこちに浮かび上がる。
ーーーばひゅっ!!!ーーー
兄弟の腹がほぼ同時に爆ぜ、ふたり分の五臓六腑ーーだけでなく、吐瀉物が、そして下半身からは大量の大小便が、留まることを知らぬ勢いで、ぶりゅぶりゅ、じょごじょごと溢れ出し。
それらはすべて寝床の上に、鮟鱇の切り身の如く滴り落ちた。
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