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【第二部ダイジェスト】王太子視点
22 困惑するお姫さま (錬金術~EVS)
しおりを挟む「……そういえば、今朝、聖堂の正門前であなたを見かけたのですが。あの時はお声がけもできずにすみませんでした。私になにかご用でしたか?」
エルドランを無視してサフィージャにしか分からない話を持ち出すと、彼女は困ったように枢機卿のほうをうかがった。エルドランはなぜか苦笑している。明らかに事態を楽しんでいる顔だ。
面白くない。
あんなやつは視界から追い出してしまえばいいのに。
サフィージャの頬に触れて、顔を無理やりこちらに向けさせる。
すると、至近距離で触れられているのが恥ずかしいのか、目もとがほんのりと赤らんできた。
本当にかわいらしい。
「司教座の会計簿を見てるんだが、あいにく私には帳簿の見方がよく分からなくてな。だから知恵を借りられないかと思って。どうも裏金とか横領がありそうな気配なんだ」
帳簿で起きやすい不正のポイントや探し方を教えてほしい、ということだった。
そうは言ってもクァイツも帳簿については基本的なことしか知らない。
ついでに、裏でいろいろやっているので、余計なことを言うとサフィージャに嗅ぎ付けられかねない。
「それについては、私よりもエルドランのほうが詳しいでしょうね」
クァイツはエルドランに解説を全部投げた。
少しは慌てた顔が見られるかとも思ったのだが、彼は一切動じることなく淡々と聖遺物の話を始めた。
聖遺物とは有名人の骨や服などのことで、聖地巡礼の旅人などはこれを目当てにやってくる。きらびやかな宝石箱に入れられた古木のはしくれを見て、「ほう、あれがあの有名なゴルゴダの十字架か」とやるのである。
教会などによっては、
「あの有名なランスの大聖堂から盗み出してきた聖レミの骨だよ!」
――と、堂々と盗品であることを掲げることもある。
聖遺物はちゃんとしたものを有名な聖堂などから買い付けると国家予算規模の金額がかかるので、あやしい偽物を扱う山師も大勢いる。
エルドランはその隙間を狙って不正をする方法について語り、
「……犯人は架空の聖遺物売買で得た大量の一時金を元手に、金貸しで派手に稼いだそうだよ」
と結んだ。
不正が嫌いなサフィージャはエルドランを冷ややかな目で見た。
少し好感度が下がったらしい。
いい気味だ。
さらに彼は、「自分が直接帳簿を見たほうが早い」と誘ったが、サフィージャは首を振った。
どうしてもサフィージャが見たいらしい。
「もちろん、協力は惜しみませんよ。お聞きになりたいことがあればなんなりと」
エルドランの発言に、サフィージャはちょっともじもじした。
……信じられない。
隣に付き合いたての恋人がいて、再三嫉妬もほのめかされているのに、他の男に目を奪われるなんて、ちょっとあまりにもひどいのではないだろうか。
サフィージャはよくこんな感じの目でこちらを見ているが、その目を向けていいのは恋人に対してだけだろう。
絶対にこれはない。ありえない。
イライラが頂点に達したクァイツは、照れてるサフィージャの手のひらに、爪を立てた。
サフィージャはちょっとだけこちらを見た。でもそれだけだった。
彼女は常にそうだが、どうしてこう冷たいのだろう。
フォローぐらい入れてくれてもいいのではないだろうか。
「私が好きなのはあなただけよ」
ぐらい言ってくれてもいいのに。
そうしたらクァイツも広い心で許してあげられるのに。
サフィージャは絶対言わないだろうが。
うつうつとしながらヤケ食いした。純度の高い砂糖を使っているのか、甘いものを食べ慣れたクァイツにもおいしいと感じるお菓子が多かった。
ますます気に入らない。こうなったら全部食べてやる。
エルドランは淡々と講義を続ける。
教会の財源で、一番金になるものは何かとの質問に、サフィージャはミサだと即答した。
教会によると、天国に入れてもらうには、遺された人間がせっせと祈祷をあげてやるのがいいのだそうだ。
そのための『|永遠のミサ(messes perpetuelles)』を教会に依頼すると、非常に高額の祈祷料がかかる。
教会がよく引き合いに出すのは『富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい』という聖句で、天国に行きたい商人などはとにかく大量のお金を積まないといけない、ということになっているようだ。
エルドランは楽しそうに、違う、と答えた。
「じゃあ、贖宥状だ」
「いいえ」
「じゃあ、十分の一税か」
「惜しい」
サフィージャは悩んでしまった。
エルドランはそれを楽しそうに見ている。
ひとの彼女をじろじろ見ないでほしい。穢れるから。
「裁判所、ではないでしょうか」
クァイツが口を挟むと、サフィージャはやっとこちらを見た。
やや釣り気味の利発そうな瞳、つやつやの赤い唇。小さめのあご、すっとした鼻筋。
見るたびになんてかわいい人なのだろうと思う。
「……帳簿を見た限りでは、そんなに儲かっているようには見えなかったが」
「それは帳簿の上では、ですよ。どんな犯罪でも無効にしてしまえる職業ですからね。お金でどうにかしたいと考える人間はあとを絶ちません」
昔から警吏と裁判所は汚職の温床と決まっている。
裁判は大いに儲かる仕事(magnum emolumentum est justicia)――ということわざもあるぐらいだ。
エルドランは『半分ほど正解だ』と述べた。
もっと金の稼げる方法がある、とも。
クァイツはひやりとした。その話はまずい――しかし止めるひまはなかった。
「異端審問。破門された人間の土地家屋、財産収入のすべては『審問官』に没収される。……金を持っていそうな人物に目をつけて、冤罪をかける。これだけで十分、儲けになる」
まさにランスで起きている出来事だった。
「教会の不正を探したいとお思いなら、まずは裁判所に行かれてはいかがかな。地道に帳簿を洗うのがばからしくなるはずですよ」
分かった、と言って立ち上がるサフィージャに、エルドランは身を乗り出した。
「私のことは、エル、とお呼びください」
かっと目が開いた。
他人を視線で殺せたらいいのに。
――ですから、馴れ馴れしいんですよ、あなたは。
そう口にしようと思ったまさにその瞬間。
「そうさせてもらいたいところだが――」
サフィージャが信じられないことを口走った。
衝動的にキリキリと爪を立てていたら、彼女は無難に「遠慮しておく」と続けた。
そこはほっとしたけれども、ますますエルドランが信じられなくなった。
あだ名で呼べだなんて。
そんなの自分だって呼んでもらったことないのに。
そうだ。まだよそよそしく呼ばれたことしかない。いつも「お前」か、よくて「王太子どの」だ。心理的な距離感はまだ全然遠いままだという自覚はあった。気軽に名前を呼び合えもしない程度の仲で、何が恋人だろうか。もっと打ち解けてほしいといつも思っているのに、ちっとも彼女には届かない。
今日は少し本音が知れたと喜んでいたら、次の日にはもっと冷たくなっている。期待させられては突き放されての繰り返しで、ひとりで空回っているのだ。
そのうちに本当は彼女にとって必要のない人物なのではないかという気がしてきて、やりきれなくなって、ちくちくと意地悪を言って困らせて、さらに遠くなったりして、自分でもどうしようもないとは思うけれど、抜け出す方法が分からなくてどんどん深みにハマっている。
むきになってサフィージャに迫った。
『こっちのことだっていつもあだ名で呼んでくれるじゃないですか』
『いつもみたいに呼んでください』
少し困らせてやれればよかった。どうせいつものように冷たくあしらわれるのだろうと思ったから。
「……えっと……じゃあ……クー……?」
クァイツは自分の耳を疑った。
本当に呼んでくれた。
しかもエルドランが初めて悔しそうな顔をしていた。
いつもお前など取るに足りぬという態度だったあのエルドランがだ。
ということはつまり、幻聴じゃなかったのだ。
たまにこういうことがあるから彼女に無茶を言うのがやめられない。
「クー……あ、あのね……ちょっと、恥ずかしいから……」
困惑ぎみにかわいい声で抗議する彼女。
こんなにかわいい声で注意してもらえるのなら、もっと困らせたいぐらいだ。
感動のあまり、十回くらい呼ばせた。
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