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【第二部ダイジェスト】王太子視点
18 白鳥はごちそう (幕間)
しおりを挟む「――Panem nostrum quotidianum da nobis hodie,」
典礼語の祈りが続く。中身は世界でもっとも有名な『主の祈り』だ。
食事前にささげるときは、神さまのおかげで今日もごはんがおいしいです、ぐらいの意味だ。
食卓には白鳥がまるごと一匹横たわっていた。くちばしから翼、爪に至るまでまるごとすべてだ。
くちばしや爪はサフランで金色に塗られ、翼は今にも飛び立ちそうに飾られている。
この料理は美食の代名詞のようなものだ。乞食が黒パンを食べるように、あるいは悪い魔女が幼児の煮込みを食べるように、王様の食卓といえばアントルメ、アントルメといえば金ぴかの白鳥の丸焼きなのである。
テーブルの二番目にいいところに座っているサフィージャを見る。
彼女は曲がりなりにも大司教代行なのでその位置なのだった。
サフィージャは開いた口がふさがらないらしい。
それも無理のないことで、彼女はあまりこういう料理を食べたことがないはずだ。
――またすごいご馳走が出てきちゃったなあ。
顔にそう書いてあるのである。
きょろきょろしてるのがかわいくて、クァイツはにやけないようにするのが大変だった。
「いとも高貴なる王太子殿下にふさわしい食卓ですな。そうは思いますまいか? 殿下」
クァイツは声をかけた主のほうに、ほほえんだ。
「歓待痛み入ります。四旬節のさなかですが、神さまは大目に見てくださるでしょうか」
四旬節は肉類禁止である。甘いお酒や甘いお菓子もいただけない。
なので王宮でも、四旬節には魚料理が出る。
かりにも聖職者が聖堂で出す聖餐式の食事で、ここまで明確なルール違反をするのはどういう了見なのだろう。別段、魚料理が格式として劣っているということでもない。王侯にしか食べられない高価な魚もちゃんとある。
「大食は罪ですが、施しは天国への積み立てです。殿下も気前のいいところをお見せになれば、塀の向こうでおこぼれに預かる乞食たちもさぞや喜ぶでしょう」
つまりこのフルコースは残飯を乞食たちに振る舞うためにあるので、どれほど豊かで品数多く、贅沢であろうとも罪ではないと言いたいらしい。
詭弁としか言いようがないが、聖職者の理屈は常にそんなものだ。
彼らは四旬節に肉を食べるためだけに、『雁は鳥ではない、雲のように自然発生する生物だ』などとうそぶくことさえためらわない。
クァイツに言わせれば、どう見ても鳥なのだが。
彼らは大食の罪について厚顔にも説きながら、メインディッシュを披露した。十六皿の肉料理が大卓の上にずらりと並ぶ。
仔牛のガランティーヌ――スパイスと肉のすり身の渾然一体を上質なワイン酢のジュレで。
虚勢若鳥のブルエ。冬らしくニンニク、シナモン、ショウガの山羊ミルクソースを添えて。
野生ノロ鹿の熱いコショウ・ソース添えを見つけて、先日農村で出されたあぶり肉を思い出した。
調理法が違うと同じ鹿でもまったく違う味わいになる。丁寧にゆでてすき間に脂身をつめ、軽く燻製にしたこの贅沢な鹿肉料理でさえ、貴族の食卓では並のジビエとして扱われ、ほとんどは見向きもされない。
見ているだけでうんざりな量だが、この上さらに余興とデザートがついてくる。
祈りの唱和が終わり、食事がはじまる。
サフィージャはいの一番に白鳥に手を出した。
自分の手でごっそりと切り分けた肉をためらいなく口にする。
どんどん食べる。
彼女はいつもそうだが、教会の定める肉食断ちの日をまったく守らない。
拝火教は暴食の罪とか関係ないし、というのが彼女の言い分だった。
あちらに食事制限などはとくに存在しないらしい。
それにしても食べすぎじゃないだろうか。
近くにいれば話しかけるところなのに。
残念である。
「猊下におかれましてもごゆるりとおくつろぎくださいますように」
ロベルテがエルドランに近づいている。
エルドランはほとんど食事に手をつけていなかった。
「神の子よ。あなたの苦難が、私を暴食の誘惑から遠ざけられますように」
どうやらエルドランはひとりでも大斎を守るつもりらしい。
彼は昔からそうだった。どんな聖職者よりも聖職者らしく、戒律を厳格に順守する。
「私はもう結構ですよ。失礼」
席を立って、行ってしまった。
眺めていて、門外漢ながらもなんとなく分かった。
どうやらこの手の込んだご馳走はエルドランに対する嫌がらせだったらしい。
いくらお前が教皇特使で、気にくわないことがあったとしても、こちらのルールに従ってもらう――というような意味合いの、軽いけん制なのだろう。
エルドランが戒律に厳しい性格だということをどこかで知って、わざとセッティングしたのかもしれない。
……くだらない。
子どもじみた嫌がらせた。
そんなことを思っていると、サフィージャが何やらふところから小さなガラスの瓶を取り出した。
そうかと思えば、中にガランティーヌや白鳥をありったけつめこんでいく。
……まさか。
さらにもうひとつ似たような瓶を取り出すと、今度ははちみつ漬けの杏をつめこみはじめた。
……持って帰るつもりなのだろうか。
あっけにとられる聖職者たちを置いてきぼりにして、サフィージャはたいへん満足そうな顔をしながら席を立っていった。
彼女、食事やお金には困っていないはずなのに。
あまりものは乞食に施すのだという話をさっきしていたばかりなのに。
あれではみずから乞食ですと言っているようなものである。
自由きわまりない彼女の振る舞いに、クァイツは一周回って感心した。
筆頭魔女というのは、あのぐらいでないと務まらないらしい。
聖職者たちはときどきがっついているサフィージャを見てあからさまに嘲笑していたが、彼女はまったく気にしたそぶりも見せず、平静を保っていた。
多少の嫌がらせには動じない。
それでこそ嫌われ役の魔女というものである。
クァイツはふつうに食べて帰った。
三者三様の聖餐式はそれで幕を閉じた。
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