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【第一部ダイジェスト】 王太子視点
王太子様の追憶 18 双頭の神と受洗者の首
しおりを挟むクァイツはいつか見かけた本物そっくりの人面の被り物を探しに、地下神殿に行った。
『御神体の復旧具合を見たい』と告げると、宮廷魔女たちは喜んで中に招いてくれた。
中はすっかり職人の工房のようになっていた。
しかしやはり異教の神々は姿かたちが面白い。
木の柱に動物らしきものを縦一列にたくさん並べた御神体など、非常に興味深い。
ペタペタと触っていると、魔女たちが集まってきて色々説明してくれた。
これはトーテムといい、自然の霊を象ったものなのだそうだ。
自然物を象徴的に扱い、敬う習慣が彼女の故郷にはあるのだということだった。
その地では巫女は自然霊と結婚をするものなので、彼女も故郷の大木と結婚式を挙げたりしたらしい。
色々な宗教があるものだ。
順番に紹介してもらっているうちに、目的のものを見つけた。
「これなんかもすごいですね。人の顔にしか見えません」
床に置かれていた仮面を取り上げる。見た目も触れた感触も、人の皮膚そっくりだった。
「これは何で出来ているんですか?」
「羊の皮ですわ。薄くなめして木のお面に張り付けて、皺などを刻み込むんですの」
「ああ、羊の皮なんですか。道理で――」
適度に湿度を持っていて、弾力もあって、伸び縮みもするわけだ。しっとりした手触りといい、死体から剥いできた皮だと言われても信じてしまいそうな出来だ。
その上、この香り――先日の書物庫でも嗅いだ香り。
「――羊皮紙のような香りがすると思いました」
肌に触れるほど近づいた時にだけ分かる。
彼女からはかすかにこの精巧な人面と同じ香りがするのだ。
クァイツの伯爵家の友人は宮廷魔女ともそれなりに親交を持っているらしく、くだらない話をいくつもしていた。彼いわく、一夜の遊びがしたければ狙い目はソルシエールたち――なのだそうだ。
魔女たちは一部、豊穣神由来の、いわゆる生殖活動を積極的に推奨する宗教を信仰しており、要領のいい娘は隠れて『いい思いをさせてくれる』のだそうだ。
彼女たちは若くて美しくて機知に富むので、楽しいひとときを過ごさせてもらえるが、薬くさいのだけがいただけないという。
服を脱いでも髪や肌に香りが残っていることが多いらしい。
本当にくだらない話だ。
彼を巡っては三度ほど毒殺未遂が起きているが、そのうち本当に彼が死んだとしてもクァイツにはおそらく同情できないと思う。
「裏が透けるほど薄くなめして、三枚から六枚ほど張り合わせるんですの。少しずつ面積を小さくしていくと……自然に皮が突っ張って……このように、ひとの顔にぴったりフィットする半円形になるのですわ」
制作工程も興味深いのひと言だ。顔料を使えばほとんど人と変わらない肌の色に彩色できるのだという。
上手に作れば老婆でも美女に変身できる、らしい。
「ヤヌスの仮面、と申します。ひとつの体にふたつの顔を持つ神さまですわ」
横にいたソルシエールが身を乗り出した。
「ふたつの顔が善と悪を表す――と言われておりますわ。善と悪の二元論を軸にした古代哲学が隆盛した土地、オリエントの神さまなのでございます。わたくしたちのような多神教信仰の徒の象徴として、宗教の別なく信じられていますのよ」
「へえ……多神教信仰の」
サフィージャのところの拝火教ははたしてどちらだったろうか。正義と司法を司る最高神は存在しつつも、他の神も存在する――だっただろうか。
一神教に近い多神教、というようなことを言っていたような気がする。
神がひとりか、それとも多数かなど些細な違いだと思うのだが、国教徒と異教徒にとっては大問題らしい。
お互いにそこだけは絶対に相容れない主張なので、泥沼の大論争に発展するという。
「教会の教えは一神教信仰ですけれど、たいていの多神教はおおまかに分けて善神と悪神の両方を信じています。その他たくさんの神々も、善と悪のふたりの神様から派生したと考える宗教が多いんですのよ。もちろん、そうでないところもありますけれど」
「ですから、ヤヌスは教会から悪魔崇拝の象徴と見做されることも……」
「ヤヌスの仮面をつけたお祭りなんかは特に槍玉に挙げられやすいですわね」
「なるほど、それで司教たちに壊されてしまったんですね」
「そうなんですの! 本当に教会の方たちときたらご無体ばかり――」
彼女の仮面の仕掛けは分かった。
あれは羊皮の加工品で間違いないだろう。
ただ、動機がまだ不明のままだ。
なぜ彼女は偽りの仮面など身に着けているのだろう。
魔女たちの素顔はよく知らないが、サフィージャだって美しさでは決して彼女たちにひけを取らないはずなのに、言われるままに身を任せている。
『言いたいやつには言わせておけ』という感覚はよく分かる。
人の上に立つということはそういうことだ。
しかし、そこにメリットはあるのだろうか。
そもそも、初めに彼女の素顔について中傷を流したのは教会だという。
彼女はそのあとに仮面を付け始めた。
何らかの必要性にかられて中傷を本当にした――とすると、ではいったいどんな必要があって、となる。
教会との間に何かがあった?
そもそも教会はなぜサフィージャの中傷を必要としたのか。
クァイツはその場にいたソルシエールたちに聞いてみることにした。
「ところで少しお尋ねしたいのですが、サフィージャどののお顔のうわさは本当なのですか?」
下っ端の魔女たちは顔を見合わせた。
「ほら、彼女は疫病をまき散らす悪い魔女だから顔に痕が残ってしまったのだと教会がさかんにうわさしていたでしょう。あれは結局何だったのですか? 私には、ただ仕事の最中に不幸な事故があっただけのように見えるのですが」
「あれは……」
魔女たちは言いにくそうにお互いの顔を見合わせている。
「教会の魔女の定義にこういう一文があるのですわ。『悪魔と契約した悪しき魔女は、そのしるしに、奇妙な痣やイボ、六本目の指、三つめの乳房などを持つ』――と」
「悪しき魔女は悪魔と契約して、『黒魔術』を使う、と言われておりますわ。赤ん坊の血肉や家畜を儀式に使うのはその証拠だということなんですの」
「サフィージャさまのお顔の、お労しいご病気の痕も、悪魔契約のしるしであると言いがかりをつけられていたのです」
疫病の痕が魔術的な契約のしるし?
おかしな話だ。
「サフィージャさまが祀っていらっしゃる拝火教には、『ドゥルジ』と言う名の、疫病をもたらす女の悪魔が存在しているのです。サフィージャさまもその悪魔と契約したに違いないと――その結果、お顔の『契約のしるし』を代償に、人々に災いをもたらす恐ろしい疫病の力を手にしたのだ、というのが教会の主張なんですの」
また、神学的な見解によって、というやつか。
うんざりするような話だ。
「そんな馬鹿げた話を、教会は本気で主張しているのですか?」
「もちろん私たちはそんなことないと存じております。あれはご不幸があっただけ――おそらく、国民の皆さんも誰もがそう思っているはずですし、先日いらした司教さま方との問答でも、サフィージャさま御自らがきちんと論拠をあげて否定していらっしゃいましたわ。でも……」
魔女たちは困ったように顔を見合わせる。
「……体に、ほくろやしみや痣がひとつもない人間などおりませんわ。教会に都合の悪い人間を体よく排除するために、わざと馬鹿げた条項を設けている……という部分は、否定できません」
なるほど、恣意的な判断をするためのザル論法なのか。
つくづく腐っている。
魔女たちにお礼を言って別れた。
……ますますサフィージャの目的が分からなくなってしまった。
衝撃的な話ではあったが、手掛かりにはなりそうにない。
顔に悪魔契約のしるしがある、などという中傷を流されたとしたら――クァイツならまず、素顔を広く公開すると思う。
それだけで完全にうわさを否定することができるのだから。
どうして逆に隠してしまったのだろうか。
女性が容姿についてとやかく言われるのは最大級の苦しみである、という。
偽りの仮面をどれほどけなされても心は痛まないだろうが――
素顔についてあれこれ言われるのは、さすがに辛かったのかもしれない。
美しさも醜さも、度が過ぎれば同じことだ。
人の目を引き付け、強い印象を残す。
彼女の素顔は、きっとあの醜い仮面と同じぐらい人の注意を引き付けるだろう。
あの『疫病やみ』の『黒死の魔女』の素顔――ということで、誰もが興味深く見つめ、めいめい勝手な批評を並べるに違いない。
いいことも、悪いことも言われるだろう。
なるほど、それならいっそ隠してしまったほうが、傷つかずにすむかもしれない。
難しい問題だ。
そこはあまり追及しないでおいてあげたほうが親切かもしれない。
ともかくも、ようやく大きな謎のうち、ひとつが片付いてくれた。
残る謎はひとつだけだ。
彼女の恋人は――一体誰なのだろう。
***
サフィージャの弟についてもう少し調査してもらった。
彼女と同じ拝火教徒、恋人なし、真面目な好青年。
彼女とはごくたまに手紙をやりとりしている。さすがにそちらは手に入らなかった。
南方はすでに教会の支配地だ。異端派や異教徒の弾圧は年々厳しくなっていっている。少なくとも、サフィージャたちの住む故郷の教会では近親婚を申し立てても絶対に受理されまい。
辺境の村であれば教会に認められずともひっそりと二人で生きていくことは十分可能だろうが、宮廷内ではそうもいかない。
彼女は弟を守るために存在をひた隠しにしているのではないだろうか。
黒死の魔女が弟と禁じられた仲だという醜聞は、教会の手にかかればあっという間に悪魔崇拝の邪な儀式に仕立て上げられてしまうだろう。
孤独な娘だと思う。家族とも離れ離れにされて、恋人とも結ばれない。
彼女の野望は、そうまでしてほしがるほどのものなのだろうか。
全く理解し難いが、彼女にとってはそうなのだろう。
いっそ彼女の弟を宮廷に呼んでやったらどうだろうか、とも思う。
たとえ彼女の弟が恋人でなかったとしても、家族が側にいるのは彼女にとっても有益だろう。
クァイツとしてもどんな男なのか気になる。彼が宮廷になんて行きたくない、というのであればそれまでだし、来たら来たで、しばらく文官の俸禄でも与えて様子を見るのもいい。ろくでもない男であれば引き剥がせばいいし――というより、そうであってほしいと思っている部分は、かなりある。
彼女が望むのなら、弟との結婚ぐらいそう手間もかからずにお膳立てしてやれる。
宮廷内での地位も保障してやれる。
洗礼者の首だって差し出してやれるのだ。
なのに、彼女の望みがどこにあるのか、それだけがいまだに分からなかった。
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