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【第一部ダイジェスト】 王太子視点
王太子様の追憶 7 密偵と元同僚の証言
しおりを挟むそれからしばらくは素性の調査に乗り出した。
サフィージャに関する調査書に目を通す。
南方のピレネー山脈付近の集落出身、父母、姉、弟の五人家族。
祖母が拝火教の呪術師的な立場におり、家畜の医術や秘薬の製法などを継承。
幼いころ、村を新型の疫病が襲い、姉を亡くす。
その際彼女の祖母は呪術で人々を黒死病に至らしめた罪で教会に魔女認定を受け、火刑にされている。
――ラングドックは異教徒の多い地域で、拝火教徒のみならず砂漠の国の一神教、旧約の一神教、北方ヴァイキング、さまざまな人種が交じり合って繁栄している。教会もカタリ派と呼ばれる異端派が主流を占めている状態だ。
そしてその異教徒たちを異端派もろとも封じ込めるために教会、並びに教皇が兵を挙げたのがおよそ百年前。以来、そこは教会の征服地になり、邪教のはびこる呪われた未開の地と言われるようになってしまった。
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あの日名乗っていた偽名だ。
彼女はどうしてあの時、正体を隠そうとしたのだろう。
誰かと待ち合わせをしていたとしか思えないのだが――
十二歳で魔女結社が経営する養成大学に入学。
薬草学・天文学・神学・中東医術・古代法・修辞学・算術からなる七学科を履修。
地中海の向こうにある拝火神殿への巡礼への帰り道、港で疫病さわぎが勃発、たったひとりで危機を食い止める。
十五歳で薬草学・中東医術の学士を習得、宮廷魔女として招聘される。
二十歳で祈祷書もマスターして拝火教の最大司祭を拝命。
恋人がいた形跡はなし。交友関係も寂しいものだ。
友人の魔女はみんな結婚なり引退なりしている。
部下も全国各地あちこちに散っている。
魔女の結社も全員女性。
拝火神殿には高僧を含め男だらけだが、とりたてて親しい様子ではない、らしい。
素顔については誰も知らないようだ。
以前はよく友人と連れ立って大衆浴場に通っていたりしたそうだが、疫病やみの時期から感染防止の名目で専用の個室を作らせてしまったらしい。よほど他人に身体を見せたくないようだ。
疫病担当の魔女たちは日常そこを使っているが、サフィージャが使っているときは絶対に中に入れてくれないらしい。
スケジュールは決まっている。午前中は市街地の病院で問診。午後は来客と面談。
病院も基本的には魔女結社の人員で構成されている。
つまり全員女性である。
限られた男性スタッフについても情報を集めてみたが、特に不審な点も見当たらなかった。
「実は女性趣味で恋人も女性、とか」
「え?」
「サフィージャどのが……」
調査を命じた密偵にそうこぼすと、彼は吹きだした。
「ああ。違うんじゃないですか? 女性をそういう目で見ている気配はないです」
おそらくそれはないだろうとは感じる。
しかしそうとでも思わなければつじつまが合わないほど女性としか交流していない。
***
サフィージャの素顔を見たことがあるという貴族もほどなくして見つけた。
ある時期から出回り始めていた疫病痕のうわさに興味本位で素顔を見てやろうという気になったらしい。顔布をめくるとそこには黒くただれた皮膚があり、背筋が凍ったそうだ。
素顔を見たことがあるという元同僚も見つかった。
元宮廷魔女の小貴族の奥方が言うには、まず根も葉もない中傷が教会を中心に出回り始め、サフィージャもだいぶぼやいていたのだということだ。邪教の娘だの疫病をまきちらす悪い魔女だの、さんざんな言われようだったらしい。
ところがその後本当に彼女が顔の一部に黒い壊死痕をつけて帰国してしまい、以来誰にも肌を見せなくなってしまった。
中傷が本当になってしまったのでどう接したらいいのか分からないまま別れ別れになってしまったと彼女は悔やんでいた。
「けっこう綺麗な子だったんですよ。だから余計に痛ましくて……」
「実は感染していない、ということは考えられないでしょうか」
クァイツの質問に、彼女はまさか、と言いかけて、ふと黙り込んでしまった。
「何か事情があってそういうふりをしているとか」
「ちょっと分かりませんわ……でも、それって意味のあることなのでしょうか」
「それが分からないんですよね。ですが、黒死病を患われたはずなのに、ずいぶんおきれいな手をしていらっしゃると思いまして」
「手……あら、いやだ……そうですわよね……どうして気づかなかったのかしら。顔にあれほど影響が出るなら、きっと日常生活もつらいほど全身に症状が出ているはずですわ。あとは喉元……白くて綺麗なままだったような気がいたします」
黒死病の話を詳しく聞いた。治療薬を投与すればほとんどの人間が劇的によくなり、後遺症なども残らないらしい。治療に当たる魔女は何か解毒剤のようなものを摂取していたので、ことサフィージャのチームに限っては感染事故などほとんど起きなかったのだという。
ひと一倍知識も造詣もあるはずのサフィージャが初期症状の段階で手を打たないはずはないと元同僚は証言した。
可能性としてはかなり高くなってきた。
ただ、問題はなぜわざわざ疫病痕があるふりなどをしているのかだ。
密偵を使っての調査でも洗い切れない正体不明の恋人に、目的不明の素顔隠し。
どうも彼女には何かある気がしてならない。
***
「あの、お帰りいただくように言われてしまって……」
サフィージャの部屋を訪ねると、侍女がすまなそうに言った。
これはいよいよ脈がなさそうだと、クァイツは胃痛を抑えながら思った。
少し時間を空けた方がいいのかもしれないと考えていたら、侍女は何か必死な様子で、
「でも、あの、明日はきっとサフィージャさまのお気持ちもお変わりになりますわ」
クァイツに言い募った。
控えめな彼女らしくもない差し出口だ。
「そうだといいのですが」
気落ちしながら返答する。
「あ、明日は私の実家から果物が届く予定ですの。王太子様にも召し上がっていただきとう存じますわ。ですから明日もまたお越しくださいませ」
必死にそう言う侍女にやや気持ちを助けられて、クァイツは曖昧に頷いた。
その翌日に訪ねてみると、やはりというべきか、サフィージャは不在だった。
もうわざとどこかへ逃げているとしか思えない。
死んだ魚のような目で立ち尽くしていると、侍女は何を思ったのか、クァイツの手を引いてサフィージャの自室に招き入れた。
「あ、あの、こちらをご覧になってくださいまし!」
取り出したのは鍵付きの宝箱だった。なかなか立派なものである。
「お待ちくださいね、鍵はたしかここの……」
侍女は断りもなく祭壇の香炉の灰に手を突っ込むと、下のほうから金色の小さな鍵を掘り起こした。
「それはサフィージャどのの私物なのでは……」
「お叱りならあとでいかようにもお受けしますわ!」
侍女が開いてみせた箱の内側のベルベットに埋もれるようにして、雑多なものが詰め込まれていた。
銀色のナイフ。金糸の飾り帯。金貨銀貨のティアラ。細密画付きの製紙の本。
白いレースのハンカチ。
高価な品物の中で、その凡庸なハンカチは浮いていた。
「……これは?」
「サフィージャ様が大切になさっているお品物ですわ」
なぜこれを見せられているのだろうかと考えを巡らせてみたが、まったく見当もつかない。
「……すみません、どういうことでしょうか」
「お……お忘れでございますの? 殿下がサフィージャ様に賜わされたお品物ではございませんか」
「……これを?」
まったく記憶になかった。
目の前の品にも覚えがない。
首をかしげながらとりあえず広げてみた。剣と百合を組み合わせた意匠の刺繍が隅に小さく入っている。これ自体は王家のものだが、そもそもハンカチなど毎日使い捨てるほどたくさん持っている。
「殿下からの頂きものだと、それはもう嬉しそうにしていらしたのですわ」
「……本当ですか?」
夜会の日には特に何も渡さなかったような気がする。
過去に侍従あたりが気を利かせて贈ったものだろうか。
覚えのない贈答品が勝手に自分の名前で出回るなどよくあることだ。
何のことだか全く分からないが――あの魔女どのがこんな贈り物を喜ぶだろうか。
話しかけても話しかけてもつれなかった彼女が?
こんな安物を喜んで受け取ったのか?
「三年前の……ドルレアン公がまだご存命だったころのお話でございます」
そこまで言われてようやく思い出した。
あの日確かにクァイツはドルレアン公の横暴を見ていられなくて、ハンカチを差し出した。
少しは年頃の娘らしく戸惑う彼女が見られるかと期待したのだが、あっさりかわされてつまらなかったのを覚えている。
「近頃のサフィージャ様はとても明るくおなりなんですの。ですからどうかこれに懲りずにまた明日もお越しくださいませ」
つまり侍女は味方をしてくれようとしているのだろうか。
サフィージャの本心を察しての行動だろうか?
いや、面白半分のイルベラの肝入りで立ち回っているという可能性もある。
必ずしもサフィージャのためを思っての行動とは言い切れない。
それでも、少し嬉しかった。
自分が贈ったものを取っておいてくれたということは、完全に嫌われているという訳でもないのだろうか。
その途端、これまでに浴びせられた冷たい言葉の数々が蘇り、『はたして今でもそうかな……』と遠くを見つめたい思いにかられた。
どうにも何かをすればするほど嫌われているような気がする。
かといって他にどうしたらいいのかも分からない。
これまで女性との付き合いを避けて、恋人のひとりも作らないできたツケが今になって回ってきているような気さえした。
好意を持って近づいてきてくれる女性たちと、せめてもう少し義理にでも交流を持っていれば、ここまで醜態を晒すこともなかったように思う。
今まで邪険にしてきた女性方の気持ちをそのまま味わっているようで、友人たちからことあるごとに言われていた『お前のように冷酷な男は見たことがない』『お前には人の痛みが分からないのか』という評価の一端を改めて噛み締めた。
この苦しみを知ってしまった今なら、もう少し他人に優しくできるような気がした。
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