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ロジーナ、アヒル番令嬢になる

王太子は許可をする

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 元の場所に迎えに来ていた馬車に乗り込むと御者はエルクラスト城に向けて馬車を走らせた。初めての外出先で疲れたのか窓にもたれ掛かっていたロジーナは直ぐにスゥスゥと小さな寝息を立て始めた。

 曲がり角の段差で馬車が大きく弾みロジーナがぴょこんと跳ねる。窓とは逆側に身体を傾け被っていた帽子が転がり落ちたがロジーナの頭は咄嗟に手を伸ばしたシャファルアリーンベルドによって受け止められた。それでもロジーナはぐっすり眠ったまままだ。よく目を覚まさないなと呆れつつシャファルアリーンベルドはロジーナの頭を支えながら器用に移動して隣に座り、自分の肩に持たせかけさせた。

 ーーそれにしても、三週間経っても相変わらず驚かされることばかりだな

 特にロジーナが受けてきた教育についてはまるで意味がわからないが、本人がそういうものだと思い込んでいたのだから今更理由は明らかにならないだろう。幸いな事にロジーナ自身は知的探究心が旺盛らしく無意味とすら言える勉強でも苦にならなかったようだ。だからこそ『ニアトの物ほどは詳しい事まで学べていない』というサルーシュについて学びたいと考えて本を欲しがり、自学でわからないところは教えると言えば嬉しそうに(笑顔は無いが)礼を言うのだ。

 シャファルアリーンベルドはぼんやりと窓の外に目をやった。



 いつの間にか閉じていた目を開けると馬車が真横に傾いているように見える。どうしたのかとぼーっと考えているうちに傾いているのは馬車ではなく自分の上半身だという事に気が付いた。つまりシャファルアリーンベルドはいつの間にか座席に横になっていたのだ。だが確か自分の隣にはロジーナがいたはずだがざっと見回しても彼女はいない。おかしいな、と思ったその瞬間、自分の頭が何に乗っているかに気が付き凄まじい悲鳴を上げた。

 「い、いかがされましたか?!」

 慌てて馬車を止めた御者の問いかけにぶるぶると首を振りながら何でもないと答え、シャファルアリーンベルドは元居た座席に戻った。大声に驚いたのかロジーナは呆然としてそれを眺めている。

 「い、いつからだ?いつからわたしは……そのぉ……」
 「膝枕でしたら10分ほど前に頭を乗せていらして。特に不都合は見受けられませんでしたし、お疲れかしらとそのままにしておりましたがお声を掛けた方がよろしかったですか?」
 「ぜ、ぜ、是非、是非ともそう願いたい!!」

 ロジーナは『気が利かず申し訳ございませんでした』と言いながら深々と頭を下げたが、そうされた事でシャファルアリーンベルドの罪悪感が積乱雲のようにもっこもこに膨れ上がった。

 「い、い、いや……いやいや、いやいやいやいや……君が悪いわけではなくて、そのぉ、失礼な事をして申し訳なかったな」

 しどろもどろになりながら謝るシャファルアリーンベルドのあっぷあっぷした様子に何をそんなに焦っているのかとロジーナは不思議に思った。

 ーー膝枕なんて膝を枕の代わりに活用しただけに過ぎないのに

 うっかり活用してしまった当の本人の慟哭たるやご覧の通り大変な物なのであるが。

 
 しばらくすると馬車が止まった。エルクラスト城に到着したのだ。シャファルアリーンベルドは助かったと額に滲んだ汗を拭い脱力して背もたれに寄りかかった。

 開かない扉に何かを察したのか外からドアが開かれひょこっとレイが顔を覗かせる。

 「お帰りなさいませ。どうでしたか?初めてのお出掛けは?」
 「レイさん!!」

 ロジーナは珍しくはしゃいだ声を上げ差し出されたレイの手を取って馬車を降りた。

 「ただいま帰りました!私、お店でお買い物をしましたわ。高く高く噴き上がる噴水を見て、レストランで海老の名前を教えて頂いたんです。刺繍の道具も買ったし綺麗なお菓子が並んでいるお菓子屋さんにも行きました。そのお店のカフェでクラッポポロロッカを食べたんです」
 「それ、カプっと齧りましたか?」

 ロジーナはブンブン首を横に振る。

 「お坊ちゃまはちゃんと手で解すと良いって教えて下さいましたもの。レイさんはルシェ様が丸齧りするのか見たくてそれが正しい食べ方だって嘘をお教えになったのではなくて?」
 
 『参ったなぁ』と言いながらレイは頭を掻いた。

 そういう事か!そういう事だったのか!

 ルシェが齧り付くなんて妙だなとは思ったのだ。あれは悪戦苦闘しながらクラッポポロロッカを頬張るルシェ見たさに嘘を教えたのか!

 シャファルアリーンベルドは眉を顰めレイを窘めようとした。いくらなんでも婚約者を騙すとは赦される事なのか?だがしかし、その時頭にぽわわわわんと音を立てて浮かんできたのだ。

 指で解したクラッポポロロッカを栗鼠のように齧るロジーナの姿が。

 ーーあれは……物凄く、可愛かった。あれがあんなにも可愛かったのにカプっと齧り付いたとしたら…………

 「めちゃくちゃ可愛らしいんですよ~」

 シャファルアリーンベルドの想いを代弁するようにデレデレのレイは開き直った。

 「粉砂糖が口の回りに付かないように必死になって齧るんだけど、それがまぁ小動物みたいでいくら見ていても見飽きません」 

 ーーレイよ、お前もか。お前にもあのクラッポポロロッカをかじる様子は小動物に見えるのか!

 「ですからね、クラッポポロロッカは丸齧りするべきなんです。嘘は言っておりませんよ!」

 ーー確かに、確かにその通りだ。クラッポポロロッカは丸齧りするのが正式なマナーで有るべきだ!自分もそう教えるべきだった。あの時のわたしよ!何故手で解せ等と言ってしまったのだ!!

 後悔の念に頭を抱え悶えるシャファルアリーンベルドだったが

 「まぁ、お気の毒なルシェ様。それではきっとクラッポポロロッカのお味なんて解らなくなってしまいますよ。レイさんはルシェ様がクラッポポロロッカを美味しく召し上がることよりも可愛らしいルシェ様を見物なさることを優先すべきだと仰るの?」

 というロジーナの正論以外の何物でもない冷静な窘めの言葉に我に返った。

 というか、全面的に我に返った。クラッポポロロッカを栗鼠のようにかじるロジーナが……物凄く可愛かった?!

 ーーどうした、わたしよ一体どうした?今日はどうしてしまったんだ?

 「レイさん。私、皆さんにタフィを買ってきたんです。皆さんへのお土産をお小遣で買ったの!凄いでしょう?でも反省して下さらなくちゃレイさんには差し上げないわ」

 何処で覚えたのやら、ロジーナは右手の人差し指を一本立ててそれを振りながらレイにお説教を始めた。レイは笑いを堪えつつもしおらしい振りをして聞いている。

 ーーな、なんだあれは!お嬢ちゃまのくせにいきなりお姉さんぶるなんて……か、可愛い。超絶可愛らしいのだが

 自分だってお坊ちゃまのくせにシャファルアリーンベルドは萌えた。

 レイが今後は可愛らしいルシェ見たさに嘘をついたりしないし深く反省すると言うと、ロジーナが人差し指ではなく小指を差し出す。レイも小指を出してそれに絡め、三回振って二人の指は解かれた。
 
 「約束ですからね、レイさん」

 笑いながら戻って行くレイに声を掛け、くるりと振り向いたロジーナはヘナヘナと座ったままのシャファルアリーンベルドを見つめ申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 「お坊ちゃま、すみません。私の為にとってもお疲れになったのですね」
 「そ、そんな訳無いだろう!これでも体力には自信があるんだから」

 ロジーナは視線を横に流してほんの一時何かを考える仕種をしたが真っ直ぐにシャファルアリーンベルドを見つめて口を開いた。

 「今日は緊張もしましたが、お坊ちゃまと一緒だったから勇気が出て色々な事ができましたわ。初めてのお出掛けは楽しかったです。お坊ちゃま、どうもありがとうございました」
 「シャーリーで良い」

 頭を下げていたロジーナは顔をあげて目をシバシバさせた。

 「え?」
 「シャーリーで良い。君だけはシャーリーと呼んで良い」

 顔を背けていたシャファルアリーンベルドがチラリと視線を送ると、こちらをじっと見つめたままのロジーナの口元がふわりと動き出した。それはゆっくりと弧を描きそれに連れて頬も引き上げられて行く。そしてシバシバさせていた目が優しく細められた。それはアドルフに見せた作られたような淑女の微笑みではなく……

 心からのロジーナの微笑みであった。

 「はい、シャーリー様」

 ロジーナはくるりときびすを返しレイを追っていく。シャファルアリーンベルドはその弾むように歩く後ろ姿を瞬きも忘れて見つめていた。

 ーーわ、笑った。彼女が……ロジーナが、初めて微笑んだ

 肩で息をするシャファルアリーンベルドの胸はまたしてもロジーナに口から手を突っ込んで心臓を握り締められたかのように、ぎゅうぎゅうと苦しさを訴えているのだった。

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