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幸薄い伯爵令嬢
王太子はアレはないぞと思う
しおりを挟む「なーにやってるんですかぁ!」
慌てて追いかけてきたレイに羽交い絞めにされたシャファルアリーンベルドはロジーナから引き離された。一方何とか言い返しはしたものの、やっぱりふぇっふぇっと泣き出したロジーナの肩を抱いたルイザはヨシヨシと頭を撫でながら怒り心頭でシャファルアリーンベルドを睨みつけている。
「御令嬢にいきなり掴みかかるとはなんたる狼藉。ルイザは貴方様をそのような粗暴な人間に育てた覚えはございませんわよ!」
しかし、残念ながらシャファルアリーンベルドの耳にはルイザの言葉は届いていなかった。レイに羽交い絞めにされおとなしくはなったが今度は目を見開いて固まっていたのだ。
「お、お前……意外とこまっかい反論はするのか……」
ポツリと口にしたシャファルアリーンベルドの言葉を聞いてロジーナはうわんと泣き声を盛り返した。
「も、申し訳ありません。私にとっては聞き捨てならない違いだったものですから思わず。本当にごめんなさい」
泣き声だけではなく流れ出る涙も増量したロジーナの様子にシャファルアリーンベルドはハッと我に返った。シャファルアリーンベルド自身も白百合だの姫百合だの百合根だの呪いだのの話に、何だそれはと大混乱しながらエルクラストに到着したばかり。王子様として蝶よ花よ(?)と育てられたのは確かだが彼は決して傍若無人な男ではなく、ものすごーく気が動転しているのだ。
とは言えそりゃ確かにそうなんだけど、だからってもう少し落ち着いて欲しいよね~とレイはトホホ顔で思った。
「わかりますよ、わかります。譲れないものってありますよねぇ、当然ですよ。悪いのはこの人の方ですから気にしないで下さいね。すみませんねぇ、ホントに。ほらほら、何してるんですか?ボケッとしてないで早く謝って」
「本当に、本当に申し訳なかった」
思わず取り乱してしまい汗顔の至り……つまりやらかしちゃったなぁと自覚しているシャファルアリーンベルドは深々と頭を下げたのだが、ロジーナはパタパタッと細かく後ずさりルイザに縋り付いた。
「この方は……私に謝罪をされているのですか?私、どうすれば良いのでしょう?私……わからなくて……」
そう言いながらポロポロ涙を流すロジーナの様子に一同は無言になった。予備知識は与えられていたものの予想を遥かに超える規格外の涙腺の弱さだ。それでも一晩共に過ごした雑ではあるがデキる女ルイザ、多少なりとも今ロジーナがどんな状態にあるのかを掴めるようになってきていたらしく即座にロジーナの言わんとするところを把握していたようだ。
「ロジーナ様は謝罪された経験がないので謝られると戸惑われるようなのです。どう対応したら良いかわからないもどかしさに悲しくなって……涙が出てしまうようですわ」
……謝られた事がない?
シャファルアリーンベルドは口からポロリと出てきそうになった呟きを無理矢理飲み込んだ。聞かれてしまえば号泣されるのは必至、是非ともそれだけは避けたいところだ。ということでシャファルアリーンベルドはどうにかしてくれとレイに視線を送る。丸投げされたレイはギョッとしながらもブルブルと頭を振って気持ちを奮い立たせ明るい声でロジーナに声を掛けた。
「失礼な事をしたのはこの人ですから気にしなくて良いんですよ。それよりもね、ようこそいらっしゃいました。どうぞ自分の家だと思って寛いで下さい。この人はシャファルアリーンベルド、えぇと……そうですねぇ、エルクラストの領主様(的な方?)のご子息です。今日からロジーナ様のお世話をいたしますよ」
「しゃ……ふぁる……うん……??」
「シャファルア・リーンベルド……ですよ」
「いや、どちらかと言えばシャファル・アリーン・ベルドだぞ」
ここはぐっと堪えて黙ってりゃ良いものを、思わず口を挟んだシャファルアリーンベルドにレイはうんざりした顔を向けた。
「良いじゃないですか!ややこしい事言わないで下さいよ。だったらもういっそのことシャーリーって呼ばせましょうよ。元々お母上がシャーリーって呼びたいから付けた名前ですよ」
「駄目だ、それだけは絶対に駄目だ。わたしの名はシャファルアリーンベルドただ一つだ」
「まったくもう、自分だってどうでも良いことにこだわるくせに。そんな事いってるからほら……」
「……」
揉め出した二人の様子に責任を感じたのだろう。ロジーナの目から涙が滴り落ちシャファルアリーンベルドは慌てた。
「いや、いいんだ。今は呼べなくていい。そのうちに覚えるだろう?それまでは『あの~』とか何とか呼びかければ何とかなる。わたしはそれで構わないから」
シャファルアリーンベルドにそう言われ了解したらしいロジーナがこくこくと頷いてホッとしたのもつかの間、謝罪同様優しい言葉掛けにも不慣れな為しゃくり上げ始めたのでシャファルアリーンベルドは焦った。
「か、彼はルイザの息子のレイナーディラエフィッセ……」
「れいなー……でぃ……くら……」
焦りのせいで愚かにも同じミスを重ねたシャファルアリーンベルドが『まずい!』と気付くと同時にロジーナは再びうわんと泣き声を盛り返したので、レイは素早くフォローを入れた。
「レイで良いですよ、レイで。大丈夫、みーんなレイって呼ぶんです。ロジーナ様もレイって呼んで下さいね」
ロジーナは口を引き結んで泣き声を上げるのを堪えながら頷いたが同時に溢れた涙が頬をポロンと転がり落ちた。
『追い泣き』のきっかけになってはならないと、ルイザはロジーナに気付かれぬようにこっそり溜息をつき、気持ちを切り替えるように明るい声でロジーナに声をかけた。
「何時までもこんな所にいるのもなんですわ。わたくしがお部屋にご案内しながら皆にロジーナ様をご紹介します。さ、参りましょう」
そう言ってロジーナの肩を抱き覚束ない足取りを気遣いながらルイザは歩き出した。レイはその様子をにこやかに手を振って見送っていたが、廊下に出ようとしたルイザに鋭い目配せを送られ笑顔を凍らせる。『今後どういう対応をするか、シャファルアリーンベルドとしっかり検討しておくように』と、ママからの業務連絡を読み取ったのだ。
ルイザとロジーナが見えなくなると二人はどちらからともなく顔を見合わせ頷きあった。
「母上はアレを一体どうしろと仰るのだ?若い娘というものはほんの些細な事が何故そんなにも面白いのだと呆れるほど笑うものだと思っていたが……何故あんなに一々確実に反応して泣くのか?一日がおはようと言ったせいで泣かれる事からスタートしそうではないか!」
「言ったでしょう?小さなお池で育てられた普通じゃない娘さんなんですよ。ま、わたしもここまでの凄さとは予想していませんでしたけれどね。それでも命令された以上逃げられないんですからせめて前向きに考えましょうよ。ほら、有り難いことに王妃様は『泣かせるな』とは仰いませんでしたからね。潔く諦めて当面は風が吹いても泣かれるものと覚悟しましょう」
「覚悟……」
シャファルアリーンベルドはフラフラした足取りで壁際に行くとそこに置かれた椅子に倒れ込むように座った。
「レイ……お前の表現力に感服した事などただの一度も無かったが、今日ばかりは見直した」
「と、言いますと?」
「百合根だ。確かに百合根だった」
レイは冷ややかな視線をシャファルアリーンベルドに送った。
「心根がどうこう言っていたくせに、結局女性は見た目だと思ってたんですね」
「誤解するな!!別にわたしはあわよくばと思っていた訳じゃない!そうではなくて……あの百合根っぷりに驚いただけだ。若い娘が腫れ上がった顔にガサガサの肌、目と思しきものが一本の筋とはどういう事だ?呪いなんてくだらない事をと思ったが、ああも酷いとあながち信じられない話ではないと納得してしまいそうになるではないか!」
「だったらその呪い、解いて差し上げたら良いんですよ。お・う・じ・さ・ま!!大切なのは心根の美しさなんですもんね~」
「お前……他人事だからと……有り得ないぞ!い、いや、容姿の事ではない。些細なきっかけであんなにもいとも容易く泣くなんてまるで地雷に囲まれているようではないか。そんな娘におちおち近付けるものか!とにかくアレはない。たとえ世界がひっくり返ったとしてもアレに心を奪われるなとあり得ない。お前もそりゃそうだと思うだろう?」
答えに窮したレイは視線を彷徨わせた。本音を言えばシャファルアリーンベルドに同感です!と声をかけたいところだがマルガレーテに逆らうような事などあってはならない。非常に辛い板挟みだ。
「そうそう、お伝えしなくちゃいけないことがあったんですよ!」
ルイはパチンと手を打ち合わせ話を反らすと言う方法での逃亡を図った。そしてシャファルアリーンベルドはというと意図的に情報弱者にされているので今何より欲しいものはインフォメーションでありノウハウだ。という事で先ずはおとなしくそのお伝えしなくちゃいけないことに飛びつくことにした。
「殿下はロジーナ様を引き取ったルーセンバイン家の嫡男という設定になっていますのでお名前でお呼びするようにと言われています。一応聞きますがシャファルアリーンベルド様って面倒なんでシャーリー様じゃ駄目ですか?」
シャファルアリーンベルドはレイをギロリと睨んだものの、レイがわかりましたとばかりに肩を竦めたのでぐっと我慢で頷いた。
「あの方はロジーナ様です。アレでも百合根でもありません。良いですね!」
百合根って言ったのはお前が先だろうと不服ではあったが、シャファルアリーンベルドはぐっと我慢で頷いた。
「そしてシャファルアリーンベルド様のお役目はアヒル番のロジーナ様のお世話なんです。しっかり接近して下さらないと勤まりません。良いですね!」
それはもう聞いた、新しい情報を寄越せと不満ではあったが、シャファルアリーンベルドはぐっと我慢で頷いた。
「じゃ、始めて下さい。ロジーナ様のお部屋は三階の東端にご用意しましたから」
「は?それだけか?言う事はそれだけなのか?」
「はい。だって事情聴取はご自分でって言いましたよね?でもくれぐれも尋問にならないように気を付けて下さいよ。泣かれますからね。それとなく優しく……ま、それはそれで優しくされるなんてどうしたら良いのでしょう?って泣かれますかね?でもほら、泣かせるなとは言われませんでしたから、取り敢えず極力泣かれないように尽力するって感じでいけば良いんじゃないですか?それで徐々に頻度を下げて行く、と。なんやかやしているうちに殿下の呪いが発動すれば、そうこうしているうちに呪いが解けて一件落着ですよ」
「だがな、レイナーディラエフィッセ君?」
シャファルアリーンベルドが浮かべた冷ややかな微笑みに、この展開をちょっぴり面白いなとついつい思い始めていたレイは背筋が凍りついた。
「君の役目は何だ?世話役の補佐だな?無関係とは言わせない」
シャファルアリーンベルドはすっと立ち上がりレイの腕を取るとグッと引いた。そして壁を背に立たされたレイの顔を挟むように壁に両手を付いた。
壁ドンだ!婚約者のいるノーマルな部下の男に対して輝くばかりの美貌の王太子によるときめきシチュの超無駄遣いだ。
「わたしと君は運命共同体だ。君を逃しはしない」
粘着質で執着心の強い男からの愛の告白と聞こえなくもない言葉だが、幸いレイはシャファルアリーンベルドの言わんとする意味を正確に理解することができたので良しとしよう。
こうしてシャファルアリーンベルドによるアヒル番の世話役が始まる事になった。
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