上 下
80 / 99
プロイデンの燕

呪いの正体

しおりを挟む

 「わたくしも呪いという言葉には違和感を覚えたのです。ですがそれが単なる喩えだとしたらどうでしょう?」

 呪いと言うからには何か災いがありそうなものだ。けれどもどう考えてもそんな物は思い当たらない。あれは本来の意味での呪いではないのではないか?

 「燕も色々です。ある者は特別な知識で家業を盛り立てある者は作家として名を馳せ、またある者は医師としてこの世界では斬新な医療知識を広めました。でもわたくしは違います。生花装飾を生業としていたわたくしにできるのは花をあしらうだけ、変わった特技を持つに過ぎません。それでも兄はわたしの花束が王妃様の目に留まり王家に嫁ぐきっかけとなった、プロイデンに幸運をもたらしたのだと言いました。確かにプロイデンは多くの利益を得ましたわ。プロイデンの蜂蜜は王室御用達に選ばれ事業が拡大した。でもわたしの持つ技術で利益を得たのは王室と縁を持ったプロイデン伯爵家だけです。ファルシア王家は何故そんな役に立ちもしない燕を妃に据える必要があったのでしょうか?」

 こちらに視線を戻したジェローデル侯爵は何も言わずにゆっくりと微笑んだ。不自然さを感じさせないようにと慎重になったのだろう。それは余計に不自然で作られたわざとらしいものだった。

 「わたしはサヨナキドリだ……自分が燕だと知る以前にわたしは兄にそう言いました。結局あの時のわたしが言った通りだったのです。珍しい小鳥の囀りを聴くために宮殿に留めた皇帝のように、ファルシア王家は異世界から渡ってきた珍しい魂の持ち主を手元に置きたいという願望に取り憑かれてしまった。それが呪いの正体なのではありませんか?」
 「…………」

 私はおもむろに立ち上がった。どんどん焦りの色が強くなる侯爵と顔を合わせるのが気の毒になってきたからだ。バルコニーのガラスの扉を開けると爽やかな風が吹き込んで来る。髪を梳かれるような心地よさに目を細めながら私は青い空を見上げた。

 「ご安心下さい。元より返事は求めておりませんしこれ以上侯爵を追求したりしません。無関係の侯爵をいじめたりしてごめんなさい。それに私の決意に変わりはありませんから」
 「妃殿下……」
 
 振り向くと眉尻を下げた侯爵が途方に暮れた顔で私を見上げている。

 「まだ中に何かが残っていますが秘密箱はもう決して開かないでしょう。一刻も早く鏡の欠片を溶かしてしまいたいと望まれている殿下には申し訳ありませんが、殿下に何を言われてもその言葉は心をすり抜けて行ってしまうだけです」

 だって気が付いてしまったから。殿下がわたしにくれた友情までもが燕を手に入れるための上っ面だけのものだったことに。けれども友情もそして愛情も本物だと信じて隣に立つために必死に努力してきたわたしは、真実を知って絶望したのだ。だからわたしは何かを箱に入れ心を閉ざし何も持たない私になった。そしてもう、私には欠片を溶かす涙は流せない。

 「王室が燕を求め続けたことの是非についてはわたしには何とも申し上げられません。それでもわたしは殿下が妃殿下を思うお気持ちに偽りはないと思うのですよ。そうでなければ妃殿下の決断をお知りになってもあんなに取り乱すことなどありますまい。できれば今一度だけ、殿下のお気持ちを信じては頂けないものでしょうか?」
 「どうかしら?確かに昨夜の殿下は随分と情熱的にお話しされていましたが、わたくしにはそれさえも燕を繋ぎ止めるための茶番に思えてしまうんですもの。可愛がないったらないでしょう?」

 何だか笑えてきて喉の奥を震わせる私を見る侯爵の瞳はアルブレヒト様と同じ藍色で、でもアルブレヒト様よりもあの白鳥の健気な眼差しを思い起こさせた。

 
 ∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗

 
 それからも私は王太子妃の間に引きこもって過ごした。表面上は今まで通りの穏やかな時間が流れていたが、あの夜気付いてしまった胸の擦り傷は癒えることなくヒリヒリと痛み続けている。悟られないように普段通りに振る舞ってはいてもリリアの目は誤魔化せず、心配させているのが心苦しかった。

 「ねぇリリア。久し振りに花束を作ろうと思うんだけど、庭師に花材をもらってきてくれないかしら?」

 私のせいでずっと王太子妃の間から出られないでいたリリアは気分転換をした方が良いのではないか?と私は思った。心労で顔色が悪くなっているリリアにせめてほんの少しの間でも外の空気を吸ってもらおうとそう頼んだ。

 リリアは安心したように優しく笑い『妃殿下のご気分が変わるといけませんから今すぐ行って参りますね』と言って出ていった。そして入れ替わるように書類を抱えた女官が来たので私は執務室で机に向かった。




 「ねぇ、リリアはまだ戻らないの?」

 そろそろ休憩をとお茶を運んで来たのはリリアではなく別の侍女で、私は首を傾げた。もう大分時間が過ぎている。もし庭師が忙しくて手一杯だとしても後で届けて欲しいと頼んで戻ってくれば良いだけだ。そんなこと、指示されなくてもちゃんと弁えているリリアがまだ戻らないなんてどうしたんだろう。

 「そうなんです。お茶の準備にお戻りにならないなんて一度もなかったのに、一体どうなさったのでしょうね?」
 
 ドクン、心臓が大きく跳ねた。

 私は窓に駆け寄り庭園を見回したが戻ってくるリリアの姿はない。ふと視線を下に向けるといつもリードとエレナ様が座っている噴水の側のベンチにうっすらと黒い影が立ち込めるのが見えた。その影はムクムクと膨れ上がり大きな靄となったかと思うとぐるぐる渦を巻き始めた。小さなエレナ様に殺されそうになった私の魂が吸い込まれたのと同じ渦。

 私は弾かれたように執務室を飛び出した。
 

 

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最近様子のおかしい夫と女の密会現場をおさえてやった

家紋武範
恋愛
 最近夫の行動が怪しく見える。ひょっとしたら浮気ではないかと、出掛ける後をつけてみると、そこには女がいた──。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...