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アンネリーゼ
兄さまの勘違い
しおりを挟む「……あのね兄さま」
私は溜息交じりに兄さまの誤解を解こうと釈明を始めた。
「さっきも言ったけどわたし達本当に仲良しの友達だったの。彼は内気で人見知りのわたしが本性を曝け出せる数少ない相手の一人だったから。でもよくわからない適当な理由で突然婚約が内定してあっという間に署名式で、おまけに直ぐに四年も離れ離れになって……それでどうやって恋愛感情なんて芽生えると思う?それ、絶対に兄さまの勘違いよ」
あられもなくオイオイ泣いている兄さまを宥めつつ、ジェローデル侯爵が気の毒そうに私を見た。息子の親友の桁外れのどシスコン振りにさぞや引かれたんでしょうね。
「逆だ、逆なんだ……愛していたから……だから俺のちっちゃなリセちゃんを……」
「いやいや、違うったら。落ち着いてよ兄さま、話が進まないわ」
ツンツン……ツンツン。
リリアがまたお袖を引っ張って耳元に手を添えてコソコソと話し掛けてきた。
「無理もございませんわ。あまりにも年若くお嫁に行かれ、かといってずっと形骸的な結婚だったのですもの。わたくし達だって妃殿下を妃殿下としてお側に仕えておりましたが殿下の奥方様としては捉えられていなかった気がします。可愛い妹が人妻になった……頭では理解していたけれど漠然とし過ぎて実感が持てなかったんだと思いますわ。それなのに殿下にお気持ちを聞かされて初めてこの事実と直面して、で、今猛烈に寂しくなられたのでは?」
「……結婚して四年も経つのに?そんなものなの?」
私はとっても懐疑的だったけれど泣きじゃくる兄さまの様子には強烈な既視感があった。前世の勤務先は大手ホテル。毎日何十件と婚礼をこなしていると結構な頻度で出会すのだ。娘を嫁に出した寂しさのあまり号泣する父親に。
リリアの言う通り今の兄さまはあのお父さん達とリンクする何かがある。
とはいえやっぱり兄さまは大きな勘違いをしているのでは?としか思えない私に、またまたリリアがこっそり耳打ちしてきた。
「それからわたくし思うのですが……」
「……うん?」
「わたくしはご成婚前のお二人を存じません。ですからお二人がどんなご様子だったかもわかりません……けれども殿下は準備中だった王太子妃の間に足繁くいらしてはあれこれ指示をお出しになっていたんです」
「殿下が?どうして殿下が?」
私のおめめはまたしてもポツンとした点になった。
「どうにも気になって仕方がない感じでしたわ。準備が整った時にはそれは嬉しそうで……全部のお部屋を見て回られて『リセは気に入ってくれるかな?』なんて心配そうにポツリと呟いたりして。間違いありません。あれは恋する少年の眼差しでしたわ」
「……それ、リリアの勘違い……」
「ではありませんね。だってほら、思い出してご覧なさいませ。待っていて、約束だよ?からのアレ!ほらね、説明が付きましたでしょう?」
「…………」
単なる仲良しの友達の女の子のほっぺにチューは……無いよね?やっぱり。
「この際お子ちゃまだった妃殿下は置いておきましょう。ですが殿下は傍目から見ても妃殿下にぞっこんでしたわよ?」
「…………」
そんな実感は無かったけど、ほっぺにチューは確かにあった……
「殿下ははっきりと言ったんだ。リセを愛している、その想いは出会ったあの頃から今も尚、そして未来永劫決して変らないって。鏡に狂わされどんなにリセを疎ましく思っても、それでも心の奥にあるリセへの愛が消えることなんかなかった。リセへの愛は時には胸を温め時には炎のように勢いを増して心臓を燃やし尽くしてしまう程だと……お、俺の……俺のちっちゃな可愛いリセちゃんを……」
そこで兄さまの号泣が一気に盛り返した。どシスコンもここまでだと重症どころじゃない。ただでさえ降って湧いたような真偽のわからない話に混乱しているのに、兄さまを構っている場合じゃないのだけれど。
「本当にアレ以外何も思い当たりませんか?」
これ以上の刺激を避けようとしているのか、リリアはより小さな声で話し掛けてきた。
「ないない!父が結婚を承諾してから署名式まで三ヶ月しかなかったし。朝から晩まで監禁状態でお妃教育だったから、殿下と会ってる暇なんかほとんどなかったもの」
「じゃあほら、お式の日の夜はどうです?」
「署名式の夜?」
「えぇそうです」
署名式の後、リードとわたしは集まった民衆からの祝福に応える為に広場に面したバルコニーに出た。歓声と共に紙吹雪を舞い散らせている広場を埋め尽くす民衆を前にして、教えられた通りの笑顔で教えられた通りに優雅に手を振りながら崖っぷちに追い詰められているような恐怖を覚えていたわたし。
あの日は流石にそんな14歳の負担の重さを考慮して開かれた晩餐会は開始の乾杯だけで退席させて貰えた。そして疲れた身体を引きずるように部屋に戻り侍女達に世話を焼かれながら、改めて両肩に乗せられた荷物の重さを強烈に感じ押しつぶされそうな気がしていた。
今朝までは『お嬢様』と呼んでくれていた彼女達が、『妃殿下』とわたしを呼んだから。
「妃殿下は一人になりたいと仰ってお部屋のバルコニーに出られましたよね?」
「そう……だったわね」
14歳の涙腺は限界値でそうでもしないと皆の前で泣きそうだったんだもの。
「そこに殿下がおいでになって……」
「……?」
「殿下もバルコニーに向かわれて……」
「そうだっけ?」
「えぇ。かなり長い事お戻りにならないので風邪でもひかれてはいけませんからそろそろ声をお掛けしようかと言っていたら、ひょっこり殿下だけが戻っていらしたんですよ」
「殿下だけ?わたしは?」
「いいえ、殿下だけです。わたくし共をチラッと見て『後は頼む』ってボソリと言って出て行かれまして」
「で、わたしは?」
「わたくしが参りました時にはバルコニーの手摺に寄りかかるように座り込んで、放心状態でした。お声をお掛けしましたがもう眠くなったと仰って逃げるようにベッドに潜ってしまわれて……」
私の目の奥でパチンと火花が散った。
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