26 / 99
おやゆび姫
ルキア
しおりを挟む一件落着だと浮かれた義母が帰っていき、それから私はリビングのソファで全ての感情を失くし長いこと放心状態で座っていた。
涼太が何か話し掛けて来て受け答えはしたけれど内容は全く覚えていない。気が付いたら無意識なまま涼太を見送った玄関でぼーっと座り込んでいた。一人になった、そう思った瞬間に今まで何処かに追いやっていた気持ちが一気に押し寄せて来て私を呑み込んだ。辛くて苦しくて胸が痛くてもう耐えられない、そんな気持ち。でも無理なのだ。私が悪いと決めつけるあの人達から逃げることなんてできない。私は死ぬまでこの地獄のような家に囚われて生きて行くしかないのだ。
赤ちゃんが来たら私は母親にされる。涼太と不倫相手の彼女の赤ちゃんに愛情を注ぎ慈しむ母親に。
その前に一時だけでいい、と私は渇望した。
自由になりたい。この家から、この地獄から逃れて自由に……
「で、秘密箱を買う為に有名な温泉地に行った、という訳です。涼太には二泊して来るってメモを残して来たんですけれどそれを聞いた義母が激怒して翌朝帰らなきゃならなくなった。留守の間に涼太は彼女を家に呼んで赤ちゃんを引き取ることを伝えたけれど彼女は納得しなかったんでしょうね。だって義母はね、赤ちゃんを買い取るつもりだったんですよ?」
デボラさんは何も言えずに天井を見上げた。
まだまだ遊びたい若い娘なんだから産んでも育てる気なんかない、と義母は勝手に決めつけていた。だからお金を払えば赤ちゃんを渡すだろうって。でも彼女は涼太が好きでどうしても涼太が欲しくてどんな事だってできると、それほど強い情熱を持っていたのだ。
その情熱が怒りによって燃え上がり歪に形を変えてしまい……
「私は彼女に刺し殺されました。でも私を殺したのは本当に彼女だけでしょうか?私は……私は、義母と涼太にも殺されたと、そう思っているんです」
静かに静かに、声を圧し殺してデボラさんが泣いている。そして拭っても拭っても次々と溢れる涙をどうすることもできない私。
でも泣いていてはダメなんだ、と私は目をごしごしと擦って顔を上げた。私は義母と涼太に立ち向かうことなく負けた。だけど燕として魂だけは守ることができたのだ。今度こそ、今度こそ負けたりしない。この魂を踏みにじらせたりしない。
「私はわたしの魂を守ります。もう誰にも傷つけさせたりはしません!」
まだ方法は見つからないけれど、それは帰ってからどうにかしよう。
∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗
相当時間は掛かったけれどデボラさんも泣き止んで、赤い目元で私に微笑んだ。私の為に涙を流してくれるデボラさん。大好きなデボラさん。だから私は……
「デボラさん。デボラさんも勇気を出しませんか?」
「…………やっぱり、リセちゃんは気が付いていたのね?」
「…………はい。どう考えてもおかしいなって……」
だってデボラさんは赤ちゃんが欲しくて魔女から麦を買ったんだよ?それなのにこの家には旦那さんがいない、というか気配すらない。それならどうして赤ちゃんなのって。
「辛い経験をした貴女には云いづらいんだけど……私は……シタ側なのよ……」
デボラさんが不倫?!
思わず目を丸くした私にデボラさんは慌てて手を振った。
「もちろん奥さんがいるなんて知らなかったの。本当よ!」
そう言ってデボラさんは事情を話し出した。
デボラさんは街の菓子店の一人娘だった。両親と一緒に菓子を焼き看板娘として店番もする。店は街一番の人気店で大繁盛しており忙しくも充実した毎日を過ごしていた。
そんなある日、仕入れに出掛けた両親が事故で急死した。丁度通り掛かった教会の尖塔に落ちた雷に驚いて馬車馬が暴れだし、馬車を引いたまま川に突っ込んだのだ。突然両親を亡くしたデボラさんは悲しみに暮れていたが、沢山の常連客の励ましもあり店を開けることを決めた。
「だけど一人では手が回らなくてね。途方に暮れていたら訪ねて来たのよ、菓子職人が!」
それは遠い街に住む男で父とは兄弟弟子だという。尊敬する父の訃報を聞き駆けつけてきた、何か手伝えることがあればさせて欲しいという申し出に、困り果てていたデボラさんはルキアと名乗るその男につい手伝いを頼んでしまったのだ。
涼太の優しさに絆された私にデボラさんが非常に同情的だったのはつまりそういう事で。一人ぼっちになって寂しくて心細くて、そんな時に優しくされたらそんな気持ちにもなるよね。
「ルキアが結婚をちらつかせるようになって私もその気になっちゃって、二人で店を盛り立てて行こうと決意したの。でもね、押し掛けてきたのよ、ルキアの妻だっていう女が……私、ルキアに騙されていたの。でも……全部仕組まれていたのよ」
ルキアは大きな菓子店に勤める職人だったんだけど店の売上金に手を付けていたのがバレて首になった。悪い噂は直ぐに広がり再就職もままならない。そこで偶然耳にしたデボラさんの両親の死を利用することにした。
消沈しているデボラさんを言葉巧みに依存させ、ルキア無しでは生きていけないと思い込ませる。涼太の母親もそうだけど、人間にはそういう能力を持って生まれる者が存在するんだろう。
精神的に相手を支配する能力を持った者が。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる